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◆本ページは、茨城の年中行事をまとめたものです。他県の方言の収集も合わせて開始しました。
 当時の農村は貧しかった。遊ぶところも無かった。野良仕事は天候に支配される一方、様々な室内の仕事も必要で、降っても晴れても仕事はある。だから、矢継ぎ早に訪れる昔から伝わった様々な行事や催しには、そのような農村の生活に潤いを与えたことは間違いない。一方では、農繁期になると、忙しさのあまり、つい過剰に仕事をする者が出て来る。今で言えば労働基準法違反になる。当時はそのような法律が無かったから、田植え時には、村で定休日を定め、自主的に的に労務管理をしていた時代だった。
ところが、昭和40年前後の高度成長時代になると、農村の生活も都市部の生活に漏れず、やや遅れながらも改善されていった。その最も便利なツールは手押しポンプである。それまではつるべ井戸だったのが、『がちゃぽん』と押せば水が出て来る。我が家は最初井戸に手押しポンプがあったが、間もなく台所に移して、一番大変な風呂への水汲みは大きな改革になった。昭和42年前後に電動モーターポンプが普及し水汲み作業は無くなり、今に到った。
月日・名称 茨城弁 解説・他県の方言
1月4日、仕事始め なーない
なーないしょーがづ
ぶぢぞめ
わらぶぢ
わらぶぢしょー
早朝に起きて藁を木槌でたたき代掻き用の縄を作る。
1月7日、七草粥 ななくさ
なのがしょー
1月11日、鍬入れ いぢ:一鍬。
いぢかー:一鍬。
いちくあ:一鍬。
いちくあいり:一鍬入れ。
いちくあいれ:一鍬入れ。
いちくあまづり:一鍬祭り。
かいれ:鍬入れ。
からすよばーり:カラス呼びの意味。
からすよばい:カラス呼びの意味。
からすよばり:カラス呼びの意味。
くわいり:鍬入れ。
くあいれ:鍬入れ。
くあいわい:鍬祝いの意味。
1月3日・4日のところもある。農家の仕事始めの儀式。広辞苑には『鍬初め:農家で正月の吉日に、吉方(エホウ)に当る畑に初めて鍬を入れ、餅または米を供えて祝うこと。田打正月。鍬初め。』とある。
『カラス、カラス』と大声でカラスを呼ぶ。
茨城県生まれの詩人横瀬夜雨の小品『田舎の新春』の第2項は『鍬入り』と表現されている。その中で『四日は鍬入り、即ち農のはじめだ。畑に入る式をする。大豆と賽の目にきつた餅と昆布とを四方の隅をひねりあげた和紙の器にいれて、畑へ持つてゆき、鍬で一寸麥畑をさくつて門松の一枝を挿しし、そこへ供へる。畑に供へるのだが、その時大聲をあげて、からあす、からすからすと山の烏を呼ぶ。』とある。
1月14日、鳥追い(とりおい) おか

りたぎ
りび
とりおい
とり
とりほい
とりまぢ
とりまぜ
とりまで
とりまでのとしこし
とりまとい
とりまどめ
とりまどめしょー
とりまどめどし
とーりんぼ
とーれんぼ
とーろんぼ
とんど
どんと
どんとび
どんどび
どんどや
どんどやぎ
どんどやま
どんどんやぎ
どんどんやき
はーほい
ほいほい
ほいほい
やーほい
やんどり:常陸太田市。
まつひき
わーほい:横瀬夜雨の『田舎の新春』にも出て来る。茨城方言集覧では旧水戸市・稲敷郡の方言で『正月14日の爆竹を言う』とある。
(火祭りに作る小屋)
どんど
どんどん
はーほい
ほいほい
わーほい
古くは『左義長・三毬杖』(さぎちょう)
大辞林には『左義長:毬杖を三つ立てたところから小正月に行われる火祭り。宮中では正月一五・一八日に清涼殿南庭で、青竹を立て扇・短冊などを結びつけて焼いた。民間では竹を立てて門松・注連縄(しめなわ)・書き初めなどを焼き、その火で餅を焼いて食べて無病息災を祈る。どんど。どんど焼き。さいと焼き。さんくろう焼き。ほちょじ。ほっけんぎょう。』とある。
また『さいとやき【道祖土焼】:小正月に行う道祖神の火祭。関東・中部・北陸地方でいう。さいのちょう。さいとうばらい。せえとんび。どんど焼。』ともある。
