このページは、茨城方言の代表語を、詳しく解説するものです。今後、回を重ねて、充実していきます。
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■第1回 ちく、ちぐ:嘘。 2007.12.02
ネットサイトでは、一般にこれこそ茨城方言の真骨頂のように言われるがそうではない。
『称呼』には『いつはり(うそ)といふを(中略)常陸下野邊でちくとも又ちくらくとも云。尾張にては謀計なる事すべて深きたくみをちくらくと云。』とある。
『ちく』は、広辞苑に『(関東方言) うそ。』とある。
物類称呼「うそといふを常陸下野辺にてちくとも又ちくらくともいふ」』とある。
ちなみに『筑羅』は広辞苑に『@朝鮮と日本との潮境にあたる海。ちくらが沖。A転じて、どっちつかずの意。』とある。類似語に『筑羅者』(どこのものともわからない者。どっちつかずの者。)がある。
『俚言』には『ちくぬく:下野にて虚言をいふ。又ちくらっぽうともいふ。』『ちく:又ちくらっぱし。館林にて虚言をいふ。』とある。
茨城県内では、南部に集中し、北部では一部でしか使われない。土浦では濁音形が多く使われる。鼻濁音形もまれに使われる。清音形は女性が使うことが多い。@の意味では△茨城・栃木・埼玉・群馬の他、千葉の一部でも使われる。静岡・愛知・大分では半ばことを『ちぐ』と言う。埼玉東部ではさらに『からっちく』と言う。
常陽芸文によれば、『古代朝鮮の筑羅島が語源で、対馬の近くに巨済島という島があり、古くは『筑羅島』といわれた。この島と対馬の間の海は、朝鮮と日本との潮境にあたり、『筑羅が沖』と呼ばれた。『筑羅』は『ちく』となり、潮境の持つどちらに属するともいえないイメージから転じて『どっちつかず』の意味で使われるようになり、さらに『いいかげん』『うそ』の意味に転化していった。』と言う。広辞苑の『筑羅』の意味とも一致する。
古事記や日本書記には大和時代に戦乱の朝鮮半島から多くの朝鮮人が渡来し、東国や常陸、下毛野(下野の古称)、武蔵に住まわせた記録が残っている。『筑羅』系の方言は、栃木東部、群馬の一部、島根等に残るが、茨城が最も顕著である。
しかし、『筑羅』と『ちく』はルーツが異なる可能性もあり、『痴句』の意味だったり、『痴愚』(馬鹿)が転じたり、単純に『ちぐはぐ』が訛ったと考えても間違いではないような気がする。ちなみに遠く離れた九州地方でも『ちぐはぐ』(不揃い)の意味で使われているという。『ちぐ』と発音されるのはその名残だろう。また、土浦では、清音形は女性を除き使われることは比較的少ない。
『常磐沿線』では独特の推察がされており、
嘘をつくんだべし→嘘をつくんだんべ→嘘つくんだんべ→嘘つくだっぺ→つくだっぺ→ちくだっぺ と変化したとしている。
一方、『ちくる』という言葉がある。『告げ口する』意味である。この言葉は『ちくり・ちくちく』等に由来し、刺す意味である。従って、茨城方言の『ちく』との関係は薄いと思われる。
県下で『嘘』を表す代表的言葉は、
・あがうそ
・あがちぐ
・あがっぱら
・あがはら
・うす
・うすこ
・うすっこ
・うそっこ
・うそっぱぢ・うそっぱち
・うそっぱら
・おだ:『おだぬぐ』の動詞形をとる。
・こちっくらっぺ
・こちくらっぽ
・こみ:『こみやる』の動詞形をとる。
・ごま・こま
・せんみづ・せんみつ
・そら
・そらっぽ
・ちぐ・ちく
・ちぐころ・ちぐっころ
・ちくまんぱち:大嘘。
・ちくら
・ちくらぐ
・ちくらっぺ
・ちくらっぽ
・ちつまがし:うそつき。
・ちゃら
・ちょーば
・ちんから
・まんぱぢ・まんぱち
・むず:『むずする』の動詞形をとる。
等がある。今では使われなくなった古い標準語を含むものの、『嘘』を表す言葉の多さは恐らく日本一だろう。
★ちぐだっぺ:嘘でしょう。
★長塚節『芋掘り』の一節:四つ又もちっと眼がチクになったな。そりや一番粉で糟がへえらねえだ。甘かんべえ。:ここ場合の『ちく』は嘘の意味ではなく、概ね『ちぐはぐ』の意味。結果として、『ちぐはぐ』(不揃い)の意味が最も有力と思われる。つじつまが合わないことを略して『ちく』と言っても可笑しくない。
