3.5…Not replace






傷つけたくて、傷つけているわけじゃないのに。



自分のことを忘れてしまった。
ただそのことが哀しい。










「哀ちゃんの記憶はまだ戻らないのね」

花瓶の水を替えながら、蘭がそっと呟く。
病室では、哀が寝息も立てずに静かに眠っている。
喚起のため薄く開けた窓から、夕方なのにむっとした空気が流れ込む。





「少しずつは思い出しているみたいだ」
昼間の彼女を思い出す。

『・・・これは罰なのね?あたしの血はまだ紅い?』





「・・・・・・新一」

蘭は全ての事情を知っている。

今までずっと一緒にいたコナンが、彼女が待ちわびた工藤新一であることも。
その工藤新一が惹かれて止まない少女の正体にも。
恐れていた組織が崩壊した今、もう何もかも隠す必要はない。



蘭には全てを話した。
最初はそれこそ信じられないと言って笑っていた。
本当のことだと気づいて、大声で泣いた。

自分は、そんな幼馴染みを抱きしめる腕を持ち合わせていない。





「私は・・・・このまま彼女の記憶が戻らない方がいいと思うな」
「・・・・・・・・・・?」





「やり直せない?私たち」



その言葉に、下を向いて黙って首を振ってみせる。





「だって彼女が新一の人生狂わせたんだよ?」

語尾がギンギン響く悲壮な声。
もうこんな声も台詞も聞きたくないのに。



「彼女さえいなければ、私たち・・・・」





そう、きっとあのまま幼馴染み以上になれた。
自分は高校卒業して、大学にでも行って、仕事を持って。
幼馴染みと幸せな家庭でも築いていたと思う。
平凡ながら、暖かく平和な夢のような場所を。



でも。



蘭を傷つけてでも、哀の傍にいたかった。
君といる未来を選んだというのに。

幼馴染みの涙を見た結果がこれだ。





「記憶が戻っても戻らなくても、蘭とはもう幼馴染み以上の関係を続ける気はないよ」

ベッドの淵に腰掛けて、哀の前髪を撫でる。





「ごめんな・・・・・蘭」



自分は、夏の暑さにも負けない向日葵のような気丈な幼馴染みよりも
春の桜のように、今にも儚く散ってしまいそうな彼女の方が大切なんだ。










昔の記憶は忘れてしまってもいい。

でもどうか。
どうか自分のことは思い出してほしい。





自分たちの罪も過去も忘れて、未来だけを見ていたい。

なんて、何と都合の良い夢。



夢は叶わぬままが華。
叶わぬ夢幻であるから、余計に焦がれてしまう。
だからこそ欲して止まない。

君という夢を。






next pain.