「ショック療法って知ってる?」
「お前がやろうとしていることはちょっと違うだろうが」
黒羽快斗はコナンの言葉に笑ってみせた。
工藤新一とそっくりな顔で。
「あれほど一緒にいたコナンの顔でさえ、覚えていないんだぞ?」
「物は試しに・・・・・・ね?」
快斗は椅子に掛けられていたスーツの上着(真夏だというのに)を手にとって、
肩越しにバイと手を振って見せた。
「これで思い出されても微妙だな」
地獄耳の快斗に聞かれないように、コナンはこっそり呟いた。
夏休みはもうすぐ終わる。
自分も彼女も、もう小学校へは戻れないだろうか。
あの頃には、もう二度と戻れないのだろうか。
深紅の薔薇の花が届けられた日以来、ずっと彼女は塞ぎこんでいる。
知り合った当初のように、心は閉じられたまま。
自分を責め続けている。
薔薇を届けた人物には心当たりがある。
ヤツの遺体はあの場所から見つかっていない。
ヤツは彼女に、かつての恋人に、どんな言葉をかけたのだろうか。
「守ってやりたいと思う、よ?」
誰にともなく、呟いた。
コンコン。
その音に異様に反応してしまった。
ただのノック音なのに。
彼が、来たのかと、思ったから。
「あーいちゃんっv」
ドアから顔だけを覗かせてみせたのは、二十歳前後の若い男性。
どことなく、コナンに似ている。
一瞬、彼が大きくなった夢でも見ているのかと錯覚した。
「元気?」
しかしすぐに別人なのだと、これは現実なのだと解る。
コナンはこんなしゃべり方をしない。
「・・・・誰?」
この台詞を言うのは、もう何度目だろうか。
いい加減、もううんざりと思ってしまう。
「覚えていない?」
この台詞だって、何度聞いたか解らない。
黙って首を振ってみせると、彼はこんな言葉を口にした。
「工藤新一」
『新一』
髪の長い女の子が泣いている。
ふいに脳裏を掠めたのはそんな光景。
一瞬だけど、あまりに鮮明。
『工藤君』
これは自分の声だろうか。
「・・・・工藤君?」
気がつけば、ぽろぽろと涙を零していた。
真っ白なシーツに、薄く染みが残る。
「・・・・思い出した?オレのこと」
違う。
記憶の中の彼は、こんな風には笑わない。
いつも苦しそうに、哀しそうに微笑っていた。
彼をそんな辛そうにさせたのは、全部自分のせい。
「貴方は工藤君じゃない」
「・・・・うん、やっぱりバレちゃったか」
舌をぺろりと出して、茶目っ気たっぷりに笑う。
「でも昔の君を知っているのはホント」
「ねぇ・・・・」
「黒羽快斗」
「あたしさっき・・・・・」
「工藤のマブダチ」
「工藤君は・・・・・」
「君のこと、待ってるよ?」
「髪の長い女の子」
「どうして気づかないの?」
「・・・・あたし人を殺したの」
「・・・・・・・・・・」
「ねぇ、教えて」
工藤新一は誰?
あの髪の長い女の子とはどんな関係?
そしてあたしは本当に人殺しなの?
「君はある組織で薬の研究をしていた」
「組織・・・・?」
「君は気づかなかったけど、毒薬だ」
「毒薬・・・・・」
「それの被害に遭った一人に工藤新一がいる」
「工藤新一・・・・」
「君が言う髪の長い女の子は、たぶん毛利蘭。彼の幼馴染み」
「毛利蘭・・・・・」
「彼女は工藤を好いていたけど・・・でも彼は君を愛していた」
「・・・・・工藤君はどうなったの?」
「・・・・・・・・」
ふいに声が止む。
「まだ、気づかない?」
「・・・・・黒羽?」
がちゃりと音を立てて、病室の扉が開かれる。
「黒羽、何やってんだよ?」
「いや・・・・・哀ちゃんとおしゃべり」
コナンに向けられていた瞳が、こちらに向けられる。
何度も見たことある、漆黒の瞳。
工藤新一にそっくりな、この瞳。
「これでご満足?」
「・・・・まぁ、オレもそんな君のこと、割と好きだったんだけどね」
そう笑って、颯爽と病室を後にする。
「なななな、何だよ?!あいつ・・・・・・・」
残されたコナンは、訳が分からないとばかりにパニくっている。
「・・・・・灰原・・・あいつに何か変なことでも言われたか?」
目の前でひらひらと手を振られて、慌てて我に返る。
「・・・・・・・・・工藤君っ・・・・」
どうして気づかなかったのだろう。
彼はずっと傍にいてくれていたのに。
こんな自分でも、「守る」と約束してくれたのに。
『好きだ』
始まりは、あの日君が言ったI love you.
気づかないふりをして、聞き流した君の言葉。
『じゃぁ何で忘れちまったんだよ・・・・・灰原』
忘れたくて、忘れたわけじゃないのに。
でも本当は、全て忘れてなかったことにしたかったのかもしれない。
自分の罪も。
彼の同情も。
彼女の涙も。
「・・・・・・・灰、原?」
どこまでも優しい彼の罪な声。
全てを思い出した。
自分いなければ、彼はあの子と幸せになれたのに。
自分が彼から全てを奪ってしまったのだ。
宮野志保が作った毒薬で、工藤新一は江戸川コナンになってしまった。
江戸川コナンになった彼は、宮野志保から灰原哀となった少女と共に
自分をこんな体にした組織を壊滅させることに成功した。
そして灰原哀は記憶を失くした。
宮野志保だったということも、ジンという恋人がいたことも。
写真でしか見たことなかった工藤新一―江戸川コナン―に出逢い、惹かれたことも。
あの黒髪の少女を泣かしても、彼と共に在ったことを。
自分が作った薬のせいで、様々の人の人生を狂わした。
それでも自分はまだ幸せになれると思っている。
「・・・・あ・・・あたし・・・・・・・バカだ」
「・・・・・灰、原?」
あの日のように、暖かい手が差し伸べられる。
この手を取る権利は、自分にはない。
「いやっ・・・・・・・・」
未だ包帯が取れない頭を振って、精一杯抵抗する。
「・・・・灰原?」
一緒にいては狂気を招く。
だけど離れられない。
いとおしいから、出来ない。
―これこそが、自分の罪だというならば。
全てを壊して忘れてしまいたい。
「いやぁーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
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