何故、茨城及びその周辺にだけ『嘘』の意味の『ちぐ・ちぐ・ちく』があるのかも合わせて考える必要がある。
『日本方言大辞典』では、『ちく』は五番目に位置づけされ、『ちくら・ちっくり・ちっち』を嘘の意味としてまとめてくくられている。『ちぐ』は、不ぞろいの意味が主である。
★『土』いや本当でがす。わしゃ嘘(ちく)なんざあいうな嫌(きれえ)でがすから:いや本当です、私は嘘なんかを言うのは嫌いですから。
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■第2回 『いばらぎ』(「ぎ」は鼻濁音)でやなぐってー、『えいんばらぎ』(「ぎ」は濁音)。2007.12.14
『「いばらぎ」じゃなくて「いばらき」』は、茨城方言を始めてネットで公開され、今でも様々な活動をしておられる青木智也氏が唱えたフレーズで、その著作は、続編を重ねています。恐らく『茨城弁』を世にネット上で知らしめた功績は彼が最初で、私の記憶が正しければ2000年頃だったと思われます。当時私は、サイトを持っていなかったので、それまで書き溜めた茨城方言を大量に投稿しました。彼のサイトの方言の中の語彙解説で一文一句同じものがあったり、土浦でしか使われない方言があるのはそのためです。
彼が運営されている、『茨城王』は、その意味で今でもネット界では老舗です。ただ、彼の出身地は結城郡石毛町ですから、彼の住環境にある方言は、栃木県や埼玉県との関係が深い地域です。
さて、生粋の茨城弁はどこかというと、かなり難しいのですが、少なくとも土浦市の中心市街地ではないことは確かです。県南部は千葉県の影響を受け、水戸以北は、福島県の影響をより強く受けています。方言の圏域は、しばしば動植物に顕著に現れるので、多くの自治体ではそれによって領域を定義していますが、何故か茨城はなかなかエリヤ分けができません。それでも、東西・南北の区分けはあり、特に独特の言葉が残るのは、北部の北茨城市、西部の猿島郡、南東部の稲敷郡・行方郡・鹿島郡が秀でています。
さて、濁音化と言う観点からすると、西部は比較的濁音化しません。畑を『はだげ』、土手を『どで』、肩を『かだ』と言う地域はあっても、恐らく『母ちゃん』をかつて『かーぢゃん』と言った地域は、かなり限られるでしょう。『茨城民俗語辞典』によれば、標準語の『そんな』を『そーた』ではなく『そーだ』と発音するのは、真壁郡・水海道市・筑波郡にあったと記録されています。茨城を『いばらぎ』(濁音)と発音するのは、石岡市の『いばらぎどーじ』(茨城童子)しかありません。。粘る意味の『べとべと』を『べどべど』、雫が落ちる様の『ぼたぼた』を『ぼだぼだ』、『がたがた』を『がだがだ』、揉め事の『ごたごた』を『ごだごだ』と言うのもありません。茨城の代表語である、嘘を『ちく』と言うのはほぼ全県に分布しますが、『ちぐ』と濁音発音するのは、常陸太田市・東茨城郡・西茨城郡・新治郡・稲敷郡・鹿島郡が記録されています。
この違いは、どこにあるかと言えば、記録や調査を残した時代にもよると思われますが、県北部と県央部(霞ヶ浦北部)・南部・東部に濁音化のコアがありそうです。
さて、文献に頼らない私の記憶では、土浦市北東部の上大津地区は濁音化は当たり前でしたから、県北から県央部の石岡付近を臍として南東部に広がりながら、都会化した土浦市の市街地は清音化したものと思われ、上大津地区は、新治郡の影響を強く受けていた一方、このサイトが、昭和30年代の古い茨城方言を紹介していることが主な理由でしょう。
つまり、昭和30年代の茨城の県北から県央、県南東部の方言では、助詞表現や『い』の発音から、『いばらぎ』(「ぎ」は鼻濁音)でやなぐってー、『えいんばらぎ』(「ぎ」は濁音)、または『いばらぎ』(「ぎ」は鼻濁音)だなぐって『えばらぎ』(「ぎ」は濁音)と言えるでしょう。
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■第3回 ごじゃっぺ 2007.12.22
