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1.アクセスカウンターの廃止
本サイトは2002年末に公開しました。その間年間約2万件のの訪問者がありました。2011年にイッツコムに移管されその時点で18万件近い訪問者が記録されました。イッツコム移管後は、しばらくアクセスカウンター設定を怠ったため、正確な数字が不明となった為、アクセスカウンターを廃止することにしました。
2.本サイトについて
本茨城方言サイトは、近年の新方言を反映しながら、江戸時代の茨城方言を含め、可能な限り見極めたいという学術的な根拠にもとづいています。本年、概ねその調査は完了しました。
また、茨城方言の位置づけを明らかにすべく、主に東北・関東・八丈島・九州・沖縄の古い文献を調べ、概ねその作業を完了しました。茨城方言に対する参照欄に全国各地の方言を掲載しました。
茨城方言は、関東では特別視されますが、これらの作業を通じて、地理的な関係から特別視されているだけであって、現代でも古語が良く残る東北や九州との共通語が多く見出され、茨城方言は、関東では唯一古い時代の言葉を残す方言であることが明らかになって来ました。
橘正一の『方言学概論』によって、江戸中期の浮世風呂や浮世床に描かれた言葉が何故今になって茨城弁と見間違うかの理由が明らかになって来ました。江戸中期の江戸語は、上方すなわち京阪語でしたが、明治以降、めまぐるしい変化をとげ、その結果として、現代の標準語が生まれたことが解かっています。方言学では、現代の関東圏では、東京・埼玉だけが、島をなしていて、周辺地域が、江戸時代の江戸語を良く残していることが研究結果として報告されてされているのです。一方、現代の京阪語も同様にその後めまぐるしく変化し、現代に至っています。
橘正一は現代の東京方言や埼玉方言が関東圏で極端に東北方言との断絶があるのは、『殊に東京は明らかに島を成している。思ふに大田道灌以前の武蔵野では、今の常陸方言の様な言葉が行われて居たらう。』と書いています。
民俗学者柳田国男以降、橘正一の論文は統計学的な手法をを用いて説得力が増しましたが、その当時が学会の研究のピークであったらしく、残念ながら私の知る限りそれ以降、方言学・民俗学はやや下火になり、現代に至っています。
方言学や民俗学が日本語の語源解明に果たした業績はかなりありましたが、語源解明という学問は、主に江戸時代に花開きました、それに引きづられている現代の学会の実態も見えます。またそれを裏返す資料に行き詰っている様子も見えます。
3.刑事一代〜平塚八兵衛昭和事件史
2009年6月20日・21日に、テレビ朝日50周年記念渡辺兼ドラマ特別企画として、『刑事一代〜平塚八兵衛昭和事件史』が放送されました。
平塚八兵衛は茨城が誇る刑事であるともに、警視庁の昭和史に名を残した人物です。地元では『はぢべえさん』は今でも誇りであり、実家は『はぢべえどん』と言われています。
さて、渡辺兼の茨城弁には驚きました。東京に出た茨城県人は、10年を経過してもなかなか生粋の標準語を話すことはできません。その理由は、一律に定められた標準語のイントネーションやアクセントに対して茨城弁がおおらかであることに由来するとも思われます。渡辺兼はそのような茨城出身の東京人の微妙な訛を見事に演じていました。ナレーションも渡辺兼が演じているがこれも茨城弁です。よほど、優れた方言指導が行われたと思います。
第2夜は、『よしのぶちゃん事件』に始まり、福島弁のおまけつきです。渡辺兼の茨城弁は、発声方法まで矯正されているのは素晴らしい。容疑者の小原の取調べでは、薄まった茨城弁とネイティブな福島弁のかけあいまで見られ、その自供シーンは感動的です。
もともと警察言葉には隠語が多く、また荒いのですが、これは、江戸下町言葉をを受けついでいるのは間違いないでしょう。茨城方言も同様で極めて荒いのですが、これが一緒になると茨城弁が薄まってしまうのも面白い。
以下は、標準語の俗語に近いものやイントネーションが違うだけの方言を含め、ピックアップした茨城訛です。
(第1夜)6月20日
・〜だんべ。
・土浦さ行ったときあったっぺよー。
・〜だったがんなー。
・わがんねーよ。
・ルミノール反応って知ってっか。
・ちっちぇー。
・らぐんなんねんだいな。
・がぎがふたり。
・どっちがでかだかわかんねーよな。
・なんだがわがんねげど、こわくなったんだよ。
・でかってのはよ、100点か0点しかねんだよー。
(第2夜)6月21日
・いちばんいんしょーにのこってるやつ?
(12222222222222224)
・わりがったな。
・かちょー:課長
(1441)
・みずくんねが。
・ちゃんとくっとがねど、いぢんちもたねーど。
・このひろいけしきみでっと、いきづまってくんのよー。
・おがえりなさい。ごぐろーさまでしたー。:八兵衛が帰宅した時の妻の言葉。
(1111114。1111111141。)
・わかりましたー。
(1111141)
4.肉声で聞く茨城方言
1)用語検索: ・ 今泉夫妻 ・ 〜農家の今泉 寿・みつ子さん〜 場所 茨城県
土浦市のレンコン農家夫妻のインタビューサイト。
2)国立国語研究所「日本のふるさとことば集成」
全国の方言の中から「茨城」を選んでクリックすると老夫婦の茨城弁を聞くことが出来ます。
3)はらんきょうの会講演記録(よかっぺ教室で放送されたもの)
明野町で結成した主婦による朗読劇の一例。昔のイントネーションとはかなり異なっているが現代版茨城弁の女言葉版。昔は男女に限らず抑揚が少なかったが最近では標準語の影響を受けてかなり抑揚が大きくなっている事が解る。
5.2008年8月/茨城方言と全国の方言との関係
1)過去の作業と今後
茨城方言の収集開始から、間もなく40年が経過しようとしています。
方言の語源を明らかにしたいとの目的から、土浦方言だけでは不十分である事に気が付き、膨大にある茨城方言の資料を探りました。これによって、かなりの語のルーツに近づけたと考えていますが、それだけでは不十分と考え、関東方言から、東北方言、中部方言、関西方言、さらにに山陽山陰・四国を経て、九州から沖縄方言まで含め、少しずつ全国の方言を照合しています。
この作業によって、茨城方言は単独で成立したのではないと言うのが明らかになった一方、ルーツが不明であったであった茨城方言は、実は全国の方言と関係があることが次第に明らかになりつつあります。
一方、学術書に漏れている方言が、ネット情報に数多くあることも否めないことが明らかになって来ました。その信憑性については、全面的に信頼できるものではありませんが、方言の発生は自然現象同様、ファジーな側面(訛の法則のバリエーションがあまりに多いため)がありますから、一概に否定もできません。
次の数年は、学術書とネット公開されているデータの紹介と分析を行う予定です。最終的には、『日本方言大辞典』に行き着く事になりますが、目下、これの参照は部分的にしています。これを手にした瞬間、莫大な語彙の重荷を背負うことが予測されるからです。
数年後に、『日本方言大辞典』に手をつけ、その数年後にこのサイトが完成することになるでしょう。
2)東西の方言
その結果判明したのは、原型としてあった言葉に対する東西方言には時間差こそあれ、大きな差は無いということが判明した一方、天候のうねりのように、一部の地域で特定の訛り傾向が著しく現れることも解かりました。
、茨城方言には 関西方言に近い部分も見られ、その理由は明らかに、本土言葉の古い言葉を残していることにほかなりません。
これは、言い換えれば、近世もしくはそれ以前に上方の言葉が関東に流布し、その名残が茨城に残ったと言えるでしょう。東北方言や九州方言に上方言葉が沢山残っているのもそのためでしょう。
また、東京を中心とした東日本方言は、東北方言と極めて密接な関係があることも解かりました。即ち現代の標準語は東日本方言を基礎に定められたと言えるのでしょう。
その東日本方言も、もともとは西日本方言に由来し変化したものです。言い換えれば古語は、古い時代の西日本方言強いて言えば奈良・京都・大阪方言であったとも言えるでしょう。その意味で上代の東日本方言は、万葉集の一部に残るのみですが、今でも一部の標準語に受け継がれていると言えます。
3)関東方言との関係
全国各地の方言は、特に動植物等に関しては雑多で、例えばメダカを示す方言はざっと5000はあると言われます。
一方、一般的な名詞・動詞・形容詞等は、その土地にしか無い言葉が僅かにありますが、大半は周辺地域との関係を深く持っています。
関東各地の方言は、大半が茨城方言に深く関係があり、言い換えれば、関東方言はほぼ西関東方言と同じで、茨城方言は、関東方言を基本にしながら、東北方言が加わっているという図式が見えて来ました。言わば、東関東方言は西関東方言を包含しているという考え方です。大きな図式の中に東日本方言が有り、その中に東北方言と関東方言があり、関東方言のうち神奈川は、鎌倉時代に宮中との関係が密接になり、東京は江戸時代に宮中との関係が密接になったと考えられます。それまで、関東に存在した言葉は、恐らく関東方言で、東京西部の方言はほぼ、関東共通の方言であったと考えられます。
一方、神奈川では明治以降の開港によって神奈川独特の『横浜言葉』が生まれそのいちぶが現代語に受け継がれています。
茨城方言で関東方言と単語レベルで特に異なるのは、@カ行音とタ行音の濁音化、A著しい『イ段』『エ段』の混同、B著しい単音化、C著しい直音化等、が挙げられます。Cを除けば全て東北方言の特徴なのです。
4)東北方言との関係
一方、茨城方言は、本土方言という視点からみると、東北方言との著しい一致が見られることが解かりました。一つ一つの言葉の成立を見ると、東北方言は茨城方言が基礎になっているのではないかという錯覚を覚えてしまいます。
橘正一は、『方言学概論』の第三章方言区画論の中で、茨城方言を『東北方言の要素も関東方言の要素も共に多い。無論後者の要素が一層多い。』と表現しています。
それが錯覚なのか、かつて戦国時代末期に常陸を制定した佐竹氏が、江戸になると秋田に移封された史実は、東北方言と茨城方言との繋がりを、立証するものでしょう。
茨城方言は関東方言の一部であることは間違いありませんが、もし、東北を一つの自治体として東北県と表現したら、茨城は、東北県茨城郡と言ってもおかしくはないでしょう。
6.ウィキペディアの茨城弁
ウィキペディアの茨城弁は長年空白のページでした。2007年に、とある方が投稿され、初めて茨城弁が紹介されましたが、やや偏った見解があったこと、具体的な茨城方言の紹介が無かったことから、失礼ながら敢て投稿に踏み切りました。
目下のウィキペディアの茨城弁は当サイトの簡易版です。成長と一緒に永らえると思いますが、新たな解釈をされる方が現れれば、変わってしまうでしょう。
目下、独自研究ではないかという方言ページに揃ってレッテルが貼られたように私のページも同じです。
もともと学説は、時代とともに覆されてきたものです。一方、私の研究は、地場に根ざしており、根拠を示すより実際に使っていたことに従っているものであって、茨城方言を知らない研究者とは、もともと一線を画するものです。
従って、今後も学術的な根拠を求めるウィキペディアの思想には従うつもりはないし、レッテルを貼ったのは、ネット上の茨城方言の発信者に対する警鐘であって、私の茨城弁に対する考えが批判されたとは思って居ません。
7.2005年春
NHK教育テレビの子供向けのテレビ番組『にほんごであそぼ』に2005年3月に出演しました。小錦や野村萬斎がレギュラー出演している人気番組です。
私が担当したのはその中の詞の朗読のコーナーです。収録は既に完了しました。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を茨城弁で3分間朗読しました。
最近の茨城弁ではなく丁度このサイトで紹介している昭和40年頃の茨城弁で語りました。
8.2013年 筑波大学ミュージカルサークルの台本監修
筑波大学ミュージカル集団ESSASSAの総監督佐藤綾花さんから、ミュージカルの中で茨城弁を話す二人のキャラクターの台本を監修を依頼されました。理由はスタッフの中に茨城弁を語れる人が居ないそうなのです。大学祭は11月2日〜4日に催されます。総監督の佐藤綾花さんからは事前に標準語台本と苦労して作った茨城弁台本をメールいただき、凡そ1週間かけて茨城弁台本を見直しました。茨城弁台本はなかなか良く書けていましたが、もともと他県の人にも理解できるようにとの趣旨で書いたそうで、本当の茨城弁とは言えないものでした。私の役目はまず標準語台本と茨城弁原台本を照合し、忠実に標準語台本を茨城弁を再現するする事から始めました。出来上がったものは茨城弁のように見えますがどこか茨城弁らしくありませんでした。そこで茨城弁特有の言い回しや表現を付け加えました。見直しは恐らく10回を超えたと思います。数回のメールの遣り取りの後、8月12日に土浦の私の実家で初めて打ち合わせをしました。まず、茨城弁のパートを私が読み上げ、丁寧に一つ一つの言葉をチェックし、また総監督と意見交換をしました。役者の手振り身振りでそれとなく意味が解るものは別にして、どうしても茨城県人にしか解らないものがありました。その結果、解説書を作り配る事にしました。その結果茨城弁で有名な『ごじゃっぺ』を取り入れる事で決まりました。
最後に担当の役者一人の方に2ページ分を話していただきました。彼は日頃茨城弁を耳にした経験があると言うことで出来上がりは素晴らしく90点程の仕上がりでした。茨城弁はイントネーションが命なので微妙に違う場合でも指摘して手直ししました。もう一人の役者の方は今回出席できませんでしたが、打ち合わせは全て録音しましたので大丈夫です。今後練習風景の動画をお送りいただいて監修する事にしました。10月に都合が付けば練習にも参加する予定です。
茨城弁のパートは1時間にも及ぶもので、これだけ長い茨城弁による演劇やミュージカルは恐らく過去には有りません。これを読まれた方は是非筑波大学の学園祭にお越しいただき、ミュージカルをご覧になって下さい。
9.茨城弁募集中
さらに新しい広範囲なサイトにしたいと考えておりますので、このサイトを訪れた方々は是非情報をお寄せ下さい。
投稿先はここをクリックして下さい。件名には、必ず『茨城弁投稿』とお書き下さい。漏れなくご返事致します。
10.全国方言募集中
本年夏、本サイトは茨城方言の枠を取り払いました。茨城方言を知るためには全国の方言の情報が絶対必要だということが解かったからです。茨城方言に関係があってもなくても気軽に投稿下さい。
投稿先はここをクリックして下さい。件名には、必ず『方言投稿』とお書き下さい。漏れなくご返事致します。
11.本サイトがお勧めする方言ページリンク
今日のネットサイトでは、個人の方が、数え切れないほど方言を発信し、また掲示板サイトまで含めると、今では数え切れないほどになっています。
いずれのサイトも貴重なものですが、各地の方言が消え去ろうとしている昨今、高齢者が作成したり、高齢者へのヒアリングを通じて作成されたサイトは、貴重であり、また文献を土台にしたものは信頼性が高いといと考えられます。ただし、ヒアリングや投稿による情報には危うい部分があります。
一方、NHKが実施した現地ロケによって集められたふるさと日本のことばはとりわけ貴重で、多くの方言書が見落とした・聞き落とした現代の助動詞・助詞方言が、満載されています。
■全国方言
・ウィキペディア・日本語の方言:日本の方言サイトで最も体系化されたサイト。
・全国方言WEBほべりぐ:ATOKの方言サイト。
・ふるさと日本のことば:NHK教育テレビ「ふるさと日本のことば」(2000.04.09〜2001.03.25放送)の中で話されたことば(方言)を、ビデオで確認しながら索引化したもの。
■北海道方言
■青森方言
■岩手方言
■秋田方言
■宮城方言
■山形方言
■福島方言
■茨城方言
茨城方言は、関東方言では最も充実したした分野ですが、当サイトが特にお勧めできるサイトは多くはありません。
・イバラキング:恐らく茨城弁を日本で一番最初にネットでアピールしたサイト。当サイトを製作する刺激になったサイトです。主催者の青木さんは、まだ30代の青年ですが、茨城弁をテーマにした書籍や、茨城弁を印刷したTシャツなどを販売し、茨城の文化と茨城弁を日本中に紹介している文化人です。立ち上げ当時は、僅か1ページにも満たない投稿型サイトでしたが、、感銘して数百語を投稿し、今でもそれはコアになっているはずです。彼のサイトは今でも茨城弁のバイブルであり、これは、今後も変わらないでしょう。
・茨城弁大全:鉾田市の個人サイト。
■千葉方言
■栃木方言
■群馬方言
・桐生の方言:学術資料にも値する貴重なサイト。民族文化語も豊富である。
・あがつま語実用会話講座:日常語を中心にした群馬西部の方言サイト。茨城方言と近似または一致する方言は、概ね関東方言と考えられる判断材料になる。
■埼玉方言
■東京方言
・東京方言辞典:国書刊行会の『東京方言集(斎藤秀一編)』を核にしたサイト。
■神奈川方言
■八丈島方言
・八丈方言資料:千葉大学の金田章弘先生がネット公開されているサイト。語り部が語る八丈方言などが紹介されている。
■新潟方言
■長野方言
■山梨方言
・うっち〜の甲州弁研究所:甲信越最強のサイト。
・甲州弁<山梨の方言を勉強しよう>:比較的新しいサイトです。かなり充実しています。
■岐阜方言
■静岡方言
■富山方言
■石川方言
■福井方言
■愛知方言
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このサイトのご利用方法(注意事項、免責事項等)
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B方言の分布地域
・茨城県の方言で、茨城県内で広域に使われるもので他県では一切使われない方言は、一部の特定の地域だけで使われる言葉を除き、一切無いと断言できます。
・一方、当サイトで紹介している方言は、茨城県内全域で使われるものは少なく、それは、他県の方言も同様です。
・茨城県内で使われる方言については、特に珍しいものに限って使用地域を明記しました。茨城方言の訛りのルールを考えるとどこの地域で使っても不自然さはないものについては、敢て使用地域を明記していません。
C方言とその意味
方言に限らず、現代標準語もそうですが、辞書に掲載された数多くの意味が全て使われているかというと、そうではなく、実際に使われている意味は僅かです。この現象は、考えてみればあたりまえで、初めに厳密に定義された辞書があって使っているわけではなく、日常会話の中の置かれた環境の中で、各々が個別に理解・判断してしまうために生まれるものです。
標準語社会では概ねグローバル化した日本語ですが、それでも意味の伝達率は一般に三割だと言われます。それは、個々の言葉の解釈だけでなく全体の文章があっての意味ですが、正確に越したことはありません。
そのような視点に立って、本サイトの方言の意味の解釈・説明には可能な限り十分な時間を割いての結果です。勿論、時間の経過と共に新たな事が判明した場合は随時改定していきます。
D学術的な資料としてのご利用の制限等
このサイトは、一部を除き学術的根拠や実態調査に基づいて作成したものではありません。中には曖昧な記憶の断片から拾い出したものもあります。個人的な訛も含んでいます。茨城方言にはそのような言葉が少なからずあります。また、著名文献を参照していますが、誤記は避けられません。そのため、学術的な資料としてご利用される場合は、必ず事前にご一報下さい。利用対象によっては、ご利用を制限させていただく場合があります。
標準語には無いものの茨城県のみならず様々な都府県で使われているものもあります。そのため本茨城弁集に掲載してあるからといって茨城弁にしか無い訛だと誤解されないようにお願いします。実際、茨城弁にしか無い訛は僅かで、類似語は全国に散在するケースが少なくないと言っていいでしょう。
E収容内容の限界
茨城弁は、濁音化・清音化・促音化・撥音化・単音化・長音化・短縮化・連母音変形等の代表的な訛の形式だけでも、ひとつの意味を表す言葉が簡単に数種類になってしまいます。このサイトで紹介している言葉が、複数あり、中には十を超えるものも少なくありません。茨城弁はその時の心理状況を濁音化・清音化・促音化・撥音化・単音化・長音化・短縮化・連母音変形等の訛りの図式に従って微妙な心理状況を表現します。擬音語・擬態語にはルールはなくその場で造語するのもしばしばです。
そのため、極力バリエーションを掲載する意図を念頭に置きながら、紙面の情況をみて代表的な語句に限定しています。
F助詞・助動詞の解説の限界
本サイトは、助詞・助動詞にこそ方言の醍醐味があると考え、可能な限り調査し解説しています。
日本語の助詞や助動詞は、時代の変遷とともに、驚くほど変化しています。一方著名な方言書でも助詞・助動詞の解説は不毛に近い状態です。
江戸時代の各種著名辞書でも、助詞や助動詞を詳しく論じたものはほとんどなく、明治になって初めて国語の定義がされるまでは、野放し状態言い換えれば、自由な時代だったと言えます。
そのため、データをもとに様々な調査を行い、茨城に残る語法が、国語辞書や古語辞典のいずれに属するか、いずれの流れかを分析する過程で、同じ表現が異なる由来と考えられることが多く、十分に整理できていません。
今後少しずつ整理できると思いますが、まだまだ、研究過程にあることをご了承下さい。
G誤字・脱字・変換ミス・余剰語・転記ミス・コピーミス・解釈ミス等
本サイトは可能な限り、必ず2回以上の確認を実施していますが個人サイトの限界容量を遥かに超えてしまった結果、随所に不手際があります。完成された文献としてではなく常に成長するサイトとして暖かくお見守り下さい。
H方言と標準語、そして俗語の区別の限界
標準語と方言の識別は現代の著名な国語辞書にあるか否かでしか判別できません。ところが、著名な国語辞書には掲載語のばらつきがあり、さらに今では使われなくなった近世語や古語が解説無しに掲載されていることがあります。特に、かつての西国語と東国語はかなり差がありましたが、テレビを中心とした様々ななメディアの普及により、西国語が標準語になったものがあります。一方、標準語にはありながら西国では使われない言葉があります。これは、もともと東国語であった東京の山の手言葉が標準語になったためです。これらの識別はなかなか難しいため、結局は、著名な国語辞書に頼らざるを得ません。
また、俗語の分野は著名な国語辞書は軽視されていることが多く、判断がますます難しくなっています。さらに、テレビで聞かれる現代の俗語は東国語の流れの言葉が多く、関西方面の方には俗語と言えども違和感があるかも知れません。
近年方言が見直されるようになり、テレビでも違和感なく方言が使われるようになりました。また漫画やアニメの影響力も大きく、特に若年層の言葉にはかつては方言と思われていた言葉が浸透したりするケースがあります。
以上の理由により、本サイトではその判断が難しい言葉は、敢て標準語とはせず掲載するようにしています。
さらに、茨城方言には、近世語が色濃く残っているため、なるべく辞書を調べるようにしていますが、近世語の取り扱いそのものも著名な国語辞書によって異なります。『まさかこれが?』と思っていた言葉が、しっかりと辞書に掲載されていることも珍しくはないので、方言と俗語及び古語・近世語の識別については、常時変化していますのでご了承下さい。
また、本サイトでは、茨城方言以外の方言とされるものを、主に明治時代の文献を参照して紹介するようにしていますが、その当時の方言は十分に整備されていなかった可能性があり、数多くの方言が実は近世語であったり古語であったりします。これは、古語や近世語であったものが、現代では死語となり、方言扱いされているものですが、当サイトでは可能な限りそれらを明らかにするようにしていますが、全数チェックするには限界があり、稀に漏れることがあります。
I表現手法の問題
明治時代の文献を見ると、現代の感覚では明らかに表現手法が適切ではないものが見受けられます。主に標準語に無い中間音を拗音を使って表現している場合です。
現代では、世界の言語を表す必要から、概ね日本語に置き換えた場合の表現方法が確立されていますが、当時は確立されていなかったと推測されます。
しかしながら本サイトでは、その時代の時代背景を考え、敢えて原典通りの表現で示しました。
J収容内容の改定
前記理由等から、掲載内容は必要に応じ随時変えています。常に新たな発見があるからです。ウィキペディアィアの個人版と思っていただければ間違いありません。
K構成上の注意点
時に、個人のサイトや著名大学のサイトに本サイトが引用されるのを見かけます。しばしば、本サイトの構成を理解されず、特に本サイトの『茨城方言大辞典』の各項の巻頭に判例を明記しているにも関わらず、誤解されている場合があります。引用される場合は、必ずご一報下さい。
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本ページの構成です。
1.はじめに
2.サイト構成
3.このサイトの特徴
4.参考文献等一覧及び参照記号
5.このサイトのご利用方法(注意事項、免責事項等)
6.茨城方言の位置づけと歴史
7.収集の経緯及び収集の方法
8.収集結果の概要
9.収集結果の個別考察
10.日本語の起源と外来語(作成中)
11.標準語との関係/語源の考察
12.方言とは何か、地場語同化説。
13.茨城方言と茨城県人の気質
14.標準語の乱れと方言
15.標準語の成立過程に疑義を感じる言葉
16.映画の字幕が面白い
17.最後に
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1.はじめに
このサイトは、茨城弁が次第に標準語に近くなりつつある環境の中で、昭和35〜45城頃の土浦市東北部の茨城弁に焦点を当ててそれを中心にまとめたものがきっかけになりました。そのため、茨城県生まれの方でも50歳程度以上でないと、知らない言葉を沢山含んだサイトです。また一切のバナー広告の無いサイトでもあります。さらに古い文献を参考に江戸時代や明治時代の茨城弁を紹介しています。通常、ペーパーベースの文献は、版を重ねて改定されますが、本サイトは最新情報をオンタイムで供給するようにしています。
インターネットのシステムが社会に浸透するにつれて、かつてはごく限られた学識者だけに限られた方言世界が今、掲示板やブログ等で一般の方々が、日常生活の延長で、話題になるようになりました。そのため、方言に関する情報は他のあらゆる情報と同様に、手軽に入手できるようになった一方、いわゆる『孫引き』による混乱や誤解が生じています。本サイトはそれらの現象の中で、可能な範囲で、誤解の無い茨城弁解釈の解説を目指しています。
昭和35年から45年はテレビの第一世代が幼少から青年期を過ごした時代です。昭和35年頃にはかなりの家にテレビが普及しました。そして昭和39年の東京オリンピックはテレビの普及を確固たるものにしました、ビートルズも日本に来ました。世の中は池田内閣の所得倍増の時代、間も無くテレビはカラーに変わり昭和45年は大阪万博が開催された年でした。わずか10年間に茨城弁は目まぐるしく変わりました。しかしこの時代こそ新旧の言葉が一緒に存在する時代でした。
今、茨城県の比較的高齢の人達が若い頃に使っていた言葉が消えつつあります。
今も昔も変わらない訛と、すっかり聞かれなくなった訛があります。一方で東京では使わなくなった古い標準語が立派に通用していました。茨城に住む若い方でお爺さんやお婆さんが話している言葉の正しい意味を知りたい方、茨城弁に興味のある方、赴任等で茨城県にお住まいの方が日常生活の中で困った方々には、ここは最強・必須のサイトです。
例えば、イ行をきっかけに
いーいー:良い家、いーが:良いかい、いぎでもねー:無駄な様子、もったいない様、いぎめど:喉、咽頭、いーど:良いよ、いがっか:行けるかい、いがったなあ:良かったな、いがっぺ:良いだろう、いぐど:行くよ、いげっと:行けるよ、いんか:行こうか、いんべ:行こう等があります。
このサイトは茨城弁をただ面白可笑しく解説することが目的ではありませんが、中には面白い言葉もあります。さて、貴方はどこまで付いて来られるでしょう。
今でもこんな会話が聞かれます。『いばらぎ弁はー、標準語どほどんとおんなしだがんなやー。んだけんとー、いばらぎの人等(しとら)がテレビにでっとー、やっぱしなんだがー訛ってんだいなー。おがしなもんだなやー。ろぐおんきがおっくれでんだっぺがー。』
もう、このあたりで打ち切ってしまおうかと何度も思ったことがあるのですが、意外・残念・予想外、新たに思い出した言葉の多くがネットで紹介されていないとなると辞められません。これからもますますご支援下さい。
茨城方言の代表語と言えば、次のようになるでしょう。
・んだっぺ・んだっぺよ:そうだろう。
・やっぺ・やっぺよ:遣ろう・やろうよ。
(2)全国のネットサイトヒット数
プロバイダ最大手のgoogleを使って、各地方言のヒット数を調べて見ました。『〜弁』『〜方言弁』によってヒット数は異なりますが俗語としての『〜弁』を基本に漢字でヒット数を調べました。2008年11月2日に検索しました。
(北海道・東北圏)
・北海道弁:173000件。
・津軽弁:163000件。
・南部弁:23400件。
・岩手弁:19500件。
・秋田弁:91000件。
・山形弁:65000件。
・福島弁:43100件。
(関東圏)
・茨城弁:341、000件。
・栃木弁:32、600件。
・群馬弁:28700件。
・埼玉弁:902件。
・千葉弁:837件。
・東京弁:124000件。
・東京方言:1、350、000件。
・神奈川弁:594件。
(その他地域)
・名古屋弁:349000件。
・大阪弁:869000件。
・鹿児島弁:105000件。
・琉球弁:1170件。
・八丈弁:20件。
(参考検索)
・茨城方言:483000件。
・大阪方言:1、130、000件。
・琉球弁:302、000件。
・琉球方言:352、000件。
・八丈弁:19、700件。
・八丈方言:18、000件。
ちなみに何故か『茨城方言』で検索すると、その483、000件のトップに当サイトがあります。検索エンジンにたまたま乗ったのでしょう。
以上は、茨城県を中心にした視点で実施しましたが、特に、大阪弁が100万件近いのはおどろきます。それだけ大阪の人達が大阪弁を世の中に発信しているということでしょう。東京弁の多さも同じ理由によると思われます。東京を除けば、関東圏では、茨城弁が突出しているのが明らかです。『〜弁』を『〜方言』に変えると桁が異なるのは、学術関係者が広く方言解釈について、ネット公開されておられることによると思われます。
(3)NHKが調査した茨城方言ベストテン
『NHK教育テレビ「日本のことば」』の中で、【21世紀に残したいお国言葉ベストテン】が発表さてました。その中で茨城弁については以下の通りです。意味については『茨城方言大辞典』を参照下さい。尚、太黒文字は、実は方言ではなく、廃れてしまった古い言葉で中には上代の古語も含まれます。
・1位:〜ぺ:だっぺ・そーだっぺ・だっぺよ・〜ぺよ 等の複合語。
・2位:よがっぺ・いがっぺ。
・3位:おばんです・おばんかだです。
・4位:ごじゃっぺ。
・5位:こわい。
・6位:かっぽる。
・7位:あがらっしょ・おあがんなんしょ・おいでなんしょ。
・8位:よったらがっぺ・よってがっしょ・よってがんしょ・よっていがんしょ。
・9位:いしこい・あおなじみ。
・10位:いじやげる・ひゃっこい。
・番外となった言葉:おもしー・かんか(かんかかんか)・んだ(んだんだ)・しゃーんめ・なんでかんで・ぬぐい・おぢる・〜け(〜げ)・ふったげる・つっぱいる・きぴちょ(きびしょ)・さむさぼーず(さむげぼーさま)・とーみぎ・おどめ・てばたき・いいあんばい(いーあんべー)・ばっぱやん・じっちやん・おんじやん・あったらもの・ぱすぱす・おっこまる・びだまる・いがい・はらくちい・かんぷらいも・等。
(4)茨城弁交通安全川柳コンテスト入賞作品
茨城県交通安全協会の主催で過去4回の交通安全川柳の入選作品が発表されました。ここではそれを紹介します。中には、茨城以外でも使われる方言を含み、中には標準語の口語でも使われるものもありますが、敢て正統派標準語を基準に概ね方言と考えられる部分を朱色表示しています。
現代茨城方言では、カ行・タ行音の濁音化が少なくなる傾向があり、圧倒的に『べ・ぺ』の表現が多い事が解ります。中には、茨城弁と言うより俗語や江戸下町言葉と思われるものもあります。
@第1回入選作品 平成19年
「運転者部門」
最優秀賞
・知ってっぺ 飲んだら乗るな 忘れんな
優秀賞
・ウインカー 早めに出さなきゃ ダメだっぺ
・締めっぺよ シートベルトは 命綱
佳作
・いまちんと ゆっくり行ったら いかっぺよ
・これくらい まあヨカッペは 事故の元
・いがっぺと その一杯が 命取り
・止まっぺよ 見通し悪い 交差点
・ベルト締め 心引き締め さあ行くべ
・赤信号 ちょっくら待ったら 青だっぺ
・かっぽるな タバコと一緒に マナーまで
・ばんかたは ライト早めに つけっぺよ
・オラやんね わき見ケイタイ アルコール
・気いつけて 行ってこ無事で けえってこ
「高齢者部門」
最優秀賞
・着けっぺよ くつや帽子に 光るもの
優秀賞
・よかっぺと 無茶な横断 怪我のもと
・見せっぺよ 紅葉マークで 良い手本
佳作
・だめだっぺ 横断歩道 わたらなきゃ
・やめっぺよ フラフラ自転車 あぶねえで
・いそがずに 待っていっぺよ 次の青
・夕暮れは 目立つかっこで よこぎっぺ
・つけっぺよ キラリと光る 反射材
・反射材 着けて目立つべ 事故防止
・のろくても 紅葉マークじゃ しゃあんめえ
・きーつけろ 車の後に ほれ!車
・歳とった 早めに返すべ 免許証
・孫乗せて 危ねえまねは しねでくろ
「歩行者・自転車部門」
最優秀賞
・事故の元 よかっぺいがっぺ かまわめよ
優秀賞
・信号を 親が無視しちゃ だめだっぺ
・自転車も ルール守らにゃ だめだっぺ
佳作
・2人乗り 無灯火自転車 だめだっぺ
・渡る時 止まっぺ左右 よく見っぺ
