Book reviews
題名 | 作者 | 訳者 | 出版社 | |
2009年 | ||||
ボーグエンザップ | ||||
人間の集団について | 司馬遼太郎 | |||
エミール 上 | ルソー | 今野一雄 | 岩波文庫 | |
ホー・チ・ミン伝 下 | ||||
チャールズフェン | 陸井三郎 | |||
2008年 | ||||
4/17 | 福翁自伝 | 福澤諭吉 | 富田正文 | 慶應義塾 |
医療の限界 | 小松秀樹 | 新潮新書 | ||
4/24 | 自由の牢獄 | ミヒャエルエンデ | 田村都志夫 | 岩波書店 |
4/24 | 坂の上の雲(七) | 司馬遼太郎 | 文春文庫 | |
4/26 | 老いてこそ人生 | 石原慎太郎 | 幻冬舎 | |
4/30 | 坂の上の雲(八) | 司馬遼太郎 | 岩波文庫 | |
5/5 | スプートニクの恋人 | 村上春樹 | 講談社 | |
5/6 | the catcher in the rye | J.D.Salinger | penguin fiction | |
5/12 | バカの壁 | |||
5/19 | コーポレート・ガバナンス入門 | 深尾光洋 | ちくま新書 | |
5/23 | こころに効く小説の書き方 | 三田誠広 | ||
5/25 | モラトリアム人間を考える | 小此木啓吾 | 中公文庫 | |
6/11 | 世俗の思想家たち 第九章 | ロバートLハイルブローナー | ちくま学芸文庫 | |
世俗の思想家たち 第八章 | ||||
6/19 | 世俗の思想家たち 第七章 | |||
6/26 | 世界の終わりとハードボイルドワンダーランド上 | 村上春樹 | 新潮文庫 | |
世界の終わりとハードボイルドワンダーランド下 | 村上春樹 | 新潮文庫 | ||
創造の方法学 | 高根正昭 | 講談社現代新書 | ||
6/27 | 世俗の思想家たち 第三章 | |||
エミール 上 ルソー著 今野一雄訳
「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間
の手にうつるとすべてが悪くなる」という冒頭に惹かれてこの本を手に
とりました。ルソーとは言わずも知れた国家の在り方についての思想、
社会契約説を唱えたことで有名な政治思想家ですが、エミールでは、彼
の国家感や人間の自然状態に対する分析の結果を背景に、社会制度にし
ばられた中で、人間をいかにして自然状態のままに育て、社会的人間と
しての自分と、本能のままの自分の矛盾を抱かない人間を育てるか、と
いう教育に関しての指南書としてエッセイ風に書いています。
エミールは上中下と分かれていますが、上では、赤ちゃんから青年期
までの人間の育て方について、かなり具体的に書かれています。彼は彼
の生きた時代の家族の在り方から、乳母の育て方、怒り方から教えるべ
き勉強の科目まで、教育にかかわるほとんどすべての点に触れています
が、その人間観察力と視点には目を見張るものがあります。たとえば、
彼は子供に寓話を教えることを否定し、書物を与えることを拒みます。
それは、子供は大人の意図とは全く異なった次元で、純粋な損得勘定に
基づいて行動しているため、道徳といったものはむしろ彼の自然状態を
否定するという点で悪だとするからです。同様に、書物も読ませるので
はなく、差し迫って子供が自ら読みたいと感じてから与えるべきだと言
っています。このように、社会に属しながらも自分に矛盾を抱えない人
間を作るための方法が、彼独自の人間分析に基づいて描かれている点は
大変興味深いです。
しかし、内容としては実現不可能だと思われたり、あまりにも子供に
冷酷すぎたりする部分も多くあります。たとえば、赤ちゃんに衣服を着
せるのは自然ではないからよくない、といったようなことです。このよ
うに、ルソーの提示した教育法はかなり極論で、賛同しかねる部分もあ
りますが、より自己矛盾を持たずに社会にストレスのない状態で生きる
人間を育てる方法が書かれているエミールは、社会に生きる一人の人間
として参考になる部分は多いと思いました。、
ボーグエンザップ
織田信長について知っている人なら豊臣秀吉を知っている。そういった
レベルで、ホーチミンについて少しでも知っている人なら、ボーグエン
ザップを知っているでしょう。なぜなら、ベトナム戦争に勝利した要因
を考えると、ホーチミンのカリスマ性、政治的手腕と同じ程度に、実際
の戦闘や独立党の組織運営におけるボーの作戦能力にあり、またその能
力が広く知れ渡っているからです。
彼はホーが国際的にベトナムの独立を目指して活動していくなか、ベト
