昔の茨城弁集
昭和35年〜45年頃の茨城弁集
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 方言に関する戦前と戦後の違いを考えると、戦中は明らかに国内限定のグローバル化に向かったはずです。全国から集まった兵隊達は、いままで無かった初めての方言対抗試合を数年に渡って経験したでしょう。
 そして、戦後の大学で全国から集まった学生達の出会いは新鮮だったはずです。
 戦中戦後のラジオ、そして1953年(実質1954年)のテレビ放映の開始によって、方言社会は大きく変わり誰もが標準語社会に囲まれることになります。
 2004年末、ゴジラの50周年記念の映画が封切られました。ゴジラが1954年(昭和29年)に始まったことを初めて知りました。怪獣ものの走りは『マリンコング』と思い込んでいたためです。
 テレビの人気番組は、まず当時男の子達が群がったプロレスの『力道山』から始まります。早々とテレビを購入した家々には、毎晩のように子供達が力道山の雄姿を見たいがために集まりました。
 1959年の皇太子の成婚パレードは、日本人の多くがテレビ映像で目にしました。
 力道山はその後1963年、殺傷事件でこの世を去りますが、翌年のオリンピック、そして野球の『巨人』、相撲の『大鵬』の全盛期を迎えて、これに食べ物の安くて美味しい蛋白源の『卵焼き』が加わって、『巨人・大鵬・卵焼き』言われ、当時の流行語となりました。
 私の祖父は、その頃音声はラジオの方が臨場感があると言って、映像はテレビ、音声はラジオをつけて、野球や相撲を観戦していました。

1.当時のテレビ番組一覧
番組名称 放送年 備考
 ジェスチャーゲーム 1953〜 柳家金五郎の全盛時代の番組。
 私は誰でしょう 1953〜
 名犬ラッシー 1954〜1974
 私の秘密 1955〜
 お笑い三人組 1956〜
 鞍馬天狗  1956〜1963 長編時代劇。
 名犬リンチンチン 1956〜 ラッシーに先んじた名犬ドラマ。
 チロリン村とクルミの木 1956〜 NHKの最初のテレビ人形劇、野菜や穀物のほか『熊のぷー助』が『へーふーほーふー』といつも言っていたと記憶している。確か、『ひょっこりひょうたん島』の前にも再放送があったために、私の記憶にあると思う。
 スーパーマン 1956〜
 名犬ラッシー 1957〜 海外ドラマ。
 月光仮面 1958〜1959 現代武勇劇、当時の子供達のもっとも憧れたスター。
 ローンレンジャー 1958〜 私の記憶する一番古い西部劇ドラマ。
 ライフルマン 1958〜1963 西部劇、個性的名優チャックコナーズが主役。
 サンセット77 1958〜1964 土曜日午後8時から始まった、アメリカの若者の格好よさが際立ったドラマ。
 モーガン警部 1958〜
 少年ジェット 1959〜60 スクーターに乗って悪と戦う。
 鉄腕アトム 1959 実写であまり人気が出なかった。
 ポパイ 1959〜 いつもブルートからオリーブを助けるため缶詰のほうれん草を食べる、この当時ディズニーのミッキーマウスが不定期に紹介されていた。当時のミッキーは今とは随分違っていて、耳が尖っていて足は棒の様に細かった。
 ガンスモーク 1959〜
 ララミー牧場 1960〜1963
懐かしいジェス(弟)とスリム(兄)。
 スター千一夜 1959〜 主題音楽がそれまでになかった幻想的なプロローグで実に印象的だった。
 とんま天狗 1959〜 茨城県人が始めて関西弁を聞いた番組と考えられる。
 ローハイド 1959〜
 七色仮面  1960〜
 白馬童子 1960〜
 幌馬車隊 1960〜 西部劇。
 怪獣マリンコング 1960 最初のキャラクターはちょっと可愛らしかったが、そのうちだんだん怖くなった。『和夫』という少年がいた。
当時の私は、海から現れるイントロシーンを見ると本当に怖いと感じた。現代のようにCGで何でもできる時代と異なり、当時の子供には刺激が強すぎたのではないかと思われる。
 海底人−八八二三(はやぶさ) 1960 正義の味方の『はちはちにいさん謎の人、はちはちにいさん海底人正義の味方だはやぶさだ』。
 ナショナルキッド 1960〜1961 主題歌は『雲か嵐か稲妻か』で始る。アンコウの口から主人公が飛び出て来る、ナショナル提供。
 怪傑ハリマオ 1960〜1961 主題歌『真っ赤な太陽、燃えている、?????髪をの大空に、轟き渡るおたけびは正しい者に味方する、ハリマオ、ハリマオ、僕らのハリマオ』。
 鷹の羽 1960〜1961 白い羽が象徴
 少年探偵団(一部怪人二十面相) 1960〜1963 武田薬品が提供した。『時間表止まれ』なんてことができれば解決できるのはあたりまえだったと思うが−−。