・とびだすな もいちどみっぺ みぎひだり
・自転車も マナーきちんと 守っぺよ
・手を引いて 渡ってやっぺ 白い杖
・あぶねえど 傘さしよそ見 二人乗り
・自転車も 早めのライト つけっぺよ
・付けっぺよ 夜道の守り 反射材
・おっかねえ ところかまわず 渡る奴
・あぶねから 着たらよかっぺ 目立つ服
A第2回入選作品 平成19年
「飲酒運転部門」
最優秀賞
・知ってっか 飲ませたおめえも 共犯者
優秀賞
・飲んで乗る そおた話は あんめえよ
・決めとくべ 飲んでいい人 悪い人
佳作
・飲むのなら 車で来んな 酒の席
・おれ飲まねぇ 今日はおめえら 乗せてくべ
・キーバーの 誇りを胸に オラ飲まね
・決めっぺよ 幹事とともに キーパーを
・よかっぺー その一杯で 泣く家族
・酒飲んで 乗れば人生 終わりだど
・酒飲んで 車で帰る ばかいめえ
・だめだっぺ 車の人に 飲ませては
・まあいいべ そのひとくちが いのちとり
・茨城じゃ 飲酒運転 ゼロだっぺ
「シートベルト部門」
最優秀賞
・つけっぺよ 乗ったらベルト 締める癖
優秀賞
・前の席 後ろの席も 締めっぺね
・乗せねえど ベルト締めない ごじゃっぺは
佳作
・シートベルト うしろの俺らも しめっぺよ
・シートベルト みんなでちゃんと しめっぺよ
・子供らの シートベルトも 忘れんな
・たすかった シートベルトの おかげだべ
・ベルトして 安全運転 してくんちょ
・まずベルト 締めてエンジン かけっぺよ
・ぐずっても チャイルドシート させっぺな
・カチットな 気持いがっぺ しめだ音
「反射材部門」
最優秀賞
・付けてっぺ 小さなお守り 反射材
優秀賞
・ばんかだは ひかるタスキで でがげっぺ
・暗い道 光っぺ見えっぺ 反射材
佳作
・付けっぺよ 命の光 反射材
・ひからすべ 左右を見る目と 反射材
・忘れんな 夜のジョキング 反射材
・夜道でも 居っごど知らす 反射材
・付けっぺよ 夜道の歩行 反射材
・おばんかた くれえ夜道に 反射材
・暗がりも 俺が見えっぺ 反射材
・つけてっか 夜道のおとも 反射材
・光らして オレはここだと 知らせっぺ
・気いつけろ 動く光だ 人いっぺ
B第3回入選作品 平成20年
「ハンドルキーパー部門」
最優秀賞
・今日はおれ ハンドルキーパー 休肝日
優秀賞
・送り役 決めて安心 さあ飲むべえ
・飲むんなら ハンドルキーパー 決めっペよ
「自転車の安全利用部門」
最優秀賞
・自転車に 乗っかる前に ヘルメット
優秀賞
・チャリンコで 携帯いじんの やめっぺよ
・自転車も ごじゃっぺ運転 事故の元
「シートベルト部門」
最優秀賞
・待ってっと 後ろがベルト 締めるまで
優秀賞
・締めっぺよ 命のベルト 全座席
・だっこより チャイルドシートに まかせっぺ
C第4回入選作品 平成21年
「飲酒運転の根絶部門」
最優秀賞
・やんだねー 飲んで乗っこど 飲ます事
優秀賞
・このぐれは いがっぺなんて 飲ませんな
・だめだっぺ 飲むならキーパー 決めねえと
佳作
・飲まねえど 今日は車で 来てっから
・飲み会さ 車乗ってで バカいめえ
・ちんとだけ そーた気持が 命取り
・知ってっぺ 乗るなら飲むな 飲ませるな
・おらほうじゃ 飲んだら飲まねえ あだりめだ
・ビール飲み 泡ときえるべ わが人生
・知ってっか 飲酒運転 じごく行き
・気いつけろ たった一杯 身のはめつ
・まあいいべ 意思の弱さが あの世行き
・やめっぺよ ちょこ一杯でも 酒は駄目
「高齢者の交通事故防止部門」
最優秀賞
・ご隠居も 印籠よっか 反射材
優秀賞
・待ってっぺ 爺ちゃん婆ちゃん 渡るまで
・無理すんな 待ったらいかっぺ 次の青
佳作
・ヒヤリ増え 返上すっぺ 免許証
・おばんかた 目立つ服着て よばれっぺ
・晩方に 散歩さ行ぐなら 反射板
・先どうぞ おらはもみじの 慎重派
・高齢者 夜の運転 ひかえっぺ
・あぶねーど 若いつもりで つっきるな
・無理すんな あとの青でも 渡れっぺ
・いじやぐな もみじマークが 前にいる
・反射材 おらげのじっちに プレゼント
・無理すんな 若くねえんだ 落ち着くべ
「交通マナーの向上部門」
最優秀賞
・危ねえべ 黄色止まれと 言ってっぺ
優秀賞
・ゆずったら 気持ち良かっぺ お互いに
・やめっぺよ うめえふりして 飛ばすのは
佳作
・飛ばしても 時間たいして かわんねど
・黄信号 急げじゃなくて 止まっぺヨ
・だめだっぺ わき見けいたい ベルトなし
・茨城の 心づかいを 見せっぺよ
・締めっぺよ シートベルトと 気のゆるみ
・おたがいに 心掛っぺ ゆずり合い
・自己中の オレオレ運転 やめっぺよ
・心にも つけっぺ正しい 信号機
・抜かれても いいべよ別に マイペース
・やめっぺよ 指示器出さずに 曲がんのは
D第5回入選作品 平成22年
「飲酒運転の根絶部門」
最優秀賞
・でれすけが 飲ますおめえも 同罪だ
優秀賞
・一滴の 酒でハンドル ごぢゃらっぺ
・飲んだ後 なんとかなっぺは だめだっぺ
佳作
・しめっぺよ 気持ちとベルト 酒のふた
・いがっぺと 飲ますおめえも 犯罪者
・飲まねーど 今日はハンドル 握っから
・飲酒後の いがっぺいがっぺ 事故の元
・ふざげんな 飲むなら車 置いて来(こ)ー
・知ってっぺ 飲むも飲ますも 同じ罪
・だめだっぺ 飲んで乗ったら 家族泣く
・同じ手で 酒とハンドル 駄目だっぺ
・決めとくべ 酒飲む前に けーる足
・お父ちゃん 迎えのメール 待ってっと
「高齢者の事故防止部門」
最優秀賞
・晩方(ばんかだ)は いっしょにつれでげ 反射材
優秀賞
・せかすなよ じいちゃんばああちゃん あわてっぺ
・でえじょうぶ 若けえつもりが 事故のもと(江戸下町言葉)
佳作
・気い付けろ ブレーキアクセル 踏み違い(江戸下町言葉)
・手を挙げて 孫に手本を 見せっぺよ
・おみやげは 無事故で良かっぺ おじいちゃん
・いつまでも 若いつもりじゃ だめだっぺ
・車間距離 みっちりあけて 走っぺな
・ちっと待て じさまばさまは 遅いんだ
・よくみっぺ 右と左と 高齢者
・交差点 ゆっくり渡れ まってっと
・反射材 付けない夜道 おっかねえ
・おじいちゃん ふらっと飛び出し あぶねえど
「歩行者・自転車利用者の事故防止部門」 最優秀賞
・止まっぺよ かわいい右手 あげてっぺ
優秀賞
・だめだっぺ 夜の無灯火 二人乗り
・死んちまぞ 行げっぺ来ねえべ 渡れっぺ(字余りを避けた圧縮あり。普通は「しんちまーど」と言う)
佳作
・見つけっぺ 大きく挙げてる 小さな手
・危ねえなあ メールしながら こぐペダル
・自転車も 乗ればルールを 守っぺよ
・良く見っぺ 車の陰に ちっちゃな子
・あぶねえべ ケーヤイしながら チャリこぐな
・だめだっぺ ライトもイトも付けずに 笠さして
・チャリンコも ビール飲んだら 乗れねえど
・飛び出しと 斜め横断 やめっぺよ
・おっかねえ ライト付かない 自転車は(江戸下町言葉)
(5)茨城方言の七不思議
茨城方言の詳しい特徴は、茨城方言の特徴を参照いただくとして七不思議としてもおかしくない特徴七つを以下にまとめました。これらは、全国の方言の中には、該当する地域があるのかもしれませんが、少なくとも関東圏では茨城にしかない傾向です。
・七不思議その1/アクセントが無い/イントネーションを命とする方言
言葉にアクセントが無く、アクセントは文章のイントネーションに支配されます。柿も蠣も平坦に『かぎ』と発音しますし、飴も雨も平坦に『あめ』と言い、端も橋も平坦に『はし』と言いますが、前後関係によってはアクセントを持たせる場合があります。
変幻自在。茨城方言は、言葉のうねりで心を表現する言葉なのです。
・七不思議その2/尻上がり
茨城方言の特徴の一つに尻上がりのイントネーションがあります。一律にそうなるとは言えませんが、標準語のイントネーションからすると、明らかに尻上がりです。しかもそのトーンは標準語をはるかに超える高いトーンが使われることがあります。
近年のコギャル達のイントネーションは、明らかに茨城方言的です。
・七不思議その3/鼻に抜ける
茨城方言の発音は、東北方言と同じで鼻に抜ける発音が原則です。フランス語や英語に似ているのです。
・七不思議その4/濁音化と清音化の共存と半濁音化
原則的にカ行音とタ行音が濁音化します。
・どでのわぎの はだげにたでだ はだのわぎで、みがんとかぎたべだら てがべどべどで おまげにみぎがだが がぐがぐしていでー:土手の脇の畑に立てた旗の脇で、ミカンと柿を食べていたら、手がべとべとで、おまけに右肩ががくがくして痛い。
ところが、『殆ど』は『ほどんど・ほどんと・ほとんと』というように濁音化と清音化が共存します。
一方、『ぶっ殺す』を『ぷっころす』と言ったりします。ハ行音の半濁音化現象です。
・七不思議その5/男女の区別や敬語が無い
茨城では男女に関わらず自らを指して『俺』と言い、また標準語には今でも存在する男女の言葉の違いは全くありません。
また、江戸時代や明治期の茨城方言には、数多くの丁寧語がありましたが、それはやがてすっかり消えてしまった時期がありました。近年では、さすがに標準語の影響を受けているようですが、日本の方言を見てもこのような地域は多くはありません。
確かに、江戸時代の庶民は、男女に関わらず『俺』や『おら』を使ったことが文献に見られますが、もしかしたら、茨城県人こそ、日本で最も民主主義を主張する県民なのかもしれません。ただし、残念ながら歴代の総理大臣に名を連ねた人は茨城には一人もいません。
・七不思議その6/何でも促音化する
促音化するのは、主に東国語の特徴です。茨城方言は、さらに促音化傾向の大きな方言です。促音化するのは動詞に多く、R音が嫌われる傾向は茨城方言も標準語も違いはありません。また、主に名詞の促音化は古語の格助詞の『つ』が発祥のルーツのようです。現代語の『うちっかわ』は、間違いなく『うちつかわ』が転じたものでしょう。
茨城方言では、何でも促音化する傾向があります。
・七不思議その7/歌を歌うと方言が消える
茨城県人はもしかしたらバイリンガルです。標準語と茨城方言のバイリンガルです。なぜかと言えば、歌になると方言が消えてしまうのです。そのメカニズムは解りませんが、茨城方言はどうやら、言葉を音楽的にとらえているようで、音の高低が変わると、茨城方言ではなくなるために、自然に標準語になってしまうのではないかと思われます。
茨城の民謡でも方言は少なく、囃し言葉に特徴があるのは、標準語化が進んだ現代の現象ではなく、どうやら昔からあった現象のようです。
(6)関東の古い言葉は茨城に残る/方言ルネッサンスの時代
柳田国男の説のごとく、関東圏では茨城県に古い言葉がとりわけ残っていることは間違いないでしょう。一方で、現代では、その茨城方言のリバイバルが始まっています。現代の若者言葉の多くが茨城方言の刺激を受けているのはほぼ間違いないでしょう。
今の若者は言葉に飢えています。ルネッサンスの時代により新しいものを求め、さらに印象派の時代に東洋を求めた現象に似ているのではないでしょうか。今こそ私達は、茨城弁=茨城方言を残すことが使命と思わなければなりません。
(7)本土方言における茨城方言の見直し
今、日本の方言は、三つに絞られています。以前は関西と関東を別けていたのですが、今では一緒に扱われ、本土方言、八丈方言、琉球方言の三つに別けるのが有力となりました。
一方、現場の人々はそんな語学学会のことは関係がありません。大事な事は、世代を超えて存続することとです。
このうち、八丈方言、琉球方言は瀕死の状態にあり、国がその保存活動の先鞭を切って様々な活動が続けています。あたかも、絶滅に瀕した動物のようです。
その点、茨城方言は、語法が標準語に近いので、単語レベルの絶滅が心配されますが、万葉集に残る多くのあるいは一部の東国語が今でも使われている一方、常に新しい言葉の発信基地になっています。
現代の若者を魅了し、流行語となった多くの言葉が実は茨城方言であったことを知る人は少ないでしょう。
茨城方言は、つねに古く、かつ新しい、それが茨城方言の真骨頂だと思います。
今や日本語の古い言葉を実質的に伝承しているのは、茨城ほ方言しかないといえるでしょう。
(8)琉球方言・八丈方言と茨城方言の関係
琉球方言・八丈方言と茨城方言の関係については、今まで誰も試みていません。
昨年末から、検討を重ね、八丈方言との関係について、試みました。明らかに東関東方言と八丈方言に多くの共通語が見出された一方、八丈方言は全く異なるルーツの言葉ではないかという認識を得ました。
また、何故『関東べい』が『八丈』に無いのかを、紐解く必要があるでしょう。
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日本一のレンコン産地の風景/遠くに筑波山が見える |
蓮の花:様々な種類の中の一つ |
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2.サイト構成
サイトは以下の構成になっています。サイト内の各ページ上部にリンクバーがありますのでどのページからも任意のページにアクセスできるようにしました。さらにその下に50音別の茨城弁大辞典のリンクバーを設けてありますので各ページからジャンプできます。
ページ名称 |
概 要 |
茨城方言の特徴 |
茨城弁の特徴をまとめたものです。 |
茨城方言入門 |
茨城弁の中で特に特徴的なものを集めたものです。茨城弁入門編。 |
茨城方言大辞典 |
50音区分で茨城弁とその標準語訳、解説を加えたものです 語源についての考察も加えてあります。本サイトの核をなすものです。 |
動物・両生類 |
動物を中心に茨城全域の方言を紹介します。新しいページです。 |
魚・水産物・海産物 |
魚を中心に茨城全域の方言を紹介します。新しいページです。 |
虫・昆虫・軟体動物 |
昆虫を中心に茨城全域の方言を紹介します。新しいページです。 |
樹木 |
樹木を中心に茨城全域の方言を紹介します。新しいページです。 |
草花・キノコ |
草や花、キノコを中心に茨城全域の方言を紹介します。新しいページです。 |
地理・自然 |
地理や自然を中心に茨城全域の方言を紹介します。新しいページです。 |
特殊な形容詞 |
特殊な形容詞の掲載を始めました。新しいページです。 |
人体用語 |
人体の各部を呼称中心に茨城全域の方言を紹介します。新しいページです。 |
代名詞 |
代名詞に関する茨城全域の方言を紹介します。新しいページです。 |
風俗文化・建築・生活 |
当時の生活ぶりや年中行事を集めてみたものです。新しいページです。 |
子供の遊び |
子供の遊びや道具等を中心に茨城全域の方言を紹介します。新しいページです。 |
農業・養蚕・漁業 |
農業・養蚕・漁業等の産業に関わる茨城全域の方言を紹介します。新しいページです。 |
茨城の迷信 |
言い伝え、迷信、戒め、例え、慣習、予兆、等をまとめたものです まだまだ全国共通のものが多いため、投稿により拡充して行きたいと思います。 |
年中行事 |
年中行事を月日毎にまとめてみました。作業途中です。新しいページです。 |
挨拶言葉 |
青札言葉を中心に茨城全域の方言を紹介します。新しいページです。 |
茨城方言の分布 |
茨城方言と共通の方言が他県にもあります。その分布状況をまとめてみました。 |
茨城方言の文法 |
言語地図に習って茨城方言の語法をまとめました。新しいページです。 |
小説の中の茨城方言 |
著名小説の中に描かれた茨城弁やその時代と今の違いを考えます。 |
茨城方言の発音練習 |
『土浦』をキーワードに茨城弁の発音の基本を体験していただきます。 |
茨城の日常会話 |
日常会話の実例等をドラマや物語風紹介します。NHKで放送した詩の朗読原稿もあります。 |
幼児語に学ぶ |
標準語世界の2歳半ばまでの幼児語集から茨城弁の訛の形式を考察したものです 新しい試みです。これも投稿により拡充して行きたいと考えています。 |
投稿文紹介 |
最近の主な投稿文を掲載しました。 |
当時のテレビ番組 |
これは番外編ですが、当事放映されたテレビ番組を紹介しています。茨城弁の標準語化のきっかけとなったテレビ第一世代が見た番組集です。 |
相互リンク集 |
相互リンクサイトを紹介しています。 |
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3.このサイトの特徴
(1)収集の原点
収集した言葉の原点は、茨城県土浦市上大津地区の言葉です。昭和30年代の茨城方言のうち、土浦市の東北部の上大津地区の方言からスタートしました。
(2)このサイトの目指すこと
1)茨城県土浦市の北東農村地域の方言を中心にしながら、江戸時代にまで遡った茨城方言までカバーした茨城全域の方言サイト
最初は、昭和35〜45年頃の茨城県土浦市の北東農村地域を中心にしましたが、その後それを発展させて、土浦方言に限定せず、茨城方言およびそれに関連する文献を参照してまとめたものです。
長塚節の『土』については旧猿島郡の方言、『茨城方言集覧』に紹介された方言は、茨城県内全域の方言です。『茨城方言民族語辞典』は3万語に及ぶ茨城方言の集大成です。本サイトではそのうちの、重要単語については茨城全域の方言を掲載しましたが、土浦市以外の特定の地域でしか使われない方言は掲載していません。ただし、語源解釈上特に重要な方言は使用地域を明記した上で掲載しました。
また『俚言集覧』は江戸時代の全国の言葉の集大成ですが、このサイトでは茨城方言に関係するものを抜粋して掲載しています。
茨城弁は、地理的な関係で、単語レベルでは標準語に比較的近い方言です。当時の茨城弁は、かつてはラジオに始まった標準語化のうねりについで、テレビの影響を強く受けていました。それ以前は、戦時中の徴兵によってすでに標準語や他県の様々な方言を耳にした時代を経ています。そのため、標準語はあえて話さなくとも理解できる環境にありました。敢えて話すと『気取り屋』としてあつかわれた風潮もありました。
また、女達は言語能力がもともと優れていますから、より標準語を取り入れる傾向がありました。そのため、標準語と茨城弁のバイリンガルな時代を迎えていました。濁音化や標準語の中にもある撥音便・促音便を伴う方言は、多く解っていながら話していた時代でした。逆効果としての清音化があるのも、茨城弁の面白いところです。
以上のような理由で、特に単語レベルでは本茨城弁集で紹介した茨城弁だけで会話がなされていたわけではなく、擬似標準語との共存の環境の中で当時の茨城弁があったことになります。
2)文法上の単語区分を明記
茨城弁を語るためにはある程度の文法知識が必要であろうという視点から文法上の区分を明記しました。ただし、専門領域ではないので間違いについてはご容赦ください。
3)語源の解釈/標準語・近世語・古語との関係の検証
@茨城方言のルーツを探る
一般的な方言サイトは、単なる方言書ですが、このサイトでは、茨城弁のルーツを解読することを大きな目的にしています。
A古い言葉を残す茨城方言
当サイトは、当初、茨城県土浦市の最も片田舎の方言集を基点にし、情報発信を開始しましたが、ルーツを探求するにつれ、様相は一変しました。
まず、茨城方言の多くは、現代標準語を中心にするとそれが訛ったと思われる言葉が沢山ありますが、現代標準語より近世語が訛ったと思われるものが少なくなく、また近世語そのものがそのまま残っているものもあります。さらに、助詞や助動詞については、むしろ古語に由来すると考えられるものが数多くあります。
今、茨城方言は、大半の言葉が何ら不思議な言葉でもなく、必然的に発生した言葉だということが解りました。
また、『語源辞典』をひもとくと、茨城方言に現代標準語のルーツが残っていると思われるものが数多くあります。
このことは茨城方言に限らないこで、特に近世の言葉が形を変えて地方に残っている事を実感しています。その図式はダーウィンの進化論の樹状図そっくりです。
語源解釈は、茨城方言の領域にこだわらず、今後さらに領域を広げて行きます。
B現代の語源辞典には自己矛盾がある
もう一つ、現代の語源辞典には実は自己矛盾があります。日本語はもともと漢字が伝来する前から存在したものです。勿論漢字の伝来以降、漢字ベースの言葉が生まれたのは当たり前ですが、もともとは和語があり、それに相当する漢語(漢字)を当てた結果が現代の日本語でもあります。従って、語源とされる言葉が訓読みの言葉であるならば、素直に語源と言えるでしょうし、音読みであったとすれば、それは、漢語(中国語)由来の言葉となります。言い換えれば訓読みの言葉であっても、語源として漢字表現するのは、もともとおかしなことになります。
結果として何故か、大半の語言説は漢字を借りています。これは現代日本語が漢字に託した過去の歴史に託した大きな歴史を歴史を背負っているわけで、そのスタンスに実は大きな問題が潜んでいるのかもしれません。
現代語の『歩く』の有力な語源は、『ありく』であり、『あ』とは『足』の意味、『りく』とは『移動する』ことで、現代の『行く』に変化します。
C他県の言葉との関係
入手した他県の言葉を掲載しています。他県の方言についても古い方言書の情報を掲載しています。
これにより、関東圏では特に茨城県で上方語がよく残っていた事や、他の関東の地域でもかつては東北系の方言が残っていたことが一目で解りました。
D現代標準語との関係
標準語との関係について解説を加えています。
また、次第に消えつつある方言や利用世代が限られる言葉があるため、凡例に従って5種類に色分けし分類しました。また、訛の現象、プロセス、原因等、関係について解説欄で推論しています。単にたった一語の段や行の差異をもって、方言か否かを定めるのではなく、標準語との関係や方言相互の関係についても可能な限り調査し解説するようにしたものです。
E古い言葉との関係
一方では、茨城弁だけでなく標準語世界でも大きな変革があり、標準語の古い言葉がどんどん消えつつあることも解りました。『うっちゃる』(捨てる)はその典型的な言葉です。私の家内の母親は調布出身ですが、今でも『うっちゃっといて』と言います。相撲の世界では今でも現役です。高校の古文の時間に誰もがその語源の『打ち遣る』を学んだはずなのに−−−−です。
もし標準語を使っている人達が『なにそれ、どこの方言?』と言ったら、『これは標準語で貴方が知らないだけだよ』と堂々と言っていただきたいと思います。
実際このサイトでは、1万語を超える単語を収集した結果、その相互の関係の中から本来の意味がやっと解った訛が沢山あるのも事実です。
参考に標準語そのものの語源の解釈も可能な限り掲載しました。『日本語源大辞典』のほか、ネット公開されている辞書も参照しました。
また、便宜上、標準語のいずれかを語源として、仮設をたてていますが、実際は、方言が語源なのか、標準語が語源なのか定かではありません。誰でも理解できるのは、日本に文字(漢字)が伝わった4世紀以前は、全て地方毎に様々な言語が存在していました。当時の中央政府が、どこにあったかは、いまだに解っていませんが、九州か近畿であったことは解っています。さらに現代でも、言葉は日々変わりつつあります。その多くは、グローバル化にお伴う外来語の氾濫ですが、明治政府が形式的・強制的に標準語を定めた以前は、標準語は存在しませんでした。そうなると日本に、人類が住み始めてから、明治政府により標準語が定義されるまでの間は、日本国内の言葉は様々に変遷したと推測されます。その意味で周辺との関係があまりない地域や中央政府から遠い地域は、古い言葉を使うのは、なにも柳田国男の『蝸牛考』を読まなくても、あたりまえのこととして、きっと理解できるでしょう。また、当時の中央政府からすれば、地方や地方の言葉は、今で言えば外国語だったでしょう。一方氾濫する外国語は、中央政府の言葉に少なからず影響したでしょう。
その意味で、関東圏で一番はずれにある茨城県が、何百年も前の古い言葉を残していることは、文化財に匹敵するのにものだろうと思います。
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今、数ある著名書籍との照合をしています。茨城方言は近世だけではなく中世や上代語を残す貴重な方言であることが、このサイトで明らかになりつつあります。今後もそのような視点で茨城方言の成立の過程をひもといていきたいと思っています。
ところで、近世に特に盛んになった語源説には怪しいものが大半です。それは近世にほぼ成立した現代標準語を基礎として訛りとして論じていることが多いからからです。これは、全く逆の関係もありうるものです。
近世語特に江戸言葉がが茨城に沢山残っていることは明らかです。茨城方言は、現代標準語が訛ったのではなく、現代標準語の母体となった古い言葉が残り、標準語こそ訛った言葉である言葉であることは少なくないのです。
F正しい解釈を旨とすべし
著名な全国方言サイト等で、特定の標準語に該当する各地の方言をネット上で公開していますが、玉石混交でしかも意味がずれているものが数多くあります。これは、標準語を別の言葉で説明した時も同じ現象が出るはずで、それほど言葉の意味を正しく表現することは一般の人には難しいとも言えます。
同じ事が、調査によってまとめられた方言書でも言えます。方言を聞き、その意味を尋ねそのまままとめてしまった場合に発生する不具合です。例えば『けた』という言葉があります。これは方言書では『真っ直ぐ』と解説されています。普通『真っ直ぐ』とは『曲がっていないこと』だと思ってしまいます。ところが近世語の『方・角(けだ)』には『品行方正であること。律儀であること。』の意味があります。日本語は上代ほど清音の傾向がありますから、
『けた』とは『方・角(けだ)』の古形の可能性が出て来ます。品行方正=真面目=真っ直ぐ すなわち真面目を真っ直ぐと表現した可能性が出て来ます。そうすると『けた』とはほぼ『方・角(けだ)』を指していると考えられます。さらに調べると『方(けた)』(真面目、堅い様)を掲載している辞書がありました。
このサイトでは、実際に生で採取した言葉と著名な方言書を使いながら可能な限りの文献を参照してより正確に茨城方言を紹介するようにしています。
G助詞・複合語等を重視
このサイトでは、言葉を構成する重要な助詞や複合語等についても積極的に掲載しました。方言の印象を決定づけるものは、発音こそがもっとも大きいのですが、次には、複合語や助詞こそが特徴を決定づける要素であると考えているからです。
(1)複合語
茨城弁の複合語は底が見えない程沢山あります。手当たり次第に複合語を作ってしまいます。辞書に掲載された複合語は極めて少なく、明らかに代表的なものしかありません。例えばここ数年有名になった『自民党を打っ壊す(ぶっこわす)』という小泉総理の言葉を例に言えば、そのような複合語を国策として明治時代に封印したのではないかと思われるふしがあります。
(2)学術界ではあまり重視されて来なかった助詞・助動詞の重視
学術界ではあまり重視されて来なかった助詞・助動詞を特に重視して掲載し、標準語や古語との関係について考察しました。まだまだ不十分ですが、すでに学術的な領域まで至っていると考えています。
また、今、大きなテーマにしているのは、助詞の『〜が』『〜がな』『〜がの』です。調べれば調べるほど奥が深いのですが、推測するにネイティブな茨城県人でないと決して解らないニュアンスが含まれています。最近『〜がな』の意味の一つに『〜分』の意味が実は山形でも全く同じ使い方があるのを知りました。その点では、このサイトの目指している方向は決して間違っていないと思っています。
その結果、茨城方言の多くが、現代標準語が変化したものではなく、古語や近世語に由来することが解って来ました。人類の進化の歴史に例えれば、標準語はホモサピエンスであり、茨城方言はオランウータンやチンパンジー・ボノボ等に当たると考えています。
H茨城弁の特徴について独自の考え方を紹介
茨城弁の特徴についてかなりのページを割いて紹介しています。
I『が行音』の濁音・鼻濁音を区別
茨城弁を話す上で重要な『ガ行音』の濁音・鼻濁音を区別して表記しました。
日本には、『ガ行音』の濁音・鼻濁音の識別をせず、一律に濁音で発音する地域があります。茨城方言は、『ガ・ダ』がしばしば濁音化するため、特に『ガ行音』の濁音・鼻濁音を区別が重要になります。
例えば『さがる』と言う言葉があります。鼻濁音の場合は、標準語と同じ『下がる』意味です。ところがころが濁音の場合、『栄える・賑わう』意味になります。
・さがる:下がる。
・さがる:栄える。賑わう。(盛る)
J建築業界用語の積極的な解説
建築業界用語に関わる解説を併記しました。
K実際の会話の実例
備考・解説・使用例欄を使って、前後関係を含めた使用例を出来る限り紹介しました。
(3)学術会を超えた茨城方言解釈
茨城方言は、今ではネットを通じて、関東では最も方言らしい方言として位置づけられています。
一方ネットでは、茨城方言とは何かについては、殆ど語られていません。
そこで、本サイトでは、与えられた情報の中で様々な仮説や推論を提唱しています。
その核になるのは、茨城方言の語源、あるいはルーツです。
このサイトは、一介の素人が作った茨城放言の語源サイトとも言えますが、かなり、高次元のサイトになっていると自負しています。
語源は、今となっては一説に特定できるものではありません。茨城方言もしかりです。
(4)方言ではない方言
1)古い言葉
茨城には、今や使われなくなった江戸の古い時代の言葉が多く残っています。標準語は、明治政府が政策として定めたものですから、それ以前の江戸時代の著名文書や狂言に残された言葉は、非標準語として捨ててしまいました。『素適も無い』などは、その典型です。
恐らく、今の標準語世界では、『素適も無い』と言っても理解されないしょう。
『すてぎもねー』とは江戸言葉の『すてきもねえ』を受けて生まれた茨城方言ですが両者にには、大きな違いはありません。
また、特に東日本の方言には江戸言葉の影響が強く見られます。それらの多くは、今でも俗語として数多く使われており、関東圏でもやや
汚い言葉として今もも使われています。『汚い』を『きたねえ』と言ったりする類です。これらの言葉は、本サイトでは方言として扱わないことにしました。一方、同じ江戸言葉の中には『絶対』を『ぜってえ』と言ったり、『大工』を『でえく』と言ったりするものは、今では首都圏ではほとんど聞きません。そのため、同じ江戸言葉であっても、方言か否かを識別しました。ただし、その境界は曖昧です。
2)僅かな意味の違い
方言書の中には、語形は標準語と同じで、意味辞書に書かれた意味と僅かな違いがあるため、方言として扱っているものが数多くあります。これは、正しい判断とは言えないと思います。その理由は、標準語の特定の言葉があって、その意味を辞書にある意味と同じ意味で説明できる人は少ないからです。その意味で、僅かな意味の違いがあっても、それらは、標準語とされるべきものだろうと考えられます。本サイトでは、これらの取り扱いについては、語形が同じであれば標準語として取り扱っています。
たとえば、多く茨城方言とされている『でれすけ』は、@色香に迷いやすい人(男)、Aだらしが無い人(男)、しまりが無い人(男)、Bでれでれしている人(男)、C駄目な人、ろくでなし等の意味で使われていますが、標準語では、@ABの意味で、唯一Cの意味が茨城弁となりますが、僅かな意味の違いであり、標準語と定義されている言葉が、標準語圏ではあまり使われなくなり、茨城では現役で使われている言葉とも言えます。本サイトでは、これらの取り扱いについては、僅かな意味の違いの場合は、標準語として取り扱っています。
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4.参考文献
研究論文や方言書・方言辞書に示された方言に関する情報は、調査年度や調査方法を十分に吟味しないと、あまり鵜呑みするのは危険なことがあります。特に、発音表現については、もともと日本語の発音表記は標準語によっていますから、調査者が、耳で聞いた発音をどのように表現するかといった調査のルールが、詳細に定められていない研究報告などは、やや怪しいと考えるべきでしょう。これは、文献主義による事が多い方言書は、それをそのまま引用していますから、事実は同じです。例えば、東北方言を中心として議論される『い』と『え』の区別は、加藤正信の『方言の音声とアクセント』、大石・上村編『方言と標準語』では『区別せず「え」に統合』と表現されています。ところが、『茨城方言民族語辞典』では、『え』項を設けず『い』項1本に絞っています。このようになってしまった理由はひとえに標準語を基本にして方言を議論するからだと思われます。
研究が進んだ琉球方言等では、新たな発音記号まで生み出されていますから、方言学の世界では、茨城方言を標準語発音で片付けようとしたところに、混乱が生まれる原因があったのではないかと思われます。東北や沖縄で顕著なカ行音がタ行音に変化するしているのも、実は、標準語発音とは異なる発音だということは間違いないと思われます。
そうはいっても一度出版された文献の権威は絶大ですから、もともとは怪しいものであってもいつか、既得権が与えられてしまいます。そうして見ると文献もさることながら、今では、個人が発信する方言情報のサイトと権威ある方言書の価値はさほど変わらないのかも知れません。ここで紹介する方言に関する書籍は、信頼できるものですが、100%信頼に足りるとは言えないでしょう。
(1)茨城方言関連文献の参照
1)長塚節/『土』(大正元年:1912)
『土』に描かれた茨城弁は宝のようなものです。出版時に夏目漱石が関係しているので、かなり読者を意識した茨城弁であることは明らかですが、細かく読み通すと新しい発見が沢山あります。最近『土』を求めて著名な書店に行ったら、在庫がありませんでした。本当に残念です。今後その他の作家の文例も紹介していきたいと思っています。
長塚節は結城の生れですから、当時の方言が解るとともに、土浦方言との比較も面白いと思っています。
ところで京都橘女子大学の宮島達夫先生がが2000年に著した『日本語の<危機>』 には『茨城出身の作家・長塚節には『土』という小説がある。ここに出てくる方言20語について、半数以上の人が知っているとこたえたのは、7・80代