ナムの地において独立のための組織づくりに身を徹した人物です。特に、
人民軍を組織し、政治の軍事への優先や、党内での民主主義の実施を謳
ったうえで、軍の近代化をした功績、そしてかの有名なディエンビエン
フーの戦いでの勝利などが有名です。この伝記においても、彼のベトナ
ム人をベトナム社会主義国国民として組織し、戦争の勝利へと導いてい
くステップは合理的な戦略に基づいていて、彼の能力の高さをうかがい
知ることができます。しかし、伝記を読み、彼についての人生を知った
ところで、やはり彼の印象は、本当にホーチミンに忠実で愛情をもって
いた人物だという点に尽きます。ザップについての伝記であるはずなの
に、ザップ自身よりも、ザップが掲示するホーへの印象の方が強く残っ
てしまう、それほどまでに彼の人生はホーとホーが目指すベトナムのた
めに捧げられたものでした。
人間の集団について 司馬遼太郎
司馬遼太郎は、彼の歴史的好奇心から様々な場所へ足を運んでいますが、
ベトナムもそのひとつです。彼はそういった旅行についての文章は、多
くの場合、紀行という形で言葉にしていますが、しかしながらベトナム
については、「人間の集団について」という、場所ではなく人間に焦点
を当てて、このようにエッセイを書いています。この点について、少し
の違和感を抱きながらこのエッセイを読むと、ベトナム人を「感じる」
ことができるでしょう。
そもそも著者がベトナムに行ったきっかけは、「坂の上の雲」の舞台へ
の好奇心からでした。しかし、時代はベトナム戦争真っ最中でしたので、
彼は、日本で感じていたベトナム人の抗戦力の凄まじさのイメージから、
ベトナム人と触れ合い、また観察したことを通して、ベトナム戦争、そ
してベトナムという国家の行方を推測したくなったのでしょう。
彼は、まずベトナム人について、日本人と似た「たおやめ」植物的体質、
つまり薙がれても切れないような葦のような素朴な性質があること、輪
廻転生の思想から死への衝撃が低いことなどの性質を挙げて、彼らの生
に対して感じる安っぽい印象、言い換えれば戦争中の強さの根本につい
て分析しています。しかし一方で、ベトナム人は、人間の素朴な暮らし
には不必要であるはずの国家への愛情がとても大きいことをあげて、南
北で戦って、双方死滅するまで戦い抜くのではないかと示唆しています。
結論からいえば、その後すぐに停戦するのですが、しかしベトナム人の
性質と人間の集団の性質との矛盾をあげ、しかしその矛盾が共存してし
まうベトナム人の鈍感さを指摘し、肯定した点は興味深いと思いました。
ホー・チ・ミン伝 下
この伝記の下巻では、かの有名なベドミンを組織するまでが描かれてい
ます。彼はもはや交渉の余地がないと分かると、戦闘に向けた作戦に行
動を移します。まず、戦闘が予想される山間部の民族の教育です。実際、
これがベトナム戦争で勝利に結びつく要因の多くを占めるのですが、彼
の人間としての魅力は、そういった作戦さえも、ベトナム人を虜とする
たとえ話や愛情で包み込んでしまうことです。これは、もちろん真実で
あるか確かめるすべはありませんが、無知な農民や労働者に「共産主義
とは?」といった難しすぎる教育を施したレーニンと比べると、農民に
やさしい人であったと思われます。
同時に、この伝記の特徴である、ホーチミンが詠った「獄中日記」の
節々が、彼の繊細な感性を如実に感じました。
この本を読む前、他ならぬホーチミンの伝記であるからして、内容はイ
ンドシナ戦争やベトナム戦争を背景に、その時代の国家間の政治状況な
どがホーチミンの行動と絡めて大きく書かれているのだろうと思ってい
ました。しかし、読んでみると、意外なことに、そういった歴史的な動
向よりも、彼の後年の思想や人格が強調されていました。「社会主義だ
から、これはプロパガンダだ。」そう言ってしまえばそれまでですが、
なんとなく、彼の魅力を感じ、彼を敬愛するベトナム人の気持ちが分か
ってしまったのは、悪いことなのでしょうか。
ホー・チ・ミン伝 上
この伝記の上巻は、ホーの幼少期から54歳のホーが1944年に中国で釈放
されるまでのホーについて描かれています。時代背景としては、フラン
ス占領下のベトナムにおいて、ベトナム人蔑視を駆逐しようとするホー
の青年期から、めまぐるしく動く国際情勢のもと各国支配から独立を目
指していくために奔走するまでです。このベトナムの独立と同義とされ
る彼の人生のなかで特に印象に残ったのは、彼は占領されているベトナ
ムについて必ずしも否定的にはなく、独立よりもベトナム人の幸福を考
えているように思われたことです。占領国と交渉する際も、ベトナム人