手野の大火以来取りやめになったところが多かったが、一部で細々と行なわれた。『ほいほい・わーほい』とも呼ばれた他、土浦市内では『とりおい・とりまでとりほいほいほい小屋どんどん焼き』と呼ぶ地域もあったという。昭和54年に田村で一度本格的な祭りが行なわれた。
さいとさま:神奈川。
さいとばらい:神奈川。
さいとやき:神奈川。
さいのかみまつり:神奈川。
せーと:神奈川。
せーとばらい:神奈川。
せーとばれー:神奈川。
せーとやき:神奈川。
せーのかみ:神奈川。
だんやき:神奈川。
どんどろやき:野火:福島。
どんどんやき:東京・神奈川。
どんとまつり:宮城。
(その他)
やへやへほー:どんどやきの掛け声:宮城。
1月14日、あわほひえぼ、粟穂稗穂 あーぼーひーぼー
あーぼさま
あーぼにひーぼ
あーほひーほ
あーぼひーぼ
農村言葉なので『あわぼひえぼ』と言っても方言ではないと言える。民俗語である。
広辞苑には『農村行事の一。小正月にヌルデの木などを削掛(ケズリカケ)にしたものを粟穂、皮付のままのを稗穂とし、側面に切れ目をつけ、また細い割竹にさしたりして、普通は六本ずつたばね、庭や堆肥上に立てる。東日本に多い。あぼへぼ。』とある。
東京多摩方言に『あぼへぼ』がある。茨城方言は、関東では決して特別な存在ではないことを示す言葉。
1月14日、耳塞ぎ いーごどきかせ
いーごどきかせのもぢ
いいみみきげ
みみふさ
みみふさだん
みみふさもぢ
みみふたもぢ
みみふた
『耳塞ぎ』。『みみふさぎ』が辞書にないのは『塞ぐ』を『ふたぐ』と言っていた時代の言葉だからだろう。
広辞苑には『同齢者が死んだ際、災いが身に及ぶことを怖れ、鍋の蓋や草鞋・餅・団子などで耳を塞ぐまじない。耳塞ぎ餅・耳団子は、その餅や団子。』とある。
県下では地域によって微妙に異なる。正月14日の儀式として行うところや、訃報があったとき行うところもある。土浦では、訃報があったとき、死者が男のときは左耳、女の時は右耳に当てる。『いしけーみみきぐな。いーみみきげ。(悪い耳聞かない。良い耳聞け。)』などと言う。同齢が死んだときんだとき藁草履の鼻緒を切って十字路に捨てて来るところもある。餅ではなく団子だったりおにぎりのところもある。
当時はすでに形骸化していて、1月14日だったと思うがまねごとで遊んだ記憶がある。
神奈川では『みみっふさ、みみっと言う。
1月15日、繭玉 あーほひーほ:北茨城市:粟穂稗穂の意味。
いなほ:日立市・岩井市・行方郡。『いなほもぢ』とも言った。
うすおごし:土浦市他県広域。
おーばんこばんまゆかざり:猿島郡。
かざり:東茨城郡。
こしきそめ:土浦市。
こめのはな:水海道市。
じーろぐだん:北茨城市。
だんごおし:久慈郡。
だんごさし:久慈郡・東茨城郡・行方郡。
なさせもぢ:土浦市。
なしもぢ:結城市。梨の豊作を祈る。
ならしもぢ:土浦市他県広域。
ならせもぢ:土浦市他県広域。
なりき:多賀郡。
なりきぜめ:水戸市。果樹の豊作祈願。
なりきのもぢ:北茨城市・稲敷郡。
なりきもぢ:県広域。
なりだま:東茨城郡。
なりもーせ:鹿島郡。
なりもぢ:北茨城市・真壁郡・結城市。
なるきもぢ:稲敷郡・行方郡。
はづもぢ:土浦市。
はなかざり:久慈郡・行方郡。
はなふきもぢ:那珂郡。
はなもぢ:県北部。
ふくのたーら:古河市。
ぼぐ・ぼぐかざり:北茨城市。
ほーさぐもぢ:稲敷郡。
まいだま:県広域。
まいだまだん:那珂郡・東茨城郡。
まいだまもぢ:土浦市他県広域。
まいだん:東茨城郡・結城郡・水海道市猿島郡。
まゆだまだん:那珂郡・東茨城郡。
まゆだまかざり:那珂湊市・東茨城郡。
まゆだまもぢ:土浦市他県広域。
まゆもぢ:東茨城郡・稲敷郡。
みずはなさま:北茨城市。
めーだま:県広域。
めだまもぢ:東茨城郡・筑波郡。
めやまだん:猿島郡:だんごをケヤキの枝につける。
めーだまもぢ:県広域。
もぢだん:高萩市・東茨城郡。
もぢならせ:真壁郡・水海道市・新治郡・筑波郡・稲敷郡。
もぢばな:土浦市他県広域。
わがもぢ:土浦市他県広域。
わだのはな:西茨城郡・結城市。
わだもぢ:真壁郡・結城市・北相馬郡。
・わがのもぢ:稲敷郡。
わだのはな:西茨城郡・結城市。
