帝丹中学文化祭・2
―スニーカーブルースな人々―

4.男は靴を落として主役になる





「江戸川君、スニーカー落としたの?」
哀は自分の声が震えているのが、よく分かった。
もし今自分の顔を鏡で見ることが出来たなら、きっと血の気が失せていることだろう。



「あぁ、そうだけど・・・・灰原見たのか?オレのスニーカー」

「・・・・・・・・ううん、見てないわ」
―彼女は嘘をついた。





その後通り雨が止む前に、何とか雨のシーンの撮影は終わった。






































一時は文化祭に間に合わないんじゃないかと言われていた撮影も、順調に進んでいた。
残すはオープニングシーンとエンディングシーンだけである。
ヒロインがなかなか決まらなかったので、オープニングの靴を拾うシーンは延期されていたのである。



「シーン一、いきます」





一週間前にも同じようなことがあった。
まさかとは思ったけど、本当にあれはコナンの靴だった。

もしかしたら自分は確信していたのかもしれない。
落し物だったはずのあの靴を届けなかったのは、知っていたからかもしれない。
現に今もスニーカーは自分の鞄の中に大事にしまってある。
撮影が終わるまでの、自分のお守り。



撮影が終わったら、きちんと持ち主に返してあげよう。

でもそれまでは。
それまでは自分にちょっとだけ預けておいて。










「よーい、アクション!」

光彦の声に軽く頷く。





「靴・・・・・・・?」
哀はゆっくりとしゃがみ、自分の足元に落ちた左足だけの靴を拾い上げる。

一週間前と同様に。





思えば、あのときから始まっていたのだった。
一週間しかない撮影期間の中で、いろいろなことがあった。
それも(順調に行けば)今日で終わり。















「じゃぁ、続けてラストシーンの撮影に入りまーす」

そのときだった。



「っ痛・・・・・・・・・・」



「松田君?!」
一番近くにいたひとみが、足を庇って蹲る松田の肩を支える。

「どうしたんですか?」
光彦も監督椅子(と言ってもパイプ椅子だが)から立ち上がって、駆け寄る。



「足がどうかしたのかよ?」
コナンはひとみに代わって松田を支える。
「実はさっき捻挫しちまって・・・・」

松田の日に焼けた健康的な肌には、嫌な汗が流れ、
整った顔も苦痛によるのか歪んでいた。
相当痛いらしい。



「さっきのシーンでの撮影ね」
ひとみが言っているのは、さっき撮影したオープニングのスケボーのシーンである。
松田のことだから、なまじ運動神経が良いために、体を庇って足を捻ってしまったのだろう。
それを今まで周囲に全く気づかせなかったのは、何とも松田らしい。

「とりあえず保健室へ・・・・・おい!元太」
体の大きな元太を呼んで、二人で松田を保健室まで運ぶ。












松田の怪我はそこまで酷い捻挫じゃなかったが、
保健教諭に絶対安静と言われ、その場で病院へ連れて行かれてしまった。

「これじゃぁ、今日の撮影は無理ね」
「でももう時間がないよ?」
そう、編集時間を考えると、撮影時間はもうない。
今日がタイム・リミットなのだ。





「江戸川がやれよ」
「はっ?!オレが?」
藍沢の思わぬ提案に、仰天して声がひっくり返る。



「そうね、江戸川君なら松田君と体格も一緒だし」
「あとは光彦がOKだせばなぁ?」
ひとみも元太も乗り気である。





「どうせ後姿しか映らないから、大丈夫だと思います」
肝心の光彦も力強く頷いちゃったもんだから、さぁ大変。

「いや、オレが大丈夫じゃないんだけど?」













(何でこんなことになるんだよ・・・・・・・)



目の前に哀の姿。
こんなに近くで彼女を見たのは、何だか随分久しぶりのような気がする。

演技なんか(と言っても今回はただ立ってるだけだが)古畑以来だから、やたらに緊張する。
立っているだけなのに、足ががくがく震えて竦んでしまう。



足先に視線をやって両手で両脚をぴしゃりと叩く。
視線を上げると、彼女が笑っていた。








「よーい・・・・・アクションっ!!」

晴天の空の下、光彦の最後の声が響いた。
































「・・・・ずっと貴方が好きだった」




























本当に言われたわけではないのに、胸が高鳴る。

俯いて、今にも泣き出してしまいそうな彼女を、
この手で今すぐ抱きしめたかった。























どれぐらい経っただろう。
時間が一分にも一時間にも感じた。

相変わらず目の前の彼女は美しいまま、自分を見つめていた。





















「はい、カット」
消え入るような、光彦の声。





「「お疲れ様でしたー!!」」

二週間に渡る撮影の終わりに、皆が歓声を上げる。



どこに隠してあったのか、スタッフから花束が出演者たちに手渡される。
監督であった光彦には、哀から一際大きな花束が手渡された。
その後、光彦は男子数人による胴上げの祝福も受けていた。





「卒業式じゃないんだぞ〜」
元太から花束を渡された歩美は、感極まって泣いてしまった。
「だって・・・・・だってさ」

歩美の震える肩を、哀が優しく抱き寄せる。


















「灰原さん、お疲れ様でした」
光彦から差し出された右手を、哀はしっかりと握り返した。
「円谷君もね」



「誘ってくれてありがとう」
「こちらこそ、受けて下さってありがとうございました」
「いい経験になったわ」
「僕もです」





「灰原さんのために脚本を書き直してよかった」
照れくさそうに、光彦は微笑んだ。
「えっ・・・・・・?」

「脚本の子に頼んだんです」
「そう・・・・・だったの」
わざわざ自分のために書き直されたかと思うと、複雑な気持ちになった。



「今年で最後の文化祭だから、悔いが残らないようにしたかったんです」
まだ騒ぎの収まらない方向を向いて、光彦は感慨深そうに呟いた。





「灰原さん・・・・・・諦めの悪い男ですみません」



「これで最後ですから」と、彼は小さく呟いた。


































「お疲れ様」
両手を背中にやって、哀が近づいてきた。
「お、おう」
その場にへばっていたコナンは、彼女を見上げる形になる。

ふいに、目の前にスニーカーが差し出された。



「これ・・・・・・・」
目を瞠って、彼女を見つめ返した。





「これ、本当は江戸川君のスニーカーなの」
「えっ・・・・・・・?」



「ずっと持っていてごめんなさい」
「・・・・・・・」
コナンはただただ驚いて、応えに詰まる。

「ずっと黙っていてごめんなさい」





淋しそうに微笑んで、靴を手渡す。
こうしてコナンのスニーカーは一週間ぶりに、持ち主のところへ戻ってきた。





そしてこれは、彼らの長かった映画撮影の終わりでもあった。











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