を組織化していく際も、彼は大国の作る国際政治の流れを読んだうえで
合理的に行動し、ベトナム人に短期的であるにせよ負荷をもたらす可能
性のある独立を主張していません。ベトナム人の幸せのためには、独立
が最善の道ではないと考えていたようです。その点で、結果として独立
を果たした今だから言えることかもしれませんが、指導者として、ある
いは一民族主義者としてとても好感をもちました。
彼がベトミンとなるまでの半生は、しかし謎に包まれているともいえま
す。なぜなら彼の幼少期や青年期における細かい記述、特に、思想では
なく、彼の人格について推測できそうな記述が少ないからです。この点
については、社会主義特有の情報統制の意図を感じずにはいませんでし
た。おそらく、社会主義を保つためにホーチミンを神聖化するには、晩
年の彼の思想と独立の功績からの後づけに適さない部分は、意図的に排
除されているのでしょう。
入門経済思想史 世俗の思想家たち――――−ロバート・L・ハイルブローナー
第三章 アダム・スミスのすばらしい世界
アダム・スミスは当初、自然神学・倫理学・法理学・政治経済学などの道徳哲学の教授だったそ
うです。そのようにして宇宙の混沌の中に計画を求めよう、つまり合理化しようとしていた教授
が、労働に価値を置くことで、彼の生きた時代を体系化することに成功しました。彼は、集団の
ニーズに合致するように個人の行動を導くものは何か、社会はどこに向かっているのか、という
切り口から、個人の私利追求が同じ動機を持つ諸個人との競争を生み出し、さらに競争によって
社会の欲する商品が、適切な量だけ供給されるという市場法則を打ち出します。つまり、私利と
いう推進力と競争という調整力によって、物価が安定し、商品が適切に供給されるなど、社会が
秩序だった物質供給を行うための自己調整システムを見出したということです。この点についっ
てはかなり有名で、昨今の経済学の基礎として、ちゃんと教授され続けている部分だと思います。
しかしスミスはこのように貪欲を社会の繁栄のために推奨しつつも、一方で政府の役割を、市場
に介入しない程度に、他の社会から守り、市民に正義の行政を提供し、公共事業をおこなうべき
だと言及しています。この点についてはあまり知られていなく、私もまったく知りませんでした
が、スミスは単純に小さな政府を提案したのではなかったのです。このことは、スミスが哲学者
らしい部分を持っていたという面からも、重要なポイントだと思いました。
世界の終わりとハードボイルドワンダーランド上―――――村上春樹
この小説は面白い構成になっていて、ふたつの物語が一章ずつ交互に、同時に進行していきま
す。ふたつの物語とは「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」という、要素要素
でなんとなく断片的につながっているような、でも全く違う世界についての物語です。二つの物
語の関係は全く読み取れないので、別の物語として読んでいきます。「世界の終わり」は大きい
壁に囲まれた町についての話で、僕がその町に入るところから物語が始まります。そこでは人は
影を切り離されて、一生町から出られません。町では人々は心を持たないので、争いごともなく
平和で、逆に言えば愛情や喜びもありません。「ハードボイルドワンダーランド」は、舞台は東
京ですが、近未来風の革新的技術とそれを扱う人間の話で、そこでの僕が変わった科学者に仕事
を依頼されることから、組織の陰謀に巻き込まれていく話です。
世界の終わりとハードボイルドワンダーランド下―――――村上春樹
最後には意外な結末が待っているので、ここでは種明かしはしませんが、この小説はもう少し
ゆっくり読み込みたかったな、という印象を持ちました。物語の展開としても十分面白く、先が
気になったのですが、それ以上に、特に「ハードボイルドワンダーランド」では主人公の趣味、
思考、哲学がとても興味深かったです。彼はボブ・ディランやドストエフスキーやその他、古い
ものが好きで、また物事についていろんな説明することが得意です。たとえば疲れる、というこ
とを「体のいろんな部分が不明確になる」と表現するなど、私にとっては新しい視点を与えてく
れたので、もう一度細かい点まで読みたいなと思いました。
一方、この「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」をひとつの本として捕らえたと
き、ふたつの物語の主人公は一見性格や思考法がとても似ているようで、お互いにかけた部分を
持ち合っていると思いました。一方は動きのない完全な世界で、自然さを求め、一方は動きが激