意味は、@訳のわからないこと。筋の通らないこと。未熟な様。ごちゃごちゃした様。A道理の解らない人。駄目な人。未熟者。 Bたわいのないこと。とりとめもないこと。馬鹿な事。Cうそ。でたらめ。間違い。Dだめなもの。仕損じたもの。駄目なこと。出来そこない。解約。Eおしゃべり。等があるが、基本的には@Aの意味であることが多い。
他に『ごじゃ・ごじゃっぺー・ごじゃべ・ごじゃらっぺ・ごじゃらんべー・ごじゃろべ・ごちゃ・こちゃ・ごちゃっぺー・ごちゃっぺ』がある。これから、原型は『ごじゃ・ごちゃ』で、人名化した『ごじゃ郎兵衛』の可能性が高い。
『ごじゃ』の語源はいったい何だろう。未熟なのに偉そうにする意味の1)『こしゃく(小癪)』、2)『抉らす(こじらす)』、3)『愚者』、4)『ござる』の短縮形、5)『ごちゃごちゃ・ごっちゃ・ごった』、6)雑魚の倒語が訛ったもの、7)『おじゃん』(物事が途中で駄目になる)、8)御託 等が考えられる。動詞形含めると『抉らす(こじらす)』が転じたと考えるのがスマートなように思えるが、案外単に『ごじゃごじゃ』が転じたとも考えられる。茨城弁にはそのような事例が多くある。
明治期の茨城弁を集めた茨城方言集覧では『間違い』としているので、『ごじゃす』(@間違って作る、出来損なう、A駄目にする)の名詞形とも考えられる。
また『こだごねる、ごだこねる』(駄々を捏ねる、御託を並べる、愚痴を言う)の存在も無視できない。御託は『ごた』とも言うからである。
『俚言』では『ごたをいふ:松本にて馬鹿を云なとといふこと。』とある。
ちなみに『茨城の方言』(遠藤蛮太郎)では、釈迦の従兄弟のダイバ(提婆)が主唱した『五邪の法』を釈迦が認めなかったことから、それが転じたとしている。
『ごじゃっぺ』を含め、今では東関東方言の代表語とされるが、『日本方言大辞典』によると、@は、兵庫・岡山・徳島・香川に分布、Aは千葉・兵庫・香川、Bは栃木・新潟・兵庫・岡山・香川、Cは、栃木・岡山・徳島・香川・愛媛に分布することから、関東圏では茨城と栃木だけが目立つことになった。@の意味で千葉では『ごじゃばこ』と言う。Aの意味では山梨で『ぐしゃんぼ』という。秋田ではおしゃべりの意味で使う。おしゃべりの意味で使うのは『おちゃっぴい』の訛りと考えられる。
『民俗』では、かなり割り切った解釈をしていて@わからずや、Aだだ、すねること、B誤り、間違い、C解約・中止 としている。BCは『ごじゃす』の名詞形と考えられる。
稲敷郡・行方郡では清音化して『こちゃ』と言う。『間違い』の意味では茨城・岡山・徳島で使われる。
類似方言に『ごた』がある。群馬・長野:わがまま、新潟:弱虫、奈良・和歌山:ごみ、岩手・宮城・山形:泥、山梨・愛知:ヒキガエル。
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■第4回 いしこい・いしけー・いしたい・いしっこい・いしっけ・いしっけー:【形】@醜い。見た目が悪い。A粗末な様。B出来が悪い。C良くない。 2007.12.22
『いしてー』が原型とすれば『石体』(石のようにつまらない意味)の可能性が高い。同じ意味の『へしこい』の『圧し(へし)』には『重石(おもし)』の意味があり、これも石と関係がある。県下には、『危険な、ひどい』意味で使う地域がある。千葉では『粗悪な』意味を『いすたい』という。 類似方言に『いしい』がある。群馬・千葉・山梨で『悪い』意味、群馬で『苦しい』意味、千葉で『荒々しい』意味で使われる。 本来『いし・いしい』は良い意味で、『美し・美しい』と当てられ、『よい。好ましい。見事である。たくみである。殊勝である。けなげである。神妙である。味がよい。』意味。現代語の『おいしい』の古形とされる。
『称呼』によると、江戸時代の『わるい』という意味の言葉は、『尾張邊または奥州仙臺にてをぞいと云。(中略)上総・下総にていしいと云。(中略)東国にては、賢き事をも をぞいと云侍る也。又南総にてあしき事を いしいと云 畿内また東武にても味の美なる物をいしいと云。』とある。このことから、現代の茨城方言の『いしこい』は、かつて『いしい』だった事は間違いないだろう。『おぞい』同様同じ言葉が表裏の意味を持つことについて、『称呼』では長々と論じられている。
