1…Cross road






視界が揺れている。
何が揺れているのか解らないほど。
目の前には凄まじい轟音と共に建物が燃えている。

大きな建物なのに、全ては紅い炎に包まれていた。
しとしと降る冷たい雨と、炎の紅と橙色が混ざっていて
それはそれは情緒溢れる情景であった。



「燃えてるな・・・・」
少年は呟いた。
つい五分前にはその場所に居たのに、今では見る影もない。

「薬品が多いからすぐ燃えるのよ」
放心状態の少女がそれに答える。





「終わったのか・・・・?」
燃えていく建物に目を離さないまま、彼は尋ねた。
「えぇ、何もかも・・・・終わったのよ」
彼女は俯きながら、掠れた声で言った。



泣いて、いたのだろうか・・・?



「約束守ったからな」
彼はただただ紅い炎を見ているだけ。
「・・・・うん」
力なく彼女は言う。





「ありがとう、工藤君・・・」
彼女の手がそっと彼の腕に触れる。
「お前は解放されたんだ」
それに応えるように、彼は小さく呟いた。
























































『お前はもう自由さ、シェリー・・・』

あの言葉が頭から離れられない。
さっきから何度もフラッシュバックする。



どうして・・・

何故彼は自分を庇ったのだろうか。





























薄れゆく意識の中。
工藤君とはぐれ、後ろからは追っ手が。



逃げなきゃ。
逃げなきゃ殺される。



心臓が飛び出るほど走って、辿り着いた地下の実験室。
自分がいつも使っていた場所。

そこに居たのはジン。

何かの匂いがする。
毎日の生活の中で嗅ぎ慣れたものなのに、
自分の意識はすでに半分飛んでいたため、解らなかった。










彼はこちらに気づくと、冷たい銃口を向けたままこう言った。



「よう、シェリー・・・今宵は星が綺麗だなぁ?―ん?」

「貴方に星なんか解るの?」

皮肉混じりに言ってやった。
今の自分の精一杯の強がり。



「よくここまで辿り着いたな」
「必死、だったから」
さっき壁で摩った左腕の傷が痛い。

「貴方から解放されて、自由になりたかった・・・・・」
ただひたすら願っていたこと。



彼は嘲笑うかのように口元を歪め、
「お前は俺からは絶対に逃げられない」

冷たい銃口。



「あの世でまた逢おう」










あたしを殺す気ね・・・?



後ろから追っ手が追いついた。
独り静かに目を閉じて、

死を覚悟した。




















お姉ちゃん
やっと逢えるよ・・・・?




















引き金が引かれる。
ジンの方が早かった。

でも撃ったのはこっちじゃない。
後ろの追っ手。
何が何だか解らない。





「ど、どうして?!」
声が裏返る。
彼は何も言わず、タバコに火をつけた。

「何であたしを助けたか聞いてるのよ?」

「理由なんてねぇよ」
冷たい眼差し。



あの頃と、何ひとつ変わらない。



そのまま彼は、火がついたままのライターを床に落とした。
当然のように火が上がる。





「なっ・・・!!」

あの匂いはガソリンだったのだ。
このままでは彼も死んでしまう。



「あ、あたしと一緒に心中するつもり?!」
声が高くなる。
バカバカしい。
笑ってやりたくなった。



「あの世で逢おうと言っただろう?」
片方だけ上がった唇の端。

あたしはこの顔が昔から嫌いだった。
何もかも、見透かれたような感じが。





その間にも火の勢いは留まることを知らない。
こんなところで死にたくはない。
ましてやジンとなんか。





怒りたいはずなのに、出てくるのは涙。

「泣いて、いるのか・・・・・?」
「見て分からない?」

もう嫌だ。





「お前の涙なんか見たことないな」

そんなの当たり前。
組織にいる頃は、涙なんか誰にも見せなかった。






どこからか溜め息が零れた。

「・・・・行けよ」
「・・・・?」
荒い呼吸をしながら彼が言った言葉。
理解出来ない。



「・・・廊下にもこのような脱出用の階段がある」
ふいに壁を叩いて示した。
確かにそこだけ壁が取り外せ、階段が見える。

何年かこの部屋を使っていたが、こんなのは知らない。
隠し通路があるなんて、まるでからくり忍者屋敷みたいだ。





「・・・・・・・・どういうこと?」
自分の声は、恐ろしく冷たかった。

「どういうこともねぇよ」
紅と橙の炎が舞う。



「どうせ組織はお前らのせいで壊滅だ」
「えぇ、やっと追い詰めたもの」

自分の声は先程とは比べ物にならない位、穏やかだった。
そして彼の声も。





「逃がしてやるよ」
「・・・・・・・・・っ!!」
一瞬、彼の言葉が違う人のかと思った。



「どうして?あんなにあたしを殺そうとしてたのに・・・」
今更逃がすなんて信じられない。



「・・・ジンは・・・・・・?」
子供のような声になってしまった。
母親に置いていかれた子供が縋るような。





「お前はもう自由さ、シェリー」
皮肉っぽい彼の顔、声。



「貴方を置いてなんて行けない・・・・」
自分が死ぬ時は、この人も一緒だと思っていた。
この人が死ぬ時は、自分も一緒だと。

「俺はいい、行けよ・・・」





















ふいに

「灰原ー!!」
遠くの方で微かに聞こえた正義のヒーローの声。



「工藤君?」
どうやら、すぐ近くまで来ているらしい。





「ほら、迎えが来た」
「でも・・・」

迷った。

自分はどうするべきだろうか。




















「行くんだ!!志保」
鋭い罵声が飛ぶ。

志保と呼ばれたのは初めてかもしれない。
この男と逢うのも、もう最後かもしれない。



「そのワンピース・・・お前の好きな緋色だな」
ふいに優しい顔になる。

この男のこんな顔を見たのは初めてだった。






































「サヨナラ」

哀はそう短く言って走った。













地下室を出てすぐの廊下で工藤君を見つけたら、ほっとした。

その後のことは覚えていない。
いつのまにか外に出てて、工藤君と一緒に燃える建物を見てる。
ただ呆然と。






















































燃え盛る建物。
あの頃の、ただ唯一の自分の居場所。



「・・・・・行かなきゃ・・・」
無意識に口走っていた。

「工藤君・・・・ごめん・・・あたし、行かなきゃ・・・・」
自分の声が震えているのが解る。



「どこにだよ?」
コナンの声も震えている。
哀のしようとしていることが、解るのかもしれない。






「おい、待てよ・・・お前まさか・・・!!」

気がつけば、コナンの声を背中で聞きながら夢中で走り出していた。





自分が今着ている緋色のキャミソールのワンピース。
あの人が似合う言って笑った。

その裾を両手で持ち上げて、燃え盛る建物へ。





コナンの悲鳴に混じったような声が聞こえる。










「灰原っ・・・・・!!」






next pain,