しい世界で、もう自然の摂理や感情に疲れています。この二人の主人公を見て、私は、人間は結
局ないものねだりなのだなと感じました。しかし、やはりまだ読み込めてない感じがします。ま
た再チャレンジしようと思いました。
創造の方法学――――高根正昭
エコノメを書くに当たって、問題意識の持ち方、分析の仕方、論の進め方など、基礎となる部
分を参考にするために読みました。ここに書いてあることを読んで、一番に思ったことが、意識
的に気をつけていなくても、意外と身にしみて感じていることが多かったということです。たと
えば、原因と結果の論理や、概念を具体化した指標やパラメータなど、無意識に行っていること
が結構ありました。しかし、それを他の人の言葉で改めて認識することによって、さらに意識が
高まったように思います。エコノメを書くに当たって、論理性は重要ですから、この本を読んで
再認識したことを忘れずにいたいと思いました。
入門経済思想史 世俗の思想家たち――――−ロバート・L・ハイルブローナー
第七章 マルクスが描き出した冷酷な体制
今までマルクスといえば、歴史の授業等で最重要人物としてでてきたのだからすごい人なのだろ
う、とは思っていましたが、実際社会主義を作った人ということくらいしか知りませんでした。
しかしこの章を読んでまず、マルクスは社会主義者というよりは、資本主義を冷静に分析した経
済学者なのだという認識に変わりました。
マルクスの証法的唯物論によれば、社会は衣食住のための経済的基礎という下部構造の上に、法
律や政府、宗教、哲学といった思考の上部構造があって成立しているが、社会の技術が変化する
限りその階級間での闘争は起こるため、社会は過去の観念と相互作用して生まれる新しい観念と
ともに変化していく。この分析は、確かにそれから後の資本主義のとる進路から実証されている
らしいので、マルクスの分析は正しかったということが分かります。しかし、この歴史を踏まえ
た社会分析は、主にマルクスの生きた資本主義社会の発展法則と、資本主義システム全体の崩壊
を論証するためにされたもので、マルクスの「政治は資本主義の欠陥をうめるような社会的機能
を実行できない」という社会的判断からその結論が導かれているため、マルクスは偉大な経済学
者というより社会主義創設者という、いささか偏見の混じった言い方をされてしまうのだと思い
ました。
マルクスは資本主義に絶望するあまり、その改善法よりは社会主義を生み出してしまいましたが、
いま資本主義社会に生きるしかない私は、マルクスの思想や分析能力を多少分かって、同時に資
本主義の歴史とその欠点も少し理解できて、またひとつ視野が広がったと思いました。
第八章 ソースタイン・ヴェブレンの描く野蛮な世界
恥ずかしながら、今回初めてヴェブレンという経済学者を知ったのですが、この章を読んで、ヴ
ェブレンは教授として弁を揮える大学を探すというような就職活動を常にしている人という印象
を持ちました。大学の教授など、能力が高い分、大衆とは一線を画すような人がなるような職業
だと思うのですが、能力の高い経済学者がその業種においてさえが働く場所が見つからず、その
場を求めているというのは滑稽にみえます。おそらく彼の性向はそれほどに変わっていた、つま
り一般常識を受け入れなかったのでしょう。しかし、そんな彼だからこそ気づけたであろう、
「有閑階級の理論」に代表される人々の実際の観察に基づいた、経済人類学的観点からの社会の
描写は、客観的で本質を突いています。彼は日常生活についてなどの詳細な経済的精神病理学か
ら経済人を捉えているので、多くの経済学者はその論に抵抗のしようがなく、金儲けが世界を支
配していた当時のアメリカを超然的に批判することができたのだと思います。実際、彼が、有閑
階級は誇示的な消費を通じて優越性を宣伝していて、その上歴史からみてその有閑階級は労働者
の目標である、と考察した点は、革新的な指摘だったのだということは想像に難くありません。
経済というものは人間が生きるために作り上げたものであり、当たり前ですが人間にしかない概
念です。したがって、それを理解するために、その構成員である経済人をとことん追及して学問
にした彼の論法は、非常に大切な一面を捉えていると思いました。
入門経済思想史 世俗の思想家たち――――−ロバート・L・ハイルブローナー
第九章 J・M・ケインズが打ち出した異論
ケインズといえば有効需要というイメージしかありませんでしたが、第九章を読んで彼のいろん
な面を知って、その言葉のイメージがだいぶ薄れました。ケインズは言わずもがなの偉大な経済