わだもぢ:真壁郡・結城郡・北相馬郡。
(その他)
だんぼぐ:繭玉に使う木。
ならし:繭玉に使う木。
なわしもぢのき:繭玉に使う木。
ならせ:繭玉に使う木。
なりき:繭玉に使う木。
まいだまのき:繭玉に使う木。
まゆだまかぎ:1月19日または20日に繭玉の餅をもぐこと。
めーだまくずし:繭玉をもぐこと。
めーだまも:繭玉をもぐこと。
もぢならしのき:繭玉に使う木。
もぢのき:繭玉に使う木。
わがむがい:繭玉に使う木をとりに行くこと。
わだみさま:繭玉に使う木。
『繭玉』は広辞苑に『小正月の飾り物。柳・榎・山桑・アカメガシワなどの枝に餅・団子などを沢山つけたもの。繭の豊かにできることの予祝。のちには柳などの枝に菓子種で作った球を数多くつけ、七宝・宝船・骰子(サイ)・鯛・千両箱・小判・稲穂・当矢(アタリヤ)・大福帳など縁起物の飾りを吊し、神社などで売るものとなった。まいだま。まゆだんご。なりわいぎ。』とある。
1月15日(14日)の風習。カマドか、土間に伏せた臼を置き、2m程度のクヌギやナラなどを縛り付け、その枝に紅白の餅を付ける行事。その他、仏壇や神棚、大黒柱、牛馬の小屋等の要所に小型のものを用意した。本来はカイコが豊かに育つことを願う行事だが、稲や綿等その地域の産物の豊作を願うものに変化しているところもある。
『ドンど焼き』も『粟穂稗穂』も『繭玉』も良い収穫を願うことを目的とした行事で、『ドンど焼き』は米、『粟穂稗穂』は粟・稗、『繭玉』は蚕の多産を願ったのだろう。
えんだま:宮城。
かいこみさま:神奈川。
にわだん:正月14日に土間に立てた柳の枝に刺す団子:神奈川。
まいだま:群馬。
まいだましょーがつ:群馬。
まゆだん:神奈川。
1月16日、大斎日 でーせーにぢ
でーせんにぢ
『斎日』とは、在家の仏教徒が八戒を保って精進する日。毎月の八・一四・一五・二三・二九・三〇日を六斎日という。さいじつ。(大辞林)。大斎日は、そのうち1月16日と8(7)月16日を指す。
この日は仕事をしてはいけない日でもある。
2月3日、節分 せづぶん
としとり
まみまぎ
まめまぎ
節分は、昔は年取りと言った。
土浦の豆まきの掛け声は際には、ふぐはーうぢ ふぐはーうぢ おにはーそど おにはーそど ふぐでもってぶっとめろー、ふぐはーうぢ ふぐはーうぢ おにはーそど おにはーそど ふぐでもってっとめろー』と言う。
この後、煎った豆を自分の年齢分だけ食べる習慣があった。沢山食べられるお爺ちゃんやお婆ちゃんが羨ましがったものである。だから、豆まきの後、こっそり落ちた豆を集めて食べたものである。しかし、さすがにトイレの豆には手が伸びなかった。
節分には、鬼避けのため焼いたイワシの頭をヒイラギで刺した物で玄関先に取り付ける。これを、『焼嗅』(やいかがし・やいくさし・やきさし・やっかがし。)と言う。
2月の初午の日、お稲荷様の祭り しみすかり:県西部。
しみつかれ:県北・県西部。
しもつかれ:県北・県西部。
しもつかれい
じんどっかえし:那珂郡。
すみすかり:県西部。
すみずかり:県西・県南部。
すみすかれ:県西・県央部・
すみつかり:県広域。
すむしかい:新治郡。
すむじかいり・すむじかえり:那珂郡。
すむすかいり:西茨城郡。
すむずかり:東茨城郡。
すもちかい・すもちかゆ・すもっかい:東茨城郡。
すもつかり:結城市。
つむじかい:西茨城郡。
つむじかいり:県北・県西・県央部。
つむじかり:県広域。
つむじがり:久慈郡。
つむじっけ:県西部。
つむちかいり:東茨城郡・新治郡。
つむちかり:県西部。
つむちけーり:東茨城郡・西茨城郡。
つむちけれ:新治郡。
つもじかい:笠間市・新治郡。
つもじかいり:新治郡。藁苞に入れてお稲荷さんに供える。
つもじかり:−
つもちかい:東茨城郡。
つもつかい:東茨城郡。
2月の初午の日に作って食べる料理。煎った大豆を大根下ろしで合え、塩引きの頭や油揚げなどを加え酢醤油で味をつけて煮た物。主に北関東の料理。呼称は地域によって様々で、栃木では『下野家例』が訛ったとの説がある。また、『か』は『食』の意味とする説がある。味が良く滲みる意味の『しみつかる』の名詞形と思われるもの、後半は、『つむじ粥』の意味が近い。中には『つむし粥』(つむしとは急性胃炎の意味)のような言い回しもある。