12語/5・60代 9語/3・40代 6語/20代 1語 だった。『土』の執筆は1910年であり,現代方言というより,すでに方言史の資料に近くなっているのである。』というくだりがあります。『土』の方言は県西部方言ですから他地域とは若干の差異があるとしても、この100年の間にいかに標準語化が進行したが解ります。
『土』は、今では難解な小説の部類に扱われていますが、私はむしろ、当時の茨城方言の実態に対しては、長塚節はかなり読者を意識して、可能な限り標準語に近い表現をしていたと思っていますし、また、当てられた漢字の妙を得た表現は、長塚節の努力や天才性を感じさせます。
ただし、中には、解釈が難しいものがわずかにあり、その場合はその旨を明記するようにしました。
本サイトでは、『土』に書かれた方言を可能な限り漏れなく紹介したいと思っています。
2)新編常陸国誌(明治32年)
常陸国誌を補なう形で編集した常陸国の総合史誌。江戸末期に編纂されましたが、実際に発刊されたのは明治32年です。第2巻の「風俗」の項に江戸時代の茨城方言収められています。茨城方言だけをまとめた文献としては最も古いものです。
これによって多くの江戸時代に使われた茨城方言が昭和30年代にも使われていたことが解る他、江戸時代にすでに使われなくなっていた茨城方言の記載もあり、さらに現代では標準語となっている言葉が、当時は方言として認識されていたものもあり興味は尽きません。
方言書には珍しく、標準語との関係が数多く記載されています。茨城方言集覧と一致する言葉が沢山ある一方、使用地域の解説が少ないのは残念です。 参照語は、□マークで掲載しました。
3)茨城方言集覧
明治37年4月に茨城教育協会が発刊した『茨城方言集覧』の内容を参照し紹介しました。『茨城方言集覧』は茨城弁のバイブルです。引用したものは▲印で明記しました。同じ方言が明治44年に発刊された『茨城百科全書』にも掲載されていますが、若干内容が変わっているようです。採取地は当時の自治体の呼称によっています。
『茨城方言集覧』(以下集覧)は明治政府の国策の中で国語の統一を目的に、県下をくまなく調査し、望ましく無い訛りを集めたものです。言わば訛りの矯正のために当時の国語教師達の指導要領でした。目次を列挙すると、第一:国語の統一、第二:方言矯正の注意要件、第三:茨城県にて矯正すべき方言 とあります。
それが、今になると貴重な民俗資料となってしまった訳です。それ以前の茨城方言限定の辞典的な文献は今のところ見当たりません。さらに遡れば万葉集の『東歌』や『防人の歌』、古今和歌集の『東歌』に至りますから非常に貴重な文献です。
『集覧』を見ることで、明治時代の方言が昭和40年前後の土浦地域にどれだけ残っていたか、またどのような言葉が廃ってしまったかを知ることができます。また、明治時代の茨城県内の他地域と当時の土浦地域の方言の関係を考えるのにも役立ちます。
文面の構成・表現等の関係で、標準語訳の内容は必ずしも一致しません。国立国会図書館のデジタルライブラリーでネット公開されている初版本を参照したため、画像がやや不鮮明で読み込めなかったり解説文が難解なものについては、後記の『民俗』に掲載された内容と照合したうえで万全を期すようにしました。
『集覧』には、各々の方言に採集地が当時の自治体の呼称で記載されています。今の自治体構成とはかなり異なりますが、茨城県民であれば大凡どのあたりか解ると思います。採取地の解説は備考覧に示し『集覧:○○』と表現しました。区分は以下の通りです。
東:東茨城郡 西:西茨城郡 那:那珂郡 久:久慈郡 多:多賀郡
鹿:鹿島郡 行:行方郡 稲:稲敷郡 新:新治郡 筑:筑波郡
真:真壁郡 結:結城郡 猿:猿島郡 北:北相馬郡 水:水戸市
無記載:茨城県庁調査案及び新編常陸国誌に掲載されているもの
また、記号だけあって区分が無いものは、『方言矯正の注意要件』の中で紹介されているものです。
『集覧』をよく読みこむと、特定の方言が備考覧明記された地域にしか無いということではなく、本来の目的である『国語の統一』を主眼にたまたま採取した土地の名称を記載したことは明らです。一方では、大まかな傾向が伺えます。今も残る古語や近世語が当時しっかり残っていたことが解ります。
この結果、ほぼ同時期に『土』で描かれた旧猿島郡の方言がいかに読者を意識して平易な茨城弁表現に徹して作られたかが解ります。
『土』に見出しえなかった明治期の茨城方言の印象は次の通りです。
@昭和40年前後の方言と全く同じ方言が沢山ある。
A時代の変化によって僅かに変化したものが散見される。
B土浦地域では全く消え去ってしまった方言が少なからずある。
第2章の『方言の矯正』の項目の概要は以下の通りです。
1)教師は常に、正確、明瞭、優美なる言語の模範を示し、方言を混用してはならない。
2)国語教育では、他の教科でも注意すべきである。
3)話し方の練習と共に聞き方の練習にも励むべきである。
4)発音を正しくすべきである。(この項でかなりの事例が紹介されている。)
この4節に以下の下りがある。『幼い者あるいは地方の如何によりて特別に注意するもありとす。ズ及びヅ、ジ及びヂ、カ及びクワ、ガ及びグワについては、その区別無き地方にては、これを区別するに及ばざるなり。』。
この一節が描かれた理由は、明治政府がいよいよ充実した頃に、各地に残っていた方言駆逐の政策=国語の統一の政策によって定められたものであろう。この時に『ずとづ、じとぢ、そして古くからあった二つのか行音』が一つに統一されようとしたことになる。しかし、このうち『ずとづ、じとぢ』の識別は、以後も曖昧で現在に及んでいる。
5)清音・濁音の区別を正しくすべきである。
6)音色(イントネーションと思われる)をただしくすべきである。
この補足に、『釜』と『鎌』、『好み』と『木の実』を区別するがごとしとある。
7)音量(長音・単音の意味と思われる)を正しくすべきである。
学校→がっこ、生徒→せいとー が例にあげられている。
8)不要な音(余剰音)や短縮化に注意すべきである。
五合→ごんごう、ひと→ひとっこ、ノコギリ→のこ、つば→ツバクロ が例にあげられている。
9)格助詞の連母音変形を避けるべきである。
明日は→あしたー、今度は→こんだ、あなたはなにをするか→あなたーなにゅーするか が例にあげられている。
10)動詞の熟語を正しく言うべきである。
僅かな例だが、例えば、打ち叩く→ぶっぱたく、押し倒す→おったお(ふ)す、引き張る→引っ張る、突き出す:つんだす、掻き払う:かっぱらう、踏み飛ばす:ふんどばす が例にあげられている。いわゆる訛り(方言ではない)形をすべて否定しようとした明治政府の意志が見えるが、そもそも学術的にオリジナルが意識されていなかった文化的に幼い時代の考え方であろう。現代標準口語では『引っ張る』ことを『引き張る』といったり、『かっぱらう』ことを『掻き払う』などとは言わない。
ちなみに、2006年現在、ネット上のヒット数は、『ぶっぱたく』は24件、『おったおす』は1件(当サイト)、『ひっぱる』は516000件、『つんだす』は75件、『かっぱらう』は17300件、『ふんどばす』はたった6件である。
11)文法上の活用形を徹底するべきである。
例えば『拾う』ことを『ひらう』と言うような如し。
12)子供達が使うべき言葉を統一して、それに習うようにしなければならない。ことに代名詞は重要である(例示表がある)。
13)方言と標準語の対照表を作り、これを印刷して児童や家庭に配布したりあるいは必要な場所に掲示する等絶えず児童に徹底する。
尚、『茨城方言集覧』は、1975年に復刻版が発刊されました。本サイトではその内容は参照していません。後記の『茨城方言民族語辞典』に掲載された、『茨城方言集覧』を出展とした語句の表現や意味の解説には多くの差異があり、復刻版によるのか、『茨城方言民族語辞典』の編集者が実態に応じて是正したかは不明です。実際、初版本の『茨城方言集覧』の語句表現の一部には違和感があるものがかなり含まれ、また解説文が明治期の言葉を使っているので、中には難解なものがあります。語句に差異がある場合は、初版の語句と『茨城方言民族語辞典』に示された語句を併記しました。解説文に差異がある場合は、新しい『茨城方言民族語辞典』の解説を優先しました。また、この本には、望ましく無い言葉としての標準語が沢山含まれていますが、それもあわせて掲載しました。
4)茨城百科全書
明治44年(1911)に発刊された百科全書。井川作之助。土浦町(茨城県)。概ね『茨城方言集覧』と一致するが異なる語彙もある。
5)茨城方言民族語辞典
『茨城方言民族語辞典』は、民俗文化や慣用句・動植物その他過去の文献のあらゆる情報が3万語に及ぶ量で掲載されています。一部の単語には語源解説に相当する漢字が当てられています。また、ひとつひとつの言葉毎に文献調査によるものはその出展文献名と出版時(1991年)の採取地域名が記載されています。この1冊があれば、古今東西の茨城弁に関するデータが全て揃っている(『日本方言大辞典』を除く)とも言える本です。現代の茨城方言のバイブルと言えるでしょう。
この本を参照して茨城弁の奥深さを感じた一方、今まで手元にあった文献には掲載されていなかった、おびただしい数の当サイトの言葉が裏付けられ始めています。恐らく今の若い方々には、所属自治体が発刊している茨城方言集を見ても知らない言葉ばかりと思いますが、私がかつて日常的に使っていた多くの言葉が、古い時代には茨城県下で広域に使われていたことが明らかになりつつあります。一方、地域の関係性が見えて来ます。
動植物の方言のバリエーションの多さは驚くほどです。少しずつつ内容を拡充して、土浦市の片隅の上大津地区からスタートしたこのサイトを茨城全域に広げて行きたいと思っています。
引用の際は略称を『民俗』としました。他文献に掲載されていない語には◎マークをつけました。また採取地の名称は1991年当時のの市町村名です。
惜しむらくは、濁音と鼻濁音の区別が無いこと、原本の印刷状態が悪く、濁音と半濁音の識別が困難なこと、『じ・ぢ、ず・づ』の表記を統一して、『じ・ず』にしていることです。茨城方言には、かつては『じ・ぢ、ず・づ』の識別があったと思えるからです。また、『え』の見出しは無いため、他の文書の『え』の見出し言葉は、全て『い』に置き換えられています。
6)『土浦市史・民俗編』(昭和55年)
方言と民俗・文化・風俗・習慣は、切っても切り離せません。方言同様、民俗・文化・風俗・習慣にも伝承に伴う変位・変化があるからです。そのため、この方言集では、できる限りその内容を紹介するようにしています。巻末に土浦方言が紹介されています。
7)『土浦の方言(H9) 』・『続土浦の方言(H16)』
いずれも一般の方も含めて『方言研究部会』を組織して収集したものをベースに、『全国方言辞典、土浦市史民俗編、茨城方言民族語辞典、茨城ことば歳時記、茨城方言こばなし、中家ものがたり』を参照して、まとめられた方言集です。土浦市の文化的な活動の中で上記二つの方言集は、大変意義深いものです。茨城方言の『ガ行音』の濁音・鼻濁音の識別をした唯一の本でもあります。
『土浦の方言 』の巻末には、五つの民話(@にたにた地蔵、A河童に食われた狸、B原山の狐、Cむじなのちょうちん、Dどんころりん)が掲載されています。会話文を引用した場合は、濁音表現等含めて原文よりより茨城方言らしく編集しました。
『続土浦の方言』の巻末には、かなりの数にのぼる慣用句が掲載されています。全国共通の慣用句も含まれますが表現が異なるものもあります。
8)常陸風土記
全国の風土記は、出雲国風土記がほぼ完本で残り、播磨国風土記、肥前国風土記、常陸国風土記、豊後国風土記が一部欠損して残っています。その他の国の風土記も存在したはずですが、現在では、後世の書物に引用されている逸文からその一部がうかがわれるのみといいます(Wikipedia)。
茨城県の人達は、過去を知る資料が良い形で残っている全国でも極めて恵まれた環境にありますが、私自身小学校時代に現代語本を一度呼んだっきりで、その後、テレビ番組などで歌垣記憶だけが鮮明に残っているだけなので、せっかくネット公開されているのですから、今後再度目を通してみたいと思っています。
9)茨城弁今昔
根本本亮吉氏刊の『茨城弁今昔』は、土浦市の隣の筑波郡南部の方言が集められています。発刊も新しく昭和62年の出版です。万葉集の東歌の解説があることに特徴があります。
10)石岡誌
明治44年(1911)に発刊された石岡市の地誌です。方言のページは僅か1ページですが、石岡市が土浦市とほぼ同様の方言を話していたことが解ります。
11)なんだんべえ歳時記
茨城の言葉と風俗の本です。月毎に特に風俗や文化に関わる方言を中心にまとめられています。茨城方言を学ぶ本というより、茨城の生活文化の本です。
12)常磐沿線ことば風土記
常磐線沿線で使われる方言をエッセイ風にまとめた本です。そのため、茨城方言だけではなく東京方言・千葉方言・福島方言まで含まれます。様々な切り口で論じられているので、読み物としても楽しめる本です。いくつかの方言に着目して利根川を挟んで茨城県側になると濁音化するという興味深い解説があります。
大半が茨城方言ですが、時には沿線以外の方言との比較も試みられています。以下、茨城方言の著名文献及び当サイトに無い言葉を列挙しました。中には、茨城方言としてもおかしくないものがありますが、県内のどのあたりで使われているか情報をお持ちの方は、こちらにメール下さい。
尚、太字の解説は、本サイトをご覧になった千葉県の方からの投稿をそのまま掲載しました。ここでの同辞書とは『手賀沼周辺生活語彙』(星野七郎編著)を指します。『常磐沿線ことば風土記』の中で茨城方言に該当しないものの多くが、常磐線沿線の千葉方言である可能性が高いことは概ね間違い無いと言えます。
・あすこらまし:あのあたり。『まし』は周りの意味か。/まったく同じように使っておりました。「あすこらんま(ー)し」という形のほうが多かったかもしれませんが。
・いけぐね:生垣。=『いぎぐね、いきぐね』。『くね』は生垣の古形。、『久根』は当て字のようで『垣・柵(くべ)』か又は『垣根』が転じたものとされる。/同書は「えけぐね」・「えきぐね」と。(『茨城方言民俗語辞典』とは逆に「い」の段がありません―普通「い」で始ると思われる見出し語は全て「え」の項に記載されています。)
・いちょきちゃ:おはじき。おはじきは、別名『きさご、きしゃご、いしなご、なんこ』と呼ばれるので『石おきしゃご』が訛ったか。
・えんどろえんどろ:曲がりくねった道を行く様。
・おちょこ:碍子。形状をおちょこに例えたものと思われる。
・おちょこ、かっきり:おはじきを使った男の子の遊び。
・おどろっぱしい:びくびくする様。/「おどろっぱし」として同辞書にあり。意味としては「驚きやすい、すこしの事でもすぐ驚く」と。
・かけっつぁり:係わり合い。『かかづらう』の名詞形か。
・かしんだま:ドングリ。『樫の玉』の意味。
・かっぱらい:ご飯に味噌汁をかけたものが僅かに残ったもの。
・きびや:木小屋。
・きりっぽ:桐。
・きをもったぐれえ:解説では、事例の直接的なもので『ほぼ同じだが少し大きい感じ。』とある。当てた文字は『気をもったぐれえ』である。私には『毛を持ったぐれえ』=『毛を持った位』と聞こえる。
・くそぶんぶん:コガネムシ。価値の無い『カナブンブン(カナブン)』の意味と思われる。
・くびっつね:首筋。『首の脛』の意味か。通常は、『くびっつる』と言う。
・ごぜんまめ:サヤエンドウ。高貴な豆か、食事向きの豆の意味か。
・こそあめ:小雨。『こそこそと降る雨』か。/同辞書にもそのまま。また「こそこそあめ」とも。貴下のおっしゃる通り「こそこそ降る雨」のことと思われます。
・さんぞくめし:麦・粟・稗で作ったご飯。通常『さんごくめし』と呼ぶ。『粟』(ぞく)には穀物の意味がある。
・さんまくどう:三叉路。
・しこてっぱら:腹いっぱい・たらふく。『しこたま』と『しこてこ』と『さんざっぱら』が混じった印象。
・じねえ:時間。
・しばっから:芝生。/『手賀沼周辺生活語彙』(星野七郎編著)にも掲載。
・じゃまげどう:邪魔。『じゃまっけど』と同じルーツの言葉。
・しゃりき:木こり。『車力』はもともと『大八車などをひいて荷物運搬を業とする人。』の意味。
・しょっぺ:醤油屋で働く人。『醤油兵衛』の意味か。
・すたれこく:みじめになる・みじめな様。『廃れ放く』意味か。/同辞書には「すだれこく」=仕方のない者、という形で。
・だあれ:違うよ。
・ちょこちょこむし・ちょこちょこえんよ:ツクツクボウシ。/同書も同じですが、「おおしんつく」のこととあります。私自身の場合は寧ろ「おーしんつく」、または「おーしんちょこ」です。
・ちゅーっぱ:大人になる手前の子供。
・つっかる:乗る。茨城では通常『いっかる』と言う。
・てのこぶ:物を手に載せて食べること。『手の窪』が転じたと考えられる。
・でろぼっけ:泥だらけ。/同書も全く同じ。私の田舎では(前にお伝えしたように)「どっとどろ」です。(恥ずかし乍ら最近のひとひねり:「まっかちを掴み眺むる子どっとどろ」。「まっかち」は確か「大きな挟みを持つオスのザリガニ」のことだったはずです。)
・てんけえ:真昼のように明るい様。
・どーじに:地面にじかに。/同辞書には「どおじ」=地面とのみ。
・とうふっから:おから。意味は解るが茨城では通常『とうふかす』と言う。
・とば:包丁。『砥』には、平坦な意味があり『平坦な刃の刃物』の意味か。
・どんのこ:綿入れ半纏。『布子』が訛ったと考えられる。
・とんぱち:茶碗酒。/同書に「冷酒を茶碗、コップ等で一気に飲むこと」とありました。「茶碗酒」も、それと同じように、要するに「一気飲み」になりましょうか。
・なっこ:お手玉。『何個』が訛ったものだろう。撥音が促音になるのは千葉方言に多い。
・にやくたい:荷厄介。
・のんのっと:ひっきりなしに。『どんどん』が訛ったか。
・のんぴょく:おっちょこちょい。『とんぴくりん』と同じルーツの言葉と思われる。
・ばけくち:甘ったれた口のききかた。
・はなっぽろ:食いしん坊。茨城県下では古河市で使われることが『茨城方言民俗語辞典』で確認できた。語源は解らない。
・ひょうなっこ:ひよっ子。/同書でも同じですが、「ひなっこ」のことで「未熟者、若僧、又は青二才」を意味するとのみ記しています。
・へそっころ:意地悪。『臍黒』の意味か。
・ぽうぽ:筒袖。
・まめいり・まめじ:性交。『まめ』は女陰または陰核である。
・むぐりっちょ・もぐりっちょ:カイツブリ。『ムグッチョ』と同じルーツなのは明らか。本来は『ムグリッチョ』なのかも知れない。『潜り鳥』か。/):『手賀沼周辺生活語彙』にも掲載。「かねっけり」「もぐっちょ」「むぐっちょ」とも。私の田舎では見かけない水鳥で、37年前現住所に引っ越して来て初めて出会いました。
・むしぶくれ:燃やし灰。
・めごめごしい:ものを欲しがる様。通常は可愛い意味で使われる。
・もっこたえる:もてあます・手に負えない。
・やいやいっと:せっせと。
13)茨城のことば 上・下
元NHKアナウンサーの茨城方言書です。テーマとなる方言を中心にエッセイ風にまとめられ、他の類似方言や他県の方言が紹介されています。
数ある茨城方言書の中で珍しく語源考察がされている本でもあります。遠藤忠男氏は、静岡県生まれ。茨城放送の設立に関わり、今は水戸市民でもあります。
さすがに元アナウンサーだけあって、言葉の知識の豊かさに圧倒されます。また多くの推察は、『らしい』という言葉を使って断定していないのは好感が持てます。
14)茨城県産魚類の方言について(第1報・第2報)
県立那珂湊水産高等学校が著した、茨城県の魚に関する方言の報告書です。
第1報は昭和38年に辞典形式で53ページ、第2報は昭和39・40年に魚の名称の由来について調査研究した報告書で164ページを要し、標準語として採用された言葉の採取地が書かれたりしていて興味深い。よくもここまで調べ上げたとしか言いようがありません。
動植物の方言は子供が関っている節がありますが、子供に理解し易い言葉とは何かと考えればそこには、方言のエキスがあることだけは間違いないでしょう。
魚の名称は今でも様々で、出世魚があることも理解しにくくしています。もともと、海は繋がっていますから単に県単位で分けられるものではなかったのでしょう。また、代表的な魚は出世魚に限らず稚魚と成魚では名称が異なることが多いのも実態としてあります。これは、昔からの漁師達の慣習だったのでしょうか。
寿司通が著名な寿司店に行って、その元の姿をどれだけ知っている人が居るのやら。それを知るには自分で釣ってしかありません。私自身、『くちぼそ』が一般に言う『モツゴ』とは知りませんでした。
寿司店に行って垂れ紙に書かれた名前をもし知らなかったら、素直に聞いた方が良いのかも知れません。元の形を知らないのに味だけ論ずる方はいかがなものでしょうか。
現在では名称が茨城県立海洋高等学校に変名したようです。
15)茨城放送:IBS『茨城弁よかっぺ教室』
ラジオ放送局の茨城放送が提供する番組です。茨城弁の代表的な言葉を学ぶことができます。茨城大学の川嶋秀之助教授がゲスト出演されている茨城方言の番組です。2006年7月に放送開始し放送が重ねられ、学術的でありながら、平易な説明で解り易い番組です。県外の方だけでなく、県下の方々にも面白い番組だと思います。2008年3月122回で放送終了しました。今でも、ポッドキャストで聞くことができます。
茨城方言と言われる言葉には、@上代からある言葉であったり、A東北系の言葉であったり、B関東の特徴的な言葉であったり、C茨城弁に特に特徴的な言葉であったりすることが、一般の茨城方言サイトとは異なり、解りやすく説明されています。本サイトの目指すところと一致する部分が多くあります。茨城方言の大半のサイトは茨城中心ですが、本サイト同様にもっと広い視野に立って見る必要があることを確認できるサイトです。
川嶋秀之助教授の僅かな訛りのある言葉も、かえって好感を持つことができ、優しい心が伝わります。
茨城方言は、大半が必然的に生まれたもので、決して特別な言葉ではないことを認識できます。
一方、当サイトで紹介している茨城方言にはすでに廃れたものが沢山ありますが、この放送では実用性を意識して現代茨城方言を中心にしているようです。
16)茨城放送:IBS『とことんいばらき』
県下にある大字単位(2827字)の地域を無作為に選びぶっつけ本番で取材報告する番組です。2006年7月に始まり回を重ねています。生の茨城弁に触れることができるます。生の茨城方言に親しむためには、特に助詞・助動詞の知識が必要ですから、本サイトが役立つと思います。
この番組は、特に他県の方にとって貴重な番組だと思います。また、このようにして記録された茨城方言の記録は、いずれ間違いなく貴重な文化資料となることは間違いありません。
この放送でつくづく感じたのは、高齢者は昔の茨城方言をそのまま語っていると考えるのは大きな間違いで、高齢者も間違いなく標準語の影響を受けて、過去の茨城方言は、かなり衰退しているのは間違いありません。日々、標準語のテレビに晒され、若い世代とのコミュニケーションを果たすためには、語部でもなければ言葉は変化するでしょう。それでもかすかな言葉の端々に昔の茨城方言を垣間見ることができることは幸いです。
この番組の初回に、プロデューサーにより以下の特殊な地名が挙げられています。この中には、アイヌ語と思われるものがあり、興味深いものです。
竹来:たかく(阿見町)、女方:おざかた(筑西市)、堅盤:かきわ(常陸太田市)、北袋:きたぷくろ(つくばみらい市)、直鮒:すーぶな(龍ヶ崎市)、木葉下:あぼっけ(水戸市)、高道祖:たかさい(下妻市)、子生:こなじ(鉾田市)、手子生:てごまる(つくば市)、ナメシ(ひたちなか市)、上河原崎下河原崎入会地(つくば市)。
17)ネットで公開されている茨城方言の肉声。
・you tube-茨城方言−クチハビの話。
18)水海道方言の4つの斜格:筑波大学の佐々木冠氏の学術報告書。1995/1999改定公開。
茨城県内の水海道市の方言を調査した研究書で格助詞『がに、げ、さ、に、え』をテーマにしている。
『がに、げ』の存在は、長塚節の小説『土』にもしばしば登場する格助詞でもあるが、数多くある茨城方言書にはこれらの記録が極めて少ないため、さらなる研究結果が期待される。
19)シリーズ方言学2:方言の文法:岩波書店。佐々木冠。
これには、茨城方言と八丈方言の類似性についての言及がある。
20)シリーズ方言学4:方言学の技法:岩波書店。
(2)全国の方言文献
1)日本方言大辞典
茨城方言のうち難解な言葉や典型的な茨城方言に限定して、『日本方言大辞典』の参照しています。『日本方言大辞典』に掲載されているものは、▼印で示しました。本サイトに掲載した方言は、すでに茨城弁を理解するための骨子は十分に整えたと考えています。いずれ、全国の方言と茨城方言との関係をひもとくために、必須の辞典と考えていますが、当面は部分参照で十分と考えています。
いずれ、全面参照することををライフワークとしたいと思っています。
2)日本方言辞典
『日本方言辞典』(日東書院:標準語引きの同名の小学館の辞典とは異なる)は、農村研究家の谷本たかし氏が監修したもので、。コンパクトな全国方言の辞典ですが、日本各地の代表的方言を知ることができ、かつむしろ明快にその関係性を知ることができます。
この本を参照して気がついたのは、茨城独自の方言だと信じていたものが、隣接する県以外にも存在している例が沢山あることでした。また、広域に分布する言葉の多くが実は古い言葉であることも解りました。関東・東北県の方言は、間違いなく茨城方言に近いのですが、関西の地方部になると、全くルーツが異なると思われる言葉が山ほどある一方、こんなに離れたところでも言葉は繋がっていると感じさせられました。茨城弁を正しく理解するためには、他県の方言の情報が不可欠であることを感じました。掲載語は△印で表しました。
時々、これに掲載されている言葉をネット検索するようにしていますが、かなりの言葉が現代では消えてしまっているようです。
3)日本言語地図・方言文法全国地図/国立国語研究所
日本言語地図を参照し、茨城弁を中心に解説する作業を開始しました。日本言語地図は、1957年から1965年にかけて全国調査されたものです。300語近い言葉について全国をくまなく調査されています。さらに1980年代に方言文法全国地図の調査が行われ、そのデータの一部がネット公開されています。国立国語研究所の調査による茨城弁は、●マークで示しました。掲載された方言を紹介するとともに、他県との関係の中での茨城方言がどのような位置づけになるかを紹介します。ここでの出展は勝手ながら、『方言地図』の名称で略しました。
この日本言語地図と方言文法全国地図は国の総力をあげて調査したことがよく解ります。今まで、当茨城弁集の掲載語で公式な文献に紹介されていなかった(いないと思っていた)言葉が、これによってさらに増えつつあります。また、ネット公開されている一般的な方言サイトは、各々の地域の言葉の情報発信が主体なので、この調査結果によって、様々な文化圏が見えてきます。関係性を確認できるのは、このサイトしかありません。しかもビジュアルであることに意義があります。また、方言文法全国地図のように、文法まで立ち入った調査は無かったので、方言文法全国地図の意義は大変大きいと思われます。
4)日本方言の記述的研究/1959年/国立国語研究所
全国15市町村(北海道桧山郡江差町・山形県北村山郡東根町・千葉県館山市竹原・神奈川県愛甲郡煤ケ谷村・石川県金沢市彦三一番町・愛知県西春日井郡北里村・奈良県磯城郡織田村・和歌山県東牟婁郡高池町・兵庫県高砂市伊保町・愛媛県宇和島市・大分県大野郡川登町・宮崎県西臼杵郡日の影町・鹿児島県薩摩郡高城村・鹿児島県揖宿郡頴娃町・鹿児島県西之表市西之表)に絞った方言研究報告書。残念ながら茨城県は含まれていない。
5)社会構造と言語に関する基礎的研究(1)親族語彙と社会構造/1968年/国立国語研究所
主に福島県を中心にした親族語彙語彙の研究報告書。
6)社会構造と言語に関する基礎的研究(2)マキ・マケと親族呼称/1970年/国立国語研究所
親族語彙のうちまき・まけとその類義語を中心にした全国方言の研究報告書。
7)社会構造と言語に関する基礎的研究(3)性向語彙と価値観/1973年/国立国語研究所
性に関わる語彙に限定したちょっとマニアックな研究報告書。
8)各地方言親族語彙の言語社会学的研究(1)/1979年/国立国語研究所
主に家族を指す方言を扱った全国方言の研究報告書。
9)稲むらの蔭にて/折口信夫/1916年(大正5年)
全国の稲叢を指す方言を集めて、語源に迫る。
10)ナモシの分布/橘正一
夏目漱石の「坊ちゃん」で一躍有名になった愛媛方言の「なもし」は、実は全国的に類義語があることを説いた研究書。
11)人形の方言/橘正一
12) ふるさと日本の言葉
NHK教育番組(2000.04.09〜2001.03.25放送)で放送した内容から、全国の方言をまとめてネット配信しているものです。このサイトが何故貴重かといえば、過去の数々の方言書に欠落していた助詞・助動詞が生き生きと記録されていることです。またこの放送は、全国方言のほんの一部を紹介したに過ぎませんが、2000年現代に残された生の貴重な方言記録でもあります。
(3)江戸時代等の文献
1)物類称呼/江戸時代の全国方言書
『物類称呼』は江戸時代中期に越谷吾山が編集した方言書です。方言書としては最も古い文献と言われ、方言研究のバイブルになっています。この中には、他文献の引用が随所にあり合わせて興味深い本です。
現代の学校では、古語はほとんど上代語を学びますが、改めて江戸時代の言葉を調べると現代語とあまり変わらないことが解ります。一方で、現代標準語は江戸時代の江戸言葉が大半を示すものの一部の言葉は西国方言があるのは、明治新政府の中に深く関わった薩摩や土佐・広州の権力者の影響があったのでしょうか。また、様々な文献でその考え方が主張されているのは興味深いと思います。
一方、現代の国語辞典では、明治以降の方言は明らかな方言として明記されていますが、江戸以前の方言については歯切れの悪い表現になっています。万葉集の時代の東国方言がきちんと明記されているのは幸いです。言い換えれば、江戸以前は、全国全ての言葉がおおらかに迎えられていたのに、明治以降に突然排斥すべき言葉として方言が駆逐されたためであることは明らかです。そのため江戸時代の言葉は方言なのかどうかが明らかなものとそうでないものが渾然としています。これは理屈から云えば当然のことで、江戸時代には、『お国言葉』として許容されていたからでしょう。
一方、動植物の解説にもかなり詳しいのですが、『一種〜』という表現が多いように種類別の厳密な呼称と捉えるには危険がありそうです。
数ある方言書は必ずと言って良いほど、この『物類称呼』の掲載語がありますから、現代も使われているかどうかは解りません。茨城方言については、実態を知っていますから、今も使われているかどうかについて明記しました。
2)俚言集覧/本サイトで最も重視している文献
江戸時代の国語辞典で、全国の方言も数多く掲載されています。物類称呼に先立って60年前に著されたものです。ここで俚言とは、雅言に対する言葉で、広辞苑に『@俗間のさとびたことば。A標準語とは異なる、その地方特有の単語。土地のなまりことば。俗言。俚語。』とありますが、概ね@の意味で命名されたようです。明治33年(1900)に再編纂されたため、物類称呼の引用があります。また、小動物や動植物の解説が豊富なので、興味のある方にはお勧めの本です。
また、日本語の表記は、古語や近世語では、前後の関係で清音書きしてあっても濁音読みすることがありますが、この本を注意深く読むと、かなり正確に書かれていることが解り、濁音か否かが茨城方言の分かれ目になることを考えると貴重な本だと言えます。
ちなみにこの本では方言の定義を『其土地ごとに言いはやす詞をいふ』としています。また併記して『「兎園小説(滝沢馬琴等が著した随筆集)」隠語のうち方言は、出羽にてアイベチャ、コイチャ、ゴザモセチャ、大和にてイゴサレ、ソウハツチヤカタツカ、ケンズイ、ヱソマツリと言へる類にて、因にいはず都下にて無頼の徒の常言を目してセンボウと云ひ、銭なきをひってんといへるなと、挙ぐるに遑(いとま)あらず、これ一種の方言ともいひつべし。』とあります。出羽言葉の三つが今でも生きているかどうか不明ですが、茨城方言を応用して考えれば、『アイベチャ』は『行こうよ』、『コイチャ』は『来いよ』、『ゴザモセチャ』は『おいでなさい』とでもいう意味なのでしょう。現代語の『だ』の萌芽期の言葉を思わせ、『〜ちゃ』が『〜じゃ』に変化したのではないかと思わせる。大和言葉はさっぱり解りません。『いごされ』は茨城方言の感覚では『おいでなさい』に聞こえるのですが土佐方言の『いごっそ』と関係があるのでしょうか。このうち『ケンズイ』は辞書に『間水・硯水・建水:定まった食事時以外の飲食。特に、昼食と夕食の間の飲食。おやつ。』とあり、『ひってん』は、『(江戸時代の流行語) 無一物(ムイチモツ)。金銭のないこと。貧乏。略して、「てん」とも。』とあります。方言の中には、その土地に生まれた流行語が定着した時、初めて方言となるというような現象を連想させ、現代の新語もまたそのような渦の中でもまれて多くが消え去って行く図式を思わせます。
この本は3巻あり全体で二千ページを遥かに超える大書なのですが、読み通す価値は十分にあると思います。今までてっきり茨城独自の方言だと思っていた言葉が続々と近世語であることが判明しつつあります。
改訂版の『俚言集覧』は明治になってから発刊され、江戸言葉の集大成を目指したように思われます。江戸時代に著された著名辞典が網羅されれおり、現代の著名辞典のバイブルです。参照するる過程で、明らかな誤記と思われるものがありましたが、これは孫引きの宿命でしょう。
3)本草啓蒙
明治15年(1883)に著された動植物の辞典です。原本はほとんど漢文によっており、実際の引用は俚言集覧が引用したものを参照しました。
物対称呼同様に、動植物の詳細区分になると、『一種〜』という表現が多いように種類別の厳密な呼称と捉えるには危険がありそうです。大らかに解釈すべきようです。
4)俗語考
