帝丹中学文化祭・2
―スニーカーブルースな人々―

2.彼女は靴を拾い女優になる





「灰原さん、ヒロインやってくれませんか?」





「・・・・・・・え?」
哀はそう聞き返すのに、十秒ほどかかってしまった。
最近、光彦には事ある毎に驚かされているような気がする。

「でもあたしは小道具の係があるし」
今まで散々大変な仕事ばかりしていたので、光彦本人が配慮してくれたのだ。
「小道具ならコナン君や元太君や他にも人がいるので大丈夫ですよ」
光彦はにっこり笑って頷いた。



「何もあたしじゃなくたって・・・・・・・・・・」
「いろいろ考えたんですけど、やっぱりこの役は灰原さんしかいないと思って」
「でも・・・・・」
「灰原さんがいいんです。貴女じゃないと」





こんなにも熱望されて、哀は正直戸惑っていた。
演劇部に所属したことはないし、何より演技そのものをやったことがない。

周りの子はそれなりに『お遊戯会』とか経験をしている。
自分にはそんな経験は全くない。
幼稚園すら行っていたかどうか怪しい。

今まで散々周りを騙しているじゃないかと言われればそうであるが、
それとこれでは話が違う。
どう断ろうか迷っていると、



「いい返事、期待しています」
と、光彦は言いたいことだけ言って、さっさと踵を返して行ってしまった。



























ボーっと光彦の後姿を眺めていて後、ふと我に返る。

「あぁ・・・・靴どうしよう」
靴のことをすっかり忘れていた。





持ち主に返したくても、誰かが拾いに来た様子はない。
もちろん名前も書いていない。

「とりあえず預かっておこう」
誰に言うでもなく、哀は頷いた。
































「やべぇ」

誰もいないのに、顔をしかめてコナンは言った。
「まだ買ったばっかだったのにな」



新しいスニーカーを買ったはいいものの、早速校内で落としてしまったのだ。
階段の傍に居たので、自分の不注意で四階から一気に一階まで落としてしまった。
急いで取りに行こうとしたら、小宮山かなえに捕まってしまった。

まだ生徒会長になったばかりで、助けを求めてきたのだ。
元副会長としてはそれを無視するわけにはいかない。
会長に楯突いていた後輩を宥め、やっと一階まで戻ってくると靴はもう無くなっていた。
もしかしたら落ちた衝撃で遠くに飛んでしまったかとも思い、その辺りを隈なく探してみた。

しかし、結局靴は見つからなかった。
方足となってしまったスニーカーを見つめ、





「明日また探すか」








































「ヒロイン役を頼まれたぁ?」

翌日の昼休み、哀とコナンは屋上で一緒に弁当を食べていた。
屋上の風はもう十一月だからかだいぶ冷たいが、哀はここで弁当を食べるのが好きだった。
どうせあと一ヶ月もすれば、寒くて到底無理なのだからもう暫くだけここに居たい。



「うん、そう」
黄色い卵焼きを紅い箸で器用につまみながら、哀は無関心そうに言った。

「何でお前そんなに冷静なんだよ?!」
「一晩考えて冷静になったのよ」
「・・・・・・・・受けるのか?」
「さぁ・・・・・・」
哀はコナンの瞳をじっと見つめて、意地悪く微笑んだ。





「相手役は松田じゃないか?!」
弁当そっちのけで、慌てて台本をめくる。

「ダメダメダメダメ」
青ざめた顔をぶるぶる振る。
「・・・・・・何で?」
不思議そうに哀が首をかしげる。



「・・・・・・小道具の人手が足りなくなるから」
「はぁ?」



































「ってことは哀ちゃんと松田君を取り合うんだね」
コナンとは対照的に、歩美は笑った。
「面白そう」
笑いが止まらないみたいで、ずっとクスクスと笑っている。

「まだ決まったわけじゃないけど」
「でも受けるんでしょ?」





「・・・・・・・・・・うん」

生徒会長だってやれたんだから、やれなくはない。
チャンスがあるなら、出来る限りやってみようと思う。
一晩考えて出した結論である。



「そっか。コナン君は何て?」
「小道具係の人手が足りなくなるって」
「もう・・・・・素直じゃないんだから」
小さな口を大きく開けて、歩美は笑った。






























「というわけで、よろしくね。松田君」
「お、おう」
にっこり笑って差し出された右手を、松田はドキドキしながらそっと握った。



それが面白くないのがコナンである。
「これでやっと撮影が出来るわね」
と、ひとみが話しかけたが、
「何で灰原のやつ、受けたんだ?」
コナンはこうぶつぶつと呟くだけだった。



「ずっと撮影押してたのよ?ヒロイン役がいなかったから」
「へぇ〜」
「円谷君、最初から灰原さん指名すればよかったのに」
「どっちにしたって納得いかねーよ」
「何で江戸川君が納得しなきゃいけないのよ」





「ではシーン十九いきます!灰原さん、お願いします」
「はい」
柔らかく笑んで、哀は駆け出した。



「まぁ、楽しそうだからいいんじゃない?」
「オレは楽しくなんかないっての」

「オレは楽しいぞ♪」
「藍沢も出演者かよ?」

台本をめくると確かに藍沢の名前が。
しかも小百合(哀)に密かに想いをよせている役だ。



「昼ドラ展開かよ」

ちなみにこの映画の原案を出したのは光彦だが、
それを元に脚本を書いたのは、昨年の「古畑コナ三郎」の脚本家である。


































「お前には関係・・・・・関係ないんだよ」
夜の阿笠邸。
哀の部屋で二人で台本読みをしていた。
コナンは松田が演じる藤堂の台詞を読んでいるのだが、台詞が気障で笑ってどもってしまう。



「ちょっと真面目にやってくれる?」
「やってるよ」

だいたい、演技なんて経験ないのだから仕方ない。
それでも本読み相手として自分を頼ってくれることを、コナンは嬉しく思った。





「なぁ、キスシーンとかってあるのかよ」
「あるわけないでしょ」
呆れたようにため息を吐く。



「でも告白シーンはある」
「どっちに?」
「小百合ちゃん」
「ふーん」

自分の役のことをちゃん付けで呼ぶ彼女が、たまらなく可愛らしかった。










「ずっと貴方が好きだった」



「えっ・・・・・・・?」

「っていう台詞があるの」
「・・・・ふ、ふーん」





一瞬、本当に彼女からそう言われたのかと思って
びっくりして鼓動が高まってしまった自分が憎い。



こんな夜更けに彼女の部屋で二人きり。
彼女の息遣いも、長い睫も、シャンプーの香りもすぐ近くで感じられる。

自分独りだけが、やたらに気にし過ぎているのかもしれない。
彼女はもしかしたら全然気にしていないのかもしれない。



そんなことを悶々と考えたある日の夜。












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