2月8日、襟掛け餅 いりかげもぢ 7歳以下の子供が対象となる。子供の年齢より一つ多い餅を麻紐や藁に通し、子供の襟に掛ける。
2月8日、針供養 にんにぐどーふ 2月8日と12月8日の行事。
にんにぐどーふとは、ニンニクとさいの目に刻んだ豆腐をヒイラギの小枝に刺したものを戸口に立てるもの。目籠を軒先に吊るしたり竹竿にくくり付けて庭先に立てたりする。この日は山に入ってはならない日でもある。
もともと2月8日は事始め、12月8日は事納めの日でもあり、両日とも針供養の日でもある。
6月1日、剥節供 むげついたぢ
むげのついたぢ
むげつついだぢ
むけのついたち
衣替えのこと。『剥節供』(むけぜっく)のことで東日本の風習。6月1日は仏教にまつわる剥け日でその日の早朝、桑畑に行くと自分の剥け殻(剥けた殻)に会うので行ってはならないとされた。転じて衣替えの意味もある。辞書にも『蛇または人が皮を脱ぐ日だから桑畑に行ってはならぬなどという。』とある。県下の他地域では、逆に桑の木で逆さになるとよく剥けるとか、桑の木の下で股から覗くと剥けた皮がよく見える等の言い伝えがある。
この日小麦で作った『むげい』(剥け粥か?)や『むげだんご』(小麦のだんご)『むげまんじー』(小麦の饅頭)を食べたりする地域がある。
6月7日 いぢのやのぎおん
いぢのやてんのーさま
いぢのやのてんのーさまのまづり
つくば市玉取にある『一の矢』に伝わる故事にちなんだ祭りで、仕事を休みうどんを食べる。また、一の矢にある八坂神社にお参りし厄除けにニンニクを買って来る。
7月21日、青屋祇園、青屋の祇園 あおばし
あおばしぎおん
あおや
あおやぎおん
あおやさま
あおやのぎおん
あおやばし
あおやばしのいわい
あおやばしのうどん
あおやばしのしんじ
あおやまづり
あやほのまづり
旧暦6月21日にススキの茎でうどんを食べる風習。『あおやばし』とはその時の箸のことでススキの茎で作ったもの。もともと石岡(土浦の北側)の青屋神社の神事にちなんでいる。手野では、庭に3本のススキを立てた。その他『青屋さま・青箸・青屋の祇園・おおやの祇園・おおや箸・おおやさま』等とも呼ばれた。
7月23〜25日、夏祭り、祇園祭 ぎょおん
ぎょん
ぎょーん
(各日の呼び方)
第1日
よいぎょおん
第2日
ほんぎょおん
第3日
りぎょおん
おくりぎょおん
うらぎおん
第4日
りぎょおん
夏休みが始まったばかりの7月23〜25日に執り行われた。順にぎょおん
ぎょん・ぎょーん』
と呼ばれる。県内では3日目を『うらぎおん』という地域がある。
土浦市内では一般に4日間行われ、4日目は『さりぎょおん』と呼ばれる。
土浦の祇園祭りは、七夕と並んで早くから有名になっていたが、上大津地区はあくまで、地域の祭りであった。祭りを単に『ぎおん』というのは群馬・千葉・福井にもある。単なる略称であろう。
神輿は多くは字毎に所有し、大人用と子供用(中学生用・小学生用)があった。山車(引き手は未就学児)も出て盛況だったが、お浜入りの事故や交通環境の関係でその後無くなってしまったのは残念である。大人用の神輿は、普段神社に納められているが、子供用は各戸が当番制で蔵等で管理した。祭りの前の数日は、子供達が集まって、蔵から取り出し、磨き粉で真鍮部分を磨き、サカキに幣束を取り付け、注連縄を自分達で取り付けた。手野の『てんのさま』(神輿)は中でも古く、そのままではぐらぐらしたが注連縄で締めることでやっとしっかりした。子供用の神輿は各戸を回り、榊(サカキ)を振りながら『天下泰平家内安全悪魔払え(てんかたいへーかないあんぜんあぐまはらい)』と言って祈祷すると、お捻りがもらえるので、祭りの最後に全部山分けした後は、夏休みの小遣いに化けた。