学者でしたが、同時にケンブリッジ大学の学監であり、生命保険会社の社長であり、古典愛好家
でもあり、劇場の経営者でもあり、イングランド銀行の頭取でもあり、優秀な投機家でもあり、
その上バレエのマドンナの夫でもあったということを初めて知りました。一人の人間でこれだけ
の面があるのは、その人を分かりにくくもするとも言えますが、少なくとも彼が天才であったと
いうことを実感できました。彼がいろんな才能を持つということが分かったところで、やはり彼
の名を世間に知らしめた経済についての彼の思想は重要な部分です。
彼はどのような思想をもって、どのような理論を作ったのでしょうか。この本によると、ケイ
ンズは特に経済の循環についての革新的な理論、つまりマクロ的理論を構築したといえます。19
世紀半ばくらいから、経済の構造に変化が生じ富の分配が進むことで貯蓄と投資が離れてきたと
いう現実をみて、ケインズは余分な貯蓄が存在しない不況になったら、投資をするような利子率
低下も起こらず、不況が停滞するだろうと考えました。その不況時に自然には発生しなくなる投
資を創出するために、ケインズは政府の存在根拠を大きく主張するようになるのですが、その根
底には投資の社会化によって失業の解消をしようという目標がありました。そして実際にヴェル
サイユ条約を批判したり、ブレトンウッズ協定で新しい提案をしたりするなど、彼は現実を見て
ジャーナリズム的な批判の精神をもつとともに、理想の社会を作るべく理論を構築していったと
いうことが分かります。
このように、私たちがいま学んでいる経済学がケインズのような現実をよくしようという良心
から生まれた経済学であると知ったら、私はもっと勉強したいという意欲が起こりました。
モラトリアム人間を考える-------小此木啓吾
この本では、モラトリアム人間とは「何事に対しても、一時的、暫定的なかかわりしかしない。
本当の自分の出番は先に延ばし、現在の自分は仮の自分に過ぎない、と思っている。」というよ
うな心理構造をしていると定義されています。これは、一般的に言われるモラトリアム期間にい
る人間のことのみを指すのではなく、多くの現代人の意識と行動にあらわられていると書かれて
います。わたしは、いま自分がモラトリアム期間にいて何をすべきなのか、という日々の問いの
参考としてこの本を読もうと思ったのですが、この本は総じて現代人そのものに焦点をあててい
るようだったので、違う面で参考になりました。この本を読んでもっとも感じたことは、自分で
意識していない、というより当たり前だったことが批判されているということです。たとえば、
スイッチひとつで自分の思い通りになる自動応答機械は私たちに全能というような感覚を味あわ
せ、また人間に対してあるような煩わしい関係ももたないので、人間との関係の代理として利用
されていて、このような人間と機械の関係を「ナルスチックな関係」と呼ぶと書かれていました。
そのようなことを私は今まで考えたことも在りませんでした。スイッチをつければテレビがつく
のは当たり前で、当然リモコンに気なんか遣いません。しかし、その当たり前の生活が、人間関
係に煩わしさを感じるようになった根底の理由にあるといわれれば、そういう気もしてきます。
私にはまだ思考や知識が足りなくて、そのような生活がよいのか悪いのか批判はできないですが、
この本を読んで現代人である自分に新しい視点をもたらしたのは間違いありません。
こころに効く小説の書き方------三田誠広
わたしは小説が好きで、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、ミヒャエルエンデ、ヘルマンヘセ、等
歴代の名小説家の本などを読み漁っているのですが、どうももったいない読み方をしているので
はないかと思っていました。小学校から国語の時間が大嫌いで、小説の読み方など教わってこな
かったものですから、きっと何かに気づけていないだろう、それに気づければ歴代の名作達とも
っと味わい深い関わり方ができるようになるだろうと考えました。そこで、だったら彼らはどう
やって、何を狙って小説を書いているんだろうという、小説の書き方から考えてみることにしま
した。
この本を読んで分かったことは、行間を読むためのヒントということが分かりました。小説を書
く際に注意したり、こだわったりするところは、やはり読み手も汲み取らないといけないと思い
ました。他に、起承転結の流れなど詳しい文の書き方も書いてあり、小説でなくても普通の文章
を書くためにも勉強になる本でした。
コーポレート・ガバナンス入門-------深尾光洋
一時期、よくニュースで敵対的買収やインサイダー取引などという単語が行き交っていたがその