橘守部が江戸時代に著した江戸時代の俗語の辞書です。実際は雅語(正しくよいことば。洗練された言語。特に、和歌などに用いる古代(主に平安時代)のことば。)に対する俗語を指し、当時の口語を主題にしています。かなり学術的で、過去の文献の引用にあふれていますが沢山あります。うわづら文庫でネット公開されています。物類称呼より少し前の本です。方言は古い時代の言葉を残していますから、本サイトに興味のある方にはお勧めです。
5)浪花聞書
江戸時代後期に著された大阪言葉を中心に江戸言葉を比較した本をネット公開しているものです。茨城方言だと思っていた数々の言葉がこれに含まれています。
6)国語と国文学(1946)第20巻の中の『明和期の江戸語について』(小田切良知)の参照
明和とは江戸中期の年号で、1764年〜1772年間を指します。明和期の洒落本の『郭中奇譚・遊子方言・辰巳の園・両国栞』、笑話本の『鹿子餅・楽牽頭・聞上手』等を題材にそこで使われている文法を中心に、上方語との違いも論じられています。小田切良知は明和期を江戸語が生まれた最も古い時期としています。3編の短い論説ですが、辞書には無い言葉がかなり掲載されています。また、当時の江戸語の流れと思われる茨城方言が数多くあることが解ります。
使役の助動詞『す』の連用形『せ』が『し』になることについて『読ませたと読ました』の項を設けています。
またそのくだりの一部に『江戸語は混血児である。それは種々雑多の方言の影響を受けたであろうが、最も多く且つ濃く東国語と上方語からその血を引いている。(中略)上方語は江戸語の祖先なのである。』とあります。言葉の起源を考える時、しばしば一方通行の考え方をする学者が多い中で、この考え方は誰もが納得できるものでもあります。江戸語は、東国語を母体としながら、江戸中期頃までは父としての上方語の影響を残し、地方から参勤交代でやって来る大名の種々雑多な方言の影響を受けながら、その後日本の要の都市としてますます進化して、現代標準語の基礎となったと考えられます(勿論明治維新以後、明治政府の中核を成した関西以西のブレーン達の政治的な圧力によったものもあるかも知れませんが)。昭和30年代の茨城方言には上方語と考えられる言葉が残っていました。茨城方言は、江戸語に比べ悠に200年遅れて江戸語の領域になったと言えるのかもしれません。茨城方言とは江戸語同様に、東国語と上方語を父と母としながら、例えれば兄弟としての東北方言の影響を強く受けた言葉であると同時に、東北の地理的な関所として東北方言にも大きな影響を及ぼしたと考えられます。
7)日本釈名
貝原益軒が元禄時代に著した日本語の語源書を参照しています。うわづら文庫でネット公開されています。日本語の語源が小気味よく解説されているのは、読むだけでも面白いものです。音韻を重視し、どれもがなるほどと思わせる内容です。改めて貝原益軒は天才だったと思わせる本です。
現代では、この本が有力な語源説のバイブルになっているようです。貝原益軒が著した本をかつて読むことなど考えられませんでしたが、良い時代になりました。中には、茨城方言の成立に関わるものも少なからずあります。
ただし、淡々と導いた答えを全て鵜呑みにする事は危険だと思われます。日本語の語源は諸説様々あり、例えば『蟻』については『多く集まる虫であるから、アツマリの中略』としていますが、歩くことを『ありく』とも言うことから、『良く歩く虫』の意味ではないかと私は思いたいと考えていたら、『和句解・紫門和語類集・日本語源』でも同様の説をとっています。ちなみに茨城方言には『ありんど』『ありんどん』があります。『蟻殿』が訛って『ありんどん』となり詰まって『ありんど』となったと考えることも出来ますが、『ありく人』即ち『歩く者』の意味が『ありんど』になったとも考えられ、そんな見方でこの本を読むのも楽しいことだと思います。
8)雅言考
橘守部が江戸時代に著した雅語の解説書です。茨城弁の関連書と言うより古語の解説書です。一般の古語辞典は淡々とした訳しかありませんが、語源を含めて詳しく説明され、読み物としても楽しい本です。ざっと参照していますが、茨城方言と直接関係があるものは数多くはありません。
ちなみに『雅言』とは、広辞苑に『正しくよいことば。洗練された言語。特に、和歌などに用いる古代(主に平安時代)のことば。』とある。
9)東雅
新井白石が江戸時代に著した語源書です。ざっと参照していますが、茨城方言と直接関係があるものは数多くはありません。
10)浮世風呂
式亭三馬が著した滑稽本です。江戸時代後期の江戸言葉を最も良く残した文献と言われます。以下は、田舎者の三助なる人物が語る場面。原本は漢字の読みが煩わしいのですが、読みの中に訛りがあるものも少なくないので、旧仮名使いのままなるべく残しました。茨城方言に関係の深いものは数は太字表現としました。斜字の『もの』は文を整える間投助詞で現代語なら『それで、それでね』の意味。直訳すれば『もう、なあ』。
この部分を読んだだけでも、現代の茨城方言といかに共通するものがあるかが解ります。この表現は江戸時代のいわゆるステレオタイプ(常套的な形式)の方言とも言うべきもので、当時の江戸周辺の田舎言葉であり、東関東方言と西関東方言が入り交ざった言葉とも考えられますが、江戸言葉が、もともと上方語の影響を大きく受けていることから見て、古い時代の関東言葉こそ、このような言葉であったと見ることも出来ます。。
『もの金(かね)を蓄(こせ)ゑべい云(て)って、山事(やまごと)は悪い事(こん)だね。私(わし)い国さ居た時、珍事てう如(やう)な事が有っけえ、斯(こう)でえ、何(あん)云(ちう)がな。己方(うらあはう)で山の芋(よも)と云(い)ひます。
(中略)もの夫(すん)で其(すん)で其(その)、山の芋奴(よもめ)が、鰻い成ったあだ。
(中略)尤もはあ、五体(ごてえ)揃ってでもねへ。半分(ふはんぶん)が山の芋(よも)で、半分(ふはんぶん)が鰻っ子だあ。其処ではあ、猟師い、其ゑ見て、魂消(うったまげ)ただあ。何(あん)でも山神殿の祟りか、蟒蛇(うわばみ)だっぺい*1)。蟒蛇(うわばみ)の化けねへ所が、魔性の物に違(ちげ)ゑねへ。打殺(おっころ)さあ*2)手もねえ事(こん)だが、臨終しねえ時やあ、気味(きび)悪(わり)いと。何がはあ、村内(むらねへ)打寄(うっちょ)って、評定(へうでう)んした所が、もの曾根村の松之丞殿(まつのぜうでん)云(ち)う人(ふと)は、神功(じぐう)皇后様の時分から、代々(でえでえ)続いた博識(ものしり)だあ。斯(この)世開闢(ふはじまって)からのことを、何でも知らぬへ云(ち)うことのねへ人(ふと)だあから。はあ松之丞殿(まつのぜうでん)雁首のう打っ傾(かた)げて、墨々然(まじをりまじをり)見て居っけえ、さあ堪(たま)んねへ考へたあ。是(これ)へ鰻だと。鰻が間違ったら、生神(おばすな?)殿離(ふはな)れて、代々(でへでへ)住居(すまゐ)のうした此(この)村内(むらねへ)に住(すまは)ねへ法(ふはう)もあれ、山の芋(よも)鰻に成ったがなもの、鰻が山の芋(よも)に成ったがな、二つ(ひた)つ一(ふと)つの内(うち)だあ。御禰宜殿の占(うらねへ)も、市子(いちっこ)の笹叩(ささばた)きも要らねへ。鰻だあ。蟒蛇(うわばみ)でねへ。もの然(さう)だけども、雀海中(けえてう)に入(い)って、蛤(ふあまぐり)と成る云(ち)う事(こた)あ書物にもあるが、山の芋(よも)が鰻い化けたことは、庭訓(ていきん)の往来(わうれへ)今川了俊(れうしん)、其(その)他(ほか)雑書にも、年代記(ねんでへき)にも見当たらねへ事(こん)だと云(い)っけえ。何がはあ、山師云(ち)う者(もな)あ、何耳(なにみみ)だあがな、早(ふはや)く聞付(ききつ)ける者(もん)だあ。此(この)事をがら打(うち)知って、直(すぐ)はあ熟談のう為(し)た所が、小判二十両だあ。其(その)二十両さ村内(むらねへ)へ割(わ)っ付けて、濁酒だあの、居浸り餅だあの、何でもはあ三日正月(しゃうがち)で祝(いわい)っけえ。
さて其(この)山師殿だて。何がはや、今度見世物の太夫(たよふ)殿た云(つ)て、四角(しかき)い箱さ入(い)って、開帳場(けへてうば)の大金(おほがね)え、儲(まう)けべいと思って、大方(あうかた)普請のうして、さあ、始めべいと為(し)た所が、さて変(ひょん)なことがあるもんだ。(中略)いやはや腹筋(ふはらすぢ)い捻(よ)る事(こん)だて、もの半分(ふはんぶ)鰻だと思った山の芋(よも)奴(め)が、普請中(ふしんぢう)の日数(ふかず)さ経た内に。芋(よも)の形が全(がら)無く成って、皆(みん)なはあ鰻に成って了(しま)ったあ。半分(ふはんぶん)山の芋(よも)だ物が、全(が)ら鰻い成った物(もん)だから、彼方(あっちい)ぬたり、是方(こっちい)のたくり、抓(つか)むべいとしても指(よび)の股さ、ぬるぬるぬる這出(かんで)えて*3)、にょろをりにょろをり鰻い昇りい為(す)るだあ。さあ*4)魂消(たまげ)めへ物(もん)か*5)。強烈(がせうぎ)*6)に掻抓(かっつかん)だらおっ死(ち)ぬべえ、土い埋めたら鰻い死(をち)て、芋(よも)にでも成るべいが、山の芋(よも)にべい成っちゃあ元価(もとっこ)*7)にならぬへ。(中略)何(あん)にしろ、肝心の太夫(たよう)の正体(せうてへ)が解んねへから、打魂消(うたまっげ)た*8)の、何(あん)のぢやあねへ。さあ*4)山師殿大(おほ)きに目算違(ちげへ)だ。小屋掛(が)けから何から三十両べい損のうして、焼けの焼八(やんぱち)い起こして、其(その)鰻さ焼(ねへ)て食ったげな。一串(ふとくし)の割付(わっつけ)三両二分何分(なんぶん)と成る。高(たけ)い鰻だあ。三十両の蒲焼い一人(ふとり)で食らったあ、欲の皮が引張(ふっぱっ)ってさぞ剛(こわ)かったんべい。』(26P-29P)
*1)『ぺ』は『べ』の可能性がある。
*2)『さあ』は『すは』の意味。逆行同化。
*3)『掻き出て』の意味。
*4)『其は』が訛ったものだが、現代語の『さあ』とも言える。
*5)『魂消ないだろう』の否定形。
*6)現代では『合食禁』と当てられている言葉。式亭三馬の文才が光る当て字。
*7)『価』は推測した漢字。
*8)俗語の『おったまげる・ぶったまげる』のルーツだろう。
12)東海道中膝栗毛
十返舎一九によって江戸時代後期に書かれた滑稽本。『浮世風呂』とほぼ同時期に発表された作品です。
13)近松の国語学的研究/佐藤鶴吉/昭和6年
近松門左衛門の作品の国語学上の研究書。茨城方言の多くの謎がこの研究書で解き明かすことができる。
14)江戸落語に見える方言
現代落語は、江戸初期に、僧侶がなかなか集まらない檀家の人達に向けて、面白おかしい『落ち話』を聞かせたら沢山集まるようになったことが由来とされる。
古典落語の有名なものに『馬の田楽』がある。面白いのはこれには上方バージョンと江戸バージョンがあり、上方バージョンは関西弁、江戸バージョンは関東の田舎言葉で語られるのだが、主役が田舎者であることから、特に江戸バージョンで語られたものは、興味深い。
ここで語られる田舎言葉は、江戸時代のステレオタイプ(常套的な形式)としての方言であるが、その中身は、現代の茨城方言に極めて近い。
2009年9月にNHKの番組で桂小三冶の『馬の田楽』が放送された。噺家とはさすがで見事に演じられていた。ただ、ここで語られた方言は、どうやら茨城方言そのものではなく、当時の関東圏の田舎で使われていた言葉であることは間違いない。以下は、その中で使われた方言である。単語レベルでは茨城弁に近いが、イントネーションは標準語と茨城弁を折衷したような印象がある。
・あいやーまー:あらまあ。
・あすぶ:遊ぶ。
・あたどご:あんなとこ。
・あんめー:あるまい・無いだろう。
・いげー:意外。
・いたかんべ:痛いだろう。
・いなくなっちまっただ:居なくなってしまった。
・いんだがよ:良いんだがね。
・おっぽりだす:放り出す。
・おまい:お前。
・おめーとこ:お前のところ。
・おめんとこ:お前のところ。
・おら:俺。
・おらとご:俺の方。
・おらも:俺も。
・〜がら:〜から。
・かんだす:駆け出す。
・きかねー:言うことを聞かない・喧嘩っ早い。
・きこえたれば:聞こえたならば。
・ける:くれる。
・〜けんども:〜けれども。
・こだな:こんな。
・こーだに:こんなに。
・ごっそー:ご馳走。
・こりは:これは。
・〜したっけ:〜したら。
・〜したれば:〜したら。
・しってんべ:知ってるだろう。
・しべー:芝居。
・〜しべ:〜しよう。
・しんねーがい:知らないかい。
・しんねーだ:知らないよ。
・そしたっけが:そうしたところが。
・そだな:そんな。
・そーだな:そんな。
・そーだら:そんな。
・〜ただ:〜だ。
・たてば:立場・建場:江戸時代、街道などで人夫が駕籠などをとめて休息する所。明治以後は人力車や馬車などの発着所、または休憩所。
・たべでってー:食べて行って。
・〜だけんど:〜だけど。
・〜だんべ:〜だろう。
・〜ちって:〜と言って。
・ちょっくら:ちょっと。
・〜てがー:〜てか、〜て言うかい。。
・でーご:大根。
・でーした:どうした。
・〜ときたひにゃー:〜(する)となったら。
・なかんべ:無いだろう。
・なんだなおめー:なんだいお前は。
・〜ねーか:〜ないか。
・〜ねーだ:〜ないよ。
・ぱっぱか:ぱかぱか。
・ぷらんぷらん:ぶらぶら。
・〜べ:〜だろう。
・〜ぺ:〜だろう。
・ほっかむり:頬被り。
・ほったら:そんな。
・まい:前。
・まいへ:前へ。
・まえんち:毎日。
・まぢげーだった:間違いだった。
・みせなせ:見せなさい。
・むごーがら:向こうから。
・めーた:撒いた。
・よばる:呼ぶ。
15)日葡辞書
著名辞典の引用にしばしばあるものです。広辞苑には『(Vocabvlario da Lingoa de Iapam) 日本イエズス会が長崎学林で一六○三年(慶長八)に刊行し
た日本語‐葡萄牙(ポルトガル)語の辞書。翌年補遺刊行。日本語に通じた数名のバテレンとイルマンの協力に成り、ポルトガル式のローマ字で日本語の見出しをつけ、ポルトガル語で説明をつけた。文例をあげ、当時の標準語である京都語と九州方言との差にも注意し、歌語・文語などを注する。総語数三万二二九三。ドミニコ修道会によるスペイン語訳「日西辞書」(Vocabvlario
de Iapon. 一六三○年マニラ刊)のほか、パジェスによる仏訳「日仏辞書」(一八六八年パリ刊)があるが、原著との相違が少なくない。』とあります。茨城方言にはこの時代の言葉が多く残っています。今では、方言扱いされているものが沢山あります。
16)日本語典
ジョアン・ロドリーゲス(15611634)が表した日本語辞典で、この中に『或国々に特有な言葉遣ひや発音の訛謬について』の項を設けて、当時の京言葉に対する方言についての言及があります。これをもとに橋本進吉は『三百餘年前の日本の方言に關する西人の研究』で次のように書いています。
@ヂとジ、ヅとズは発音上区別があつた。本書には、ヂはgi、ジはjiヅはdzuズはzuと書かれてゐる。
Aオの長音には二種ある。一は英語のallのaの如く、普通のオーよりも口を開いて発するオーで、之を「ひろがつた」オー(開音のオー)と称し、一は普通のオーで、之を「すばつた」オー又は「すぼつた」オー(合音のオー)と称した。前者は「あう」「さう」「かう」などau音から出たもので、本書にはo<と書き、後者は「おう」「そう」「とう」又は「えう」けう」「せう」などeu又はou音から出たもので、本書にはo>と書いてある。この二種のオーは現今では同じ音になつたが、当時は発音上区別があつたのである。今、仮名では、o<類をアオー、カオー、サォーと書き。o>の類をオー、コー、ソ一と書いて区別した。
B「せ」「ぜ」はすべてxejeと書き、シェジェと発音した。
C「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」はfafifufefoと書きファフィフフェフォと発音した。
Dガ行音及びダ行音(この書では、g又はdではじまる音節)の直前の母音はすこし鼻音化した。
また、各地の方言の特徴が述べられていますが、関東又は阪東言葉に対しては次の解説があります。
@三河から日本の涯にいたる東の諸部に於ては、一概に語気荒く、鋭く、多くの音節を呑み込んで発音せず、且つその地の人々相互の間でなくては了解せられぬ、独特な異風な語が多い。/本サイト著者註:関西言葉に対してロドリゲスが感じた印象がそのまま表現されています。『音節を呑み込んで発音せず』の意味は定かではありませんが、当時の京言葉では音節をきちんと意識して使われていたのが、関東又は阪東言葉では続けて言う傾向があり、例えば『なにやっていゃがんでえ』のような逆行同化現象意味していると思われる。
A直接法の未来形には多く助辞ベイを周ゐる。たとへば、参(マイ)リマォースベイ、上(ア)グベイ、読(ヨ)ムベイ、ナラオー(習ふ)ベィなど。/本サイト著者註:『関東ベイ』は室町時代からあった証である。
B打消にはヌのかはりにナイといふ動詞(助動詞)を用ゐる。例へば、上(ア)ゲナイ・読(ヨ)マナイ、洗(アラ)ワナイ、マォーサナイなど。/本サイト著者註:『ない』のルーツは、『ぬえ』に由来すると思われる。
CAy(ai)Ey(ei)Iy(ii)Oy(oi)Vy(ui)に終る形容詞に於て、好う(Yo>)甘う(Amo<)緩う(Nuru<)の如く、o>、o<,u<で終る語根の形(連用形)を用ゐるかはりに、白(シロ)ク、長(ナガ)ク、短(ミジカ)クなどの如く、クで終る、文章語の形を用ゐる。/本サイト著者註:現代標準語が、江戸の山の手語が基盤になった証でもある。
Dナライ(習ひ)、ファライ(沸ひ)、クライ(食ひ)などの如く、aiで終る第三種活用の動詞では、アッテ(atte)で終る文章語の分詞形を用ゐる。例へばファラォーテ又はファライテのかはりにファラッテ、ナラォーテのかはりにファラッテ、クラォーテのかはりにクラッテ、カォーテのかはりにカッテ、など。/本サイト著者註:現代標準語が、江戸の山の手語が基盤になった証でもある。
E第二種活用の或分詞形と区別する為に、張ルといふ動詞のファッテのかはりにファリテを用ゐ、借ルから出たカッテのかはりにカリテといふ。
F移動をあらはすエ(方向を示す「へ」のかはりに、サを用ゐる。都(ミヤコ)サ上(ノボ)ルのやうに。/本サイト著者註:現代標準語は、これに関しては都語を採用したことになる。
GXe(音シェで、当時「せ」は一般にシェと発音した)の音節をSe即ちCe(どちらも今のセの音)と、さゝやくやうに(ciciosamente)発音する。例へば、シェカイ(世界)をセカイと云ひ、サシェラルルをサセラルルといふ。さうして、この発音によつて関東のものはよく知られてゐる。/本サイト著者註:拗音化と直音化の歴史は難しい。例えば、現代でも使われる『お出でなさい』と『いらっしゃい』のように何故分かれたかは不明である。
H尾張から関東に至るまで、(アンズ)又は(エンズ)で終る文章語の未来形を多く用ゐる。例へば上(ア)ゲンズ、シェンズ(為んす)聞(キ)カンズ、参(マイ)ランズ、習(ナラ)ワンズなどを、上ゲォーズ(Agueo>zu)、ショーズ、キコーズ、マイラォーズ、ナラワォーズのかはりに用ゐる。
(4)他県の方言/今後調査予定の書籍も含む
他県の明治時代あるいはそれ以前の方言を眺めると、いずれも古語や近世語の流れを含んでおり、東北方言と九州方言に何故か同じ言い方や似た言い方があるのに気が付く。
また、江戸時代の江戸語は上方の影響を強く受けながら、次第に江戸言葉が形成されたことが知られている。一方、江戸以前の上方語に対して現代の関西方言も著しく変化していることも知られている。
そうなると、江戸時代、あるいはそれ以前の日本の各地にあった、古代語の姿が見え隠れする。
1)東北方言
@青森方言
・津軽方言集:明35年(1902):青森県大野村:斎藤大衛。語源推察の解説がある。動植物方言も含まれる。津軽方言は東北方言の中でも最も短縮化が特徴的であるが、茨城方言でワ音やウ音やエ音が変化して形式的な長音形式になった言葉はほぼそのまま単音形として津軽言葉になっている。これは、ウ音やワ音はもともとは『は・ふ・へ』であったから、茨城方言がそのまま短縮化して津軽方言になったとは言い難いその類似性があるのは間違いない。これは、標準語のハ行音は第一音を除きほとんどア行音に変化したものが、茨城では長音形をとり、津軽では省略化されたと見られる。
・南部方言集:明治39年(1906):簗瀬栄。青森県八戸町の方言集。
・改良すべき音韻と口語法:明43年(1910):青森県:平岡専太郎。津軽方言の方言集。訛りの種類別に津軽方言が掲載されれいる。
・津軽語辞典(JOMON):津軽弁のサイト。
A岩手方言
・岩手叢書1・2巻:明治35・36年:大野清太郎。地誌。第一巻に約十ページの岩手方言のページがある。
・遠野案内:明治44年:岩手県遠野町:世光堂。一部に僅かな方言解説のページがある。
・盛岡弁の疑問法:昭和5年:橘正一。研究論文。
・方言、宝言、豊言(岩手)
B秋田方言
・秋田県方言音韻及口語法:明治44年(1911):秋田県立秋田中学校校友会。訛りの種類別に秋田方言が掲載されれいる。
・秋田弁方言
C宮城方言
・仙台方言集:大正8年(1919):土井八枝。これももともとは方言撲滅のための書である。意味の解説はは淡々としたものだが語彙数も多い。使用例が多い。
・宮城の方言:仙台弁(名取弁)メモ:鼻濁音が識別され膨大な語彙数がある。
D山形方言
・米沢言音考:明治35年(1902):東京:内田慶三。活用形の一覧まである。用例が多く情報量は膨大なものである。使用例も豊富で語源解説もある。
そのような条件の中で、同一語または類似語は驚くほどの割合である。神奈川方言と比べれば茨城方言は明らかに米沢方言に近い。その主たる理由はカ行・だ行音の濁音化にあると言えよう。ただし、米沢では『い』がほぼ全て『え』に変化しているが、茨城では逆である。また、主格を示す助詞『は』が『あ』に変化するのは茨城も同様だが、山形では『が』も『あ』に変化する。
この方言書と現代のネットで紹介されている山形方言を比べると山形方言もまたあとかたもないほどに変化したようである。また、山形方言は茨城より短音化傾向が高い。
・庄内方言考:明治24年(1891):黒川友恭:山形県鶴岡町。現山形県鶴岡市の方言書。語彙は少ないが一語一語詳しい解説があり、方言エッセイのような本。
・ごろー Home Page:山形県山形市千歳地区の方言サイト。
E福島方言
・方言枝折:明治37年(1904):甲斐山忠左衛門:虎屋。福島県安積郡の方言書。一覧表で淡々とまとめられている。語彙数も多い。方言と俚言を区別して解説されている。
・西白河郡誌:大正4年(1915):福島県西白河郡。当時の西白河郡の地誌。約15ページの方言解説。
・若松市郷土誌:大正3年(1914):福島県若松市。若松市の郷土誌。約5ページの方言解説。
・方言改良論:明治21年(1888):青田節:進振堂。題名そのままの福島方言の改良論を唱えた書。福島方言の具体的語彙例は多くは無いが当時の主要な方言が残る貴重なものでもある。
・方言、宝言、豊言(福島):県北中心の福島方言サイト。
・おばあちゃんの民話茶屋
・はう版会津弁辞典:会津方言のサイト。
2)関東方言
@千葉方言
千葉県の北部は東関東方言の地域で、茨城とほぼ一致します。その他の地域は関東では珍しいカ行音のk音の脱落があります。茨城でも一部の言葉はその影響を受けています。
例えば千葉中南部ではツバキ(椿)はそのなま発音しながら唾(ツバキ)を『つばえ』と言います。『一匹』を『いっぴい』と言ったりしますがこれは『一尾』の意味かもしれません。畑を『はたえ』と言ったりします。どうやら千葉方言のカ行音のk音の脱落は単純に千葉特有の方言としては片付けられない可能性があります。
茨城にも残る方言に、ノコギリを指す言葉に『のーぎり』があります。これは平安時代からあるノコギリの古称で『のほぎり』です。現代語を中心に考えるとK音が脱落したように見えますが実はそうではありません。単に古語だったのです。
・唾:つばえ、一匹:いっぴい、畑:はたえ、ノコギリ:のーぎり、お袋:おふーろ、籾殻:すーも、つくばる:つーばる、駆ける:かえる、言い付ける:いーっつぇる、ここ:こー、そこ:そー、どこ:どー、ところ:とー、男の子:おとーんこ、心持:こーろもち、案山子:かーし、かかと:かーと、逆さま:さーさま、ばかり:ばーり。
動詞の場合、活用形によってカ行音のk音の脱落が起こり、未然形では動詞の語幹末がu又はoの場合にwaとなる事が多い。終始・連体形では連母音変訛により、語幹末母音の引音となる。仮定形・命令形ではeとなることが多い。
・置かない:おわない、抜かない:ぬわない、書く:かー:置く:おー、抜く:ぬー、聞く:きゅー、敷く:しゅー、書け:かえ、抜け:ぬえ。
・千葉県印旛郡方言訛語(1)
大正11年(1922)に発刊された千葉県印旛郡の方言集です。千葉県印旛郡は、千葉県内でも方言文化が茨城県とかなり近い地域です。茨城県との共通語がかなりを締めることがこの本から解ります。名詞に限定した第1回の調査です。
この本によれば大正末期の千葉北部の方言は茨城方言に負けないほどの濁音があったことが解かります。大半の方言は茨城方言と一致すると言えるでしょう。近年のネットサイトで公開されている方言ページでは濁音はほとんど消えていますから、随分様変わりしたことになります。
・香取郡誌
明治33年に発刊された千葉県香取郡の地誌。第4巻に方言の項があります。掲載語は多くはありませんが、香取郡は茨城に隣接することから、茨城県南部方言とほとんど一致しています。
・わかんねーけんど、野田弁:野田は千葉県内でも茨城方言に近い言葉が使われる地域です。
・与倉方言辞典(語義):与倉は茨城に隣接する香取郡に属します。
・銚子弁一覧:銚子方言のサイト。
A栃木方言
栃木方言は、ほぼ茨城方言と同じ東関東方言の地域です。しかし、濁音は茨城より少ない傾向があります。
・河内郡方言集
明治36年(1903)に河内郡私立教育会が発刊した栃木県の方言集です。河内郡は南東部に位置し、茨城に近い位置にあります。明治時代の栃木方言を知ることができると共に、茨城方言と栃木方言は全く同じ文化圏にあるということを知らされる本です。
・あこ語録:旧河内町の方言サイト。代表語がコンパクトにまとめられているほか巻末の『勘違い言葉』が面白い。
・栃木のことば:充実した栃木全域方言のネットサイト。栃木方言はほとんど茨城方言とも言ってよく、またこのサイトはネットでは珍しく助詞や助動詞等の紹介が充実しています。
・栃木方言の源(ルーツ)を求めて:出版された栃木方言の本の目次サイト。
B埼玉方言
埼玉方言は、典型的な関東方言の地域ですが地理的関係で一部東関東方言の地域があります。埼玉独自の方言はありません。
・川越ことば・方言:川越方言のサイト。
・埼玉駱駝式方言:埼玉北部の方言サイト。
C群馬方言
群馬は、典型的な関東方言の地域です。むしろ東京より訛が少ないと言えるでしょう。唯一、関西方言に似た言い方に『〜(する)の?』を『〜(する)ん?』と言います。これは、長野あたりでは『〜(する)んか?』と言います。また、一部地域に関西の『〜なもし』に似た言葉が残っています。
・あがつま語 実用会話講座:語彙数の多い充実したサイト。
・桐生の方言:膨大な数の桐生方言が納められている。
・医療人のための群馬弁講座:言葉ごとに丁寧な解説のあるサイト。
D東京方言
東京方言の特徴はいわゆる江戸の下町言葉が代表的で『べらんめー』『てやんでー』等の発信地です。
その他、関東圏では特に『ひ』を『し』と発音する傾向があります。『広い』は『しろい・しれー』と言います。また、ラ行活用動詞の『る』が『ん』に変化します。遣るから:やんから、するから:すんから、寄るから:よんから 等と言います。
一方、東京西部は、典型的な関東方言の残る地域です。茨城方言から東北方言を除いた言葉と一致すると思えば簡単です。
・東京方言辞典
方言サイトでは珍しく、文献『東京方言集(斎藤秀一編国書刊行会)1976』をベースにしたサイトです。言葉の解釈は信頼できるサイトです。このサイトを見ても、茨城方言には東京さらには江戸の言葉が生きていることが解かります。
また、現代では標準語とされている言葉が、いかに東京の狭い地域の言葉であったことが判明します。また、『東京方言集』は1976年に刊行されたものですが、かなり長い調査期間を要したと考えられ、多くの標準語が含まれているものの、それらは当時の新語であった可能性があり、興味深いものがあります。東京は関東の他県に比べ、明らかに独自方言は少ないのはあたりまえであるものの、意外にも数多くの方言があったことが解ります。『東京方言集(斎藤秀一編国書刊行会)1976』の原本は手元に無いので確かなことは解りませんが、用例の中には歌舞伎の脚本等の引用もあり、さらに江戸時代の言葉(近世語)が数多く含まれます。もともと日本には標準語辞書のようなものはなく、明治から昭和初期に編纂された小学校国語教科書こそが選択された標準語でもあると言われます。江戸で使われた近世語の多くは現代では使われなくなっていることから、現代には残っていないものも含まれている可能性があります。
もともと、言葉とは国家の政策によりコントロールできるものではなく、生きている文化ですが、『東京方言集(斎藤秀一編国書刊行会)1976』は他県に比べて方言の少ない東京方言に花を添えるために無理矢理江戸言葉(近世語)を加えているように見えます。ただし、江戸言葉が、他県にどのように影響し、現代も残っているかは研究対象に値しますが、編纂の目的を明らかにし、また、言葉の採取時期を明らかにしないと、比較対照研究の根拠にはならないでしょう。
詳しい情報をお持ちの方はにここにメール下さい。
・東京都三鷹市の方言
NPO法人むさしのみたか市民テレビが公開する三鷹市の方言のページ『ミニ講座 べえべえ言葉百語』があります。掲載語は多くありませんが、東京都のほぼ中央で23区に近い都市で使われているとは思えない言葉が沢山あります。驚いたことに、『かなじむ』(けちる)、『ぎごる』(言いよどむ)、『すっこい』(こすい)、『はねえる』(開店する)、『ほげほげ』(腹一杯)等が掲載されています。
・東京都武蔵村山市の方言
武蔵村山市歴史民俗資料館が発行する資料館だより第14集に武蔵村山市の方言がネット公開されています。武蔵村山市は地理的には埼玉県境にあり、いわゆる西関東方言の地域です。東京方言は、ネット公開されているものが少ないので、貴重な情報です。
武蔵村山市の方言の特徴を簡単にまとめると、@長音化、A促音化、B『〜と言って』を『〜つって』と言う、C動詞の接頭語が多い、D撥音化、E平坦な長音化、F逆行同化・順行同化・連母音変形、G何が『あに』になる、Hイとエの混同、I『ぞ』が『ど』になる、J名詞に接尾語『こ』をつける 等。です。語法も用語も大半が茨城方言と同じであることが解りました。西関東方言の特徴は、茨城方言の特徴の一部であり、関東方言=西間投方言という図式が見えてきます。すなわち、西関東方言に東北方言を加えたものが東関東方言と言っても過言ではないということです。
勿論、一部の言葉は茨城では使わないものもあります。以下は、その中で紹介されている言葉です。
・ちっとんべえ:少し。
・よっちゃくなって:寄り集まって。
・やばねえか:いっしょに行かないか。
・ほんのめる:けとばして埋める。
・こたっこい:濃い。
・そらっぱなし:無駄話
・ふんばさみ:分れ道。他に聞かない方言。
・びっきゅう:銭。他に聞かない方言。
・すいふろ:風呂。
・ぼく:枯れた木の幹。
・こえま:たい肥。
・あかびら:セミ。
・かっぱ:ミズカマキリ
・うしぐるま:カブトムシ
・やっこい:柔らかい。
・まっかちこ:真っ赤。
・青梅市の方言
青梅弁語録に青梅市の方言が紹介されている。
・多摩の方言
数年前までネット公開されていた貴重なネットサイトです。出版によって閉鎖されてしまいました。東京西部に残された貴重な方言のほか、民族文化が詳しく紹介されていました。大半の言葉が茨城方言と共通語で、関東方言の原型を証明する貴重な方言サイトでした。
E神奈川方言
現代の感覚では神奈川にまさか方言があるのと思いがちですが、そうではありません。横浜を中心とした地域に方言が少ないのは当たり前ですが、南部の横須賀や三崎口卑近になるとまだまだ残っています。
神奈川方言は、ウィキペディアによると、@横浜弁(神奈川県横浜市中心部)、A相州弁(神奈川県西部):湘南弁(神奈川県南部)及び秦野弁(神奈川県秦野市周辺)、B郡内弁(山梨県郡内地方・神奈川県津久井郡西部)に分類されています。
基本形は関東方言ですが、北部は山梨との関係が深く、西部は静岡との関係が大きい。山梨との関係は密接ですが、これに似た方言が茨城には残っている。
現代では、神奈川方言は壊滅的ですが、古い関東方言が周辺地域の山梨や茨城に残っていると考えられ、江戸時代に江戸を中心にした大変革によって、江戸を中心にした地域が大きく変わったと見られる。
・分類神奈川県方言辞典
2007年、神奈川県立歴史博物館で、分類神奈川県方言辞典(T〜W/2003・2005・2006・2007)を入手しました。 昭和49年から53年にかけて実地調査されたものが、25年経過して本としてまとめられたものです。一万四千語を収録したものです。
この本の構成は、昭和29年に発刊された東條操編の『分類方言辞典』の分類を参考にして編纂したとあります。第T巻は『自然・動物・植物』、第U巻は『身体と健康・服飾・飲食・住居』、第V巻は『社会生活・経済生活・人の一生・儀礼と信仰』で、動植物と風俗・文化の方言が主体になっています。第W巻は『娯楽、行動・性情、時間・空間、その他』です。
神奈川方言は東京方言とさして変わらないだろうというのが私の今までの認識でした。その理由はネットサイトに公開されている現代の神奈川方言を見るとは数百語もあれば事足りるだろうと考えていました。その考えは大きく変わりました。