『俗語』には『いしく・いしが云々・うひやつぢや:赤染め衛門集四「天王寺まうでで云々「立ゐけるあとを見るこそかなしけれいしやその世にあへらましかば」」、今昔物語九「何につけてもいしかりけるものの上手かなと、皆人これをほめける」、同十二「男は御門をはせ出て、洞院をくだりに飛ぶがごとくにして逃さりぬ。院は此奴はいしかりける盗人かなとなと仰せられて、あながち御腹立もなかりける。しかりける」、歸命本願抄に「いしくもさんげして」又「いしいし云々」、此外後世の軍書中にも見え、今の世の鄙土の言にものこれり。其が中にも、今下総の葛飾郡幸手邊にて、幼稚の者を呼にいしが云々と云。此を又京近き国々にては、うひやつぢやと云。此の二つを合するに、いしくはうひうひしくにて、其本は初なる物を愛る方より轉りたる美賞言なるべし。神代紀一書に「国稚地稚」とあるをクニイシツチイシと訓たるを、忌部正通口決に「稚ハ宇比志(ウヒシ)也」と云り。宇比(ウヒ)は伊(イ)と約れれば也。是を見ればイシノトキと之(ノ)を添たるは非なれども、猶是も一つの古訓なるべし。」』とある。つまり、『いし』とは『幼い』または『幼くて可愛い』意味と説く。これは、音ににとらわれて『にし』(主)を起源にした関東方言の『いし』(お前)との混同と思われる部分もあるが、美しい意味の『いし・いしい』と『いし』(お前)は何かつながりがある可能性は確かに捨てきれない。 辞書に掲載された近世語の『いし・いしい』(美し・美しい)は、『良い・味が良い』意味で、現代語の『良し』そのものである。助詞の『や・よ』が『え・い』に変化したのとは逆だが、典型的な音通現象の賜物と思われる。 近世の文献に出て来る『いしこい』は『自慢げでいる人をあなどっていう語。生意気だ。えらそうだ。こましゃくれている。』の意味、『いしこらしい』は、『生意気である、えらそうにしている、得意になっている』でほぼ同じある。どうやら茨城方言の『いしこい』は、千葉方言の『いしい』に通じ、『美味しい』の語源である『いし・いしい』(良い、味が良い)意味が過ぎたる言葉として『良すぎる、遣りすぎる』意味の『いしこい』(いし濃い:生意気である、えらそうにしている、得意になっている)が生まれ、さらに『らしい』を加えて、意味を強調して『いしこらしい』が生まれたと思われる。 一方、『今昔』では『醜(しこ)』から発生したような表現になっている。江戸時代に編纂された『新編常陸国誌』には『悪キコトヲ言フ、シコイト斗モ言フ、古言ナリ、シコ男シコ女の意に同シ。』とあり、一説を唱えている。ここで『シコ男』は『醜男(しこお)』(@強く、たくましい男。Aみにくい男。また、男をののしっていう語。)、『シコ女』は『醜女(しこめ)』(容貌のみにくい女。醜婦(シユウフ)。また、黄泉(ヨミ)にいるというごつい女の鬼。)のことである。ちなみに、『醜』は『鬼』とも当てられ、『@強く頑丈なこと。A頑迷なこと。醜悪なこと。憎みののしったり、卑下したりする場合に用いる。』の意味である。 ちなみに、『いしこい』は、宮城では『元気な』、茨城・栃木では『悪い・醜い』、千葉では『粗野で乱暴な』、京都では『ふびんな』、大阪では『生意気な』の意味で使われる。これらも近世語の『いしこい』をルーツにしたものだろう。さらにそれは『醜(しこ)』に由来するのかもしれない。
@・いしこい:栃木。 B・いしい:悪い:群馬・千葉・山梨。 ・いしい:苦しい:群馬。 ・いしい:荒々しい:千葉。 ・いしこい:粗野で乱暴な:千葉。 ・いしてー:悪い:千葉。 ・いすたい:粗悪な:千葉。 Cその他。 ・いしこい:元気な:宮城。 ・いしこい:ふびんな:京都。 ・いしこい:生意気な:大阪。 |
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■第5回 『い』と『え』の混同。2008.01. 11
(1)『い』段と『え』段の混同
現在では、高齢者を除きほとんど失われたと言って良い。
