記憶喪失なんて、自分には一生関係ないものだと思っていた。
灰原は記憶を全て失ってしまった。
オレの名前も顔も全く覚えていなかった。
最初彼女が不信そうに自分を見たときは、何かの冗談かと思ったぐらいだった。
本当に何もかも忘れてしまっていると気づいて、地獄に突き落とされたような気がした。
一歩間違えたら、柳眉を顰めて自分を見る彼女の首を締めていたかもしれない。
何故、こんなことになってしまったのだろう。
これから自分たちは幸せになる予定だった。
過去の呪縛から解かれて、
彼女だってやっと前を向いて歩こうと決めていたところだったのに。
「思い出したくないっていう気持ちが大きいのかもな」
晴天の下、病院の屋上でコナンは大きな独り言を発した。
「哀君に本当に何も言わない気か?新一君」
「何を言えって?」
自嘲めいた声が響く。
「どんな言葉であいつの過去を教えろって言うんだよ」
そんなことをしたら、今度こそ彼女は壊れてしまうのではないだろうか。
生きて帰って来てくれるとは、思ってもみなかった。
あのまま炎の中に消えてしまったのではないかと、絶望していた。
それでも彼女は自分の元に戻ってきてくれた。
何ひとつ覚えてはいないけれど。
抱き寄せたいのに、それが出来ない。
「どんな関係だった?」と尋ねる彼女に、本当のことが言えない。
このまま一生元には戻れないかもしれない。
失っていた時間を取り戻す術を知らないから。
しかし、いつ、どんなことをきっかけに、過去が暴かれるか解らない。
そういう不安を、一体いつまで抱き続けねばならないのだろうか。
とにかく今は、ただ黙って見守ってやることしか出来ない。
過去はともかく、自分のことを彼女がきちんと思い出してくれるまで、待っていようと思う。
今度こそ、あの小さな白い手を離すわけにはいかない。
絶対に。
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