103系編成表方面

for Series 103 formation

 

 

 

JR横浜線の昔

 

OLD TIMES OF JR YOKOHAMA LINE

 

横浜線のデーターベース

103系編成表

浜太郎様ご投稿
 

 

横浜線103系の歴史は混色の歴史でもあります。
今回その詳細が明らかに


撮影 吉原勇樹様


対象編成 :カマ51F〜72F +23・24F

         昭和57年3月28日から205系置き換え期の平成元年2月までの7年間が対象


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カマ51編成 カマ52編成 カマ53編成 カマ54編成 カマ55編成
カマ56編成 カマ57編成 カマ58編成 カマ59編成 カマ60編成
カマ61編成 カマ62編成 カマ63編成 カマ64編成 カマ65編成
カマ66編成 カマ67編成 カマ68編成 カマ69編成 カマ70編成
カマ71編成 カマ72編成 カマ23編成 カマ24編成
カマ=蒲田電車区 ツヌ=津田沼電車区 ウラ=浦和電車区 シナ=品川電車区 イケ=池袋電車区 マト=松戸電車区 モリ=森ノ宮電車区
 タツ=高槻電車区 ヨト=淀川電車区
 ヤテ=山手電車区 ハエ=川越電車区
昭和62年7月 昭和61年に京浜東北線の車両配置が蒲田電車区から浦和電車区に集約された関係で横浜線103系の編成番号が改番される。
       51編成〜72編成→→→1編成〜22編成

編成表の色は車体色を示します
:スカイブルー(青22号)
:ウグイス(黄緑6号)
:オレンジバーミリオン(朱色1号):72編成
:エメラルドグリーン(青緑1号)   :60・72編成
:白色いや違います 色が不明です。
:カナリヤイエロー(黄5号)   残念ながら・・・



クハの低運と高運の区別は

 低運→1〜268 501〜638(偶数方向)
 高運→269〜499、701〜850
カマ カマ



横浜線103系の歴史

昭和47年10月 103系4両登場(スカイブルー)<蒲田電車区の配車>

昭和49年6月12日 103系7連運行開始(相原・八王子間ホーム延伸工事終了4両から7両化)
昭和49年7月 第一期103系投入時の編成 78両(隠れハマ線ファン様 情報

八王子 東神奈川 
南カマ クハ103 モハ103 モハ102 サハ103 クモハ103 モハ102 クハ103
51 62 72 72 72 36 126 76
52 71 71 71 71 48 145 79
53 72 70 70 70 47 143 902
54 48 48 48 48 37 128 86
55 125 61 61 51 49 146 96
56 57 57 57 52 62 165 58
予備 87 132 241 904
南ヒナ
東1 70 58 58 10 35 125 88
東2 69 69 69 69 21 100 75
東3 47 47 47 47 22 101 80
東4 61 38 129 82

昭和51年2月 クモハを先頭とした7両貫通編成誕生
昭和52年11月6日 103系ATC搭載車登場:
クハ103-718(高運転台車): 残念ながら中間に組み入れられていました

昭和53年4月 冷房車投入され、電動サボ(行き先表示)の使用が開始された。
昭和53年夏:冷房車登場(3編成):冷房開始

昭和54年6月11日 先頭車で103系ATC準備車登場運用は03 ・・51編成(クハ103-713) ※静態保存されたクハ103-713:感動の再会

←八王子 東神奈川→
クハ103-713 モハ103-113 モハ102-192 サハ103-138 モハ103-48 モハ102-48 クハ103-574


昭和54年9月30日  73型さよなら運転:103系化完了
昭和54年10月:新性能化完了に伴い全ての編成がTcを両端に配置した7両貫通の新体制に統一され、Mc編成は仙石線等の地方へ転出。

昭和56年6月 横浜線電車から「南ヒナ」(東神奈川電車区)消え 「南カマ」(蒲田電車区)に統一
 ヒナ1→カマ67 、ヒナ2→カマ61、  ヒナ3→カマ66、 ヒナ4→カマ64  ヒナ5→カマ60、 ヒナ6→カマ65、
 ヒナ7→カマ59、 ヒナ8→カマ63 、 ヒナ9→カマ62

昭和56年度下期:ATC開始に備えTc車は全て高運に置き換えられた。
昭和59年   根岸線ATC化(S59年1月)に伴い全列車ATC化

昭和60年3月14日  根岸線直通電車 大船駅まで延長運転開始 東神奈川駅改良工事完成(2面4線化):横浜線2線化(増設)
      改正で大幅増発で103系7両×4本=28両が増備  南カマ 68編成69編成70編成71編成登場
昭和61年8月24日  国鉄ミステリー列車として秩父鉄道長瀞まで遠征(62編成)
昭和61年11月 国鉄横浜線 最後のダイヤ改正  南カマ 72編成登場
         103系高運転台車ATC搭載車3色混合編成走行  カマ72編成