 ミステリーゾーン 1960〜 世にも不可思議な世界を描いた最初のドラマ
 ブーフーウー 1960〜 子供向けのバラエティ番組、私は余り興味が無かった
 恐怖のミイラ 1961 日本最初の本格的ホラー
 シャボン玉ホリデー 1961〜 三ツ和石鹸提供のバラエティ番組、ザ・ピーナッツとクレージーキャッツの人気を不動のものにした番組
 恐怖のミイラ(ミイラ男) 1961 最後はいつも灰になってしまい風で飛ばされるが決して死ぬことなかった
 ちびっこギャング 1961〜 いつもいじめられ役のアルファルファが出て来る子供のどたばた喜劇、1994年にリメークされ映画化した。
石鹸を食べてぶくぶくと泡を出すシーンなどは、今だったら俳優虐待になったかもしれない。アメリカ産の細長いスイカを使ったぶつけ合いは番組の定番だった。
ネットではアルファルファが出演するのが「ちびっこギャング」だという説もあるらしい。
 ミスターエド 1962〜1964 人間の言葉を理解しまた喋る馬のドラマ。
 ちびっこ大将 1963〜 ちびっこギャングに続いて名前を変えて放送された。
 三馬鹿大将 1963〜 ラリーとモーとカーリーの3人が繰り広げるナンセンスどたばたコメディ
 物知り博士(物知り教室?) 1961〜1969 NHKだったと記憶している。
『なんでも考え何でも知ってなんでもかんでもやってみよう、さて今日は』で始まる。人形のケペル先生(熊倉一雄)が何でも教えてくれた。
 七人の刑事 1961〜1969 平塚八兵をモデルにしたとされるTBSの刑事番組。
その後、1978年から1979年まで、新シリーズを放送。
白黒で見た時代は、東京の街を航空撮影したものを背景に、スキャットのような主題歌が流れた。
現代の刑事ものの番組より、遥かに映像作りが長けていた。
 アンタッチャブル 1961〜 最初の本格的なマフィアドラマ、アルカポネ
 てなもんや三度笠 1962〜1968 おもしろテレビ時代劇。藤田まことと白木みのるが演じた当時の人気番組。
 ベン・ケーシー 1962〜 最初の医療ドラマ
 コンバット 1962〜 最初の戦争ドラマ
 鉄腕アトム(アニメ版第1作) 1963〜1966 テレビアニメの草分けとなった番組
 エイトマン 1963〜1964 スーパーロボットアニメ、『光る海、光る大空、光る大地、行くぞ無限の地平線、走れエイトマン玉より速く、叫べ胸を張れ、鋼鉄の胸を』
 鉄人28号 1963〜1965 グリコ提供、ちょんまげ(?)ロボットアニメ、『夜の町にガオー』。
 狼少年ケン 1963〜1965
 鉄腕アトム 1963〜1966 土曜日、サンセット77通りの前の7:30から始まった。
 新日本紀行 1963〜1982 日本の風土や自然・文化・人等を19年間放送した。
 逃亡者 1964〜 デビッド・ジャンセンが演じる殺人犯とされたリチャード・キンブルのドラマ。
 奥様は魔女 1964〜1972 現代でも何度も再放送される人気番組。
向かいの家の奥さんの喋る言葉は、ステレオタイプの方言だが、現代茨城弁に酷似している。
 ひょっこりひょうたん島 1964〜1969 博士、ダンディ、サンデー先生、ドンガバチョ他。
 スーパージェッター 1965〜1966 未来型アニメで流星号はマッハ15で空を飛ぶ。
指令の信号発信は腕時計型だった。
『流星号応答せよ。流星号応答せよ。』。
 宇宙少年ソラン 1965〜1967 主題歌は『ソラン、ソラン、ソラン、遥かな宇宙から、ソラン、ソラン、ソラン、虹を超えてやって来た、燃え上がるファイト、みなぎる力、??????、さあ行くぞチャッピー、皆が待っている、宇宙少年ソラン、ソラン、ソラン』。ドラマではマッハ15で飛ぶ乗り物が助役でもある。
 おばけのQ太郎 1965〜 初めての生活アニメ、高度成長時代になって初めてのコミカルなアニメ。
 ジャングル大帝 1965〜 番組の主題曲と主題歌を別に作った初めてのアニメだったと思う。
 マグマ大使 1966〜1967 マグマ大使は、『ピッピコ・ピーコ・ピーコッコ』の笛の音で呼ばれる。敵には『ウーヤッター』と地震を起こす怪人がいた。
 ウルトラQ 1966〜 初話は弾丸鉄道(東名高速)の掘削時に怪獣『ゴメラ』とその卵が発見される。怪獣ものの新作で、最終話の(私はカモよ)の言葉からウルトラマンにつながったと記憶している。
 ウルトラマン 1966〜
 わんぱくフリッパー 1966〜
 おそ松くん 1966〜
 泣いてたまるか 1966〜1968 渥美清主演で始ったテレビドラマ。渥美清一人では大変なのでその後、青島幸男、中村嘉津雄と交代しながら継続した。
映画シリーズ『男はつらいよ』は1969年に第一作が封切られた。
