「だからオレは・・・・オレは・・・・・・・・・・・・・あれ?」
「はい、カット!」
松田の間が抜けた顔に、光彦の声が覆い被さる。
「休憩入ります!松田君は今のうちに台詞ちゃんと覚えておいて下さい」
「へーい」
一人ダメ出しくらった松田は、頬を膨らましてちょっと拗ねた様子を見せた。
「っていうか、十五の男がそんな顔しても可愛くないっての」
「うっせーよ!だったら江戸川がやりゃーいいだろ?」
「オレは小道具係だしぃ?」
「貴様の方が可愛くねーんだよ!!」
NG王・松田のおかげで、撮影はこの上なく難航していた。
光彦の口数はだんだん減っていき、ひとみの自慢の黒髪は日に日にツヤを失っていった。
誰も彼もが限界を感じていた。
休憩直後、現場にはピリピリした見えない空気が流れていた。
哀と藍沢が会話をするシーン。
松田は少し離れたところで、懸命に台本とにらめっこしていた。
「あたし・・・・松田君のことが」
「松田君?」
ちょっとした哀の言い違いに、思わず藍沢が突っ込む。
「ごめんなさい、間違えちゃった」
軽く舌を出し、哀はさも何でもないように柔らかく笑んだ。
「「えっ・・・・・・?」」
そこに居る誰もが息を呑んだ。
「は、はい・・・・・・じゃぁカット」
今まで一度もNGを出さなかった哀の突然のNGに、光彦でさえ声が上擦っていた。
「あの灰原さんでもNGなんか出すのね。何だかほっとしちゃった」
ひとみは何が可笑しいのかくすりと笑い、隣のコナンに話しかけた。
「あ、あぁ・・・・・」
「何でわざと間違えたんだよ?」
「あたしだって場の空気ぐらい読めるわよ」
「さすが女優」
「まぁね。でも江戸川君ほどじゃないわ」
去年の古畑を思い出して、哀は唇の端だけを上げて微笑った。
「灰原さん、次お願いします!」
「はい」
光彦の笑う姿を久しぶりに見たような気がして、哀は少し安心した。
「ちょっとわざとらしかったかしら」
「靴・・・・・どうしよう」
撮影に追われ、拾った片方の靴の存在をすっかり忘れていた。
サイズは二十六センチ。
ベットの上に横になりながら、その靴を眺めていた。
「江戸川君とサイズ同じだ」
でも彼からスニーカーを落としたなんて話は聞いていない。
それに二十六センチのサイズなんて、きっと誰でも当てはまる。
校内の誰かだろうか。
これを落として困っていないだろうか。
それでも哀は学務に届ける気にはなれなかった。
新品のスニーカーを落として早三日。
学務に問い合わせてみたが、届いていないとのこと。
あのとき間違いなく階段の上から落としてしまったのだから、
誰かが拾っていてくれているはずである。
「もしかしてパクられた?!」
コナンは自室で頭を抱えて喚いていた。
傍には今回の映画の台本。
そういえばラストがどうなるかを知らなかったことを思い出し、ページをめくる。
『ずっと貴方が好きだった』
哀がこの間言っていた台詞である。
ラストの台詞だったとは、驚いた。
これに対する藤堂(松田)の応えはない。
「これを松田相手に言うのかよ」
再びコナンは頭を抱えて喚いた。
「コナン君、ご飯よー?」
蘭の声に、大きく返事する。
「はーい」
「藤堂君は私と付き合ってるのよ?」
顔を歪ませて、鋭い罵声を哀に浴びせている。
歩美の迫真の演技が続いていた。
「歩美のやつ、女優とか向いてるんじゃねーの?」
傍で撮影を眺めていた小道具係チーフ(名目だけ)元太が、隣に居るコナンに小声で話しかける。
「高校卒業したら、案外宝塚にでも入っちまうかもな」
「あたしは別に藤堂君とは何でも・・・・・」
俯いた憂い顔の哀。
西からの太陽が、彼女の髪を柔らかく包み込む。
パンっ・・・・・・・・・・
乾いた音がして、哀の左頬がぱっと紅く色づく。
