お受験
「お受験」という言葉が浸透しています。この言葉の明確な定義はないようですが、一般的には私立の小学校に入学させようとする受験戦争に思えます。わたしの小学生時代(1970年代)は、小学校受験は勿論、中学受験もまだ少数派でした。
文部科学省「子どもの学習費調査(平成18年度)」では、幼稚園から高校卒業までの「ケース別学習費総額」を掲載しています。それによると、幼稚園から高等学校のすべてが私立の場合は、1,678万4千円のお金がかかります。これはすべてが公立の場合(570万9千円)の2.9倍です。
小学校から私立に行かせるには、幼稚園に通いながら習い事に通わせるなど、家計への負担も大きくなります。それだけの負担をかけても子どもの教育に対して熱心な親が多いといえます。
「お受験」という言葉には、受験対策にお金をつぎ込む親を皮肉った感覚があります。「お受験」を批判する論調も多く見られます。しかし、親が子どもの将来の為、教育にお金をかけることは非難されるべきことではありません。特に小学校の受験は知識を問うだけではなく、運動や行動観察といった、子どもの成長に大切な要素が評価されます。ですから、余り感覚的な意味で、批判するのは良くないと思います。
「お受験」をする場合は、親にとっても面談対策が必要となります。そこでは、子どもに対する教育方針や父親・母親の役割など子育てに関する志向性が問われます。したがって「お受験」を通じ、家族でのコミニュケーションが増します。子育てについて、夫婦が話し合っていくことはとてもいいことで、ロハス的です。
ただ「お受験」で留意しなければならないのは、結果を気にしないということです。受験ですので、当然合否が分かれます。しかし、不合格であっても、気に病むことはありません。たかが私立小学校に通うか、公立小学校に通うかの違いです。長い人生において、何ら左右されるものではありません。昨今、人を勝ち組・負け組に分ける風潮があります。これは成果主義が叫ばれた、小泉改革の負の遺産とも呼べますが、安易に時点の結果だけを捉え、勝ち負けを判断するのは、良くありません。親がそのような意識を持つと、子どもに伝染します。そのような子どもは、自己中心的に育ち、物事に対する見方が短視眼になります。
親子でお受験を成功させる本
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