『土浦市史・民俗編』では、昭和17・8年頃、手野の子供用の神輿がお浜入りの際、砂利穴に入って3人の子供の犠牲者が出て、以後担ぎ出しはしていないと記されているが、その表現は間違いで、実際にはお浜入りを止めたというのが正しいと思われる。
8月1日 かまたあぎ
かまぶだあぎ
かまふたあ
かまぶだついたぢ
かまたついたち
ぐのかまのふた
ぐのかまのふたあぎ
ぐのかまたあぎ
8月1日(旧暦7月1日)にあの世(地獄)の釜の蓋が開き、お盆に先祖が戻って来る。戦前は、地域により行事があったそうだが、当時すでにすたれていた。
8月13日〜15日、盆 のだな:お盆に米や賽の目に切ったナス等を供えるための棚、閼伽棚。『野棚』の意味。土浦市の方言。20cm程度に切ったマコモの茎を二本の竹で串刺しにしたものや、二本の竹を十字型にした上でマコモの葉で編んだもの、3本足のもの、棚の上部が水平になるよう工夫して編んだものなど、村や家によって作り方が異なる。盆だなにも備える。
ぼんだな・ぼんだなかざり:盆に仏壇位牌をおき魂を祭る棚。
ぼんづな・ぼんづなひき:藁で竜の形をした綱や綱引きの縄を作り、精霊の送迎をする。子供達はこの縄を13日の夕方墓地に持っていき精霊を迎え家に連れて来る。墓地では『仏様のらっせー、のらっせー』と唱える。帰りの途中では『仏さまごーざった、ごーざった』と唱える。家に着くと、『仏様下りらっせ、おりらっせ』と言う。帰る途中、子供達は家々で小遣い銭がもらえる。
折口信夫の『盆踊りの話』に『盆の祭り(仮りに祭りと言うて置く)は、世間では、死んだ聖霊を迎へて祭るものであると言うて居るが、古代に於て、死霊・生魂に区別がない日本では、盆の祭りは、謂はゞ魂を切り替へる時期であつた。即、生魂・死霊の区別なく取扱うて、魂の入れ替へをしたのであつた。生きた魂を取扱ふ生きみたまの祭りと、死霊を扱ふ死にみたまの祭りとの二つが、盆の祭りなのだ。
盆は普通、霊魂の游離する時期だと考へられて居るが、これは諾はれない事である。日本人の考へでは、魂を招き寄せる時期と言ふのがほんとうで、人間の体の中へ其魂を入れて、不要なものには、帰つて貰ふのである。此が仏教伝来の魂祭りの思想と合して、合理化せられて出来たものが、盆の聖霊会《シヤウリヤウヱ》である。』とある。
盆にまつわる様々な風習はここでは紹介しきれなので一部を紹介する。
盆はその準備としての『墓薙』(はかなぎ)から始まる。各戸から一人以上出て共同で掃除する。8月6日または7日に行なわれる。墓払い、墓浚い、御墓刈り、掃苔とも言う。
盆には墓から家に至る道筋に土を盛って仏様迎え火や送り火の際に線香をを立てる土壇にした。これを茨城で何と言っていたか記憶に無いが、神奈川ではかなり広い地域で『すなもり』と言い『せんこたて・つか・つじ・ぼんづか・もりづか』と言う地域もある。これに合わせてキュウリやナスに棒を差して供えたが、全国的には4本の棒を刺して馬型にするところが多い。
盆にまつわる様々な風習はここでは紹介しきれなので一部を紹介する。
あらいあ:盆に精霊に供えるためナスを賽の目に切って蓮やサトイモの葉にのせたもの:神奈川。
おしょーだな:盆棚:神奈川。
9月9日、御九日・三九日 いぢのく
さんくなす
さんくにぢ
みくにぢ
みくになす
みっくなす
みっくにぢ
みっくにぢなす
みっくんち
久慈郡。この日にナスを食べる。
一般には『御九日・三九日』で、広辞苑には『九月の九日・一九日・二九日。民間で大切な日とする。さんくにち。』とある。
『俚言』には『三九日茄子(みくにちなすび)』とある。
9月13日、豆名月 あどのおつきみさま
あどのつき
あどのつきみ
あどのめー
『豆名月』は辞書に『旧暦九月十三夜の月。枝豆を供えるからいう。栗名月。のちの月。十三夜。』とある。
これによれば本来は10月13日でなければならないが何故か、9月13日である。
茨城方言の『後』は、時間的には『前』を意味する。
現代語では、『あと』とは空間的には『後ろ』で、時間的にも『後』(のち:将来)の意味だが、江戸時代には、時間的な『後(あと)』は過ぎ去った時間として意識して、『前』の意味だったのである。