神奈川方言は、明治以降に諸外国の言葉を日本語化したいわゆる『横浜言葉』話題になり、それ以外の方言がないがしろにされてきた歴史的経緯がありそうです。本書は昭和53年の現地調査とそれまでに発刊された書籍の集大成であり、茨城では『茨城方言民族語辞典』に相当します。これには、驚くべきことに茨城方言独特の言葉と思っていた言葉やその類似語が大量にあることが解かり、それらは、関東圏の北東の端の茨城と南西の端の神奈川という位置関係から、概ね関東方言と考えて良いと考えられます。今まで図書館の隅に封印されていた神奈川方言が突然放出された感があります。一般的に考えると、茨城は訛がひどく、神奈川は標準語に近いと考えてしまいますが、これは比較する母体あるいは地域にもよるでしょう。これは、東京でも西部になると、古くからある関東方言が良く残っていることと同じ現象と思われます。これによって、大半の茨城方言は関東方言の一部であることが判明しました。
神奈川県下の『カタツムリ』を表す方言には『かーさんまい・かーさんめ・かーさんめー・でんぶらこ・でんべすこ・でんべらこ・でんぼのこ・なめっくじ・なめこーじ・なめらっくじ・まいまいつむり・めーめー・めーめーくじ・めーめーこーじ・めーめーこじ・めーめーじっこ・めーめーじょっこ・めーめーず・めーめーずか・めーめーっくじ・めーめーつのだし・めーめーつのだせ・めーめーつぶら・めーめーつぶり・めーめーつぶろ・めーめーつむじ・めーめーつむり・めーめーわらじ・めめくじ・めめこじ・めんめつぶろ・めんめんつぶろ』等があります。茨城方言のバリエーションの多さに負けず劣らぬほどです。
一方、古代語に遡る古い言葉は、茨城に数多く残されていますが、神奈川県でも周辺地域の一部に残されていることが解りました。『いぬっころ』『うしっころ』等です。
また、茨城方言の『せえな、せーな』は『@水流、A炊事場』の意味ですが、『せせらぐ』は、江戸では『せせら』と言ったので、『せせなぎ』の流れと推測していましたが、 神奈川では炊事場から出た排水をためておくところを『せしなげ、せせなぎ、せせなげ』と言うことが判明しその謎が解けました。単なる水の流れと炊事場の排水を溜めておく場所は、本来異なるものですが、『な・なぎ・なげ』とは、『凪』に通じ、流れる様の『せせらぎ』『せせなぎ』を『凪ぐ様』混同した結果生まれた言葉だろうと推測されます。
また、茨城方言の『いどこ、いどこいわし、いとこはんだ』が長く解読できずにいました。意味は『@イワシとカツオが一緒に狂っている、Aカツオに追われて水面に盛り上がったようになっているイワシ』です。神奈川方言に『えどこ』があります。『カツオやサバなどに追われるイワシの群れ』の意味です。『餌所・餌処』の意味であることは間違いないでしょう。
難解な茨城方言のルーツを解読する原型に近い中間形の言葉がこのほかにも神奈川方言の中に数多くあるだろうと期待しています。
まだ、目を通している段階ですが、神奈川にこんなに数多くの方言があったのかと驚くばかりです。神奈川方言を総括的に見ると、民俗語としての原型は茨城と大きな違いは無いことがわかります。どうやら、茨城方言が、関東圏では特に特殊であるという見方によって、茨城方言のいくつかの言葉がネット上で話題になりますが、総体としてみると茨城方言との根本的な相違は、やはり濁音化の違いであろうと認識しました。一方、神奈川方言は、ネット上では東京同様に空白域になっていて、古い言葉が残っている地域が極めて少ないと言え、茨城では今でも広域に残っていることになります。
一方神奈川方言には西国方言の影響を受けたものがあるほか、神奈川・山梨共通のものも多くあります。神奈川と山梨は地理的には山を挟んでいるので、経済的理由ではなく、過去の政治的な歴史によるのではないかと推察されるが、具体的な理由は不明である。
・浦賀町郷土誌
『浦賀町郷土誌』に掲載されている鴨居・浦賀の方言が、ネット公開されています。『浦賀町郷土誌』は『茨城方言集覧』とほぼ同じ明治40年頃出版されたもので、明治期の神奈川方言を今に伝える貴重なものです。鴨居は現在の横浜市鴨居、浦賀町とは現在の横須賀市付近と考えると、横浜市以南の東京湾沿岸地域の方言集と考えられます。茨城方言との一致語、類似語が数多くあり、『人力』を『りんりき』と呼ぶなど興味深い言葉もあります。
・座間市の方言
神奈川方言のサイトは少ないのですが、その中で最も充実しているのが座間方言語彙集です。
3)八丈方言 ・八丈島の言語調査:1950:国立国語研究所。八丈方言の学術的な解説のほか、膨大な数の単語が掲載されています。
・八丈方言資料:千葉大学の金田章弘先生がネット公開されている八丈方言資料の中にある民話等を参照し、茨城弁との共通語または類似語を掲載しました。
さらに、1950年に、国立国語研究所が発刊した八丈島の言語調査も参照しました。 ・八丈弁:八丈島の紹介サイト。かなりの数の方言が紹介されている。 ・八丈島の方言:八丈方言のサイト。 ・八丈島の方言:八丈方言の入門サイト。解り易い。 ・東京都八丈町商工会方言講座:八丈方言の入門サイト。 ・でいらほん通信拾遺:菅田正昭氏の青ヶ島論。第1話から第37話まであるエッセイ。
4)新潟方言
・越佐方言集:1892年(明治25年):一ノ木戸村(新潟県南蒲原郡):野島書店。
・佐渡方言集:1909年(明治42年): 相川町(新潟県):佐渡新聞社出版部。佐渡方言は学術界ではあまり研究対象になっていないようだが、興味津々の方言が目白押しにある。現代のネットサイトに紹介されているものとはかなり異なるようである。
5)長野方言
・北安曇郡方言取調:1897年(明治30年):長野県北安曇郡。印刷状態が悪く濁音と半濁音の識別が困難。
6)山梨方言
・山梨鑑:1894年(明治27年):山梨鑑編纂局:安藤誠治・小幡宗海編。山梨の全3巻の地誌。このなかに僅か2ページ(74P〜75P)にまたがる方言の項がある。関西方言の影響も見られる。
7)静岡方言
・静岡県方言辞典:1910年(明治43年):静岡県師範学校・静岡県女子師範学校共編:吉見書店。語彙数は2万語をはるかに超えると思われる。
前書きに、明治期の方言撲滅政策や標準語を定める意義が書かれている一方、方言が失われる事が国語にとって惜しまれると書かれているから、明治の人達も現代になってネットで方言を配信している人達も思いは変わっていない。変わったのは、古くは限られた一部の学者や有識者だけがまとめた研究書であったものが、今では個人研究者が気軽に情報発信できるようになったことである。しかし、それから100年経過した今、100年前の静岡方言を知っている人は皆無であろう。明治期に編纂された方言辞典としては、私が知る限り最大の方言辞典の一つであろうと思われる。
私は、静岡方言は特に愛知方言に近く、関西の影響を若干受けたもの程度と考えていたが、調べるとそれだけではなく、茨城だけではなく東北方言の特徴を残していることが解った。またこの方言集は、『茨城方言集覧』に匹敵するどころか、それをはるかに凌ぐ語彙を収集し、貴重な記録である。
明治時代の辞典であるだけに古語や近世語、あるいはその流れを受けた言葉が数多く掲載されている。
現代の東海方言に見られる@『ai』が『yaa』に変化する特徴のほか、Aオ段音がウ段音に変化する傾向が著しい、B『い』が『え』に変化する事が多いほか逆もある、C特にイ段音を中心に行が交代する傾向が高い、D『こ』が『ふ』に変化する傾向がある E音通現象の典型例と思われる言葉に『彼岸花』を『ひなんばな』『ひーなんばら』と言う、等がある。
また、神奈川方言との共通語が多いほか、古語を残した意志・勧誘・推測の助動詞(ず・ずら)は、長野・山梨と同じ文化圏であるを感じさせる。
また、他の多くは由来が不明である。関東に程近い静岡にこのような方言があるのは不思議であるが、静岡方言は関西方言の要素を多く含む事と、語彙数が極めて多いことからくまなく集められた事がその理由と思われる。
8)九州方言
・鹿児島方言集:1906(明治39年):鹿児島県私立教育会。
この本に掲載された方言は、現代のネットサイトに紹介されている鹿児島方言とは比べ物にならない程、様々な言葉が記録されている。
九州方言には古語が数多く残されています。殊に鹿児島の方言は、その訛り方に東北方言との共通性が見出せます。段の変化は、琉球方言の影響を感じさせるものがありますが、促音化や撥音化、また江戸言葉に見られる連母音変形や逆行同化の訛が多く見られるのが不思議です。促音化の範囲は東国方言よりはるかに範囲が広い。また、茨城や八丈島にわずかに見られるラ行音のダ行音化は、鹿児島に著しい。
茨城ではラ行音のうちリとレが『い』に変化する傾向がありますが、鹿児島でも同じ傾向があります。
また、形容詞の語尾の『か』は現代の形容動詞に残り、形容詞と形容動詞の未分化の時代の名残とも考えられ、また現代に残る詠嘆の助詞『か』ルーツとも考えられます。
9)沖縄(琉球)方言
沖縄(琉球)方言は、八丈方言と並ぶ日本の三大方言の一つです。八丈方言同様、以下の文献を参照して、いずれ茨城方言との比較をしてみたいと考えています。
@沖縄語典
1896年(明治29年)に刊行されたもので、方言書と言うよき沖縄で話される全ての言葉の辞典である。
A琉球語音声データベース
沖縄言語センターがネット公開しているサイトである。
B標準語との対応関係
立花正一は『方言学概論/4琉球語と内地語との比較』で以下の特徴を挙げている。
1)琉球方言796語を対象に整理したところ、支那語由来:6語、琉球独特のもの:390語、日本語系のもの:400語であった。日本語系の語のうち、標準語と同じ又は小さい訛り:187語、訛り甚だしく別語の観あるもの:42語、接頭語・接尾語のついたもの:22語、意味の違うもの:16語、古語の残存:30語、内地方言と同じもの:103語 であった
2)標準語と比較すると、オ段の音はすべてウ段となり、エ段はイ段となり、キはチとなり、長音が多く、ti・tu・di・du・fi・fa等の音がある。
ウィキペディアの沖縄方言のサイトでは、標準語との対応関係を以下の表で示しています。
日本語共通語 |
沖縄語 |
備考 |
エ [/e/] |
イ [/i/] |
チ [[tsi]] ではなくティ [[ti]] |
オ [/o/] |
ウ [/u/] |
ツ [[tsu]]ではなくトゥ [[tu]]、ヅ [[dzu]] ではなくドゥ [[du]] |
アイ [/ai/] |
エー [/e:/] |
− |
アエ [/ae/] |
アウ [/au/] |
オー [/o:/] |
− |
アオ [/ao/] |
アヤ [/aja/] |
カ行 [/k/] |
カ行 [/k/] |
ガ行 [/g/] になることもある。 |
カ [/ka/] |
カ [/ka/] |
ハ [/ha/] になることもある。 |
キ [/ki/] |
ツィ [/tsi] |
ツィ [[tsi] |
ク [/ku/] |
ク [/ku/] |
フ([/hu/]、[[ku]])になることもある |
スィ [/si/] |
スィ [/si/] |
ヒ([/hi/]、[[ci]])になることもある |
ス [/su/] |
スィ [/si/] |
以前は スィ [[shi]] と [[si]]
とは区別された。
ヒ( [/hi/][[ci]])になることもある。 |
ツ [/tu/] |
ツィ [/tsi] |
ツィ (以前は [[tsi]] と [[ti]]
とは区別された) |
ダ [/da/] |
ラ [/ra/] |
ダ行 [[d]] とラ行 [[r]]
は合流した。 |
デ [/de/] |
リ [/ri/] |
ド [/do/] |
ル [/ru/] |
ニ [/ni/] |
ニ [/ni/] |
ン [/n/] になることもある。 |
ヌ [/nu/] |
ヌ [/nu/] |
ハ [/ha/] |
フヮ [/hwa/] |
パ [/pa/] になることも稀にある。 |
ヒ [/hi/] |
ピ [/pi/] 〜 ヒ [/hi/] |
− |
ヘ [/he/] |
ミ [/mi/] |
ミ [/mi/] |
ン [/n/] になることもある。 |
ム [/mu/] |
ム [/mu/] |
リ [/ri/] |
イ [/i/] |
イリ [/iri/] は変化なし。 |
ワ [/wa/] |
ワ [/wa/] |
語中ではア [/a/] になる傾向がある。 |
茨城方言と比較すると、@茨城では、イ段とエ段が同じ音で中間の発音になる(加藤正信はイとエを区別せずエに統合としている。茨城方言民族語辞典では、イとエを区別せずイに統合としている。)のに対して、琉球ではエ段はイ段となり、A茨城ではウ段とオ段の交替するが、琉球ではオ段の音はすべてウ段となり、B双方とも長音が多く、C茨城ではti・tu・di・du音があり、琉球ではti・tu・di・du・fi・fa等の音があります。
6)研究論文等
@国語と国文学第12巻第2号「キリギリスとコオロギ」:昭和10年:橘正一。
A方言学概論:昭和11年:橘正一。
日本の方言学を体系的にまとめたバイブルとも言えます。
第三章方言区画論
日本を東北・関東・近畿・中国・四国・九州に分け各々の地域の事例により特徴や相互の関係を分析しながら方言の区画を論じています。中部地方は単独では設定されていませんが、東西の方言の境界が地理学の中央構造線とほぼ一致し、東西の特徴を備えているため、東西の地域に事例が纏められているためです。
第四章琉球方言
琉球方言は日本語の一部なのか、それとも別の言語なのかを、事例を詳細にに分析して論じています。
第五章八丈方言の系統
冒頭に、『八丈方言は琉球語についで日本語離れしたものである。たとえば「あなたは何もご存じないでしょうが、私は良く存じておりますよ。」を八丈方言で言うと「おめー、あにもしょくおじゃりいたしんじゃんのーんて、わがよっくしょくおじゃりいたそわ。」となる。「これが日本語か」と諸君は驚くだろう。』とあります。また、この巻末に、特定の方言書に記載された八丈方言と他の方言との共通語の数を地域別にまとめた報告があります。まず地域別に見ると、東北103.5、関東81.5、三道(北陸・東山・東海)132.5、近畿65.5、中国50.0、九州83.0、沖縄12.0となりました。結果として八丈方言は東北方言に近いことになります。県別では、高い順に岩手27.5、静岡24.5、山形20.5、茨城18、愛知17.5、神奈川16.5、、千葉・宮城15.5、秋田14.5、青森13.5、福島12 等でした。これにより、八丈方言は、岩手を中心とした東北各県との関係が最も深く、次いで静岡、関東では唯一茨城との関係が深いことが解かりました。茨城は堂々の4位です。また関東の海岸部との共通性は多いのですが他の都県との関係は薄いことも解かりました。八丈方言は東北方言に最も近い一方で、東北の南端の宮城・福島より茨城の方が近いと言うことですから、このサイトで試みている八丈方言と茨城方言の共通語・類似語が多いのは当然ということになります。
第六章方言周囲論
柳田国男が『蝸牛考』で『方言周囲論』提唱しましたが、それを再度提唱したような論文です。北の東北と南の九州にいかに同じ方言や類似の方言が多いかが事例を通じて一つ一つ論じられています。
第七章江戸語における京阪語の要素
『浮世風呂』を中心として、京阪語と関東語及び江戸独自の言葉に葉を、49語を例に挙げて分析したものです。これには関連する全国方言も紹介されています。
これによると、ほとんどが京阪由来の言葉で、中央構造線以西に分布する言葉が32語にも及び東日本に限られるものは僅か4語『ひょぐる、おんべいかつぐ、やをものや、じゃじゃばる』であることが報告されています。このうち、『ひょぐる、おんべいかつぐ』は京阪語に由来しない江戸独自の言葉言葉と定義されている。一方、『やをものや』は、上方者が使っているから江戸弁かどうかは疑問が残るとしています。『じゃじゃばる』は静岡にしか事例が無いので発生元は解からないとしています。
ちなみにこの49語のうち、単なる訛りや助詞等を除いた32語のて割合を集計すると、東北31.5、関東28、北陸・中部83、近畿101、中国45、四国36.5、九州31 でした。統計学的に見ると母集団の数があまりに少ないとは思われますが、傾向は掴める研究結果と思われます。近畿が100を越えているのは、意味や語形の甚だしく異なる場合は0.5と評価設定した理由によるものと思われます。
この結果は、江戸言葉は近世語の要だったはずであったが、江戸の言葉が、昭和初期には、江戸よりその周辺地域に残っていたという驚きだと思われます。
言い換えれば、江戸言葉は当時の中央の言葉であったが、江戸ではその後それらの言葉を失い、むしろ地方に残った可能性を示すと思われます。
また、『浮世風呂』に描かれた京阪語は慶長・元和(1596〜1624)頃の京阪語とされ、『浮世風呂』は文化・文政(1804〜1830)頃であるから、約200年前の京阪語が、江戸の後期で使われていたというのです。また、『浮世風呂』の言葉は、明治維新までの50〜60年の間に、@『べい』の廃止、A『じゃ』の廃止、B『ぬ』の廃止・『ない』の専用、C『なんだ』の廃止・『なかった』の採用、D『善い』の廃止・『善く』の採用、E『せう』の廃止・『しょう』の採用、F『の』の廃止・『ね』の採用、G『です』の採用等劇的な変化がおき、現代までに約100語が失われたと言われます。良く話題になる『凧』は、京阪では『いか・いかのぼり』と言いますが、『凧』は元禄時代の京言葉だったとされています。
茨城方言には上方語が多く残っています。その理由はこの論文により、文化・文政時代の京阪語の影響を受けた江戸言葉が、茨城や栃木に残り、江戸はその後独自の進化を遂げたようです。橘正一は現代の東京方言や埼玉方言が関東圏で極端に東北方言との断絶があるのは、『殊に東京は明らかに島を成している。思ふに大田道灌以前の武蔵野では、今の常陸方言の様な言葉が行われて居たらう。』と書いています。
『浮世風呂』の田舎者の三助なる人物が語る言葉は、あたかも茨城方言のように感じられるが、アメリカのテレビドラマ『奥様は魔女』(1964〜1972
)の主人公サマンサの向かいの奥さんが話す言葉はまるで茨城方言である。これは、まさかアメリカ茨城方言があるということではなく、橘正一が言っている様に、江戸時代においては、関東の田舎では広く茨城方言のような言葉が使われた可能性を示唆し、また、昭和30年代後半の標準語使用地域では、茨城方言が田舎言葉の典型的なものとして捉えられているから見られる。
(5)新方言
ネット公開されている新方言辞典稿 増訂版(井上史雄)に掲載されている言葉のうち特に茨城弁と関係の深いものを掲載しました。引用の際は『新方言』としました。意外な言葉の流れが発見できる資料です。茨城方言の訛りの図式が時代を先んじて変化したことが感じられると同時に、標準語圏の若い人達の日常会話に大きな影響を及ぼし、今や現代若人言葉の流行語の起爆剤になっているのは間違いありません。
今、茨城弁は外来語同様に標準語世界を刺激し、新たな言葉を生みつつあります。今までの日本語は明治政府によって定義されましたが、これからの日本語は、茨城弁のように発音しやすい言葉にシフトされていくことは疑いないでしょう。
(8)各地の民謡に残る言葉
各地には、様々な民謡が残っています。それには、貴重な宝が含まれているはずです。いずれひもといて行きたいと思います。
(9)失われた標準語
推測ではあるが、現代の国語辞典は、発行各社で思想が異なるが、明治の東京で使われた言葉が全て標準語であるとは言い難い。
辞書によって解釈が異なっている。
今では、関西弁は、生活の一部になって、関東の人の誰もが知っていて、時代が変ったと思われている。
(9)参考文献等一覧及び参照記号/太文字は特に重要文献を示します。インターネットの普及により、著作権の切れた文献がネット上で無償で配布される時代になりました。青空文庫や電子図書館に代表されるのようにさらにデジタル化して無償配信しているものや、PDFファイルで古い文献を配信しているうわづら文庫等は注目すべきです。また国立国会図書館もデジタルデータの配信を開始しています。かつて高額でしか入手できなかった古い文献を、ネットで見られるようになったのです。かつて、東方見聞録という文献があった事を誰もが学校で習いましたが、今、その中身をたやすく見られる時代になったのです。
・広辞苑
・大辞林(ネット公開)
・広辞林
・ウィキペディアフリー百科事典(ネット公開)
・慣用句辞典(ネット公開)
・古語辞典(旺文社)
・新明解古語辞典(三省堂)
・日本辞典:日本語に関るあらゆるジャンルを集大成した新しいネットサイト。国語辞典・漢和辞典・熟語辞典・ことわざ辞典の他、あて字・方言・記録・語源・文化・命名・季語・送り仮名他、日本に関るあらゆる情報が得られる。日本に関る情報の集大成のサイトとして期待できる。
・日本語源大辞典(部分参照):平成17年(2005)。略称『語源辞典』。
・日本釈名(参照開始):貝原益軒:元禄12年(1700):略称『釈名』。
・▼日本方言大辞典(部分参照):平成1年(1989):略称『大辞典』。
・△日本方言辞典:昭和53年(1978):日東書院:略称『辞典』。標準語引きの同名の小学館の辞典とは異なる。
・●国立国語研究所日本言語地図:略称『方言地図』。(ネット公開)
・●国立国語研究所方言文法全国地図:略称『文法地図』。(ネット公開)
・ふるさと日本の言葉:NHK教育番組(2000.04.09〜2001.03.25放送):略称『ふるさと』。
・▲茨城方言集覧(初版)明治37年(1904):略称『集覧』。 ・土浦市史:昭和50年(1975)。
・■土浦市史・民俗編:昭和55年(1990):略称『土浦民俗』
・◆土浦の方言:平成9年(1997):略称『土浦』。ほぼ全数を網羅しています。
・◆続土浦の方言:平成16年(2004):略称『続土浦』。ほぼ全数を網羅しています。
□新編常陸国誌:明治32年:略称『国誌』。
・茨城百科全書:明治44年(1911):井川作之助。土浦町(茨城県)。
◎茨城方言民族語辞典:平成3年(1991):略称『民俗』。
▽茨城弁今昔:昭和62年(1987):略称『今昔』。
・なんだんべえ歳時記:昭和61年(1986):略称『歳時記』。
・常磐沿線ことば風土記:昭和56年(1981):略称『常磐沿線』。
・茨城のことば 上・下:昭和58年(1983):略称『ことば』。
・石岡誌:明治44年(1911)。
・常陸風土記:AC700年代:。
・茨城県産魚類の方言について:第1報/昭和38年(1963)・第2報/昭和39・40年(1964.1965):県立那珂湊水産高等学校。略称『魚類』。
・水海道方言の4つの斜格:筑波大学の佐々木冠氏の学術報告書。平成1年(1999)
○物類称呼:安政4年(1857)。略称『呼称』。
☆俚言集覧(部分参照):寛政9年(1797)(明治33年:1900に再編纂):略称『俚言』。
・俗語考:橘守部:天保12年(1830):江戸時代の俗語集。略称『俗語』。
・雅言考:橘守部:雅語の辞典。略称『雅言』。
・東雅:新井白石:康平2年(1719):日本語の語源辞書:略称『東雅』。
・本草啓蒙:明治15年(1883):動植物の辞典
◇浪花聞書:江戸時代後期著:大阪言葉を中心に江戸言葉を比較した本:略称『聞書』。
・東海道中膝栗毛:享和2年〜文政5年(1802〜1822):誰もが知っている『やじさん・きたさん』の逸話。
・浮世風呂:式亭三馬:文化6〜10年(1809〜1813):滑稽本。四編九冊。式亭三馬作。略称『浮世』。茨城方言が江戸言葉の流れを受け継いでいることが解かる作品。
・千葉県印旛郡方言訛語:大正11年(1922)::略称『印旛郡』。
・香取郡誌:明治33年。略称『香取』。千葉県香取郡の地誌
・河内郡方言集:明治36年(1903):栃木県河内郡の方言集
・分類神奈川県方言辞典T〜W:2003.2005.2006.2007:神奈川県立歴史博物館:略称『神奈川』。
・新方言辞典稿 増訂版(井上史雄)(ネット公開):略称『新方言』。
・土:長塚節:ネット公開(青空文庫)。
・土浦の川口:長塚節:ネット公開(青空文庫)。
・芋掘り:長塚節:ネット公開(青空文庫)。
・利根川の一夜::ネット公開(青空文庫)。
・月見の夕::ネット公開(青空文庫)。
・太十と其犬::ネット公開(青空文庫)。
・栗毛虫:長塚節:ネット公開(青空文庫)。
・才丸行き:長塚節:ネット公開(青空文庫)。
・坑夫:夏目漱石:ネット公開(青空文庫)。
・宣伝:大関柊郎:戯曲:大正11年。
・泥の雨:下村千秋:大正8年。
・ねぐら:下村千秋:大正12年。
・旱天實景:下村千秋:大正15年。
・五位鷺:小泉卓:戯曲:大正15年。
・彼岸前:小泉卓:戯曲。
・田舎の新春:横瀬夜雨:昭和9年:ネット公開(青空文庫)。
・日本語と話ことば:1975:内村直也。
・茨城弁よかっぺ教室:茨城放送:略称『よかっぺ』
・とことん茨城:茨城放送:略称『とことん』
注1)物類称呼も合わせ、江戸時代の茨城県は大半が『常陸国(常陸・常州)』であり、南西部は『下総国(下総・総州・北総)』(領域は現在の千葉県北部、埼玉県の東辺、東京都の東辺、(隅田川の東岸)、茨城県南西部にまたがる)である。
注2)以上のように膨大な文献を参照しておりますので、中には転記ミスが有り得ます。また江戸時代の古書等は印刷状態・ネット上のデータの鮮明さの問題、表現・解釈上の課題、濁音と鼻濁音の識別があります。特に本サイトでは、濁音と鼻濁音の識別を重要視して、敢えて本サイトの見解に従って区別しましたが、学術的な資料とされる場合は必ず原本を参照下さい。
注3)古文書の参照に際しては、できるだけ現代語略にしようと考えて、当初は、現代語表記しましたが、中には所在の地域を含めて原本のままのほうが良いのではないかと思い始め、目下混乱した表記になっていることをご了解下さい。
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6.茨城方言の位置づけと歴史
日本の方言は、かつてかなり詳細に区分されていましたが、現代では、@本州方言、A八丈方言、B琉球方言 の大きく三つに分けられたり、このうちの本州方言を、さらに東日本方言と西日本方言に分けられることもあります。
(1)日本の方言の区分と茨城方言の位置づけ
茨城弁は、都竹通年雄の「季刊国語3の1:昭和24年」によれば、本土方言・本州東部方言・南奥羽方言に分類され、岩手県南部・宮城県・山形県東部・福島県・栃木県と同じ区分に含まれます。
昭和30年の金田一春彦の(第1次)「世界言語解説(下)」では、東日本方言・北部方言・南奥方言に分類され、該当地域は、都竹通年雄とほぼ同じです。
このように茨城方言は東北方言のうちの岩手県南部を北限とした東北方言の一部と位置づけられています。現代では、南奥羽方言から切り離され、栃木方言とともに東関東方言として位置づけられています。
(2)茨城方言の歴史
1)方言の歴史
茨城方言に限った歴史の流れを紹介した文献は見当たらないため、学術的な根拠のある説明はここではできません。「常陸風土記」や「物類称呼」「俚言集覧」等に残る茨城方言と現代の茨城方言を比較すると、一部の基幹語は残ったものの、明らかに衰退の道をたどったと言えます。そのため、以下の視点は過去の歴史に基づいた仮説であり、また、茨城方言を中心にした東国語の成立過程に関する推論です。
茨城方言は、東日本方言に属する関東方言の一種であることは間違いありません。「谷あいの窪んだ土地」は「やつ」と言い、関東一円で使われます。茨城では濁音化して「やづ」とも言います。「やつ」とは、アイヌ語の「ヤチ」(湿地)に由来すると言われます。また、鮭を「あきあじ」と言うのは北海道・東北・新潟で、関東では茨城だけですが、これはアイヌ語の「アキアチップ」が転じたとされます。
古事記や日本書記には大和時代に戦乱の朝鮮半島から多くの朝鮮人が渡来し、東国や常陸・下毛野(下野の古称)・武蔵に住まわせた記録が残っています。大和時代に渡来した朝鮮人が伝えた朝鮮語が、現代の茨城方言に残っていても不思議ではありません。県下には朝鮮語の影響と考えられている代表的な地名として水戸市の「木葉下(あぼっけ)」があります。古代朝鮮語では「土器を焼く村」の意味になります。実際この地には、窯跡が20箇所以上発見されています。朝鮮語は、日本語の標準語に比べ濁音が多く、平坦なアクセントと力むような発音、カ行音の強い発音にも特徴があり、これらはまさしく茨城方言の特徴でもあります。茨城方言の代表語に嘘を意味する「ちく」があります。広辞苑では「物類称呼」に習って関東方言と解説していますが、正しくは「下野・常陸」の方言です。「ちく」とは、「筑羅」が転じたもので「ちくらく・ちくらっぽ」とも言います。「筑羅」とは広辞苑に「巨済島の古称で涜盧(とくら)」の転か、@朝鮮と日本との潮境にあたる海。ちくらが沖。A転じて、どっちつかずの意。」とあります。
また、古代日本は西国が政治・文化の中心であり、古代の刑は死罪の他は、流刑が主でした。流刑は都から遠い地ほど重く、誰もが知っているのが伊豆の島流しです。常陸は、土佐・隠岐・佐渡・伊豆・安房等と同様に流刑地の一つであったことが「続日本紀」にあります。つまり、都から離れた土地である現代の高知県・島根県隠岐・佐渡島・伊豆半島・房総半島、そして茨城県は古代から中央からの流刑者が生活し、古代の上方語が早くから伝えられていたことが推測されます。八丈流しも同様です。実際、茨城には明らかに上方言葉と言える言葉があります。日本四大方言の一つとされる八丈方言との共通語で動物を示す接尾語「め」の存在も重要です。「いぬめ、うしめ、うまめ、おにめ、からすめ、きつねめ、きんぎょめ、さるめ、どじょーめ、へびめ」などと言うのは完全に一致しています。また八丈島ではネズミを「きょとんめ」と言いますが、茨城では小型のネズミを「きょーと、きょーどー、きょーどねずみ、きょーとねずみ、きょーどめ」と言います。ニワトリは「とーとーめ、とぅーとぅーめ、にゃっとり、にやーとりめ」に対して「とっとめ、とどめ、ととめ、にやっとり、にやっとりめ、にやどり、にやとり、にゃーどり、にやどりめ」、猫は「ねっこめ」に対して「ねごめ」と言います。これらは、ほんの一部であり、他にもこんな言葉がと思われるものの一致または類似が見られます。「物類称呼」では、この接尾語「め」を古代語ではないかと言及しています。
茨城方言は、東日本方言をベースにした関東方言の特徴を受け継ぎながら特に東北方言との関係が深く、東関東方言を使う圏域の核となる方言です。東北方言の起源は茨城方言ではないかという説もあるほど茨城方言は、東北方言と共通語や共通表現が多いのです。例えば末っ子は「ばっち」と言いますが、これは青森県でも使われます。現代の中央の言葉を中心に考えると茨城方言はその中間に位置しますから、論理上は理解し易いのですが、はたしてそうなのでしょうか。
古代に、朝廷の支配に抵抗し服属しなかった人々である「えぞ・えみし・えびす」は、北関東から東北・北海道にかけて住み、東北方言の分布地域と奇妙に一致します。このことから、現代の東北方言・東関東方言は、「えぞ・えみし・えびす」の言葉が母体となった可能性があります。「えぞ・えみし・えびす」は、狩猟・漁労の段階にあった日本人とされ、平安初期頃に奥羽地域まで朝廷が勢力を伸ばした以降、一般の日本人と同化したとされます。
一方、東北方言は、東西に二分できます。東北の西部地域は明らかに関西方言の影響を残しているのです。その意味では、茨城弁は東北方言のうち東北東部地域の方言に近いことは、学者の分類にも現れています。
そのような古代の歴史を背景にしながら、常陸国は江戸に地理的に近いために江戸の下町言葉である「べらんめえ言葉」を今に残す関東でも特別な方言とも言えます。江戸時代に使われた江戸言葉を今でも残していることは、関東圏では特筆すべきです。「ございます」が訛った「がす・がんす・やす・やんす」は、今でも高齢者が使います。
茨城方言は、地域によって言語が異なるというような表現の見方があるのは解らないではなく、確かに隣の字になると言い方が異なるというような言葉も無いわけではありません。実際に、動植物等の呼称のバリエーションの多さには舌を巻くほどですが、これはもともと関東では最も訛りの大きな方言であったため、古くから調査がが進められて来たためと考えられます。
そのような茨城方言も、昭和30年代後半の高度成長期を境に、特に常磐線沿線地域の若い世代を中心に茨城弁特有の抑揚の特徴をわずかに残しながら標準語化が進行しつつあります。
2)政治史
方言の分布区域は江戸時代の藩政と重なることが多いとされています。茨城県の江戸時代の呼称は大半の地域が常陸国で、南側の利根川に沿った東西に長い地域が下総国に当たります。下総国の一部は千葉県北部地域も含まれ、方言においても千葉北部がほぼ茨城方言と同一の地域です。
江戸以前は、諸国とも不安定な時代でしたが、中でも注目されるのは、平安時代まで遡れる佐竹氏の存在です。佐竹氏は、清和源氏に発し、常陸源氏とも言われました。当時は、県北部を支配し奥州藤原氏との関係が深かったとされています。鎌倉時代になると勢力が弱まりましたが、室町時代になると足利氏に呼応したことから、守護職を命じられたこともありました。しかし常陸の統一はなりませんでした。戦国時代の16世紀後半になると常陸国の大半を制圧し戦国大名となりました。ところが、関が原の戦いでは西軍・東軍双方に加わるという曖昧な態度をとったために、徳川家康の命により厳封国替えとなり、秋田藩を納める外様大名となりました。
茨城方言は東北方言の一部に分類されますが、この佐竹氏の国替えによって、秋田方言とその周辺地域方言に大きな影響を及ぼしただろうことは疑いもなく、茨城方言と秋田方言の共通語はあって当然と言えるでしょう。
(3)茨城方言の区分
1)「綜合郷土研究」(昭和15年:茨城県)の区分
茨城弁を三つの区分に分けています。@北部地域:多賀郡・久慈郡・那珂郡・東茨城郡・鹿島郡の一部、A西南部区域:猿島郡を中心とする下総国の大部分・即ち結城郡と北相馬の西部を主とし、これに真壁郡の西部を合わせた地域、B南部区域:新治・稲敷の西部を中心とし、行方・筑波・西茨城・真壁の諸郡の地域 である。
2)「茨城の民俗」(昭和42年:読売新聞社)
@県北方言地区、A浜言葉地区、B県中央地区、C霞ヶ浦・北浦周辺地区、D県南西方言、E利根川流域(下総方言) の六地域に分けています。
(4)江戸時代の茨城と方言区分
『方言地図』によると江戸時代の茨城の藩は、水戸藩、笠間藩・古河藩・関宿藩・土浦藩がありました。
