傷つけたくて、傷つけているわけじゃないのに。
自分のことを忘れてしまった。
ただそのことが哀しい。
「哀ちゃんの記憶はまだ戻らないのね」
花瓶の水を替えながら、蘭がそっと呟く。
病室では、哀が寝息も立てずに静かに眠っている。
喚起のため薄く開けた窓から、夕方なのにむっとした空気が流れ込む。
「少しずつは思い出しているみたいだ」
昼間の彼女を思い出す。
『・・・これは罰なのね?あたしの血はまだ紅い?』
「・・・・・・新一」
蘭は全ての事情を知っている。
今までずっと一緒にいたコナンが、彼女が待ちわびた工藤新一であることも。
その工藤新一が惹かれて止まない少女の正体にも。
恐れていた組織が崩壊した今、もう何もかも隠す必要はない。
蘭には全てを話した。
最初はそれこそ信じられないと言って笑っていた。
本当のことだと気づいて、大声で泣いた。
自分は、そんな幼馴染みを抱きしめる腕を持ち合わせていない。
「私は・・・・このまま彼女の記憶が戻らない方がいいと思うな」
「・・・・・・・・・・?」
「やり直せない?私たち」
その言葉に、下を向いて黙って首を振ってみせる。
「だって彼女が新一の人生狂わせたんだよ?」
語尾がギンギン響く悲壮な声。
もうこんな声も台詞も聞きたくないのに。
「彼女さえいなければ、私たち・・・・」
そう、きっとあのまま幼馴染み以上になれた。
自分は高校卒業して、大学にでも行って、仕事を持って。
幼馴染みと幸せな家庭でも築いていたと思う。
平凡ながら、暖かく平和な夢のような場所を。
でも。
蘭を傷つけてでも、哀の傍にいたかった。
君といる未来を選んだというのに。
幼馴染みの涙を見た結果がこれだ。
「記憶が戻っても戻らなくても、蘭とはもう幼馴染み以上の関係を続ける気はないよ」
ベッドの淵に腰掛けて、哀の前髪を撫でる。
「ごめんな・・・・・蘭」
自分は、夏の暑さにも負けない向日葵のような気丈な幼馴染みよりも
春の桜のように、今にも儚く散ってしまいそうな彼女の方が大切なんだ。
昔の記憶は忘れてしまってもいい。
でもどうか。
どうか自分のことは思い出してほしい。
自分たちの罪も過去も忘れて、未来だけを見ていたい。
なんて、何と都合の良い夢。
夢は叶わぬままが華。
叶わぬ夢幻であるから、余計に焦がれてしまう。
だからこそ欲して止まない。
君という夢を。
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