『い』と『え』の混同は東北を中心に、北海道南部・千葉県北部・栃木県東部・新潟県のほぼ全域・富山県の大半・島根県東部にも見られ、茨城県では全域で見られます。ただし、青森県東部を除く大半の地域・秋田県全域・山形北西部では区別されます。また標準語または標準語圏域の中にも特定の言葉で稀に見つけることができます。落語を注意深く聴くと『ハエ』を『はい』、『声』を『こい』、『カエル』を『かいる』、『お前』を『おまい』と言ったりします。女言葉の『おまいさん』は誰でも知っている訛りです。
茨城弁の場合は、江戸言葉では『え』の訛った『い』を正しく発音するのに対して、『い』と『え』は殆ど区別できませんでした。今でも比較的年配の人々が発音する『い行』は、標準語とは異なるのを耳にします。英語の【i】の発音に近いのです。その大きな理由は鼻にかかる発音によって『い』と『え』が曖昧になると考えられます。そうしてみると、茨城弁を正確に語るには、『い行』と『え行』の間の発音を示す文字が必要になるとも言えます。ところが事はそれほど単純ではありません。その大きな理由は@鼻にかかる発音の度合いが個人によって異なること、A『い』と『え』は全く識別できないわけではなく、語頭では比較的はっきり発音されるのですが、強調や音の響きを大切にするためか、意図的に『い』を使ったり『え』を使ったりする傾向があるのです。
それでも、昭和35〜45年頃には、ある程度区別されるようになっていました。土浦市発行の『土浦の方言』では、議論の末だと思うのですが『い』項のみで『え』項はありません。それによると『(い)の項には、イと発音するものと、イとエの中間の発音のものおよび、エと発音するものの三者を一括して記載した。』とあります。
区別しにくい場合とできる場合があることに何か理由があるのではないかと思い、いろいろ見ていますが、今のところ良く解っていません。
大きい:いがい・いっがい・えがい・えっがい。 古(いにしえ):えにしい。良い家:いーいー・えーえー・えーいー・いーえー。家の建物:いーのい、いーのいー、いーのえー、えーのい、えーのいー、えーのえ、えーのえー。色鉛筆:いろいんぴづ・えろいんぴづ。見えないだろう:みーめ・めーめ。目が見えない:めーみーに・めーみーね。
(2)もう一つの視点/口蓋化しない音
日本語は、口蓋化の著しい言葉です。口蓋化とは、Wikipediaに『子音が調音点で調音されると同時に、前舌面が硬口蓋に向かって盛り上がって近づく現象のことである。母音[i](イ)と調音器官の形が似ている。硬口蓋化(こうこうがいか)、パラタリゼイション(palatalisation)ともいう。』とあります。例えば、タ行音をタ行の子音に母音を組み合わせると、本来は『た、てぃ、とぅ、て、と』とならなければなりませんが、『てぃ』が『ち』に、『とぅ』が『つ』になる。このような場合に口蓋化が起きていると言います。
標準語で口蓋化が起きるのは、五十音では、カ行で『き』、サ行音の『し』、タ行音の『ち、つ』、ナ行音の『に』、ハ行音の『ひ、ふ』、マ行音の『み』、ラ行音の『り』とされます。実際の日本語の発音は、濁音、鼻濁音、半濁音、拗音、促音、発音、長音等が加わり、100以上あると言われ、それら全てを含めると口蓋化しているかしていないかは、無意味となります。実際には一覧表を作った時、欠落する部分がどこにあるかだけの表になります。詳しく知りたい方は音韻の最前線が解り易いので参照下さい。言い換えれば、現代の五十音表とはきわめて不完全な表で、過去の歴史の中で無理やり五十音に当てはめて話すよう仕向けられて来たと言えるのかもしれません。
ここで興味深いのは、五十音で口蓋化が起きるのは殆どイ段音に集中している事です。五十音のイ段音は、子音と母音の組み合わせのルールが無視された発音ということになります。この辺りで気が付かれた方もおられると思いますが、本来のルールで五十音を作ったとすれば、英語のi音即ち概ねイとエの間の発音が正しいのです。茨城方言のイ段音は、口蓋化しない発音と言っても良いのです。
