景観考
 富士は日本一の山〜♪という歌があります。確かに連峰ではなく独立したコニーデ式の山は神秘的な美しさが漂います。しかし登山愛好家で、富士山に登りたいという人は少ないでしょう。ある登山好きの友人は「富士山は遠くから見る為の山であって、登る山ではない」と言います。その理由は「汚い」からです。

 「日本一の山」は「世界一汚い山」と言われます。そのせいで世界遺産(自然遺産)への登録を見送っています。富士山が汚いとされる理由はいろいろとあります。●山頂トイレが余りに悲惨●山麓地域で大量の不法投棄。

 人は自分の「内にある世界」と「外にある世界」を分けています。人は自分の内にある世界をキレイにしようとします。一方、外の世界には無関心となり、汚物を垂れ流します。例えば、汚れた食器を台所から洗剤で洗い流すことで、食器をキレイにしますが、それは汚物を家から下水道に移動させたに過ぎません。もし人が、家の外に気を配るのであれば、重曹などのエコ洗剤を使う工夫をするでしょう。そうした環境配慮が出来る人は、地球を宇宙船地球号のように、ひとつの「内の世界」とみなすことも出来るでしょう。

 残念ながら富士山は、多くの日本人にとって、外の世界と認識されているようです。ですから、人は空き缶を気軽に捨て、排泄物を垂れ流しにしていくのでしょう。

 富士山だけでなく、海外の国立公園に見られる美しさを日本の国立公園に感じることは出来ません。例えば、富士山麓にある山中湖ではかって「まりも」が生息していました。1970年代位までは、まりもは山中湖観光の目玉として多く紹介されていました。しかし、急速な汚染化により「まりも」は消滅しました。せっかくの豊かな自然も、簡単に壊されていくのはとても悲しいことです。そしてそれは、日本人が自分の内にある世界をとても狭い範囲で捉えているからに思えます。

 また、日本の都市を見るとひとつひとつの建物は独創的なモノが多いのですが、全体で見るとチグハグな感覚を受けます。これも内の世界が狭すぎる為に、起きている事象に思えます。景観法によって都市が美しくなるかは分かりませんが、醜さは法律の問題でなく、日本人の意識の問題にあると考えています。

 美しい自然や都市は、人の心を癒します。それはロハスの思考を醸成し、地域の持続的な発展に寄与するでしょう。その意味で、わたしたちはもっと外の世界に目を向け、それを内なる世界に取り込む努力をしていくべきです。

国立公園の法と制度

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