内容がよく分からなかったので、ニュースを理解したいと思ってこの本を読んでみました。
内容的には、企業法など引用してあるなど、会社について何も知らなかった私にとってはかなり
詳しいところまで書いてあると感じました。特に、この本は各国比較をよくやっているのですが、
この企業法の各国による違いはとても面白いと思いました。取引役の選び方から株式の配当の仕
方まで、国によって法律が厳しかったり弱かったりしているのがよく分かりました。それは各国
で何を重視しているかや、法ができるまでの経緯による差異だと思うのですが、多国籍企業やグ
ローバルなビジネスを展開する大企業にとっては財務諸表を作るという基本的なところから、投
資家にとってのpassive運用やacrive運用など株の運用の仕方にも、各国間での違いから差別化が
計られる部分だと思いました。
バカの壁------養老孟司
「バカの壁」は400万部を超える、いわずと知れたベストセラーです。このベストセラーをあま
のじゃくの私は敢えて読んでこなかったのですが、最近book offでふとこの本を見つけて買って
みました。するとこれが以外に面白い。大衆受けする今流行のスピリュアル系の本かと思いきや、
スピリチュアル、精神論には変わりないですが、現代の人間のおかれた環境と、それに適応する
ための弊害を書き著したなかなか難しい内容の本でした。
もう少し簡単に言えば、「バカの壁」は養老さんがこれまで生きてきて経験したことから学んだ、
あるいは考えついた教訓、心理について書いてあります。したがって、普段からいろいろ考え悩
んでいる人にとっては、それについての養老さんの答えが聞けて興味深いと思います。たとえば、
私が一番印象に残ったのは、私たちがいつの間にやら作ってしまった壁として「身体」の問題を
挙げていたところです。人間は学習するロボット、つまり脳は入力と出力がセットになっていて、
入出力の経験を繰り返すことによって学習できるということでした。また出力をせずに脳の中だ
けの抽象的思考として数学と哲学をあげていたことも印象的でした。この部分を読んで、私は最
近哲学にはまって行き詰っていたのですが、それとは関係なく出力も大切なのだと考えると楽に
なりました。「バカの壁」を読んで、本とはそういう一方的な考えに走っている自分にふと新し
い助言を与えてくれるものなのだなということを改めて感じました。
The Catcher in the Rye----- J. D. Salinger
"The catcher in the rye"は日本語では「ライ麦畑でつかまえて」という題名で有名な小説です。
主人公の子供が、成績が悪かったことから学校の寮を抜け出して、一人でニューヨークへ帰ると
いう内容で、特にストーリー性はありません。また、こどもの主人公の主観で書かれており会話
が多いので、単語は難しくなく、読むのは楽でした。
主人公の男の子は"You don't like anything that's happening"というセリフからも分かるよう
に、友人の自殺や弟の死を経験しているからか、自分の周りや社会の見方がかなり主観的で偏っ
ていて、そのうえ相当口が悪いので、いわゆる反抗期の子供のように感じました。私自身も、今
となっては反抗期であった自分が何を考えていたか覚えていませんが、彼ほどではないにしろ、
おそらく彼のように周りの出来事をひどく主観的に解釈して、起こることすべてが気に食わなか
ったのだろうと思います。この本を読んで、もうずいぶん長い間忘れていた自分の反抗期のこと
を思い出しました。人間は日々成長し、過去の自分を忘れがちですが、このように本や何かをき
っかけに、過去の自分に思いをはせることは、もしかしたら必要なのかもしれないな、と思いま
した。
スプートニクの恋人-----村上春樹
「海辺のカフカ」「ノルウェイの森」と続いて、「スプートニクの恋人」は私の読む、村上春
樹の小説の三作目になります。相変わらず村上春樹らしく、愛や孤独が主題になっていると思い
ました。おもな登場人物は三人、小説家を志望して大学を辞めたすみれと、同じくかなりの文学
好きで、密かにすみれに恋心を抱くすみれの相談相手のぼく、そしてすみれの初めて抱いた恋の
相手の女性ミュウです。その三人がそれぞれ自分の内面と格闘し、孤独を味わいながら生きてい
く、というストーリーです。
私はこの作品にも見られるような、村上春樹の描く繊細な人間関係や、美しく哀しい人の内面の
葛藤がとても好きです。特に「スプートニクの恋人」では、どんな形であれ、最後に生きるとい