概ね現代の水戸市以北の全域が徳川家の領地で、現代の石岡市と小美玉市・行方市の一部が飛び地になっていました。笠間市は土井家、古河市は井上家、坂東市付近は関宿と言い板倉家が、取手市市付近は佐倉と言い松平家が納めていました。また、稲敷市の一部は、近畿の津藩の藤堂氏が納めていました。筑波市の一部には、仙台の伊達藩の領地が、石岡市と笠間市境付近には、小田原藩の稲葉氏の領地がありました。水戸市には近世語由来の珍しい言葉が残っているのはそのためでしょう。
一方土浦藩は江戸・京都・大阪を除く全国の5万石以上ある中核都市の一つに数えられ、その数は13ありました。5万石以上ある中核都市は江戸時代に言語放射の中核都市であったとされます。
これらと、「綜合郷土研究」「茨城の民俗」を照合すると、徳川家の県北とその他の県南部に分けられ、さらに土井家・井上家の西南部は特殊な地域です。旧稲敷郡には数多くの特殊な言葉があります。それは近畿の津藩の藤堂氏の影響があったのかもしれません。
これらから、江戸時代の領地区分=領家の方言が茨城県内の各地の方言に影響したとみることができます。
(5)土浦方言の意義
土浦は今や首都圏のベッドタウンに変化しつつあります。筑波エクスプレスの開業で筑波市も同じ環境になりました。
過去に遡れば、江戸時代の土浦は『物類類称呼』の『さくらうお』に代表される淡水魚の生産地で、関東随一の霞ヶ浦こそ、自然条件が方言に影響したのでしょう。
江戸から見れば、土浦の庶民言葉は『土浦方言』だったのではないか。水戸言葉は恐れ多い言葉だった可能性があります。
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7.収集の経緯及び収集の方法
(1)収集の経緯
収集を始めたのは1975年頃で、建築設計を志したころに遡ります。もともとは、学生時代に全国から集まった同窓生達との交流を通じて、『どうしてそういう言い方をするの?』と聞かれたことが発端です。
一方では、志した建築物は歴史と文化の賜物です。それと同様に言葉は文化そのものです。全ての分野で国の枠が無くなりつつあるグローバル化の時代にあってこそ、地域の歴史や文化を残しておきたいという願いから公開に踏み切りました。
その後『土浦の方言』(H9,H16)の入手により、革新的に幅が広がりました。さらに国会図書館で公開されている『茨城方言集覧』を知り、茨城県内の方言の過去の歴史を紹介することができました。さらに継続して文献を参照しています。
(2)収集の方法
最も最初に収集したのは、大阪万博のあった昭和45年です。その当時は学校の作文のために言わば茨和辞典を作ったようなものでした。
その後、そのノートは紛失し、大学に入ってから記憶を頼りにノートにメモに書きとめていました。このノートも今では所在が今不明なのは私の杜撰な性格によります。その後ワープロそしてパソコンを購入したのをきっかけに、データを整えていきました。毎年2回の帰省の際には、特に注意してメモに書きとめました。それが、このサイトのベースになっています。
最初は動詞等については、基本形を中心に集めましたが、標準語に比べて特有の他動詞形や自動詞形に独特の言い方があるのに気が付き、それも加えるようにしました。
独特の接頭語を伴う膨大な動詞の収集は困難を極めましたが、結果としてかなり集まったと自負しています。
得られた情報の中には、標準語と考えられるものが多数ありましたが、それはそのまま情報として残しました。テレビや書籍等のメディアの影響や生活習慣、環境の変化によって死語となったり使う層が限られている標準語が多かったからです。実際辞書に掲載されている言葉の中に沢山の死語があるのは誰でも知っています。また、伝統的な習慣や行事等についても次第に無くなりつつあるため、標準語であることを明記の上で記録に残しました。
最近の収集作業は、殆ど思い出し作業になって来ました。当地で生活している人達自体がすっかり様変わりしてしまったためです。50年に及ぶ記憶の中で、言葉は無限にある引き出しを前にしてそのINDEXを眺めている観があります。その引出しには必ず隠されたインデックスがあるのですが、『開けゴマ』ではありませんが、一致しないと開かない仕組みになっているというような感覚です。もう終わりだろうと思っていても、言葉は無限にありそうです。今でも時々新たな引き出しを発見すると、芋づるのように繋がって行く感じです。こんな言葉もあったなとうきうきすることが少なくありません。
さらに最近は、標準語と茨城方言の差異をむしろあまり感じなくなってきました。また、実は、各地の方言は繋がっていることも感じ始めました。あたかも標準語だけが異なる言葉ではないかと感じはじめています。
茨城方言には、多くの古い言葉があることに気がつきました。辞書にはあっても実際には使われていない言葉が、茨城県では使われているのです。そこで、江戸時代に著された文献をひもとく作業を始めました。さらにその都度、現代の著名辞書を調べるようにしていますが、思った通り、その多くが現代の辞書に掲載されているのです。
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8.収集結果の概要
(1)土浦市上大津地域の概要
上大津地区は、昭和29年に土浦市に編入されるまでは、旧新治郡に属し上大津村と言われていました。土浦市の発足は昭和15年で、市内で最も遅く編入された地域です。上大津地区は手野・田村・沖宿・白鳥・菅谷・神立の6つの町で構成されています。ちなみに明治22年(1889)に町村制が施行された時、土浦町・真壁町・石岡町・高浜町・柿岡町の5町30村を含んだ旧新治郡が成立し、郡役所が土浦町に置かれました。今では考えられないような広大な面積で県南中央の大部分がこれに含まれました。 上大津地域は、南北を霞ヶ浦に面し日本有数の穀倉地帯です。特に南側は広大な水田が広がり日本一のレンコン産地になっています。夏はその水田が全てレンコンの葉で覆われ、他に類をみない景観を形成しています。
この茨城弁集は、昭和35年から45年頃(概ね40年前後)を中心に、土浦市北東部の農村地帯(上大津地区)で使われていたものを集めたものから始めました。
勿論、ここに収録された方言は、40年を経過して無くなったわけではありません。むしろその多くが今でも使われていると言っても過言ではありません。今でも高齢者を中心に脈々と語られている言葉や、標準文語の中に生きているものも沢山あります。ただし残念ながらすっかり聞かなくなった言葉や若い人たちには全く理解できない言葉も一部にあります。それらの区分については、生活の中での主観的な印象によって識別してみました。
上大津地区は、西端は常磐線に面していますが、土浦駅まで4〜5kmあること、農村地区であることから方言が比較的良く残っています。実際土浦の街中はかなり標準語化が進んでいました。
高校に入ると県南全域から生徒が集まって来ましたが、その時は言葉の環境ががらりと変わった事を覚えています。
尚、特に古い言葉に限り、土浦地域に限定せず(特記した上で)掲載しました。
(2)我が家の方言の環境
私の知る茨城方言は、土浦市北東部の上大津地区ですが、実は婚姻の関係でやや離れた地域の方言の影響を間違いなく受けています。
過去の婚姻の関係から上大津地域の一般的な方言に対して、やや離れた地域として、数代前に稲敷郡阿見町福田から、後妻の祖母は同じ稲敷郡阿見町右籾から、曽祖父及び母は新治郡出島村戸崎(現かすみがうら市)から、義姉が、新治郡上大堤(現かすみがうら市)から嫁いでいますから、その影響があることになります。一方でやや影響は少ないものの、私の代以前の嫁ぎ先や比較的近い親戚として、新治郡加茂(現かすみがうら市)、新治郡深谷(現かすみがうら市)、土浦市中村(土浦市南部)、土浦市大岩田(土浦市南部)、土浦市大手町(土浦市街)、土浦市宍塚(土浦市南部)等があります。
具体的には、後妻の祖母が良く使っていた『〜ない』の意味の『〜に』『〜にぇ』は、福島県の方言と共通しています。祖母の口癖だった『つまんにもんしっちゃもんだっぺ』は、祖母以外の口から聞いた事はありませんでした。『んだぺちか』(そうだろうか)も祖母の言葉です。母親の里である当時の出島村戸崎では、『だんべ』が主流でした。『〜がす、〜がんす』は、母親が良く使いました。『〜してちょうだい』の意味の『〜くろ』は、同じ町内に住む同級生が良く使っていました。結果として、我が家は祖母の存在によって土浦市内では特に独特の方言を残す稲敷郡と、茨城県南部の伝統的方言を残す新治郡の二つの言葉の遺伝子を受け継いだことになります。また、『〜してちょうだい』の意味の『〜くろ』は主に県西部方言です。同じ町内に住む同級生の家族の中に、県西部出身者がいたのでしょう。長塚節の『太十と其犬』に『埋めてやってくろえ』が出て来ます。『埋めててやってくれや』の意味です。
ところで、終助詞としての『や、よ』は『え』を経て『い』に変化したとされます。たとえば、文語の『早くせよ』は、俗語では『早くせえ、早くせい』などと言います。茨城では、かつて『はいぐせー、はいぐせーな、はいぐせーや、はいぐせーよ』などと言いました。関西弁の『はやくせなあかんでえ』とは、実は極めて近い言葉なのです。関西弁の『あかん』は茨城弁の『いげね』と同じである。現代語では『遺憾、いかぬ』意味である。今では『遺憾』とは漢語的に使われるが、和語をベースにすればば、『いかぬこと:行き届かない事』の意味であろう。
このように、現代の標準語も、訛りのプロセスを経て定められた一種の言葉であることが解る。一方、上大津地区の方言といっても実は純粋にその地区の方言とは言えず、特に婚姻を軸にして近隣地域の影響を受けた方言が生まれたと言えます。
また、現代の標準語を基本とすると、茨城方言は独特の言語ですが、むしろ、古代の上方語を東国には珍しく現代に伝えている言葉とも言えます。
(3)収集結果の概要とまとめ
収集したものは、@まず標準語か否かの網にかけます。A古語との関係が無いかどうか調べます、B類似の方言が全国にどのように分布するか調べます。C本来的な意味が何かを調べます。Dそのような作業を通じても、解らない場合は、以後の課題にしています。
他の方言との関係から中央構造線以東をベースにして、土浦地域の茨城弁を一言で言えば、関東圏に古くからある東国言葉を土台にして江戸の下町言葉の影響を大きく受けながら、東北地方の訛の色濃い方言だということができます。そして、それに茨城弁らしい隠し味をぱらりと撒いたのが茨城弁だという印象です。
1)茨城方言の分布
茨城県下の方言は全て同じかというとそうではありません。言葉によっては@特定の地域にしか無いもの、Aかなり偏った分布を示すものや、B南北に分かれるもの、C東西に分かれるもの、D周辺域(主に常磐線沿線から離れている地域)に偏在するもの、E広域であるものの偏在するもの、F全域に渡って使われるもの、等があります。@Aは動植物の名称に顕著で、BCは特定の言葉に限られます。Dはどうやら歴史的に古い言葉に顕著です。
このなかで、特にDについては、県北部の北茨城市付近、県西部の猿島郡付近、県央部の新治郡、南東部の稲敷郡付近に多く見られます。これは、結果としては当然のことで、かつての水戸街道、現代では常磐線沿線地域が、経済的にも文化的にも中央や他県の影響をより強く受けて、標準化の度合いが進んだと考えられます。言い換えれば、常磐線沿線地域から離れるほど、古来からあった言葉が良く残り、一方では中央の言葉がより大きく変化しているからだと考えられます。
例えば正月の14日は、15日の小正月に対して年を越す日と考えられています。県下には、最も訛ったものが『までーしょーがづ、までしょーがづ、までーとし、までどし』、中間形が『まどいどし、まどいとしこし、まどいとしとり、まどいのとし、まどいび』、原型と思われる『まどめどし』は北のはずれの高萩市の方言です。
また、行方郡や鹿島郡では、茨城方言より千葉方言の影響が大きいようです。
ただし、より高所の視点から見るとやはり茨城方言の大きな範疇に含まれると考えられます。限られた特定の言葉ですが、国立国語研究所がネット公開している日本語情報資料館の日本言語地図を見るとその分布状況が全国レベルで解ります。
2)土浦方言
土浦市は、水戸街道沿いに発達した城下町で、茨城県の南の要の都市であり、今では標準語化がかなり進んでいます。しかし新治郡や稲敷郡隣接する地域では、独特の言葉や古い言葉がが良く残っています。
3)全てが繋がっている
収集を開始した当時は、茨城弁は極めて特異な言語だという認識から始めました。茨城特有の訛が沢山あると自負していましたが、権威ある辞書を調べて行くうちに、ほとんどが、何らかの標準語(現代語)または古語と繋がっていることが解りました。今でもちょっとした拍子に関係の深い古い標準語に出会うことがあります。黄色い地色はどんどん少なくなっています。一方グレーの地色が増えています。実は、単語レベルでは長い言語の歴史と地域性の中で周辺地域やさらに離れた地域と密接に繋がっている言葉だということが良く解りました。
実際、通常茨城弁と言われるのは、茨城県下全域で話されている方言と思い勝ちですが、ウィキペディアフリー百科事典には、『東関東方言(ひがしかんとうほうげん)は、茨城県の大半と、栃木県の南西部(足利市周辺)を除く地域および群馬県の館林市の一部と板倉町、千葉県の野田市周辺で話されている日本語の方言群である。無アクセント、語頭のイとエの混同、いわゆるズーズー弁など、東北方言的な要素を多く持つ方言である。この方言群には、茨城弁などが含まれ、さらに実際には地域により使用される語彙の差が見られるが、全体的な特徴は共通する。また本来西関東方言に属している埼玉県の茨城または千葉との県境付近(特に日光街道より東)では、この方言と似たようなアクセントが存在する。』とあるように、『東関東方言』として定義されています。
一方で、茨城方言と思っていた言葉の多くが、現代標準語では無くなってしまった古い時代の広域語があることも解りました。
4)東京の下町言葉との密接な関係
東京の下町言葉は、茨城県人にはあまり違和感がありません。例えば古典落語を聞いても数多くの共通の言葉が見出されます。べらんめえ言葉です。
連母音変形は茨城弁の大きな特徴でもあります。時代劇などに出て来る標準語世界には違和感のある古い言葉も茨城には残っています。都心では今では汚い言葉とされ、今では俗語としてしか使われていませんが、茨城方言では、標準茨城方言として定着しています。茨城弁は地理的な関係から江戸時代の下町言葉を今に色濃く残していることは間違い有りません。また、江戸時代の遊郭で使われた言葉がかなり残っています。江戸時代の遊郭では、出身地を隠すために独特の言葉を用いるようにしたと言われます。特に助詞に気を使ったようです。これらは、今でも茨城のほか、東北地方で地方で使われているものです。
江戸言葉は、語部に近い形で古典落語によって今に残されています。そのため、東京方言の存在はあまり意識されず、現代に至っているようです。
5)関東圏域に古くからあった言葉の存在
東京方言は、江戸言葉に代表されるように、江戸方言が残ったものですが、関東地域で特に古い言葉を掲載しているサイトやお爺さんやお婆さんのヒアリングを通じてまとめられたサイトには、驚くほど茨城方言との共通の言葉が散見されます。東京都市部を除くかつて農村地帯であった関東圏の言葉は、実は単語レベルではほとんど同じだったのではないかと思われるほどです。東京都は東西に広い自治体ですが、西部は明らかに古い関東圏域の方言を残しています。いわゆる西関東方言です。静岡県や山梨県も東国圏域と考えられます。
現代では一見、異なる文化を持っているが如く見えますが、古い方言をたどって行くと、間違いなく関東はひとつの文化圏に属していたことが確認できました。万葉集の『防人の歌』の中にある古い東国方言が今も生きていることが解っています。
茨城方言は、関東で最も古い時代の言葉を残していることは間違い有りません。
6)栃木と千葉との密接な関係
代表的な訛『あおなじみ』『ごじゃっぺ』『ちく』が実は栃木県や千葉県の一部、東京西部でも使われていることが判明しました。これは、栃木・千葉との文化的・経済的関係を暗示しているものと思われます。つまり、栃木や千葉の一部は東関東方言の圏域だということになります。
7)茨城弁は東北弁の通訳言葉
一方、茨城弁には、東北弁と共通する言葉や似た言葉が沢山あります。特に福島や宮城県あたりまでは、共通の訛が大変多いことが解りました。
標準語世界の方からは、東北弁はその特徴から極限にまで単音化と短縮化が進んでいるため特に解り難いと言われます。東北弁は北に行く程、圧縮される傾向があり、同音異義語が多くなります。そのせいか微妙に意味がずれているものが沢山あります。ところが茨城県人からすると、かなり近い言葉なのです。最も訛が進んだ津軽弁でも、茨城弁を間に介在するときっとかなりの単語の意味と標準語との関係が理解できるはずです。特に助詞の語法がどうしてここまで同じなのかと思われるほど似ています。
一説には、江戸を中心とした文化圏の中で北関東の方言の関所として茨城方言が存在し、それが東北地方に伝わったとあります。金田一京助は『南奥方言は北関東方言の延長である』と断言しています。実際には、なかなかそんな単純なことではないと思いますが、東北弁の言葉には単語や発音法等に共通点が多く、否定できないと思われます。
一方では、日本海に面する秋田や山形には関西地域や中国地方、九州地方に何故か東北弁と共通する言葉や言い回しがあったりするのは実に興味深いと思います。北前船がもたらしたとのではないかと考えるのは、自然なことだと思います。
8)関東方言と茨城方言と東北方言/関東・東北方言の存在
茨城方言の基本は関東方言ですがそれに東北方言の要素を加えたものが茨城方言です。
ところで東北方言には、関東方言との共通語が数多く見られます。それらは、東国方言から中部東山道方言を除いた『関東・東北方言』とも言うべき存在を感じさせます。その代表語が『べ・べー・べい・べえ』です。
9)その他の中間地域(中部・東山道)
中間領域では、愛知・岐阜・長野は関西圏と東国の中間領域、長野県は東北弁の影響も受けていると思われ、新潟を加えて、関西・東国・東北の中間領域にあると思われます。大便を示す『おんこ』は新潟でも使われるのです。
これらは印象であり、立証は今後の課題です。また現代標準語では失われてしまった古い言葉があることが解りました。
10)関西から九州にかけての地域
関西から九州にかけての地域の方言は、やはり文化圏の差異を感じます。ところが、標準語には無い共通語や茨城弁に近い言葉がたまにあります。これらは、標準語とは別の全国共通語の存在を暗示しているように思えます。特に関西北部、四国、九州南部に多く見られます。
2005年度のNHKの連ドラで全国に明らかになった九州北部の方言の中に『〜ちゃ』があります。『〜た』の意味ですが、語法に相違があるものの茨城方言でも古くは全く同じ意味で使われていました。近世語の『〜じゃ』が訛ったと推測されます。
11)沖縄の方言
沖縄には学生時代の友人が住んでいます。沖縄の言葉は、本州や北海道のアイヌ語とは全く異なる言葉だと思います。もしやすると、時代を遡ればルーツは同じだったのかもしれませんが、9割以上解らない印象です。
12)助動詞・助詞の表現こそ重要
個々の名詞や動詞は、成立の様々な要因が加わり、方言としてのバリエーションが多くなる傾向があります。そのため、全国の方言の関係をいよいよ解かり難くしています。
もし、現代の標準語を基礎に、各地の方言をいくらひもといても理解することはできません。
なぜなら、各地に残る独特の言い回しは、古語や近世語は各々に残り今に伝わっているからです。
現代の標準語は過去に脈々と作られた様々な言語の流れの一つだけを選択し、定められたものだとしか言いようがありません。確かに一連のプロセスを経たももの、各地に方言として残る語法の大半は、古語や近世語に由来していることは間違いありません。
13)茨城方言の価値
@古くからの方言が書籍に数多く残っている。
茨城方言は、関東では古くから方言大国として意識され、『物類称呼』や『俚言集覧』に関東では珍しく多くの方言が記録されています。
茨城方言が何故価値があるかと言えば、まず上代語を今に受け継いでいることでしょう。万葉集にある言葉が今でも使われているのです。また、中世から近世にかけての言葉も沢山残っています。
茨城方言は、江戸時代に編纂された『新編常陸国誌』と明治末期に編纂された『茨城方言集覧』が残されているのは本当に幸運です。さらに遡れば、『常陸風土記』がほぼ完全な形で残っていることです。
一方、江戸言葉が今でもそのまま使われているのは、茨城ではないでしょうか。フーテンの寅さんの言葉は、茨城弁から濁音を除くと茨城弁そのものなのです。また、茨城方言は、東国方言や関東方言を最も良く残している言葉と言えます。
言葉は、上代から様々な変化を遂げてきました。上代以前には、和語としての日本語があったはずです。その後漢字が伝わり、日本語の言葉革命が起こりました。和語に相応しい漢字が当てられ、さらに様々な経緯を経て今に至っています。
『俚言集覧』にも見られるように、江戸時代には、諸国の言葉を統一する意思がありませんでしたから、すべからく素直に受け入れられていました。方言という概念が無かったわけで、言い換えれば現代の標準語の概念もなかったのです。
明治以降、国策によって日本語の統一政策がなされました。『俚言集覧』をながめると、江戸時代に使われた言葉が、明治以降駆逐されたのだろうと推測されます。江戸時代には、普通に使われていた言葉が、明治政府によって使ってはいけないことばになったのでしょう。もしかすると、明治時代の文豪が使った、江戸の流れを汲む言葉も駆逐された可能性があります。
さらに、八丈方言との多くの一致する言葉も極めて重要な要素です。茨城方言はもっと評価される時代がかならず来るはずです。
茨城方言は、関東では早くから独特の言葉であることを認識されたがゆえに、研究や文献作成の目的自体が、あまりに豊富な体言・用言に圧倒され、最も大事な助辞すなわち、助動詞や助詞の研究は、沖縄方言や八丈方言に比べて遅れて来ました。
また、方言研究とは何のための研究かを考えれば、全国の特に大学等の研究者は、もっと情報を公開し、文化遺遺産としての方言の存続に是非とも寄与すべきであると思います。
幸い、有志の大学や研究施設が、断片的に情報を公開されています。中には、あいかわらず、メンバー制度をとっている研究施設もあります。
方言は、専門研究者だけの時代は終わって、今だからこそ、一般の方言サイトを時間をかけて世に公開しているデータが重要重要な時代になったのでしょう。
当サイトは、その意味で、茨城方言の学術書でもっとも空白息になっていた語法について、これからも最も重要な課題とし、また、全国各地の方言との関係をひもといていきたいと思っています。
A古語や近世語が良く残されている。
橘正一が昭和11年に著した「方言学概論」の「5八丈方言の系統」では、いくつかの八丈方言に関する文献をもとに、八丈方言と他の地域の共通語の数を地域別にまとめ、八丈方言が日本のどの地域の言葉に近いかが検証されました。これによると、上位は、岩手、静岡、山形、茨城、愛知、神奈川、千葉・宮城、秋田、青森、福島 の順番でした。これにより八丈方言は、岩手を中心とした東北各県との関係が最も深く、次いで静岡、関東では唯一茨城との関係が深いことが解かりました。茨城は全国で堂々の4位でした。神奈川・千葉・静岡・愛知との関係は明らかに地理的に近いからでしょう。ただし、東北方言との関係は説明できません。橘正一はこれに関して、古語がどれだけ残っているかが大きな要因であると結論付けています。
1)関西方言と標準語の違い
関西方言と標準語の違いは様々ありますが、その根本的な違いは、関西方言は近世語を色濃く残していることです。勿論現代の関西方言は近世の上方方言そのものではなく、関東方言同様変化していますが、その根幹は近世語にあると言い切れるでしょう。
一方、近世の江戸語は、上方語を色濃く受け継いでいましたが、その後、すっかり変わってしまいました。
2)茨城に残る様々な上方語
全国の方言を調べると、その地域の訛りの原型となる地域の言葉がどこにあったかが重要になります。しばしば『東西対立語』なる言葉が定義され、それが議論されますが、それは一部は江戸期にもありましたが、最も顕著に議論されるのは恐らく明治以降のことです。
今日では様々なメディアを通じて、関西と関東の言葉は入り乱れて一部の言葉のルーツが識別しにくくなっていますが、日本語は、古くから上方語が中心にあったことは間違いありません。
近世の江戸言葉も然りで、その大半は上方語が原型でしたが、その後大きく変化したようです。
茨城に、何故上方語が数多く残っているかの問いに対する答えは、近世の江戸言葉が、良く残っているというのが適切な判断でしょう。
B残したか否かが方言区分の分かれ目
茨城方言は一部の他県に無い独特の方言ばかりが注目され特別視される傾向がありますが実はそうではありません。この現象は東北方言と良く似ています。東北方言の数々の独特な言い回しや単語は実は古語や近世語に由来することが多く、それに東北方言特有の濁音化や、短縮化、さらにサ行音のハ行音化などが加わって解かりにくくなっていますが、これには東北西部方言が上方と深く関っていることにも起因しています。
茨城方言も似た傾向があり、今まで単純に茨城独自の方言と思われていた言葉が、神奈川・千葉・栃木・東北各県の明治期の文献との照合をした結果大半の言葉が実は、茨城以外でも古くは使われていたことが判明しました。そのため、黄色の背景の言葉がますます少なくなり、これだけ膨大な方言をネット公開しているサイトは他に無いはずなのに、茨城独自の方言と銘打てる言葉がますます少なくなりつつあります。
これは、言い換えれば茨城方言は関東圏では珍しいほど古い言葉を残した坩堝のような方言であり、古い言葉を捨て去った東京を中心とした地域の言葉からすると『方言がきつい言葉』と認識されるようになったと推測されます。
そのような視点に立てば、私達茨城県人あるいは茨城出身他県人は、『良くぞ今まで残してくれた』と評価すべきであり、先人達に感謝すべきなのでしょう。
確かに関東圏で東北弁の一部に分類される方言ではありますが、それは歴史に根ざしたものであり、古い言葉を残したのが茨城方言であり、関東の他県は捨ててしまったために結果的に生まれたのが現代の方言区分と考えて間違いないでしょう。
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9.収集結果の個別考察
(1)土浦市内での上大津地域の方言
土浦市発行の『土浦の方言(H9) 』及び『続土浦の方言(H16)』に掲載されている語句と共通するものを一覧表に示しましたが、結果的に、これらの本の概ね9割内外の語句が当サイトに掲載されている語句と共通しています。これは、同じ土浦市内でも地域によって僅かに異なることを示しています。また、掲載した共通語句に解説は必ずしも一致するものではありません。上大津地区は純農村地帯であること、隣接するかすみがうら市(旧新治郡下大津地区)の影響を受け、より古い言葉を残していると考えられます。
(2)県内での土浦地域の方言の特徴
土浦地域の茨城弁の特徴は、@東北弁の影響はやや少なくなる、A東京弁(下町弁)の影響がかなりある、B千葉県との関係が色濃い、C県西・県北に比べると標準化が進んでいる等の特徴があります。一方では、D濁音化とE動詞につける強調の接頭語表現が極端に進化しています。
茨城県を方言の傾向を基本に単純にエリアに分けると、北茨城市・高萩市・多賀郡・日立市・常陸太田市・久慈郡・那珂郡・・西茨城郡(北部)・東茨城郡(西部)・勝田市等の県北部、笠間市・西茨城郡(南部)真壁郡・結城市・猿島郡・古河市県西部、常磐線沿線の水戸市・石岡市・新治郡・土浦市等の県央部、牛久市・竜ヶ崎市・水海道市・北相馬郡・稲敷郡等の県南部、そして東茨城郡(東部)・西茨城郡(東部)・鹿島郡・行方郡等の県東部・南東部に分けられます。
このうち日立市・水戸市・石岡市・土浦市・取手市等はそれぞれの区域の特徴がわずかにあるものの標準語化が進み、語彙数は少ない傾向があります。
県北部のうち特に久慈郡・北茨城市あたりは、古い方言をよく残しかつ東北弁の影響が色濃いようです。県西部では特に猿島郡に独特の方言があります。真壁郡・笠間市にも訛りが多いようです。濁音が少ない傾向があるようです。また栃木弁との関係が大きいと思われます。訛りの度合いは大きく、土浦地域を中心にした訛りがさらに進んだ地域でもあります。県東部・南東部では稲敷郡・北相馬郡に特に訛りの度合いが大きいようです。とりわけ稲敷郡に特別な方言が多いのは、昭和14年〜33年にかけて実施された稲波地区の遊水池大規模な干拓事業に伴って入植者が全国から集まり、特に富山県からの入植者が多かったためとも言われます。東部は海に面しているため、漁師言葉も無視できません。鹿島郡はかなり広いのですが、こちらも独特の方言が残っています。県東部・南東部は利根川を挟んで隣接する千葉県北部の方言に多くの共通語が見出されます。県南東部は、波崎町を中心に特に濁音が少ないばかりでなくやや特別な地域と言われています。『ぺ』はあまり使われず『べえ』が主流のようです。地理的にも不便な地域であり、古い言葉が良く残っています。ここは、ネット上の空白地域になっているので、さらなる情報を公開が期待されます。さらに、銚子に近い波崎町は銚子との関係で特別な地域と言われています。明治末期に発刊された茨城方言集覧には、当時の方言が沢山収録されていますが、県南西部同様に、訛りの度合いは大きく、土浦地域を中心にした訛りがさらに進んだ地域でもあります。また、特定の言葉により、分布が南北に分かれたり、東西に分かれたり、中央部と周辺部に分かれたりすることがあります。面白いのは、標準化が進んだ常磐線沿線を除いた地域に多くの共通方言があることです。
これらを単純に整理すると、@常磐線沿線で特に経済的に発達した日立市・水戸市・石岡市・土浦市・取手市等は、標準化が進んでいる。A県北部・県西部・県南部・県東部共古い言葉を良く残し、訛りの度合いが大きくかつ各々が隣接する福島県・栃木県・千葉県との関係が深い。B県東部は、漁師言葉の影響がある。C霞ヶ浦周辺地域は、特に水産物に共通の方言がある D特定の言葉により、南北に分かれたり、東西に分かれたり、中央部と周辺部に分かれたりすることがある そのような図式になると思われます。
一方、農作物類の呼称はあまり差異が無いのに比べ、動植物は、県内でもかなり異なることが解かりました。これは交易や流通の関係で標準化が進んだ農作物に比べて、その対象にならない動植物は古い言葉を残しているのだと考えられます。
(3)茨城方言集覧に見る旧新治郡の方言の位置付け
1)明治時代の新治郡
土浦市は、もとは新治郡でした。明治22年(1889)に町村制が施行された時、土浦町・真壁町・石岡町・高浜町・柿岡町の5町30村を含んだ新治郡が成立し、郡役所が土浦町に置かれました。今では考えられないような広大な面積で県南中央の大部分がこれに含まれました。
明治37年に発刊された茨城方言集覧に記載された新治郡とはそのような時代の茨城の郡を指し、概ね今の土浦市を中心とした県南中央部の方言が、まとめられていると思って間違いありません。
また、霞ヶ浦は県南の漁師達の仕事場でしたから、漁師を通じて霞ヶ浦周辺には共通の文化がありました。実際、霞ヶ浦周辺域共通の漁師方言があります。そのことから、稲敷郡や行方郡との関係は濃厚であったはずで、流通の点からも土浦は当時の核でした。
2)『ぺ』に見る言葉の文化の流れ
茨城方言集覧は長塚節の『土』同様貴重な民俗資料で、茨城県下全域の方言を集めたものです。そのため、単語によってはかなり広域のものがある他、特定の地域に集中しているものがあります。その中で『ぺ』は、旧新治郡限定の方言として位置付けられています。『ぺ』のような重要方言が、収集漏れによってたまたま旧新治郡限定になったと考えるのは無理があるでしょう。旧新治郡限定の方言だったことは間違い無いと考えられます。
今、『ぺ』を使うのは茨城県を中心に福島県・栃木県・千葉県の一部にまで広がっているのです。そうなると『ぺ』は土浦を中心とした旧新治郡で明治後期に定着した新方言で、それが次第に拡がったと解釈して良いと思われます。
3)『くどっこい』に見る方言の流れ
『くどっこい』は標準語の『諄い(くどい)』が訛ったもので、もともと@話がしつこい、A食べ物の味付けがしつこい、B色合いや模様がどぎつい意味の言葉です。土浦地域では、主に@(問題などが)難しい、A(味が)しつこい、味が濃い、B長くて鬱陶しい意味で使われます。さらに訛った『こどっこい』と言う人もいました。これは現在の久慈郡でも語り継がれています。また同じように訛った『こたっこい』は茨城方言集覧に『濃厚』の意味で旧猿島郡の方言として紹介されており、現在でも『こだっこい』が使われていると言います。『こだっこい』はさらに、栃木県の一部でも使われていると言いますから、もともと複数の意味があった方言が、旧新治郡を中心に一部の意味だけが伝わったと推測されます。
3)『までや』にみる文化の流れ
『までや』とは、茨城方言を代表する言葉ですが、納屋や倉庫を指す言葉です。過去のデータから、纏める(まとめる)を語源として、またいる→まてーる→までると変化し、その名詞形であることが解っています。柳田国男がたてた仮説によれば、文化の中心から離れた地域に古い言葉が残ることになります。明治後期に発刊された、茨城方言集覧には、『納屋や倉庫』の意味の言葉として旧久慈郡で『むだや』と言っていた記録があります。大変興味深いことです。
4)訛りの度合い
土浦を中心にした地域は、東京の影響を受けて標準語との関係が密接にあります。一方では、濁音化と動詞につける強調の接頭語表現が極端に進化しているのは前記の通りです。
茨城方言集覧を参照して気がついたのは、旧新治郡を中心として県北・県南・県東南部に沢山の解読不能な方言があったことです。また旧新治郡の当時の方言のなかにはすっかりすたれてしまったものがあるのを知りました。