以下、幾つかの事例を示します。標準語の感覚からは、イ段がエ段に、エ段がイ段に聞こえます。高齢者の発音は殊にその傾向があります。
・合併:がっぴー、現在:ぎんざい、名物:みーぶづ、麦:みぎ・みげ・むげ、これ:こり、見える:めーる、遣ってた:やってぃだ、そうです:そーんでぃす、そうだよねえ:そーだいねぃー。
(3)口蓋化を識別した時の日本語
もし、口蓋化を識別した時の日本語はどう変わるのでしょう。口蓋化したイとしないイをどうやって識別するかということになります。そうなれば、イとエは区別できないことになります。
つまり、五十音外に新たなイ段音を作らないと、日本語の五十音は完成しまいのです。
そう考えると、茨城県人は言葉の音声学的な感覚を身につけていて、標準語世界とは別の次元で言葉を語っていたのではないかと思われます。
英語世界では、i(い)とi:(いー)は、発音が全く異なります。英語のi音はまさに茨城方言のi音なのです。
(4)映画『ハリーポッター』に描かれたイギリスの地方訛り等
2007年7月、ハリーポッターの第5作が封切られました。時間の制約が厳しかったのか原作に描かれたクイディッチのシーンが全く無かったのが残念です。
さて、ハリーポッターの名脇役の巨人ハグリッドには、沢山のイギリスの地方訛りと思われる箇所があります。その第1作で、ハグリッドがハリーの11歳の誕生日のために作ったバースデーケーキには、こう書かれていました。
『HAPPEE BIRTHDAE HARRy』。まるで茨城弁ですね。
イギリスは、英語の発祥地であることは誰でも知っています。今ではアメリカ英語が世界を蹂躙していますから、意外に知られていないのですが、特にロンドン訛りというものがあります。例えば、昼間を示す英語は『day』ですが、イギリスでは『ダイ』と発音します。日曜日の『Sunday』は、『サンダイ』です。日本語の古い言葉は、そのまま発音され、現代では異なる発音になっているのに似ています。『becose』は、ほとんど『ベコーズ』と発音されます。日本もイギリスも訛りの図式は同じなのだと気がつきます。『yesterday』は『イエストゥダイ』です。水曜日は『Wednesuday』と表記しますが、映画によっては『ウェドゥネスダイ』と発音しているものがあるのは実に興味深いと思います。駅は『スタイション』と発音します。イギリス英語はオーストラリア英語そのものでもあります。
映画『ロードオブザリング』のCG脇役のゴラム:スメアゴルが、自らを指す言葉は『us』で発音は『アシ』でした。英語等に特有の格の差異はあるのですが、なんと日本語の『あっし・あしら』と同じではありませんか。
h音に関する現象も面白いものがあります。英語のスペルには鯨のひげに似た沢山のhのスペルが残っています。日本語もどうやら同じような歴史をたどり、h音が母音に変化した歴史があります。極端なのはフランス語では、h音が完全に脱落してしまいました。
もとに戻りますが、昼間を示す英語は『day』で『ダイ』と発音したのが、次第に『デイ』に変化したことが解ります。
これらを考えると、江戸時代に自然に生まれた日本語の代表である江戸語は、今も俗語に残っています。その後明治の政策によって矯正された図式が見えてきます。
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■第6回 人を表す接尾語『し』と人以外を示す『め』。2008.01.11。
日本語は、古くは人を意味する接尾語として『し』『しゅ』『しゅう』があり、それに、各々の立場等によって『氏』『士』『司』『師』『師』、『主』『守』『手』、『主』『衆』『囚』『宗』などの漢字を当てた意味が見えて来る。『主』を『しゅ』『しゅう』と発音するのは辞書にある。
これに対して、茨城方言の接尾語『め』の存在は極めて解り易い。すなわち人間以外の生き物に接尾語『め』を使うのである。現代日本語では『奴(め)』と当てられるが、古代の日本語の人を示す接尾語は『し』で人間以外の生き物に接尾語『め』であったなら、これこそ、『若い人』は『わげーし』で、『犬』は『いぬめ』となる。