涙を流しながら、震える右手を必死に支える歩美。
紅く色づいた頬を抑えて、凄まじい形相で歩美を睨む哀。
二人の間に緊迫した空気が流れる。
「はい、カットー!お疲れ様です」
タイミングを見計らって、光彦がメガホンを叩く。
「じゃぁ、次のシーン二十五やるので雨が降るまで待ちつつ、休憩です」
「マジ怖えー」
「女って怖いんだな」
元太とコナンは顔を見合わせて、ぶるぶると震えた。
「灰原さんも演技派ねぇ」
一人ひとみだけが、妙に納得していた。
「ごめんね〜!哀ちゃん、痛かった?」
歩美はハンカチを冷やしてきて、哀の左頬に当てる。
「平気よ。中途半端じゃなくて思いっきり殴ってくれたから」
哀はハンカチを受け取り、礼を言う。
「アハハ!酷いよ〜」
当の本人たちは実に和やかであった。
「ちょっと・・・・撮影また押してるわよ?」
タイムキーパーひとみが自分の腕時計を指しながら、ヒステリーを起こしている。
休憩に入ってから既に一時間経っている。
「仕方ねーだろ?天候待ちなんだから」
懸命にてるてる坊主を作りながら、元太が口を尖らせる。
「ったく・・・・今日は降水確率十パーセントだっての」
口ではそんなこと言いながら、コナンもてるてる坊主を作っている。
「円谷君も変なところで凝っているわよね」
ヒステリーを起こしながらも、ちゃんと手は動いているのがひとみのいいところである。
シーン二十五。
雨の中、藤堂(松田)が小百合(哀)が持っている靴に気づくシーン。
「何でお前がその靴持っているんだよ?」
「それは・・・・・・・・・・」
主演二人は台本片手に打ち合わせ中。
「あ・・・・・・雨」
午後十八時。
今日はもう撮影は無理かと思われ、スタッフの顔に絶望の色が出たころ、
歩美が雨に、いち早く気づいた。
「撮影再開しまーす!急いでスタンバイお願いします」
「灰原さん、これ」
小道具係の子がこれから使う、スニーカーを持ってきてくれた。
「ありが・・・・・・・・」
渡されたスニーカーが拾ったものとあまりにも似ていたので、哀は密かに息を呑んだ。
「ちょっとこれ・・・・・・」
慌てて小道具係の子に振り返る。
「それじゃぁ、用意・・・・・・アクション」
説明を求める前に、撮影が始まってしまった。
「丁度よく雨が降ったわね」
ひとみの声にコナンは黙って頷く。
視線の先には哀の姿。
何気なく哀の手元のものを見て、目を瞠った。
「それってっ・・・・・・・・・!!」
コナンは見覚えのあるスニーカーを見て、思わず叫んだ。
「はい、カットー!」
「何?江戸川君」
光彦とひとみの不機嫌な声が木霊する。
「どうした?江戸川、羨ましいのか?」
邪魔をされた松田も憎々しげに、コナンたちの方へやってきた。
「ちげーよ・・・・・・・これ・・・今回使われるスニーカーなのか?」
「そうだよ。小道具係のくせに、スニーカーに今気づいたのかよ?」
小道具係チーフ(名目だけ)の元太が言えば、
「今回の映画の重要なキーポイントだよ?」
と、歩美にまで言われる始末。
映画撮影の間、小道具係とは名目だけの係で、コナンはまともに参加してなかった。
だから映画の内容はもちろん、キーポイントとやらのスニーカー自体も拝んだことがない。
「いや、オレこの前スニーカー落としてさ・・・・それあまりにも似てるから」
責められたのが悔しいのと、バツが悪くて、口を尖らせて少し言い訳する。
「UDUKIのニューモデルだからな。まぁ、これはオレの私物だから絶対にお前のものじゃねーけど」
松田が鼻をふんと鳴らしながら言った。
そこへ、哀がふらふらとやって来て
「江戸川君、スニーカー落としたの?」
彼女の瞳が大きく開かれた。
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