空間上の前と後の定義には間違いはない。何故時間軸の表現に逆転現象があるかは解らない。
9月15日、中秋の名月、芋名月 いもめー
いもめい
おーむのつきみ
中秋の名月の別名。辞書には、『旧暦八月十五夜の月。芋を月に供えるからいう。』とある。
これに対して『豆名月』は辞書に『旧暦九月十三夜の月。枝豆を供えるからいう。栗名月。のちの月。十三夜。』とある。
ぬきさし:十五夜の晩に子供達が竿で月見団子をとって回ること:神奈川。
10月10日、十日夜 いしつき
いのこつき
いのこのもぢ
いのこもぢ
いんこのもぢ
おいぬさま
おいのご
おいのこ
たのかみさま
たのかみおぐり
たのかみさまおぐり
たのかみさまのまづり
たのかみぶるまい
たのかみまづり
たのかみもぢ
むじなっばだぎ
むじなっだぎ
一般に『亥の子』『亥の子祝い』『亥の子突き』は、『陰暦一〇月の亥の日に、西日本各地の農村部で広く行われる刈り上げ祝いの行事。猪の多産にあやかり、また、万病を払うまじないとして亥の子餅を食べ、子供たちが家々の庭先を石や藁束(わらたば)でついて回ったりする。もと、宮中の年中行事として行われた。玄猪(げんちよ)。』とあり、西日本の行事である。
一方、東日本では『十日夜(とおかんや・とおかや)』と言い、『陰暦一〇月一〇日の夜。また、関東・中部地方でその日に行われる刈り上げの行事。田の神が山に帰る日とされ、案山子(かかし)上げをしたり、子供が藁束で地面をたたいて回ったりする。』とある。尚、『十日夜(とおかんや)』は元『十日の夜』だったろう。
茨城では、西日本の名称の『亥子(イノコ)』の流れを残しながら、行事の中身は東日本の『十日夜』を残していることになる。
また、別の流れの田の神とは稲作の神様でもあり、また『御釜様』(竈の神様)でもある。田の神様は、2月10日に降りてきて、10月10日に帰ると言われる。10月10日には、餅やぼた餅を作ったり、夜遅く餅を作ると娘が縁遠くなり、早くつくと早く嫁に行けるとか、餅二枚を箕に入れて臼にのせたり、荒神様に餅を供えたり、お釜様に黄な粉のお握りを12個供えるところもある。この日の餅は、山に帰る他の神様に持たせるとか、カエルが出雲大社に背負っていくのだと言われる地域が有る。カエルが餅を運ぶのを見たり、餅をつく音を聞いて、大根が羨ましがって首を伸ばしてよく育つとも言われる。この日の餅を食べると病気が治るという地域がある。日にちは異なるが、久慈郡では『いんむすびのおは、新治郡等では、『いんむすびのぼたもぢ』、東茨城郡では『いんむすびのもぢ・いんむすびもぢ』と言う。
 この日の晩、子供達は家々を回って藁鉄砲で庭の地面を叩き、お捻りをもらったり餅やご馳走を食べた。藁鉄砲は、藁づとだったり、石に縄をつけたものだったり、サトイモのずいきだったりする。さらに、縄の先端に『いぼくたま』を作ったり、サトイモのずいきを芯にして縄を巻いたりして工夫した。そのため、真壁郡では『いもただぎ』と言う。
『土浦市史・民俗編』には『おいのこ、おいのこ、旦那様のおいのこ』『旦那様のおっぺのこ』『えのこ、えのこ旦那様のえのこ、大麦当たれ、小麦当たれ、蕎麦当たれ』『銭が儲かるようポンポンなれよ。』等と様々である。男根を示す『へのこ』との関係もあると言われる。『むじなったき』とも言う。
このとき子供達が唱える県内各地の呪文は以下の通りである。
行方郡いのこだ。いのこだ。こんやはどごのいのこだ。だんなさまのいのこだ。おめでたい。おめでたい。
行方郡いのこなー。いのこなー。だんなさまのいのこなー。ぜにもかねももーがるよーに、さんよーぼったりしょ。もーいちどおまけにさんよーぼったりしょ。
鹿島郡いのこだ。いのこだ。これはどこのいのこだ。だんなさまのいのこだ。ぜにもかねももおがるよーに、どんだりしょ。どんだりしょ。もーひとつどんだりしょ。(「どんだりしょ。」は「さんよーぼったりしょ。」とも言う。)
新治郡じゅーがつとーかのもちおぐれ。もちがなければぜにおくれ。こむぎあだれ。さんかくばったそばあたれ。また新婚の家の前では別の言い方があるという。
行方郡よめさま。よめさま。おいのこ、おめでたい。