う選択がなされたと思われる点がよかったです。生きることがその人にとって最善なのかは分か
りませんが、やはり生きてこその愛であり、孤独であり、葛藤なのですから。
坂の上の雲(八)-------司馬遼太郎
八巻では日本海海戦が主な場面になります。そのなかで、秋山真之参謀の見事な敵の予想と作
戦、東郷平八郎統帥の冷静で論理的な判断、ロジェストウェンスキー提督の不審な指示、各日本
軍のサムライ精神などが描かれていました。
なかでも私が一番印象に残ったのが、最終章の「雨の坂」の部分です。ここで「戦争というの
は済んでしまえばつまらないものだ」という台詞が引用されています。坂の上の雲にある何か希
望のようなものを目指して、目指して、たくさんの日本人が走りぬいて着いたところには、雨が
降っていた、と象徴するように真之が人生を閉じたところで終わりました。私は実際に戦争を体
験していないので、浅い想像しかできませんが、きっとそうなんだろう、と思わせる結末でした。
そして同時に、同じく戦争を経験する昭和時代へ向けて、暗い印象を醸し出しているようでした。
老いてこそ人生-----石原慎太郎
私は、人間が思考する動物である以上、自分で自分が生きていることを正当化できないと、生
きていることが辛くなると思っています。だから、死ぬ間際まで後悔しないような生き方を考え
ていく上で、人の生き方の先例を参考にしたくて「老いてこそ人生」を読むことにしました。
「老いてこそ人生」では、特にアスリートを例に出して、誰でも年とともに肉体は凋落してい
くのであり、そこでその当たり前の肉体の宿命を受け入れるからこそ無常な今が尊く、また空し
くなる。しかしその空しい挑戦をすることで人間は成熟する、ということを書いています。つま
り生きるということは老いるということで、老いるということは死ぬということだといっています。
私は「老いてこそ人生」を読んで、石原さんは若い頃自分を自慢に思っていると感じました。
アスリートにしても、若い頃の肉体を郷愁することが無駄であると主張するなど、老いた時に変
化を受け入れることが人生の極みだといっています。翻せば、今の若い私には、その若さを十分
に発揮して存分に遊んで、存分に勉強して、つまり存分にやりたいことをやることが大切だと思
いました。今はやりたいことを信じて、全力で一生懸命やろう、石原さんからそんな心意気をい
ただきました。
七巻では奉天会戦での日本陸軍の勝利とその後の外交戦略、そしてバルチック艦隊が日本海に
近づいてきている場面が描かれています。司馬さんは、秀才だが偏狭で、過度な防御本能をもつ
クロパトキン将帥が絶対的な権力のもとで施行した、防御重視の作戦のおかげで、日本軍が奉天
会戦で勝利できたと言っています。つまり陸での勝利においても日本軍、ひいては日本が国全体
として既に疲弊しきっているため、奉天会戦の勝利をいかにして外交において生かすかが大きな
焦点となっていました。
私は七巻を読んで、日本に有利な講和をとりつけるために奔走する日本の政治家に感動しまし
た。特に児玉参謀長が、内省を欠いている世論のなかで、講和交渉を行わない本国にいる長岡参
謀長に「長岡ァ、馬鹿かァ、お前は、」とどなった場面が印象に残っています。この児玉の必死
さが、当時の日本国を守るという、純粋な想いを感じたからです。日本国を守る、という目的か
らはじめた戦争を有利に終わらせる機会を逸脱しないように奔走する政治家は、とても外交感覚
に優れ、さらに情をそそるものだと思いました。
自由の牢獄
私が「自由」ということを意識し始めたのは、大学生になってからです。特に最近は、自分の
将来について思いをはせるようになったためか、「自由」と、それに伴う、特に自分への責任の
重さをより意識してきています。そしてこの責任から、とてつもない不安を感じていたので、こ
の「自由の牢獄」というタイトルに惹かれて、この本を読むことにしました。
「自由の牢獄」は8つの小ファンタジーからなる短編集なのですが、その各短編すべてにおい
て、「自由」であることから表立つことになった人間の弱さと、その弱さゆえに神や、期待を追
い求めてしまう人たちのことを描いています。そのなかでも印象的である特徴のひとつが、8つ
すべての話の終わり方が、「自由」に抗って最後に決まった道が果たして良かったのか、悪かっ
たのか分からない、絶望なのか幸福なのか分からないという終わり方をしているという点です。
人間は古き秩序だった世界を捨て、自分の意志の元に行動することを知り、将来へ期待をもつ
ようになりました。実際に私たちの日常的な場面においても、未来や一瞬先のために選択を迫ら
