責めてもいいよ。
怒鳴ってもいいよ。
裏切ってもいいよ。
悪いのはあたしだから。
second time sympathy...
―前編―
あの頃は今ここに居る自分達が、ニセモノなんじゃないかとさえ思えた。
元天才科学者である自分はセーラー服なんか着ちゃってるし
元高校生名探偵の彼は中学生に逆戻り。
彼は未だに彼女を想っていたし、あたしも過去を忘れられずにいた。
全てを赦せる大人でもなく、だからっていつまでも子供じゃいられない。
そんな時期に、緩やかだけどぬるい時の流れにあたし達は身を委ねていた。
傷ついて、傷つけて。
それでもあたしが彼の傍を離れなかったのは、
きっと少しの罪悪感と一方的なシンパシー。
「灰原さん」
落ち着いた柔らかな声で呼ばれ、振り返った火曜日の朝。
「―円谷君」
手に持っていた靴を下駄箱に入れ、入ってた上履きを床に落とす。
簀の子に音が響いて、上履きが四方八方に飛び散る。
「随分乱暴ですね」
あたしに声をかけた少年―円谷光彦は苦笑しながら自分の下駄箱に手を伸ばす。
「人に当たるわけにはいかないからね」
自分で飛ばした上履きをきちんと並べて足を通し、首をすくめてみせる。
灰原哀、一見普通の十四歳の中学生。
普通じゃないのはこれは仮の姿だってこと。
あたしが作った薬で工藤新一が江戸川コナンになって早七年。
黒の組織の存在は消えたけど、江戸川コナンの存在が消えることは無かった。
同様に、灰原哀も存在していた。
中学生、として。
最近の自分は機嫌が悪い。
正確に言うと、彼の機嫌が悪くてこっちまでイライラしてしまうのだ。
彼が機嫌が悪いのは、何も今に始まったことじゃないけど。
中学に入ってから・・・・・ううん、今年に入ってから彼は変わってしまった。
理由は痛いほど分かっているから。
全てはあたしのせい。
彼はあたしの気持ちを察してなのか何も言わない。
無言でいられるほど辛いものは無い。
いっそのこと、責めてくれる方が楽なのに。
怒鳴って罵って、殴ってくれたっていいのに。
何も映さない貴方の瞳を見るのが、ただただ怖かった。
「今日もコナン君は休みでしょうか?」
「さぁ・・・・・・・どうかしら」
はぐらかしたけれど、彼が今日も来ないことは分かっていた。
「出席日数大丈夫なんでしょうか?」
「中学で留年なんて、ね」
二人で並んでD組の教室まで向かう。
まだ予鈴すら鳴っていないので廊下は騒がしい。
隅の方で内緒話している女の子達。
廊下でサッカー始める男の子達。
幼さの残る瑞々しい姿が、あたしには眩しすぎるくらいだった。
中学に入って一年と少々経つけれど、未だにここに居る自分になれない。
たぶんきっと彼もそう。
あたし達はニセモノなのだから。
本来ここに居るべき人間ではないのだから。
キーンコーンカーンコーン。
本鈴が鳴り、廊下に響く靴音を聞いた生徒達は慌てて自分の席につく。
皆が席についた頃、前の扉が開いて担任の教師が教室に入ってきた。
「おはよう」
アイツとそっくりな顔で新米教師は笑った。
これが、最近彼の様子がおかしい理由。
ふてくされて学校をサボリ続けている理由。
「休みは・・・・・・・・また江戸川か」
周囲をぐるりと見回して出席簿に何やら書き込む。
「灰原、江戸川の長期の休みの理由は?」
家が近いからという理由だけで指名されたあたしは、事務的に答える。
「ただの登校拒否です」
放課後の理科準備室。
ドアをノックして返事を待たずに中に入った。
誰がいるかなんて承知のこと。
「黒羽先生」
ゆっくりとその名を呼ぶ。
「ん?何だい?哀ちゃん」
今年我が2−Dの担任となった黒羽快斗は目じりを下げてだらしなく笑った。