真壁郡おーむぎあだれ。こむぎあだれ。さんかくばって、そばあだれ。
 本来、収穫祝いなのに、子供達の言葉は、収穫を願っている言葉である。しかも、旦那様の亥の子を特定して言っている。亥の子から『陰の子』すなわち『へのこ』を暗示している可能性も有る。稲敷郡に残された、「どんだりしょ。」「さんよーぼったりしょ。」は、謎の言葉であるが、九分九厘男根のとある状態を指していると思われる。
また辞書には、行事とは関係なく小児の魔よけとしての『いんのこ(犬の子)』があるという。
ちなみに、土浦市以外では『亥の子』を十五夜に行うところがあり、鳥追いの行事で行われる地域がある。『あわのとり、あわんどり』と言う。
十五夜に行う例では長塚節の『月見の夕』に描かれている。『手頃に藁を束ねて繩でぎり/\卷いて、そいつを擔いては家々の庭へ行つて力一杯に叩きまはるのである、その叩くと共に、「大麥小麥、三角畑の蕎麥あたれ」とみんなで聲を揃へて叫ぶのであつた、卷藁のなかへ芋がらの干したのを入れると音がいゝといつて拵へて貰つたことであつた、今叩いて居る子供等もいかに樂しいことであらうと思ツた。』とある。『大麦も小麦も三角畑の蕎麦も当たり年になってほしい。』という意味だろう。真壁郡の言い回しに似ているのは地理的に近いためだろう。その言い回しが私の記憶に残っているのは何故だろう。
関西の『亥の子』も関東の『十日夜』も呼称こそ異なれ、収穫祝いと子宝に恵まれることを願った行事であることは間違いないようである。『カエルが餅を運ぶのを見たり、餅をつく音を聞いて、大根が羨ましがって首を伸ばしてよく育つ』などは、多産をイメージさせる言い伝えとしか思えない。
この行事一つとってみても、昭和30年代までは、古い行事や慣習が良く残されていた。当時の茨城県内の小学校の運動会は10月10日に行われたから、運動会の夜にまた別の行事を行うのは子供達にとっても負担になったであろう。昭和40年代になると高度成長に伴う合理化・簡略化の波によってだんだんすたれて行った。私自身、この行事の記憶はおぼろげにしか残っていない。
だいこんのとしとり(大根の歳とり):旧暦十月十日・とうかんや:群馬。
だいこんのとしや【大根の年夜】:一○月一○日のこと。この日大根畑に入ることを忌む。大根の年取。大根の年越。(広辞苑)
11月25日、まち(明神祭り・秋祭り)、祭礼 まぢ
まち

(日程)
第1日目
よいまぢ
第2日目
ほんまぢ
第3日目
りまぢ
たがはらい
広辞苑には『まち:ある定まった日に人々が集まり、忌みごもりして夜を明かすこと。また、その行事。まつり。』とあり『待・祭』と当てられる。
『まち』は、本来の『祇園祭り』のほか、『日待ち』『月待ち』、明神様(鎮守様)の祭りあるいは他の神様の祭りが渾然一体となあった歴史的な経緯がある。そのため、何が本来の目的だったのかが薄らいでいるが、時期を考えれば収穫祭の意味が色濃いと思われる。
通常『まぢ・まちと呼ぶのは、茨城県下では明神様の祭りで、かつては、春と秋にあったらしいが、当時は秋だけになっていた。実施日は村によってばらばらで、手野では11月25日だったが、最近は11月3日に実施するところが多くなったという。赤飯を焚き甘酒を造る。通常3日間行なわれ。
12月1日、川びたり、川びたり朔日(ついたち)、『川びたり餅 かーっいり
かーっいりついだぢ
かーっいりもぢ
かーっりもぢ
かったしもち
かーっーり
かーっーりついだぢ
かーっーりのついだぢ
かーっーりのぼだもぢ
かっりもぢ
かっりもち
かーっーりもぢ
かーらいもぢ
かーりもぢ
かーれもぢ
かーたし
かーだり
かーたり
たり
たりついだぢ
かーたりもぢ
たりもぢ
たれ
たれもぢ
かびたれもぢ
かーたり:真壁郡の呼称で10月10日の夜を言う。
かーべたりもぢ
かーーり
かーーりもぢ
かーーりもぢのひ
かーわだり
かわひたしもち
茨城方言らしさは、半濁音と促音化だろう。
手野では橋に二つ重ねの餅に餡を載せて供えた。沖宿や田村では水神様へ餅をあげ、神立では橋から餅を流し下流で竹でつついて食べたと言われる。手野では昔は境川に行き川に入ったと聞いた。