←八王子 東神奈川→
クハ103−475 モハ103−46 モハ102−46 サハ103−63 モハ103−317 モハ102−473 クハ103−476



昭和62年2月26日 103系高運転台車 4色混合編成  カマ72編成  ※走行は1日あるいは2日間

←八王子 東神奈川→
クハ103−475 モハ103−139 モハ102−258 サハ103−63 モハ103−317 モハ102−473 クハ103−476


昭和62年7月 横浜線編成番号改番される
         51編成〜72編成→→→1編成〜22編成
昭和63年  「南カマ」から「東カマ」へ変更
  蒲田電車区 103系 175両(全車 黄緑6号)
昭和63年3月  相原〜八王子間複線化(東神奈川〜八王子間全線複線化完成)
            東カマ 23編成 24編成 登場
昭和63年春 アネックストレイン「さくら」号走行  カマ62編成

昭和63年9月 205系登場クハ205-61・モハ205-181・モハ204-181・サハ205-121・モハ205-182・モハ204-182・クハ204-61(103系東カマ68編成からのバトンタッチ)
     横浜線80周年号走行  カマ62編成

平成元年     蒲田電車区 103系 163両(黄緑6号)  205系 42両

平成元年2月21日  103系引退・205系置き換え終了(冷房化率100%達成) :25編成

平成元年2月26日 103系さよなら運転 2 東カマ67編成

←八王子 東神奈川→
クハ103-475 モハ103-433 モハ102-589 サハ103-47 モハ103-432 モハ102-588 クハ103-338



■問題 下記の車両に共通する事は何でしょう?(上級者向け問題)

モハ103-48 モハ102-48 サハ103-47 モハ103-69 モハ102-69 サハ103-69

回答は最後に   ※勿論、答えは「車体色が同じ黄緑6号」以外です(笑)


 ★プロジェクト Y

第1回 [横浜線の感動の103系を追え]


103系から205系へのバトンタッチ
51編成→7編成
(S63.10)
52編成→4編成
(S63.09)
53編成→21編成
(H1.02)
54編成→5編成
(S63.09)
55編成→16編成
(S63.12)
56編成→18編成
(H1.01)
57編成→9編成
(S63.11)
[S55.10〜]
58編成→8編成
(S63.11)
59編成→23編成
(H1.02)
60編成→17編成
(H1.01)
61編成→3編成
(S63.09)
62編成→13編成
(S63.12)

63編成→15編成
(S63.12)
64編成→20編成
(H1.01)

65編成→14編成
(S63.12)
66編成→6編成
(S63.10)
67編成→24編成
(H01.02)
[S60.3〜]
68編成→1編成
(S63.09)
[S60.3〜]
69編成→2編成
(S63.09)
[S60.3〜]
70編成→22編成
(H1.02)
[S60.3〜]
71編成→10編成
(S63.12)
[S61.11〜]
72編成→11編成
(S63.12)
[S63.3〜]
23編成→12編成
(S63.12)
[S63.3〜]
24編成→19編成
(H1.01)
※[]内は登場年月を示す  ※()内は移行月を示す






横浜線103系の変遷記

---浜太郎---



@ 昭和51年2月:Mcを先頭とした7両貫通編成誕生  
   <昭和53年3月31日蒲田電車区編成表>  <昭和53年3月31日東神奈川電車区編成表>
A 昭和53年6月:初の冷房車登場  <参考資料>
B 昭和54年10月:新性能化完了に伴い全ての編成がTcを両端に配置した7両貫通の新体制に統一され、Mc編成は仙石線等の地方へ転出。
   <参考資料&S54年末日103系編成表>
C 昭和56年度下期:ATC開始に備えTc車は全て高運に置き換えられた。 
 〇 豊田区よりTc 311〜316が転入  Tc47・61・69は豊田区転出
 〇蒲田区内では京浜東北との差し替えでTc716・722・742・744・774 が横浜線に転用された。
  低運転Tc 70・99・125・558・573・574・602・605・610は京浜東北の中間に組み込まれた。
D 昭和60年3月14日改正で大幅増発で103系7両×4本=28両が増備された。
  山手線の新形式205系投入による捻出車両   編成表参照 (68〜71編成) 
E 京葉線開業により蒲田区の103系70両が津田沼区に転属〜横浜線車両が様変わりした
   <京葉線開業時の編成表>
    
F 京浜東北線が浦和区へ統合配置されたので、蒲田区は横浜線専用の配置区となり京浜東北線との共通予備は無くなった。

     <蒲田電車区横浜線103系編成表  昭和61年4月1日>

G 205系導入により103系176両が新たな職場に旅立った。一部廃車も発生してる・・・・ 
      <転出先別配置表> 



問題 下記の車両に共通する事は何でしょう?

モハ103-48 モハ102-48 サハ103-47 モハ103-69 モハ102-69 サハ103-69


回答:昭和49年の第一期投入時から205系置き換え時迄の15年弱ずーっと横浜線で活躍した車両
「そ〜うなんです103系時代の古狸なんです(笑)」






 

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