一方では、古い時代の標準語の名残が各地に残っていることも判明しました。日本語の語彙はあまりに沢山あるために、その地域の事情によってたまたますたれてしまう場合や、言い方を変えて残されているものが沢山あることが解りました。
(4)現代標準語と江戸時代の近世語のギャップ
現代標準語と江戸時代の言葉には大きなギャップがあります。それは何故でしょうか。
江戸時代は、260年続いた世界でも稀に見る政権でしたが、江戸末期には概ね現代標準語が定まった環境にありましたが、当時の江戸では山手と下町は大きく異なっていました。
明治政府は、当時の山の手言葉を(実際は有力な諸大名との様々なかけひきがあったと見られる)標準語と定めました。
江戸を中心とした、経済にあって、山の手言葉より、下々の言葉が周辺地域に伝わりやすかった環境にあったことは間違いなかったでしょう。
ところが、過去に残された江戸時代の諸文献に残された言葉は、現代の東京周辺地域に残っていますが、恐らく茨城にこそ、とりわけそれは残っていると言えるでしょう。
つまり、明治政府が政策によって、下町の江戸言葉や方言を駆逐した事と逆に、その繋がりを考えるには、関東圏では茨城方言こそが最も重要になると思われます。
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10.日本語の起源と外来語等(作成中)
1)日本語の起源
ウィキペディアによると、日本語の起源はいまだ定説は定まらず、今後も引き続き研究が進むとされる。以下の説があるとされる。
・日本語アルタイ起源説:極東アジアのアルタイ民族が使うアルタイ語を起源とする説。
・日本語・高句麗語同系説:高句麗(紀元前37年ころ - 668年)の領域で使用されていた言語を起源とする説。
・日本語・朝鮮語同系説:日本語と朝鮮語を同系とする説。
・オーストロネシア語起源説(混合語起源説):オーストロネシアとは『南島』を意味し、主に南洋諸島の言語を起源とする説。
・日本語クレオールタミル語説:主にインド南部のタミル人が話すタミル語に起源するという説。
・その他珍説・奇説:エジプト語、ヘブライ語、レプチャ語、シナ・チベット語、英語、ドイツ語、ネイティブアメリカン等を起源としたり、類似語等とする説がある。
2)外来語
外来語が日本語化したものが沢山あります。特に英語の定着は目を見張るものがあります。そこで、ここでは英語を除いた外来語をまとめて見ます。
@アイヌ語
・やつ・やと:谷あいの窪んだ土地:『ヤチ』(湿地)に由来すると言う。
Aハングル語
・
Bポルトガル語
・
Cオランダ語
・ポン酢:酢を示す『pons』の『ス』に『酢』を当てたもの。
Dフランス語
・コッペパン:コッペは「切った」の意のフランス語クーペ(coupe)の訛か(広辞苑)。
3)日本語の語源を混乱させる漢字
・日本語と漢語
現代の日本語は、漢字の伝来によって様々な言葉が生まれ、今や漢語や英語を初めとする外来語の全盛の時代にあります。ところが、生粋の日本語と思われる言葉のルーツが意外なものだったりすることがあります。その理由は、和語の本来の意味を示すよう個別に漢字を当てれば解り易かったのですが、和語の成語にそのまま当てはまる漢語を当てたために、語源が消えてしまった言葉があるのです。
また、調べて見ると、意外に根源的な言葉の語源が解っていないものが少なくないのも不思議です。
これは、良く考えてみると、日本語は時代と共に標準化が進みましたが、漢字伝来の時の日本の言語情勢を考えて見れば解ることで、当時の幾多の学者達が様々な研究によって現代日本語に繋がる日本語と漢語の関係の定義すなわち、和語に漢字を当てることから始まったと思われます。日本語の表記は、まずは類似の意味の和語に道義の漢字を当てたと考えられます。そうすれば、分解された単語レベルでは通じるからです。これは、コミュニケーション上必須の作業だったでしょう。この研究を通じて、仮名が生まれ、暫定的に漢語を日本語に置き換えることができたのではないでしょうか。それが当時の文化の限界だったと思われます。当時の感覚では発音を一対一で対応すれば解るという感覚があったのではないでしょうか。
これは、簡易な漢和辞典が当時すでに成立していたことになります。
・漢文を日本語の感覚で読む方法を編み出した日本人の知恵
当然、漢語と和語は体系が異なりますから、それだけでは十分ではないことに気が付きます。その次には、漢字に和語を与える作業があったのではないでしょうか。つまり、漢字では一文字であっても、和語では長い言葉になってしまうことがあったはずです。それが、現代の日本語を形成していると思われます。これが日本語の語源を曖昧にさせたルーツとも思われますが、当時の日漢の関係を考えると実は賢い選択だったのでしょう。
そして、日本人は、一般人が漢文を読みこなすために、漢文読みの語法を生み出します。この読解法は、個々の漢語に相当する和語を1:1で定義し、日本語の助詞に当たる言葉を送り仮名で補助し、レ点で順番を補正する方法は、何と現代でも生きています。
@日本語の語源を混乱させる漢字
ここでは、その例を集めてみました。『日本語源大辞典』を参照しました。
・合間:『間』(あい)も『間』(ま)も同じ意味でその合語に『合間』と当てたもの。
・生憎:もともとは感動詞『あや』に『にくし』の語幹がついた『あやにく』で、大正以降『あいにく』が一般化する。
・皸(あかぎれ):古くは、『あかかがり』。『あ』は『足』、『かがり』は『かかる』の連用形で『ひびがきれる』意味の上代語。『あかかがり』は江戸時代まで使われたが、『かがり』が一般的でなくなり、『赤く切れる』意味の『赤切れ』にとって変わった。
・慌てる・慌つ:『泡』を活用した言葉で、『泡立つ』の転用等の説がある。別に『泡を食う』という言葉がある。
・港:古来からあった『水な門』に漢語の『港』を当てたもの。
・南:もともと漢語の『南』は『なん』であって、『みなみ』とは読まない。諸説あるが、@ミナミ(皆見)の義、Aミノミ(水のみ):水の方向 等がある。
・源:『水な本』に『源』を当てたもの。
A変遷する日本語
現代標準語のうち、古語・近世語の変遷が比較的解り易いものをまとめてみました。
・新しい:もともとは『新たし』とする説が有力だが、アタラシ(可惜し)。が転じたとする説もある。
・歩く:古くは『ありく』『あるく』が共存。
・赤ん坊:赤坊。
・あかんべい:『赤目』が変化したもの。
・仰向く:『あほぎむく』。
4)今では方言と認識される言葉
・〜べえ:『べし』が訛ったものとされる。しかし、関東方言を中心に考えればもともと『べ』が存在し、後に『や』が転じた『よ』『え』『い』、そして『す』『し』が付いた可能性がある。『す』『し』は現代語の『さ』に該当する。
・〜さかい:関東方言で『〜から』に当たる。近世語を考慮に入れると『〜すから』が訛ったとしか考えられない。今でも関西では『そやすから』が使われる。
・『〜や』と『〜だ』:関西では、『そりゃそうだ』を『そりゃそうや』と言う。
・『そりゃ』:『そりゃ』の語源は、『それにてやあるらめ。』だろう。『そりゃそうだ。』はさらに、『さありとては、さありとてやあるらむ。』の意味だろう。
・『だ』と『じゃ』:一般に関西では『じゃ』、関東では『だ』になった言われる。語源は『〜にてある・〜である』にあるとされる。現代語の『〜で』『〜て』もこれに支配されている。
4)学者説を超えた英語と日本語の関係
・否:嫌だ。
・さ:英語の『that』の意味と同じ。
・そう:【so】英語も日本語も同じ。
・するな:『dont do that』。
5)言葉の発生を考えた時の擬態語・擬音語
『俚言集覧』ではしばしば、擬音語・擬態語を軽視する下りがありますが、言葉の原型は擬音語・擬態語から発生したと思われ、むしろ重要視すべきであると思われます。すなわち根源的な言葉は最初に代名詞・名詞があり、次に動詞や一般名詞、その次に形容詞が現れると思うのです。
思えば、日本語は特に繰り返し言葉に代表される擬音語・擬態語を現代に良く残していると言ってもいいのかもしれません。
現代日本語の語源がいくら過去の著名な文献を調べてもなかなか解らない理由は、そこにあるのであよう。仮に平安時代の文献にその源が見つかり平安時代の言葉が解ったとしても、結局その語源は解らないのと同じです。
日本語はいよいよ増して漢語の影響を受け、ルーツがますます解らなくなっているのです。
6)日本語の変遷の一例と茨城方言
@『無骨』の歴史と考察
古語では、礼儀や故実などの作法は『骨法』で、洗練されておらず粗野な様を『骨法なし』(骨無しの意)となり、それが略されて『こちなし』と言った。当てた漢字が『無骨』だったので、『ぶこつ』とも言うようになったと言われる。この場合、漢語に和語を加え、それがさらに新語を生み、その後さらに訛っていった歴史が伺える。
同じ意味の言葉に現代の『ぎこちない、ぎごちない』がある。古語では『ぎごつなし、ぎこつなし』で『ぎごちなし』とも言った。漢字は当てられていない。
別の言葉に『きこつ【気骨】:自分の信念に忠実で容易に人の意に屈しない意気。気概。』『 きこつ【肌骨】肌と骨。骨身。』がある。『ぎこちない、ぎごちない』は、『気骨・肌骨』という言葉とあいまって、混乱したのではないかと思える節がある。
さらにこれに擬態語の『ぎくぎく』『ぎくしゃく』が加わると、どっちが先だったのだろうかと思えてしまう。和語の原型は、擬態語の『ぎくぎく』『ぎくしゃく』だったろうから、『ぎこちない、ぎごちない』とは、『ぎくぎく』『ぎくしゃく』が『こちなし』が混ざったのでは7ないかと思わせる言葉である。
A茨城方言の『ぶぐぢねー・ぶくちねー』
『無骨』と古語の『こちなし』とを繋ぐ言葉でもある。
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11.標準語との関係/語源の考察
1)基本方針
標準語との関係及び語源の解説については、以下の通りです。
1)語源辞典の解説をそのまま転記した場合は、明記しました。
2)本来日本語の語源をどこまで求められるかは、暗闇の中にあります。政府の政策によって定められた標準語(共通語)が定義されたのは長い歴史の中ではつい最近で、歴史性は無視されて明治の中央政府によって一方的に定められたものです。このとき、方言は駆逐されようとしました。言い換えれば、現代日本語は、政治的に定められたコミュニケーションツールであって、江戸の下町庶民や周辺農民にとっては、迷惑な政策だったでしょう。
3)語源を求めることは、暗中模索です。仮に江戸時代に目を向けても、それ以前はどうだったのか、奈良・平安時代はどうだったのかは文献に頼ることが一般的な学者の遣り方です。さらに文字が伝来した以前になると全く解りません。
4)一方、風俗習慣を含め、文化生活は中央の刺激を受けない地方に残ります。柳田国男の『蝸牛考』の原点です。
5)現代の標準語との関係がほぼ明らかと言えるものについては断定的な表現としました。ただし厳密な学術的な根拠はありません。
6)標準語との関係が特定できない場合は、複数を掲載しました。ただし、学術的な根拠はありません。
7)表現上・形式上は、標準語を基点にして解説していますが、柳田国男の『蝸牛考』にもあるように、先進の中央文化に対して、地方文化は保守的な傾向があり、実は方言に言葉の源があると解釈されています。最近の比較的新しい言葉はメディアが発達したため、その土地の発音形に合わせた訛になっていることは間違いありませんが、そのような視点でこのサイトを見るとまた趣が変わると思っています。
8)標準語か方言かの区別は、著名辞書の他、江戸時代の文献を参照して区別しています。また、念のためネットも合わせて検索し確認するようにしています。しかし、中には思わぬ言葉が実は標準語で辞書掲載されている場合ががあります。大半が今では死語となっているものです。もともと、著名辞書でも掲載語が異なるため、そのような境界域にある言葉の区別の信頼性についてはご容赦下さい。
9)現代標準語の歴史を調べると、実は標準語も訛りの歴史を繰り返したことがわかります。現代標準語は、数あるお国言葉の中で、特定の時代の江戸の山の手言葉だったことがつくづくと感じられます。当の現代の東京では、中央政府が存在したため、早くから標準語化が進んだのでしょう。
今、江戸下町言葉が良く残されているのは、関東では茨城しかないと思っていますが、残念ながらら私の知る限り学者先生は、あまり研究の対象にしていないようです。
2)日本語の語源との関係
茨城方言の語源を現代標準語に求めるのは比較的簡単です。
一方、現代標準語の前形である近世語が茨城方言には数え切れないほど残っています。それらの言葉の多くは、漢字が与えられていません。その理由は漢字が与えられた言葉は明治の文豪達がこぞって漢字を与えたからです。言い換えれば、明治期にあまり使われなくなった言葉が漢字が無い言葉として茨城に数多く残っているとも言えます。
さらに古形である古語がそのまま残ったものや、古語の変形したものが茨城方言には沢山残っています。これは、歴史的に言えば『常陸風土記』の存在を無視できないと思います。人間の子供の記憶は繰り返さないとすぐ薄れます。しかし、3歳頃からの記憶は親が繰り返し語ると子供の記憶に残ることに似ています。
ところで、中には標準語の語源をたどらないと良く解らないものがあります。標準語の語源をたどって初めて語源が茨城方言に残っているものがあることがあります。しかし、皆目見当のつかないものがあります。そのような言葉はしばしば標準語自体の語源が特定されていません。
どうやら、日本語は伝達手段としての漢字が伝来した時、漢字に当てはめるための外部操作が行われ、元来あった和語に手が加えられた可能性があります。
元来、和語と漢語は別物です。現代に例えれば日本語をアルファベットに合わせて変容させた図式が見えます。
3)日本語の語源としての基本単語との関係
日本語のどの方言も同じだと思いますが、そのルーツは古代の日本語であることは間違いありません。
過去のどの時代も標準語が存在してその影響を受けて方言が生まれたのではなく、過去のどの時代でも地域特有の言葉が存在しそれが現代に残っているのであって、それらの地域の言葉は常に相互に関係し生まれた言葉であることは間違いありません。
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12.方言とは何か
(1)標準語とは何か。
標準語とは広辞苑に『一国の公用文や学校・放送などで用いる規範としての言語。多くは首府の方言を基礎にする。わが国では、大体、東京の中流階級の使う東京方言に基づくものと考えられている。』とあります。
またウィキペディアには『定義:類似のものに共通語があるが、厳密には同じものではない。共通語がその地域内で意思疎通を行うための便宜的な言葉であるのに対して、標準語とは人為的に整備された規範的な言葉を指す。また、これをさらに拡大して、標準語とは「こうしゃべる/書くべきである」という規範であり(ゾレンとしての共通・標準言語)、共通語は標準語を念頭におきつつ「実際こうしゃべって/書いている」という実状である(ザインとしての共通・標準言語)、という考えかたをとる場合もある。後者の説によれば、標準語とはすべての人が共通して持つ規範(標準)であり、しかし実際には誰ひとりそのとおりにしゃべっている(しゃべることのできる)者はいない、形而上的な共通・標準語であるといえる。日本語においては、もともと共通・標準となる日本語のかたちを標準語という用語によってあらわしていたが、ある時期から共通語に言い換えられるようになった。これは上記のような言語学的・国語学的定義とはまったく無関係に、「標準」という言葉に強制のニュアンスがあるという理由によって、主に教育関係やマスコミにおいて用語の交代が行われたものであるから、注意を要する。
歴史:歴史的には国民国家成立時に方言および少数言語を廃止するため、主方言または主言語を元に国語として作成、強制使用されてきた。特にフランスの絶対王政時に打ち出したされたフランス語の標準語化政策において顕著である。日本の場合:日本語においては明治に関八州の東京方言(征夷大将軍の徳川家の城下町の方言)を基礎にして「標準語」を作成する政策がとられ(これは主に官公庁の発行する各種の文章というかたちで実施された。そのうちもっとも代表的で、革新的――非文語的であるという意味で――であったのは、小学校における国語の教科書である)、これに文壇における言文一致運動が大きな影響を与えて、現在の標準語の基が築かれた。明治以降、このような国家的営為としての標準語作成政策がなかったことをもって、現在の日本語には厳密な意味での「標準語」は存在しないとする説もあるが、これはやや狭隘な見方にすぎると思われる。国家を超えた、より広い社会全体、文明全体の営為として、日本語のあるべきすがたについて一定のコンセンサスが形成されてゆく過程は、大正以降も見られ、規範意識としての標準語は、ある程度固定したかたちでわれわれの意識のなかにある。ただし日本語の標準語の大きな特徴は、それが圧倒的に書記言語偏重であることであって、口頭言語については、発音、イントネーション、アクセント等の面でまだ固定した規範が完全に成立しているとはいいがたい。かつてはNHK のアナウンサーがこの「教科書のための言葉」に近い日本語を話すとされた時期もあった。しかし現在のNHK では地方に焦点が当てられてアナウンサーによる画一的な標準語がかつてほど重視されなくなってきているため、放送メディア上でこのような規範を追求しようという傾向は以前よりは弱まっている。また規範的な標準語と、関東で使われている東京弁は混同される傾向にある。実際は東京弁は関東方言の一種でしかなく、標準語で「〜してしまう」を「〜しちゃう」と言ったり、「〜ではなく」を「〜ぢゃなく」等々と転訛して居る。しかるに、総理大臣をはじめとする政治家や、アナウンサーや俳優らメディア・映像関係者たちは平気で関東訛りの東京弁を用いているのが現状である。日本語における書記言語偏重は、標準語形成期に音声メディアが未熟であったこと、江戸時代から識字率が高く日本語が伝統的に筆記言語をおもんじる伝統を持っていたこと、言文一致運動が新聞記事における臨場感あふれる報道や小説を書くための文章をつくるという目的意識に支えられていたこと、などがその理由としてあげられる。』と書かれています。
以上を整理すると次のことが言えます。
・方言は江戸時代には無かった。言い換えれば江戸時代以前には、標準語という定義が無かったからである。
・標準語とは明治初期の東京方言である。
・ただし、書記言語偏重により、口語は標準語の対照とはなっていない。
・現代では、標準語の定義が薄れ、地方の言葉の復活のきざしが見られる。
・一時期から教育関係やマスコミでは共通語という言葉を使うようになった。
しかしながら、共通語という言い方も良く考えると不思議な言い方であり、単に世相を反映した、作為的な言葉とも思えてしまう。そのため、本サイトでは一環して敢えて『標準語』という言葉を使うことにしました。
今や1万語を超える方言集になってしまったので、手を余していますが、いよいよ辞書として最も権威があると言われる『広辞苑』との照合を開始しました。その中で驚くべきことが起きています。『これは』と思った言葉の多くが、広辞苑にそのまま掲載されていることが多いのです。また、古い言葉の音韻を受けてわずかに訛った言葉が多いのです。また、『俚言集覧』を照会するうちに、茨城で使われながら現代辞書には無い数々の言葉が、実は近世語そのものであったり、その流れを受けた言葉であることが判明しつつあります。言い換えれば、古い茨城弁には、沢山の古い言葉(明治以降の標準語とは異なる)が残されていることが解ったのです。
解説に当たっては、権威ある辞書(広辞林1983年度版、広辞苑1998年度版、大辞林第二版)を照合し解説を加えました。また近年の事情を反映して消えつつある標準語を明記しました。訛と標準語の区分は、上記辞書によっていますので、辞書によって掲載範囲が異なるために、辞書の枠を広げると方言扱いされている言葉の中には標準語として扱える単語も有ります。また、方言と訛は異なります。標準語の口語にも連母音変形等で多くの訛があり、辞書に掲載されていないものが沢山あります。
一方、標準語であるかるか否かの判断は、辞書しか無いという判断手法は、実は間違いで、現代の国語辞典には数多くの古語が掲載され、今では死語となった言葉が堂々と掲載されています。
また、複合語の場合、その判断は難しく、殊に標準語にもある、濁音化・促音化・撥音化・逆行同化・順行同化の現象は、一律に定められているわけではなく、むしろ不完全で、方言の方が徹底したルールが見られるものがあります。
ウィキペディアの解説にもあるように標準語とはすべての人が共通して持つ規範(標準)でありながら、実際には誰ひとりそのとおりにしゃべっている(しゃべることのできる)者はいないのが事実です。
古語にあって現代でも地方に残っている言葉はどうなるかというとさらに複雑な問題になります。一方で、標準語(共通語)とは、現代の東京を中心とした標準語圏で日常的に使われる言葉であり、過去にあっても捨て去られた言葉は方言として扱われる場合もあります。辞書には『現代では、〜に方言として残っている』などと表現されます。さらに、若年層を中心に使われるいわゆる新語あるいは新方言の取り扱いについては、苦慮するばかりで、特に、一度下火になった言葉が蘇るように現れて使われているものがあったり、地方の方言が中央に進出しているものも沢山あります。そのため標準語と方言の境界は実際は曖昧で、その区分を明快にするのは困難です。そのような現象が起きている理由は、標準語の概念が生まれたのは明治以降で、それ以前の言葉は著名文献に掲載されていれば、古語辞典や現代語辞典に掲載されていることによると考えられます。
そこで、このサイトでの標準語の定義は、@古語辞典掲載語、A現代国語辞典掲載語、B現代の都心で日常的に使われる言葉としました。それらを以下の表現で分類しましたが、学術的な根拠はなく厳密なものではありません。
一方、俗語の扱いは、極めて難しいと思われますが、面白いのは茨城県の人たちは、数多くの俗語を茨城弁だと思っていることが多いのです。
さらに、江戸の下町言葉は、少なからず茨城方言に残っていますが、それらは、俗語として今でも健在であり、茨城方言として扱うわけにはいきません。
・古代語:上代より前の言葉。漢字が伝来する前の言葉。
・上代語:上代の古語。主に奈良・平安時代の言葉。
・中世語:中世の古語。鎌倉・室町時代の言葉。
・近世語・江戸時代の言葉・江戸言葉:江戸時代の言葉。近世の江戸言葉は 基本的に標準語としました。ただし、『ひ』を『し』と発音する江戸限定の 言葉は方言扱いしました。
・古語:上代語・中世語等・近世語で時代区分が曖昧なもの。
・明治時代の言葉:明治時代に使われ、現代では廃れた言葉。
・古い標準語:明治期または近世語で現代では廃れた言葉。
・現代標準語
(2)方言とは何か
折口信夫は、『辞書』で『方言:辞書には、もう一つある。記録されない言語、偶然の原因によって記録されたにすぎぬもの、多くは記録されないもの、すなわち、方言である。方言は漠然としているが、長い歴史をもち、いまも生きている。ただ、行なわれている範囲が狭いということが、方言の最初におかるべき性質である。地方的、階級的、職業的であって、範囲が狭い。しかしながら、この方言ということは簡単に解決がつかぬ。われわれは便宜上、標準語を考えているにすぎぬ。江戸っ子のことばが標準語ではなく、それを選り分けている。平明であって、地方的なむつかしい発音を含まないで、近代的な一種の感じをもったもの、これが標準語になっている。江戸っ子のことばを基礎として、地方人が使い直したものだ。だから、標準語と方言との差は、方言の重要な性質たる、使用される範囲の広さによっては決まらない。標準語は存外使われている範囲は狭く、また、死語が多い。また、東京には行なわれていないが、東京の周囲にあるばかりでなく、九州、東北にまでわたっている語であると、単なる方言ではない。方言、標準語の区別は常識的なもので、学問的な整理はできない。勢力の問題だ。押しの強い人が行なっていれば、行なわれてくる。勢力のある人の使う語、あるいは、ある地方の言語が標準語として出てくる。また、ある職業に限ってはこの語というふうに、勢力の問題である。標準語という固定したものはない。』と書いています。
1)俚言と方言
広辞苑には『俚言:@俗間のさとびたことば。A標準語とは異なる、その地方特有の単語。土地のなまりことば。俗言。俚語。雅言の対語。』『方言:@一つの言語が地域によって異なった発達をし、音韻・語彙・文法の上で相違するいくつかの言語団に分れるとき、それぞれの言語の体系を指していう。なお、社会の階層によって異なる言語を階級方言という場合もある。Aある地方だけで使う、共通語と異なる語。俚言。土語。』とあります。また雅言もあります、同様に『雅言:正しくよいことば。洗練された言語。特に、和歌などに用いる古代(主に平安時代)のことば。』とあります。
俚言や雅言という言葉は現代では使われません。その意味で俚言・雅言の定義は現在では存在しないとも言えます。
2)標準語を起源とした方言の発生要因
本サイトの長期間の研究結果から、訛りの発生要因は以下の種類があると考えています。
3)標準語を中心に据えたときに発生する場合
標準語を中心に考えた時、標準語が訛って発生した方言は『訛語』と呼ばれます。
@耳からの入力
口語は、まず耳を通じてインプットされます。伝言ゲームにもあるようにインプット時に間違えば訛りが生まれます。『訛語』の一例です。
耳からの入力には、インプットされる側の言語文化が影響します。当サイトで定義した『地場同化・地場語同化』現象です。
外来語が日本語になるとき、言語とは大きく異なる発音に変化してししまう現象と同じです。
茨城県内ではテレビを通じて『くつ(靴)、はた(旗)、はたけ(畑)、どて(土手)』をそのまま耳で聞いているのに、今でも『くず、はだ、はだげ、どで』と濁音化します。カ行とダ行音濁音化は、茨城方言にとっては、命に近いものです。
濁音化は、現代の関西では少なくありません。濁音化現象は、東国にとくに顕著な特徴のようです。言葉を繰り返したり、連語の場合濁音化するのが辺代標準語のならわしです。例えば、『遥遥』は古くは『はるはる』で現代では『はるばる』と言います。
A発音による出力
地域によって特有の発音があります。その特有の発音が現代標準語と少しでもずれれば訛りは発生します。これも『訛語』の一例です。
例えば『千円』という言葉があります。どんなに正しく『せんえん』と発音しても『せんいぇん』と聞こえてしまいます。発音する側が正しくても聞く側にはそう聞こえてしまうことがあるのです。アメリカ人は円を『yen』としている理由もうなずけます。考えて見ると、『ん』と『え』の順番はすこぶる相性が悪い。上方語のように一つ一つの言葉をそのまま発音する文化と違い、東日本の発音は、無声音を多用するためか幾分米国語的な傾向があります。だからこそ、円が『yen』になったのでしょう。
B時間と地理
言葉の伝達は、マクロに考えると、空間軸が最も重要であり、それに時間軸が加わります。時間と地理的空間は伝言ゲーム現象を助長します。
かつて、新しい言葉は、都市部で発生し地方に伝わったと考えられます。従って地方ほど古い言葉が残っている傾向があります。
現代標準語は、明治時代に政治的に定められたものです。地方では古代や近代語を受け継いでいるとなると、そこに時代のギャップが生まれます。この様な言葉も多く方言として扱われます。
無駄な手法だとは思いますが、時間と空間といわゆる訛りの度合いを三次元マトリクスで表現したとしたら面白い現象が発見できるかも知れませんが、どうでしょう。
・古代の和語
古代の和語とは、すなわち漢字が日本に伝わる以前の日本各地にあった言葉です。まだ、詳しい調査はできていませんが、当時は西日本が言葉の中心分化であり、東日本は別の国でありしかも僻地でした。その時代の茨城周辺の言葉が、万葉集の東歌に残されています。その時代は、今の東京も東の田舎だったことは推測に疑いありません。
この時代の言葉が、茨城県にはかなり残っています。これは方言とは言えず、今言えば、『古代東国語』でしょう。
古代の和語は、もし今辞典を作ればずいぶん薄い辞書になったでしょう。明らかに社会機構が複雑になるにつれ、新たな言葉を作らざるを得なかったはずです。その最たるものが身分を表す言葉と、尊敬語・敬譲語でしょう。
・漢字が伝わった以降の日本語/仏教用語の影響
漢字が伝わると、革命的な現象がおきました。それまで文字が無かった日本では、早速、和語を漢字に当てました。すなわち漢語をそのまま使っている場合は別にして、古い和語を示す漢字は全て当て字だということです。
その間、どのような変遷があったかは不明です。恐らく、古代語に漢語を当ると言うこと即ち、漢字を当てると言うことは、一般庶民にはできなかったはずですから、中央の著名な僧侶達がその作業を行ったのでしょう。一方ではその時代に、仮名が生まれ、日本は漢字と仮名混じりの複雑な表記体系を作っていきます。
漢字の伝来は、過去の学説では起源1世紀頃とされてきましたが、近年では紀元前とする説もあるようである。
これらの様々な学説の他に、面白いのは、明らかに漢字の読みの間違いによる方言が少なくないことです。これは、漢字の伝来まで遡るものもあるし、近世あるいは明治以降の教育の不完全さによるものもあるでしょう。
考えを変えれば、漢字の読みの種類に呉音と漢音があり、これの訓読みを加えて、さらにもとからあった和語の存在によって、様々な言葉が生じたことが推測されます。さらにこれに加えて仏教用語の存在は茨城方言では無視できません。
また、漢字が伝わった以降の日本語は、まず、日本語の発音の個々の音韻に漢字を当て、そこから仮名が生まれ、その後漢字と仮名の共存の時代に移ります。何故共存を選んだかは、もともと漢語と和語は体系が異なりますから、単独の音韻に漢字を当てても、複合語は意味をなしません。そのため、漢語そのものも日本語の中に組み入れられます。これに呉音読みと漢音読みが加わって、ますます複雑になっていったと推測されます。
・いろは歌と五十音
いろは歌は、広辞苑に『手習歌の一。音の異なる仮名四十七文字の歌から成る。「色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為(ウ)の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず」。涅槃(ネハン)経第十三聖行品の偈(ゲ)「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」の意を和訳したものという。弘法大師の作と信じられていたが、実はその死後、平安中期の作。色葉歌。』、ウィキペディアに『全ての仮名の音を使って作られている歌で、手習い歌の一つ。七五調四句の今様(いまよう)形式になっている。手習い歌として最も著名なものであり、近代に至るまで長く使われた。そのため、全ての仮名を使って作る歌の総称として使われる場合もある。また、そのかなの配列順は「いろは順」として中世〜近世の辞書類等に広く利用された。』とあります。
五十音は、広辞苑に『日本語の四七種の音節を五字一○行にまとめたもの。ア行のイ・エがヤ行に、ウがワ行に重複して出るため、五十音となる。』、ウィキペディアに『日本語の仮名(平仮名、片仮名)文字を母音に基づき縦に五字、子音に基づき横に十字ずつ並べたもの。元来、漢字の音を示す手段である反切を説明するものとして考案されたものとされるが(明覚『反音作法』、1093年)、その子音と母音を分析的に配した体系性が、後には日本語の文字を体系的に学習するのにも利用されるなど様々な用途を生んだ。「五十音」「五十音図」の名は、江戸時代からのものであり、古くは「五音(ごいん)」とか「五音図」「五音五位之次第」「音図」「反音図」「仮名反(かながえし)」「五十聯音(いつらのこゑ)」などと呼ばれていた。』とあります。
いろは歌は平安中期、五十音は、平安後期に成立されたとされます。
・いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす。
・色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならん 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず。
いろは歌には古くは濁音表現は無く、末尾の『す』が濁音になったのは後世のことであるとされます。
いろは歌を現代の五十音図にあてはめると、以下のようになります。
あ |
い |
う |
え |
お |
− |
は |
ひ |
ふ |
へ |
ほ |
か |
き |
く |
け |
こ |
− |
ま |
み |
む |
め |
も |
さ |
し |
す |
せ |
そ |
− |
や |
− |
ゆ |
− |
よ |
た |
ち |
つ |
て |
と |
− |
ら |
り |
る |
れ |
ろ |
な |
に |
ぬ |
ね |
の |
− |
わ |
ゐ |
− |
ゑ |
を |
− |
− |
− |
− |
− |
− |
ん |
− |
− |
− |
− |
ただし、古代には以下のように現代には無い発音があったとされ現代よりもより整然とした発音体系があったと推測されています。
@『ち、つ』は、『ティ、トゥ』。
A『は、ひ、へ、ほ』は、『ファ、フィ、フェ、フォ』。
C『ゐ、ゑ、を』は、『ウィ、ウェ、ウォ』。
D古語では、『か』に当たる音に『くゎ』があり、これは、各地の方言に残っています。
Eヤ行エ段音は、かつて『イェ』と発音されました。ウィキペディアには『ヤ行エ段の音(イェ[je])に文字がないのは、平仮名・片仮名が整備される以前(10世紀前半)に文字としてはア行の「エ」に合流したためで、万葉仮名には存在していた。
なお、発音自体は文字とは逆にア行エ段音([e])がヤ行エ段音([je])に合流している。現代のようにア行エ段音が[e]になったのは江戸中期のことと推定されている。』とあります。