その意味で、『人』とは、接尾語『し』に『人(と)』がついたとすれば、江戸の訛りを説明できる。
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■第7回 「〜まる」と「〜める」 2008.02.20。
マ行五段活用他動詞の自動詞・他動詞形の動詞を形作る助動詞的な役割をするが辞書では定義されていない。
例えば『治む・修む・納む・収む』は、現代では自動詞形の『治まる・修まる・納まる・収まる』、他動詞形の『治める・修める・納める・収める』がある。
ところが、『掴む・攫む』(つかむ)は『捕まる・掴まる・捉まる』『捕まえる・掴まえる・捉まえる』はあるが、『捕める』(つかめる)は、可能動詞になってしまう。茨城では『捕まえる』の意味で『つかめる、つかめーる』がある。
また、『捕まる』(とらまる)はあっても『捕める』(とらめる)は無く、『捕まえる』(とらまえる)がある。また、原型となるべき『捕む』(とらむ)は無く『捕ふ・捕う』である。現代では自動詞形は『捕える・捉える』が使われる。茨城では『とらまいる、とらめる、とらめーる』がある。尚、辞書には『捕まえる:(「とらえる」と「つかまえる」との混交した語) つかまえる。』とある。
現代では殆ど使われない『捉まえる』(つらまえる)『捉まる』(つらまる)は、『捉む』『捉める』形は辞書には無い。茨城では『捉まえる』意味で、『つらまいる、つらむ、つらめる、つらめーる』がある。さらに複合化した『とっつらまる』『とっつらめる、とっつらめーる』がある。
『のめる』と言う言葉がある。『@倒れるように前に傾く。前に倒れかかる。Aある状況や物事の中に引き込まれるようにはいる。』の意味である。『つんのめる』などと言う。茨城では他の意味もあるが『@倒れる、A(田んぼ等に)はまり込む』の意味で使われる。自動詞形的に『のまる』も使われる。『つんのまる』も使われる。『おんのまる』『おんのめる』などとも言う。
これらを見ていると、仮に『捕まる』(とらまる)や『捉まる』(つらまる)が過渡的な言葉で、やがて一部の言葉だけに収束した歴史があったとしても、仮に語形の一覧表を作った時に、その欠落部分にぴったりと方言が当てはまるのは、決して偶然とは言えないだろう。
注)『治む・修む・納む・収む』『治める・修める・納める・収める』の語源説は、首長の意味の『長(おさ)』を動詞化したというのが定説になっているが、『押える・抑える・圧さえる』(古くは「おさふ」)も候補に挙げて良いのではないか。ちなみに、茨城には『押さえる』ことを『おさまいる、おさまえる、おさめーる』と言う。
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■第8回 ぷっとばす/半濁音化 @投げ飛ばす。殴る。A一気に走る。2008.10.27
本来は『ぶっ飛ばす』。促音化した語に付くバ行音が半濁音化するのは標準語でも同じだが、語頭のバ行音が半濁音化するのは茨城方言にしか無いだろう。標準語圏の人の耳にはふざけているとしか聞こえないと思われる。
・ぷっころす:ぶっ殺す。
・ぷっくらす:殴る。『打ち食らわす』の転。
・ぷっけーす:@突き返す。返す』の強調形。A倒す。『打ち返す』意味。 ・ぶっけす・ぶっけーす:神奈川。B病気が回復する。Cぶりかえす。『吹き返す』意味。
・ぶっこぬぐ・ぶっこぬく・ぷっこぬぐ:@引き抜く。引っこ抜く。A中間を飛ばす。 |
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■第9回 清音化 2008.10.27
濁音化は、東北方言の特徴で特にカ行音とタ行音に起こるが、茨城では逆に清音化することがあり、濁音化と清音化が共存する。特に法則性は無く、標準語で濁音の言葉が清音化することがある。
・一時間:いぢちかん。
・良いですよ:いいてすよ。
・入らないで下さい:へーらないてくたさい。
・甘酒:あまさけ。
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