 タイムトンネル 1967〜
 意地悪ばあさん 1967〜 初代は青島幸夫だったと記憶している。
 ゲゲゲの鬼太郎 1968〜 テレビ初の妖怪アニメ。
 巨人の星 1968〜
 本リストは一部古い記憶によっています。間違い等があった場合は、ここにお知らせください。

 放送ソースがカラーになったのは、1960年でしたが、実際に普及のきっかけになったのはオリンピック(1964)以降だったはずです。当時の新聞の番組欄には白黒番組と区別して『カラー』の文字が印刷されていました。カラー画像は映画世界で早くから『総天然色』と言われていました。残念ながら我が家にカラーテレビがやって来たのは、1968年頃でしたから、近所で初めて『ひょっこりひょうたん島』を見た時の立体感には、本当に驚きました。
 少年雑誌は『少年サンデー』と『少年マガジン』の二誌だけの時代でした。
 当時は4チャンネルが教育テレビで、NHKの科学放送番組は12チャンネルに設定されていて試験放送の時代でした。これらは昭和30年代のテレビ第一世代が35〜45年前後に見た番組です。テレビ番組は益々旺盛になっいき、方言
は次第に駆逐されていきます。
 一方、外国のドラマや映画は大半がアメリカのものでしたが、アメリカのドラマや映画が時代劇(西部劇)全盛であったと同時に、すでに社会派が芽生え、さらにSFドラマも制作されて、メディアはすでに完成期に入っていましたが、日本はまだまだ娯楽中心だったことが良く解ります。
 来年、テレビ放送は地上波デジタルに完全移行し、在来のアナログは見られなくなりますが、放送電波の枠が満杯になったという国の思索より、地上波デジタルの映像の鮮明さには驚きます。我が家では、1989年の横浜博覧会に遅れて1996年にビクターの28インチのブラウン管ハイビジョンテレビを40万円購入しましたが、それから、僅か15年目でこのような変革が起こるとは考えても見ませんでした。ブラウン管ハイビジョンテレビと言っても、かつてはNHKのBSハイビジョンでしかハイビジョン放送は見ることが出来なかった。
 さて、2010年4月、エコポイント制度がが変わることになり、古くから狙っていた日本最安値のPCデポブランドの『オッツィオ』のテレビは、42型で何と7万弱のものに23000点のエコポイントが4月以降つかなくなることが判明しました。
 このような制度変更は当然かどうかは、政治的なものです。地デジ化を促す事と、促す評価の判断要素として消費熱量で判断されたものが、さらに市場の実態調査によって、変化したと見られる。
 ちなみに28型の古いブラウン管テレビの電力消費量は約240Wで、こんど購入した42型の液晶テレビと概ね変わらない。

2.当時のテレビで放映された映画
 当時は映画の全盛時代でした。しかし私の生まれた家は専業農家で、親が子供を連れて映画を見に行けるほど豊かではありませんでした。
 ところが、テレビ時代が始まって、家庭で世界の著名な映画を楽しめる時代になっていました。吹き替え版の場合は問題ありませんでしたが、字幕版の場合、小学校前や低学年の文字の知識ではなかなか追いついていくのは大変でした。冬の寒い時期には、炬燵に首までつかって見ました。そのためある日気がついた時には、おなかが当たる畳がぼろぼろに擦れて下地の藁が見えるほどになっていました。長じてから散々親に言われました。それほどテレビにくびったけでした。邦画ではエノケン時代、美空ひばり時代、そして石原祐次郎の時代になりました。そしてディズニーが日本に入って、子供達にとっては、それまでに無い時代になりました。

映画名称 公開年 備考
 風の又三郎 1935 私が見た記憶にある風の又三郎は(日活、監督 島耕二、主演 片山明彦、昭和15年10月10日封切、白黒・96分)だと思われる。美しい自然や動植物などをふんだんに描写しており、また若き風見章子さんの美しさが大変印象的だとされているが、これを始めて見た時、今で言えばホラー映画に近い言い知れない不思議な印象だったことを覚えている。
 路傍の石 1938
 エノケンの孫悟空 1940 エノケンの代表作、3〜4回見た。モノクロ。今で言えばミュージカル映画。お伽の姫=高峰秀子、袖珍=中村メイ子、詳しくは専門のサイト参照。
 小鹿物語 1947 近年の子供向けの映画は、スピード感に加え社会性が重視されたものが多い。日本のテレビで放映されたのは、1965年前後だったと思われ、白黒だったが、原映画は鮮明なカラーで今ではDVDの廉価盤で見ることができる。
昔の映画はテーマが明快でシンプルだったから、邪心を抱く余地は無かった。
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