れることは多くあります。しかしそのとき、私たちはいったい何を理由に選択しているのでしょ
うか。何を「自由」に選択しても、世の中思う通りにいかない、予測できない現実ばかりで、ど
うやって自分に責任を持ち、なぜ期待をもてるのでしょうか。
「自由の牢獄」では、多くの主人公がそれぞれの結末を迎えましたが、私たちは「自由」な社
会に生まれて、最後に結末を迎えるときに、絶望であるのか、幸福であるのか。幸福であれるよ
うな理由を、生きて模索していきたいものです。
医療の限界-----小松秀樹
私は「医療の限界」を読んで、日ごろからお世話になっている医療現場の内実のほとんどが、
想像できていなかった、あるいは、メディアから半端な形で受け取った、極めて偏った知識しか
もっていなかったということに気づきました。小松先生も文中で、10時間という具体的な数字を
出すほど、とにかく一般人である患者から、長い時間をかけて医療についての理解を得て、医療
と社会との齟齬を取り除くことが、医療崩壊を免れるために重要だと書いていました。確かに文
中の新聞記者の方や私のように、一般人は医療の不確実性や、その過酷な労働、法的な弱い立場
についての知識はないでしょう。しかし私は、一般人の誤解という点においては、小松先生の提
唱なさった「説明と同意についての原則」を患者に提示するだけで十分だと思いました。一般人
には医療における常識が欠如しているだけですから、それを教えてあげるだけで、医療への誤解
はだいぶ収まると思います。それよりも私は「医療の限界」を読んで、問題は、根本的には医者
の質、つまりは医者の質を決定する環境にあると思いました。患者側からの視点からみれば、
「医療にリスクは免れない」という認識が困難なのではなく、医者には自分の命を預けざるをえ
ないので、とても多忙な医者、金儲け色の強い開業医、能力に信用の置けない外科医等にリスク
を委ねたくないというほうの気持ちのほうが大きいように思います。
科学技術が発達してきて、社会があらゆる分野で専門化しているなかで、特に医療が大々的に問
題になっている一番の理由が、その一般人との目に見える関わりの深さだと思います。それを裏
返して言えば、医者の信用上昇からくるリスクの軽減というような、患者への見返りがクリアに
説明されれば、それを実現するための医療費の値上がり、またはそのための租税引き上げは可能
だと思います。私は、いまの医療崩壊をとめるためには、小松先生などが行われている、医者の
質向上のための環境整備が大変重要で、また実現可能だと思いました。
福翁自伝------福澤諭吉
福澤諭吉先生が福翁自伝を脱稿したのが、彼が65歳のとき、そして自伝が世に出たのが1899年、
19世紀最後の年で、日本という国家を創った勝海舟が亡くなり、大戦後の首相、池田勇人が生ま
れた年だそうです。それは、日清戦争を通じて、初めて大衆に国民としての自覚と愛国心が行き
渡り、また一方で、露西亜の南下運動という脅威によって、日本が近代国家として歩み始める、
皆が高揚した時代です。そんなムードにある時代で、福沢先生は何を思って、新しい時代の担い
手に何を伝えたくて福翁自伝を著したのでしょうか。
おそらく多くの人が感じるように、私は福翁自伝を読んで、人は「独立自尊」しているべきだと
いうメッセージを強く感じました。福翁自伝は、福澤先生自身がその生涯を語るので、その人生
において彼がくだした決断の本心がよく分かります。そして私はその本心を知るうちに、福澤先
生は、大きな決断から小さな判断やこだわりに至るまで、自分は自分の経験からこうするべきだ
と思い、またそれを実践する能力があるので、こう判断した、という一定の型にはまって生きて
いる、と思いました。そしてその型が、数理学と独立心、つまり「独立自尊」という心構えだと
思いました。
65歳の福澤先生が生きていた時代では、彼や中江兆民が導入した、近代国家の土台となる技術や
制度がすでに安定してきていたと思います。しかし、その新しい社会の流れに酔っている国民の
大多数はおそらく、その状況について思考し、批評する術を知らなかったのではないでしょうか。
私は、その「独立自尊」という精神に盲目な大衆が、これから日本の独立を妨げることになるか
もしれない、という危惧から、福澤先生は福翁自伝を著したのだと思いました。そしてその時代
から二世紀隔てた現代に生きる私も、その心構えを福翁自伝を読んで初めて認識し、またそれが
今のどの世界の大衆にも欠けている心構えだと思いました。だからこそ今その心構えを知った私
は、福澤先生の経験から学んだ「独立自尊」の精神を自分流に解釈することで、自分や社会の判
断に還元できるようになりたいと思いました。