辞書では『漁家または船を使う業の家で水神をまつる行事。餅をついて親しい人々に配ったりする。』とある。
『民俗』には『川へ行き尻を浸すと河童に引かれないという。』とあった。
一方、『しあんもぢ』(思案餅)という呼称がある。12月1日に餅をつき、奉公人が餅を食べながら来年また奉公するか考え、12月8日に主人に伝えたという。この餅を川に投げ込むところもある。12月8日につくところもある。
12月8日、針供養 にんにぐどーふ 2月8日と12月8日の行事。
にんにぐどーふとは、ニンニクとさいの目に刻んだ豆腐をヒイラギの小枝に刺したものを戸口に立てるもの。目籠を軒先に吊るしたり竹竿にくくり付けて庭先に立てたりする。この日は山に入ってはならない日でもある。
もともと2月8日は事始め、12月8日は事納めの日でもあり、両日とも針供養の日でもある。
12月31日、大晦日、おおつごもり おっつまり
おっつめ
おっつもり
おつまり
おーどし
おーどしとり
おもせ
おもつぃ
おもっぜ:久慈郡・多賀郡。
おもっせおもっせー:久慈郡・多賀郡・那珂郡・東茨城郡・猿島郡・稲敷郡。埼玉・神奈川・静岡・山梨・長野・滋賀等でも使われる。
おーもっせ:東茨城郡。
おもっち:那珂郡。
おもっちぃ:久慈郡・日立市・那珂郡。
おもっちり:日立市。
おもっつぃ:久慈郡・常陸太田市・高萩市・日立市・那珂郡・東茨城郡。
おもっつえ
としとり
『大晦日』は、『おおみそか・おおつごもり』の他、『年越し』『大年越し』『年取り』『大年・大歳』と呼ばれる。
広辞苑に『晦日(つごもり):@(ツキゴモリ(月隠)の約)月の光が隠れて見えなくなること。また、そのころ。A月の最終日。みそか。』とある。
おっつまりおっつめおっつもり
・おつまり』
は、差し迫った意味である。『大年(おおとし)』『年取り』とは近世語である。
『おもっせ・おもっせい・おもっせえ』は、ネット検索すると、静岡・山梨・埼玉・滋賀にもある方言。音位転倒した京都方言の『おーつもり』は同じルーツとは思えない。同じ言葉で祭りの名前だったり、料理の名前だったりする。
県内ではほとんど県北部に分布する。年越し蕎麦を『おもっせーそば・おもっつぃそば』という。正月14日を『こもっせ』とも言う。栃木では『おっつい』と言う。
音位転倒した『おおつもり』が転じたとするにはやや無理がある。『大末世』の意味だとすれば『おまっせい』という言葉が無いとつじつまが合わない。
そうなれば、『面白い』意味の『おもっせい』が浮上する。
一方『新編常陸国誌』には、『おほつごもり』の解説に『或いはオモッセイと云ふ。これは、迎陽の意にて御待宵の転訛なるべし。』とある。『御待宵』が『おもっせい』に繋がるためには多くの中間系がないといけないが、言い換えれば『お待たせ』(おまっせ)が訛ったとも言える。関西流に言えば『待っておまっせ』でも良い。江戸時代の大晦日は、新年を迎える前日の日としての『お待たせ』の日であるとしたら、説明ができるが、目下の手元の文献にはこれを十分に立証できるものは無い。
『年の瀬』と言う言葉がある。仮に『月の瀬』と言う言葉があり、『月の瀬』に対する『年の瀬』を別の言葉で言うなら、『主なる瀬』と言ってもおかしくはない。古語表現を借りれば『主つ瀬』となる。『瀬』は『末』に変えて『主つ末』でも良い。『主つ瀬』『主つ末』ならば、この一連の方言の説明がつく。
あとくんち:鹿児島奄美大島。
おーつも:京都・岡山・島根。
おもっせー:神奈川・山梨・長野。
 本茨城弁集は、昭和40年前後の茨城方言を中心に茨城県全域の江戸時代まで遡る言葉を集めたものです。他県の方言との関係を重視し主要なものについては他県の方言も紹介しています。また、近年使われなくなってきた標準語や語源考察、また昭和30年代の風俗・文化等を紹介するために、合わせて標準語も掲載していますのでご注意下さい。
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