このような日本語の過去の日本語の歴史の一部が、地方の方言には、残されていることがあります。これらは、現代日本語の五十音では表現不可能ですが、拗音を表現する手法が一般化した今、新たな五十音図を定義しなければならない時代になったのかも知れません。
・中世語
・近世語:江戸時代の言葉。 江戸時代の言葉は、言語を統一する制度はありませんでした。ただし、遊郭では、生まれを隠すために、遊郭独特の言い回しが推奨され、その名残が茨城方言には沢山残っています。
また、江戸の下町言葉は、江戸落語で垣間見ることができますが、本家の東京ではすっかりすたれた言葉が、茨城に良く残っています。『ぶるさがる』は間違いなく江戸言葉です。
・近代語:明治期の言葉。その後変化したものも含みます。近代語は、ほとんど現代語と同じですが、次項の文語と口語が別に使われた経緯もあって、文語も幅広く使われました。
・文語
文語とは不思議でありながら的を得た定義です。諸外国の事情は知りませんが、日本語は話し言葉と文章に書く言葉が昔から違うのです。
このような現象があるのは、もともと日本語とは、雅語という言葉があることから、俗語が軽んじられた歴史があるのでしょう。雅語とは、日本古来の言葉です。ところが発音しにくい言葉はその後の歴史の中で様変わりしてしまいます。
・現代方言:@〜Cを除き、近代・現代標準語が変化した言葉。
4)比喩語
比喩語は、当然ながら標準語にもありますが、方言の比喩語も本当は日の目を見なければならないと思うのですが、辞書にないばっかりに方言扱いされてしまいます。比喩語は、一個人の言葉でもあり得ますから、方言か否かを判断する最も難しいものだと思います。
5)漢字の誤読に起因する方言
6)旧仮名遣いの誤読による方言
7)旧仮名遣いの影響を残した方言
特には行音に多く、例えば『川』は古くは『かは』と表記しましたがもともとはそのまま発音されていたと言われます。全国各地で『川』を『かー』と言う方言があるのはこのためと推測されます。
8)俗語・隠語
現代では俗語辞典等があるが、標準語・共通語として扱われない言葉があります。俗語は多く江戸言葉の流れとして残っているものが沢山あります。隠語と専門用語は実は識別が難しいもので、学術用語等では漢語が好まれますが、隠語としか思われないものが沢山あります。
結局、一般的な国語辞典だけが判断基準になりますが、実際は方言との識別が困難なものが沢山あります。
9)専門用語・業界用語
俗語・隠語同様、専門用語には、沢山の俗語や隠語があります。多くは古い時代の俗語が特定の専門的な世界で使われているものが沢山あります。ところがそれが、時折方言として意識されることがあります。
(2)標準語とは別の要因で発生するもの
標準語をベースにした方言とは別に、地域の歴史や文化、風俗に伴った方言があります。これには2種類あり、@複合語に多いのですが、基本的には標準語をベースにしながら物のあり様や行為を別の見方で表現したもの、A該当する標準語とは全く別の言葉に起因するもの、Bアイヌ語等の全く別の言葉に由来するもの等があります。このような方言は、学術界では『俚言』と呼ばれます。
1)歴史と文化
現代では、全ての最新情報がテレビとインターネットを通じて日本国内どころか世界中に伝えられます。しかしかつてはそうではありませんでした。歴史は時間軸だけではないので、歴史上の大きなな出来事は疾風の如く地方に伝わっても経済・文化の伝達にはかなりの時間がかかったはずです。
特に、地方特有の動植物の呼称や、その地の風俗文化によって発生した言葉です。中央の影響を受けている場合もありますし、そうでない場合もあります。これらの言葉こそ、お国言葉であり、その地方の歴史と文化を伝えるものです。多くは、民俗行事に残っています。
また、生活文化の発展と技術革新に伴い、言葉が変化していきます。外来語はその典型です。それは現代語のみならず、近世から日本語化してきました。特に家庭電化製品は変化が著しく、古い伝統を残した地方文化の言葉はは、いつしか方言扱いされるようになります。
2)物のあり様や行為を標準語とは別の視点で表現する場合
例えば『いーなし』という茨城方言があります。ナメクジを指す言葉で『家無し』の意味です。カタツムリには家があるがナメクジには家が無いから『いーなし』です。
『ひやす』という言葉があります。『浸す』意味です。これは、物を冷やす行為はかつて水につけることであったことの名残とも言えるでしょう。食事の後に茶碗を水に浸す場合、『おぢゃわんひやしどいでー』となるのです。標準語の擂粉木を『まーしぼー』『めぐりぼー』などと言います。よく考えて見ると、この言葉の方が標準語よりずっと物のあり様を表しています。
多くは、動植物や物品の呼称に残るものです。標準語も方言の一つですから、その発生とは異なる要因で生まれた言語です。
3)意味の変化
言葉の意味を正確に理解し話す人はまずいません。まして、方言が固められたとされる江戸時代には、教育もままならない時代でしたから、親や周囲の人たちの達の話を聞いて言葉を覚え、成長したはずです。その課程の中で、仮に言葉そのものは正しかったとしても意味が変化していくことがあります。
4)標準語そのものに複数の流れがある。
どうも、この現象は、日本語だけではないようで、全ての言語にあてはまるようです。
本サイトでは、著名方言文献や著名な方言サイトで簡単に方言と定義されている言葉が多いのに対して、詳しく調べると、古語であったり、近世語であったりすることにとに気が付き、方言と言われるものの多くが、実は過去の言葉であることが多いことを、実証することも大きな目的です。
5)外来語
外来語が日本語となったものは、今では数限りなくあると言え、今後も増えていると考えられます。ちなみに、明治初期の国語辞書『言海』では、外来語をその国籍によって分類し、国籍毎に語彙集が記載されています。それによると、@梵語(サンスクリット語):120語、A唐音語(宋・元・明・清の中国音語):96語、B蘭語(オランダ語):85語、C英語:73語、D洋語:55語、E韓語:23語、F蝦夷語:20語、G西班牙語(スペイン語):17語 となっている。その後の研究によってオランダ語よりむしろポルトガル語の方が多いことが判明しましたが、現代はそれから100年以上経過していますから、様変わりしているのは間違いありません。
方言の中の外来語で最も多いのは、オランダ・ポルトガル語で、主に江戸時代に伝わったものですから、視点を変えれば、歴史上の古い言葉でもあります。
(1)梵語
仏教用語として中国を経由して日本に伝わったものである。
茨城に残る言葉にまら(魔羅・摩羅・末羅:@仏道修行を妨げ人の心を惑わすもの、それが転じてA 陰茎(僧侶の隠語))がありやや意味が転じて『@素っ裸、下帯をつけていないこと、A陰茎』の意味である。また特殊な例としてヒラメ科ツノウシノシタを『ぬれまら』と言うのも関係がある可能性がある。
全国にあり、かつ現代でも使われる言葉に『旦那』がある。もともとは『仏家が、財物を施与する信者を呼ぶ語。施主。檀越(ダンオツ)。檀家。』でその意味が転じて使われているものである。
(2)南蛮語:オランダ語とポルトガル語
今ではほとんどが、九州を中心とした地域に方言として残る。最も有名なのは
博多ドンタクに残るどんたく(日曜日・休日)で、茨城では『女郎買い』の意味で残っていた。
(3)唐音語:宋・元・明・清の中国音語
慶長以前に日本に伝わった唐音語は、殆ど禅宗用語とされる。ちなみに宋音語は、衣食器具が多い。茨城に残る言葉にしょく(卓・机)、きびしょ(急須)、まいす(売僧・売子)の意味が転じて『おべっか』、等がある。
(4)朝鮮語
朝鮮語の『沙鉢(sahal)』と関係があるとされる『さはち』が茨城に残っている。
逆に、日本語が朝鮮に伝わった言葉もあるという。
(5)アイヌ語
アイヌで使われる日本語は多いが、日本語化したアイヌ語は決して多くは無い。アイヌ語由来の日本語は、合計31語で、民族の名:3語、動植物名:17語、今ではあまり用いられない生々しい語:10語、そしてこさ(胡沙)とされているが、確定できているものは多くは無いらしい。
(3)辞書に掲載されていないが標準語と考えられる言葉
例えば、『雑草地』があります。誰が聞いても標準語と思いますが、広辞苑にも大辞林にも広辞林にも掲載されていない言葉です。これによって、辞書に掲載されていれば標準語で掲載されていなければ方言であるという判断根拠は、まれに正しく無いことがあると言えます。『分類神奈川県方言辞典』でも草むらの意味で方言扱いされています。
(4)特殊事例
1)複数の言葉の影響を受けた訛り
これは、文化が融合する現象に似たものですが、複数の標準語だかでなく、もともとあった複数方言をベースに変化したと考えられるものがあります。そのような場合、語源の特定は難しくなります。日本語の語源が、言葉によっては2桁にわたる説があるように、茨城方言のルーツも複数のルーツがあるものが決して少なくありません。
2)2段階・3段階に変化した訛り
標準語をベースに茨城方言の訛りのルールに従って生まれた言葉は比較的解りやすいのですが、さらに訛った言葉が沢山あります。茨城県内では、水戸街道即ち常磐線沿線を離れるほどそのような訛りが多いようです。複数の言葉の影響を受けた訛りを加えると、語源の特定がかなり難しくなります。
本サイトでは、訛りのルーツをつまびらかにすることを最も大きなテーマにしていますが、特定できない言葉は今でも沢山あります。
3)格助詞に関わる方言
これは、全国にある現象ではないかと思われる。古代語は恐らく格助詞が無かったと思われ、時代とともに格助詞が発達したらしい。この現象は特に代名詞に多く現れ、茨城方言だけの現象ではありません。
(5)語源すなわち時間軸を考えた時の方言のもうひとつ位置づけ
現代では、標準語または共通語に対して異なる言葉や使い方をしているものを方言と言います。私たちは現代標準語を中心にして考え、うっかり『〜が訛ったもの』などと定義してしまいます。
果たして、それはは正しいのでしょうか。例えば、東国方言の『べえ』は古語の『べし』が転じたものですが、『べえ』は、『〜(だ)ろう、〜(し)よう』が訛ったとするのは、全くの間違いということになります。すなわち、古代・上代からある『べし』の流れである、『べえ』は平安時代にすでに存在したものですから、むしろ、『べえ』が本流で、様々な経緯を経て、『〜(だ)ろう、〜(し)よう』に訛ったというのが正しいのです。すなわち現代標準語こそが訛っていると言っても過言ではないのです。
どうやら、これによって、現代の著名な国語辞典にある、訛りの前後関係は、もしかしたら全面見直ししなければならないということになります。しかし、前後関係が確かめられないものは、当サイトでは標準語を基本形として扱うことにしました。
(6)その他の考察
標準語という言葉の以前には、『雅語』(正しくよいことば。洗練された言語。特に、和歌などに用いる古代(主に平安時代)のことば。)という定義がありました。それに対する言葉は『俚言・俗言』でした。
方言とはどうやら標準語の定義に対して明治以降に生まれた言葉のようです。また、江戸時代の言葉の『片言』(標準的な言い方から外れていることば。訛のあることば。)の別の当て字のようです。
1)新方言
新方言とは、一般に@若い世代に向けて増えている、A標準語・共通語と語形が一致しない、B地元でも方言扱いされている、の三つの条件を備えたものと定義されています。当時の土浦でもそれらに相当するものは確かにありました。流行語との識別はやや難しいところがありますが、全国共通の流行語が茨城訛で語られればそれは、新方言ということになるでしょう。
40年前の新方言を紐解くのはかなり難しいことですが、可能な限り識別しました。
2)俗語等の扱いと茨城県人の方言認識の不思議
俗語は、広辞苑に『@歌や文章に用いられて来た、洗練された文字言葉に対して、それと異なる日常の話し言葉。A標準となる口語に対して、それと異なる方言や卑俗な言葉。さとびことば。俚言。』とあります。
これは、随分厳しい定義で、これを標準としたら、現代の標準語や、テレビ番組で語られている言葉や、テレビドラマの言葉は全て俗語か俚諺=方言ということになるでしょう。
この定義は現代には相応しくなく、現代標準語は昔の狭義の言葉の定義から解放されて、随分自由になり、さらにその境界は曖昧になっています。
私は、現代日本語を、お国言葉を含めて分類するとすれば、まず、@テレビ言葉、A非テレビ言葉に分けるのが最も解りやすいのではないかと思ったりします。地域性がますます薄れる一方、地域の情報がリアルタイムで伝わる
時代になったからです。
これは、極端な見解ですが、それでも地域性は無視できません。その視点で現代日本語に関する新たな地域的な仮説分類を考えると、@標準語(共通語:NHK語)、Aメディア許容語(地方の方言であっても全国の人達が、その意味を理解できる言葉。)、B特定の地域の人にしか理解できない言葉
等に分けられるのではないかと思います。
以上のような視点で、標準語圏の俗語や新語・流行語等は積極的に掲載するようにしました。ただし、辞典に無い言葉の判断は難しいものがあります。これぞ茨城方言だろうと思っていたものが、ネット検索するといくらでも引っかかるかることがあるのは面白いと思います。
この方言集は、茨城で育ち、茨城で生活した経験がベースですが、@当の茨城県人は茨城の方言と思っているものが、実は標準語で実は古い標準語であるものが少なくありません。
さらに時代背景が言葉の認識を変えつつあります。
7)標準語か否か
標準語か茨城弁かを区別しようとする時迷うことがあります。しっかり調べないと解からないことがあるのです。さらに権威ある辞書の間でも相違があり境界が曖昧なことが解かって来ます。
今、標準語は政策的に定められた『共通語』であることは誰でも知っていることです。調べてみると東京の特に多摩周辺の言葉は、いわゆる農村言葉で、茨城弁と多くの共通点があるのは感慨深いものがあります。
また、ここに収録した方言の中には、しばしばテレビで耳にする言葉もあります。さすがにNHKのアナウンサーは厳しく使い分けているようですが、その他の出演者の中には地方出身者も多く、思わずぽろりと出てしまったり、関西出身の方言うまでもありません。
標準語世界の中でも沢山の間違いが見られ、特に敬語や謙譲語に関る使い方は混乱していると言われています。また、全く異なった使い方がされているものも少なくないと言われます。しかし間違いであっても、過去の事実を見ると世の中の趨勢が言葉を変えてきました。情報交換の距離が関係無い時代になってその傾向は益々加速しているようです。
大事なことは、方言であっても心をこめて使えば、決して恥ずかしいものではないということです。また、同じ意味を指す言葉が限られた地域でも複数存在することが多いことから、正統派の方言などというものは存在しないと考えた方が正しいと言えると思います。
面白い事例です。『取り替える』意味の標準口語に『とっ替える』があります。広辞林第5版には『取っ替える』はありません。そこでIT版goo辞書を検索すると、ちゃんと掲載されていました。アメリカでは、著名辞書の担当者は代表的な雑誌を読み通し、新しい言葉を辞書に掲載し更新しているそうです。
今、日本語の乱れを危惧する人がいますが、漢字が伝わる以前から日本語がどのように変わったかという歴史を考えれば、現代標準語は乱れによって生まれた産物です。話し易さによって生まれたものです。
仮に四字熟語の解釈が間違っていたとしても、時代趨勢を否定できるものではありません。
8)標準語の変化も含めた傾向:訛りと進化
@標準語の変化
標準語も含めて、茨城弁自体も似た変遷を遂げています。古くからあった、様々な接頭語・接尾語・助詞等が使われなくなり、しだいに説明的な言葉に変わりつつあります。例えば時間や方向を示す『晩方』(ばんがた)・『東方』(ひがしかた)を日常言葉で使う人はほとんどいなくなりました。これは、グローバル化に伴う日本語の特殊表現が、中央のビジネス社会で駆逐されていることが原因であると推測していますが、是非とも地方社会では残って欲しいものだと思います。
一方標準語も方言も簡略化と話しやすさの方向へ進んでいます。上代にはヤ行・ワ行のイ段・ウ段音は夫々現代の『イ・エ』とは異なる発音をされていたのが簡略化しました。例えば現代語の『兎も角』の古形は、『ともあれかくもあれ』です。随分短縮化されたものです。その後『とまれかくまれ』となり、現代語では『ともかくも』が使われます。その過程で『ともこうも・ともこも』も生まれましたがこの流れは絶えていますが、別の形で『どうもこうも』に生きています。『ともかくも』は、今では『も』が略され『ともかく』が多く使われます。動詞の活用形も古語の活用形は特殊形が多すぎてすぎて多くの現代人には馴染めませんが、現代語の活用形はかなり簡略化されています。現代若者のラ抜き言葉も典型的な合理化・簡略化の結果と言われます。
A訛りの方向性
訛りとは、特定の言葉がある一定の傾向をもって別の発音に変化するものと言えます。
ところが、しばしば原型と訛り型が共存することがあり、一対の訛りの図式に対して、逆流現象が発生することがあります。
例えば、東北方言では標準語の『し』にあたる言葉が『す』に変化しますが、言葉によってはその逆の場合もあります。浸透膜に対する逆浸透膜のようなものです。
B標準語圏の若者言葉 C方言と標準語の識別とは別の次元の言葉/状態表現語
茨城方言は、状態表現の形容詞・形容動詞・副詞が無尽蔵にあります。そこでかつて使った記憶のある言葉を可能な限り列挙しました。
しかし、調べるにつれ標準語圏でも辞書には無い数多くの状態表現語があり、辞書を調べても驚くほどのバリエーションがあることが解りました。
状態表現の形容詞・形容動詞・副詞は、『俚言集覧』では軽んじられました。しかし、現代の著名辞書には膨大な数の言葉が掲載されており、その多くが今では使われていません。どうやら状態表現の言葉は最も流行に敏感で、一方では茨城に限らず今でも造語が生まれています。
これらの擬音語・擬態語は標準語か否かの識別は難しいのですが、基本方針として、辞書掲載語を標準語としましたが、一方、辞書には無くても良く耳にする言葉は、辞書不掲載を明記した上で取り上げるようにしました。
D著名文献に残されたものだけが権威ある方言ではない
茨城方言だけに言えることではありませんが、著名な方言書に無い方言は極めて特殊な方言だと考えるのは危険です。本サイトは、管理者の実経験をもとに収集することからとから始めました。やがて膨大な記録がまとめられると、そこに茨城方言の法則が見出され、この場合は私ならこう言うだろうと言う推測が成立します。これは、実際の茨城方言の環境に生活していたからできることなのですが、数々の文献があるのを知らない時代にその発想でまとめた言葉のほとんと大半は、『茨城方言民俗語辞典』を調べてから証明されました。
ところで、本サイトに掲載された文献に無い数多くの方言は、お墨付きが無いかというとそうではありません。
これは、現代語の新語にも言えるのですが、様々な要因によって生まれた新語は、切磋琢磨され、残るものはのは残り、消えるものは消えます。江戸時代の江戸特有の言葉も同様で、その後、明治政府の施策によって矯正されました。
そのように考えると、茨城の一部地域にしか無い言葉の存在も重要であり、本サイトが、最初は土浦市の片田舎から始めたものの、今では全国レベル方言を扱っている大きな理由です。
9)発散と収束はいずこへ
方言を含め、言葉の発生は、発散(流行)と収束(定着)を繰り返して来た結果の産物ではないかと思います。あたかもホメオスタシスの原理に似ています。茨城県の限定された地域の方言収集に始まって、県下全域に範囲を広げ、今は全国レベルと言う空間レベルをさらに超えて時間軸に興味を持ち始め、発展する結果になってしまいました。これはかつて柳田国男が目指した目的に似ていますが、若輩には及びもつきません。ただ、茨城言葉に関しては私は現地人だったということと、現地を離れたからこそ見える面もあり、収束する方向は具体的には見えていません。
(7)言葉の進化の図式
動物の進化を示すツリー構造を見ていると、言葉の進化も同じ歴史をたどって来たはずです。標準語・方言を含めた現代の総体としての日本語をいくら眺めていても、ルーツは解りません。
ルーツを紐解くことは、動植物の種の区分とその進化のツリー構造を解明するのに似ています。そのためには、古語と現代標準語の関係のみならず、日本各地に存在する方言を個別に精査し、さらにその関係を明らかにする必用がありますが、考古学と異なり、新たな物的証拠がなかなか無いのが言語の世界の特徴とも言えるのでしょうか。
ただ、一つだけ間違いはないと思っているのは、茨城方言に限らず、記録に残されている古語にルーツを求めるのは、間違いは無いと思っています。その証拠に、日本各地にある方言の中には、数え切れないほどの古い言葉が残されているのです。
生物の進化は、突然変異によって生まれるとされていますが、言葉の進化は、伝言ゲームにあるように、耳に入った時の聞こえた様とそれを繰り返して発音した様と、それを聞いた様に僅かなずれが生じて生まれるものが主要な要因でしょうが、当サイトで定義した『地場同化・地場語同化』現象も無視できません。
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13.茨城方言と茨城県人の気質
『茨城の三ぽい』『水戸の三ぽい』などと言い、茨城人は、怒りっぽい、飽きっぽい、忘れっぽい、水戸人は、理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽいと言われます。ところが、一方では『いばらぎじがん(茨城時間)』『ちぢーらじがん(土浦時間)』『てのじがん(手野時間)』などと言って、時間にルーズだと言われてきました。
三ぽいはどうやら江戸の気質の延長のように思われます。一方時間にルーズなのは、茨城に限らず地方共通のことと思われます。
茨城弁は、強調したがる傾向があり、激昂しやすいと思われたり、早口でせっかちだと思われがちですが実はそうではありません。むしろ情を大事にし、和を尊ぶ傾向があるのは確かです。気質と方言の関係は残念ながら見出せませんが、現代の中央政府そしてアメリカの影響を受けた中央の大手会社、そしてそこに働く多くのサラリーマンからすれば、茨城県人は、簡単に怒り、あっさり忘れ、そのくせ理屈っぽいのは否めません。これは、県民性より、古き良き時代の個を大事にした環境がそうさせているのだと思われます。
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14.標準語の乱れと方言
(1)標準語の乱れとは
方言の世界を離れて、さて標準語を見て行くと、しばしば乱れが指摘されます。特に慣用句の場合、かなり混乱して使われてると言われます。
しかし、これは、単なる乱れなのでしょうか。古語の世界を見て行くと現代標準語は訛り、言い換えれば乱れの産物なのだと気づくでしょう。
(2)言葉は文化として認知されるようになった。
それでは、何故私達は中学・高校を通じて古文を学ぶのでしょうか。それと同じ視点で、明治時代には、学校で方言を使ったという理由で『私は方言を使いました』と書いたカードを首に下げて一日を過ごした時代があったのに、何故今、方言がもてはやされるのでしょうか。
今、言葉は厳密に定義されて、管理・監督される時代は終わり、生き物として優しく見守られる時代になったのです。いよいよ、方言だけでなく、新しい言葉を生み出す若年層時代の活力も無視されずにはいられなくなった時代と言えます。
古くからある言葉の本来の意味は過去の文化遺産として尊重されながら、違った意味で使われても、それは政治的な力によって圧力を受ける時代ではなくなったのです。
さらに、方言とは蔑視言葉ではないかと言う視点から『お国ことば』が近年良く使われます。
(3)劣等意識を捨てて
過去、ことに茨城県人は茨城方言を使うことに対する劣等感を持って来たことが学術論文等でも報告されています。
『慇懃無礼』という言葉があります。茨城では決して有り得ない言葉です。つまり、尊敬語も謙譲語もほとんど捨て去ってしまった茨城方言は、上下関係があまり意識されません。その感覚は英語圏の感覚にきわめて良く似ているのです。
日本では、上下関係や丁寧語が関西で極端に発達しています。茨城弁は、それとは全く相反する言葉です。茨城方言は、飾りが無く、心の底の声を素直に言える珍しい日本語とも言えるでしょう。
余談ですが、1999年に公開されたマトリクスという映画があります。すでに完結しましたが、最近我が子が再度見たいと言うので、一緒に3編を見ました。その中でマトリックスUに出て来るフランス語を操る人物のあの独特な抑揚と慇懃無礼さは、まさしくイントネーションの賜物だと感じました。茨城にはあのような表現ができる人はいませんが、同じ言葉を使ってもあの抑揚はどうやら万国共通の感覚だと認識しました。また、マトリクスとはラテン語で母から発生した言葉で子宮の意味だと知ったのは、今回が初めてでした。映画マトリクスは、最初カンフー映画を現代の映画やコンピュータ技術で塗り替えたアメリカ映画だと思っていましたが、再度見直してみると、スターウォーズに匹敵する完成度の高い作品だと解りました。
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15.標準語の成立過程に疑義を感じる言葉
動詞や名詞の由来は古くから研究され、様々な語源説があり、その中で有力な語源とされるものがあります。
ところが、助詞や助動詞は語言説には現れません。当然そのルーツが議論されることは何故か少ないのです。
1)ます。
現代語の助詞で尤も解り易いのは『ます』です。『申す(まうす)』が転じたのは間違いないでしょう。
2)です
ところが『です』となるとそうではありません。広辞苑には『【助動】(「で候(ソウ)」の約とか、「でござります」の転とかいう) 体言や体言に準ずるもの、或る種の助詞に付けて、指定の意を表す。@狂言では、おもに大名・山伏などの名乗りなどに使い、尊大な感じを表す。である。狂、禰宜山伏「これは出羽の羽黒山より出たる駈出の山伏です」A江戸後期に、花柳界の人、医者、職人などの語。人、春色江戸紫「マア何時頃でせう」。人、春色玉襷「さうでしたか、あんまりおまはんが嫌がつて逃出すものだから」。滑、人心覗機関(ノ
ゾキカラクリ)「医者か飛脚か我ながらげせぬです」。人、春色江戸紫「身につまさるるやうですねへ」B幕末近くになると、普通の商家の婦人も使うようになり、明治時代以後、特殊社会の語であることが忘れられて一般に使われ、「だ」に対し、「でございます」よりは軽い丁寧な語になった。』とあります。
関連語に『でえす』『でえんす』がある。これから、『〜でござりまする』から転じたのではなく、『〜でやんす』『〜でやす』が注目される。『や』『よ』は『え』を経て『い』に変化したとされることとも一致します。このことから、現代語の『です』とは江戸時代の俗語の流れであることは間違いないと思います。
3)『た』と『だ』
過去や完了・断定を示す終助詞『た』『だ』はもっと不思議です。きっとかなり研究の余地があるでしょう。
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16.映画の字幕が面白い
近年、方言が見直されるようになったので、字幕スーパーの文字が面白い時代になりました。キャラクターに合わせて、標準語とは思えない言葉が沢山出て来ます。
実際の日本の言語環境も駆逐された時代が終わって、若人達が様々な新語を生み出しています。むしろ時代の趨勢として歓迎されるように変わったのです。
勿論、沖縄方言や八丈方言のように古代に使われた言葉ではありません。標準語世界にかすかに残っていて、そのニュアンスがそれとなく解る言葉が選ばれています。
もし、最近の外国映画を見て、ちょっと不思議な言葉があったら、本サイトを覗いてみて下さい。
この理由は、実は当然で、標準語圏に古くからある言葉で、瀕死の状態にある言葉や、江戸時代の江戸言葉が、茨城に沢山残っているからです。もしかしたら、最近の外国映画の字幕は、茨城県人こそが自然に受け入れられているのかもしれません。
具体的には、『ハリーポッター』が挙げられます。登場人物の名前がどうしてそうなったかも考えると面白い。
一方、辞書に掲載されていながら近年は使わなくなった言葉の代表に『かんから』があります。『缶空』ですが、今では『空き缶』と言います。数年前に流行った『アイロボット』には、ロボットを指して『ただのカンカラだ。』と言うシーンがありました。『カンカラ』は辞書にしっかり掲載されていますが、まず、今では使われる言葉ではありません。しかし、よく考えると、『缶の空』『缶の殻』意味なのです。
ここで、『空』と『殻』の類似性に気が付きます。すなわち『から』とは、本来和語ではないかと誰もが考えます。『ぬけがら』は『抜け殻』と書きます。つまり抜けた後の空っぽの状態です。言い換えれば、『かんから』と『あきかん』は同じ意味です。
それでは、『かん』を日本語ではなんと言うかを調べると、『缶・罐・鑵:(罐・鑵は英語 can に当てた漢字。中国を経て伝来) 金属、特にブリキ製の容器。「―詰」「薬―(ヤカン)」』とあります。つまり『缶』は、英語の『can』に基づき、ブリキ製の器を示す言葉なのです。
一方、棺は日本語で『がん・かん』と言います。すなわち、器表現の一つがあります。
この器や棺を示す英語表現を調べると、実は東西の文化交流が見えてきます。東洋語と西洋語の接点がここにあるようにも思えます。このサイトを訪れた方は、是非自力でその不思議を調べて下さい。
正直、私もその接点を見出せていません。
『ブリキ』も同様です。広辞苑に『blik オランダ:錫(スズ)を鍍金(メツキ)した薄い鉄板。「錻力」「鉄葉」と当て字。〈厚生新編〉』とあります。この言葉も日本語の起源に関わります。
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17.最後に
最初に茨城弁を書きとめたのは昭和40年代でした。学校の作文をする過程の中で自分ながらの茨城弁と標準語を照会する辞典を作らないといけないと感じたからです。大学ノート一杯になりましたが、それは今行方不明になっています。当時の家は2004年に解体され今は新しい家に変わりましたが、もしや、その残存物の中からそのノートが出てくるかもしれません。
本格的に収集を始めて25年。数年前からインターネット上で各地の方言が公開されるようになりました。それまでは、方言に関する文献は、個人ではとても手に入らない程高額のため、マニアの人達だけのために図書館にある長物でした。ところが今や、県毎に十〜数十の方言サイトを見ることができます。さらにチャットやブログのかなりの話題が方言になっていることは面白い現象です。テーマが方言ではなくとも、そのプロセスの中で必ずと言って良いほど方言の話題が出ます。これは、今や日本がいよいよグローバル化の入口に入ってしまったなということを感じさせます。
私達は、文章を書くとき、今や誰でも標準語らしき文章を書くことができます。これは、かつて学校で作文を書く時に辞書に首っ丈になった時代とは変わりました。ビジネス社会では横文字と日常生活に関わる言葉や擬音語・擬態語を避ければ、誰でも標準語を話すことができメールを書ける時代になりました。
@方言は文化
方言は文化です、文化財の多くは物ですが、文化庁の指定では『無形文化財』があります。しかしそれらも特定の人達だけのものです。その意味で方言は、先祖から受け継がれたものの中で誰にも平等に与えられた無形の文化の証しなのです。
いずれ、日本の社会がさらに成熟すれば、方言を文化財として認める時期が必ず来るでしょう。私達はその日のためにもしっかり記憶を残しておかなければならないと思います。
Aインターネットで紹介されている方言
方言ごときであまり真面目に考える必要は無いのかもしれませんが、かつて学者達が足で稼いで全国を歩いて、その意味をきちんと調べ上げて文書化した文献に比べ、今、デジタル情報で誰でも得られる情報には大きな差異があることを認識しなければなりません。
実際、私の情報の範囲にある方言であれば、その意味に相応しい標準語があればそれで解説するようにしていますし、形容詞・形容動詞等のように状態表現の言葉はなかなか相応しい言葉が見つか等無い場合はできるだけ複数表現するようにしました。
投稿型のサイトでは、特に若い方々がお爺さんやお婆さんから聞いた言葉を自分の耳のフィルターを通したまま掲載し、その意味はその置かれた環境から推測された意味がしばしば巾を利かせていて、かなり意味が異なることが多いと思われるのが残念です。解説文を見れば、そのサイトの管理者の年齢が概ね解ってしまうほどです。
B音韻を正しく伝えるより正しい意味を伝えるべき
正しい方言とか正統派方言などどいうものはありません。口から出された言葉が、それを聞いた人にどう伝わりどう理解されるかにかかっていて、伝言ゲームのように、言った言葉と聞いた言葉が異なるのは当たり前のことです。
それより、その言葉の意味する正しい意味をきちんと伝えることに、方言を紹介する方々は精力をそそがなければならないと考えています。
Cこのサイトのスタンス
それでは、このサイトはどうかと聞かれると、100%自信を持ってお応えすることはできません。学術的な利用制限を行なっているのはそのためです。しかし、このサイトでは一つ一つの言葉を宝石のように扱い、可能な範囲で正しい意味を解説するよう心がけました。 |
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◆本茨城弁集は、昭和40年前後の茨城方言を中心に江戸時代まで遡る言葉を集めたものです。他県の方言との関係を重視し主要なものについては他県の方言も紹介しています。
お気づきの点やご指摘等がありましたら、お気軽にここにメール下さい。他地域・他県との関係情報もお知らせください。訛の変遷が解かるような投稿は積極的に掲載致します。
◆このサイトの製作者の紹介
昭和30年土浦市上大津地区生まれ、現在横浜市で建築設計事務所を営む。 |