その姿はまるで孫の前のお祖父ちゃん。
教卓の前で見せる表情とはえらい違いだ。
「話って何ですか?」
「もちろん君の相棒のこと」
「相棒になったつもりはありません」
秘密を共有している敵対関係となら言えるけど。
「全く彼はどうしようもないね、気の毒だけど」
全然気の毒じゃなさそうに黒羽先生は言った。
「貴方が担任にさえならなければ、今年一年は穏やかだったのでしょうに」
「うわっ!ヒドっ!」
現に去年黒羽快斗が同じ校内に居ても、彼の機嫌はここまで悪くなかった。
自分―正確に言えば工藤新一だけど―と同じ顔である黒羽快斗が教卓に立つことに我慢がならないのだろう。
方や化学教師の仮面を被ったカリスマ的天才マジシャン。
方や元高校生探偵のしがない中学生。
同い年なのに、今や見た目も立場もまるで違う。
「彼はまだ毛利さんのことが好きなの?」
「・・・・・・・・・えぇ、たぶん」
今もまだ、きっと―
彼を待てなくて結婚を決めた彼女を想い続けている。
「あたしのせい・・・・・・ですね」
「あまり自分を責めちゃいけないよ?」
「・・・・・・いいえ」
責めずにはいられないのです。
彼の人生をめちゃくちゃにした自分への戒めです。
翌日、久しぶりに彼を見た。
今日は日直だったから、いつもより早く登校した。
朝の風はまだ涼しく、人の気配のしない昇降口に自分のたてる音だけがやたら響く。
簀の子に華麗に上履きを落とした途端、脇からサッカーボールが転がってきた。
こんな使い古したボールを持っている人間はただ一人。
ほら、隅に変な悪戯書きまである。
「随分と早いご登校ね」
貴方の瞳に映るように、わざと皮肉をこめて言う。
「自分は過去を忘れて中学生を満喫するのかよ?」
あたしの皮肉を無視して彼は突然言い出した。
「・・・・・どういう意味よ?」
過去を忘れたことなんて一度も無い。
自分の罪を忘れることなんて出来ない。
「周りの女と一緒で、適当に勉強して適当に遊んで適当に恋でもするのかよ」
彼の声は怒気を含んでいて、相変わらず瞳は何も映していない。
「・・・・・・・恋愛は適当になんか出来ないわ」
だからこんなにも苦しいのに。
誰のせいだと思ってんのよ?
「・・・・・・・・・・・じゃぁ、おまえは本気で黒羽センセイとレンアイしてるってわけだ?」
「何でここで黒羽君が出てくるのよ?」
思わず「先生」が抜けてしまったけど、そんなことはどうでもいい。
誰も居ない、朝一番の昇降口で二人の声だけが鋭く響く。
「噂になってるぜ?黒羽センセーと哀チャンが仲がいいって」
「何よ・・・・・それ」
「本当に校内のことには疎いんだな、登校拒否のオレでも知ってるのに」
「・・・・・・質問に答えなさいよ」
思わず声が震えた。
彼は何も言わない。
どれくらいの沈黙が過ぎただろうか。
「オレは蘭に振られたのに?おまえだけ幸せになろうとはな」
「黒羽君とはそんな関係じゃないわ」
「オレに遠慮なんてしなくてもいいんだぜ?」
「遠慮なんて・・・・・」
彼は何を怒っているのだろう。
「じゃぁ二人してオレが可哀相とでも思った?」
「違っ・・・・・・そんなんじゃない」
そんなんじゃない。
―そう言い切れる?
この街を去ることだって出来たのに。
それをしなかったのは
きっと少しの罪悪感と一方的なシンパシー。
「おまえなんかに同情なんてされたくねーよ」
初めて聞いた非難の言葉。
今までだってあたしを責めたこと無かったのに。
「・・・・・・・・そうね」
ホント、あたしなんかが同情する資格なんてないのに。
気がつけばぽろぽろと涙を流していた。
泣きたいのは彼の方だろうに、
その時のあたしは泣かずにはいられなかった。