翌日の放課後の図書室。
テスト前だから多少は人がいるが、静かなので心地がいい。
「先生、呼び出しかかってますよ」
今日も先生は会議をサボって図書室で読書タイム。
さっきからずっと放送で呼び出しがかかっているが、そんなのはおかまいなしだ。
周りの生徒が不思議そうな顔で先生の前を通り過ぎていく。
先生は先生で、普段はかけない黒フレームの眼鏡をかけて、
いつものようにあたしの隣で何やら難しい顔して、難しそうな本を読んでいる。
先生から「声をかけるな」オーラが出てるので、怖がって誰も近づいては来ない。
「先生、これから雨だそうですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「先生、でも明日は晴れるそうです」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
どうやら本に夢中になっていて、人の話を聞いていないようだ。
「先生、うちのクラスの吉田さんを振ったそうですね」 少し意地悪したくなってそう訊ねた。
「ふぐっ・・・・・・・?!」
案の定、ものすごい形相でこちらを向く。
だけどきちんとかけられていた眼鏡がずれて、何だか間抜けだ。
「どうして知ってるんだよ?」
「親友ですから」
努めて事務的に言う。
「・・・・・・・・・・・振ったわけじゃない」
静かに、水面に響くような声で先生は言った。
「先生はズルイ」
だんだん自分の声が荒くなっていく。
「そういう対象には見れないってことは、ていよく振ったのでしょう?!」
気がつくと席を立って、隣の先生を見下ろしていた。
数人の生徒が何事かとこちらを向いたが、気がつかなかった。
ふつふつと怒りが湧いてくるのが解る。
先生に対しても、自分に対しても。
自分で言ってることが、そのまま自分にも当てはまるのだ。
「何でオレ、こんなに責められるんだよ・・・・」
先生は訳が分からないとでも言いたそうに首を傾げる。
「振ったからって謝れって言うのか?・・・・・・違うだろ?おまえの言いたいことは」
「・・・・・・・・違い、ます」
そんなんじゃない。
謝って欲しいわけじゃない。
力が抜けてそのままストンと腰をおろす。
「吉田に対しては悪いことをしたとは思ってる」
先生は真面目だ。
ちゃんと生徒と向き合ってくれる。
「でも吉田もおまえも、オレにとっては大事な生徒なんだよ」
大事な生徒。
皆平等。
特別扱いして欲しいなんて思っちゃいけない。
好きになんかなっちゃいけない。
「・・・・・・・・はい」 「生徒」としてなら受け入れてくれる。
だからあたし、ちゃんと生徒になるよ。
「生徒さんに告白されたんですってね」
何故だか今日はこんな質問ばかりだ。
しかもどれも非難めいている。
一体どこでこの情報が漏れているのだろうか。
「毛利先生・・・・・一体誰に聞いたんですか?」
一般の女生徒と変わらないように訊ねてくる、同い年の養護教諭に絶句する。
「そんな噂が触れ回っているんです・・・・・・・可愛らしいですね、高校生は」
「皆素直でいい奴らばかりですよ」
うるさいのが玉にキズだが。
それにしても誰だよ、そんな噂流した奴は。
「工藤先生はモテますね」
「はぁ・・・・・毛利先生こそ男子生徒に好かれてるじゃないですか」
すると、毛利先生は哀しそうに微笑んだ。
「本当に好きな人には振り向いてもらえないんですよ、工藤先生」
「ちょっと、そこの生徒手伝ってくれないか?」
職員室からの帰り道に社会科準備室の前を通り過ぎたとき、ふいに声をかけられた。
「はい?」
振り向いても誰もいない。
不思議に思って社会科準備室を覗くと、そこにいたのは女子生徒に大人気の白馬先生。
「あぁ、灰原さんか」
少し華奢な白馬先生は、大きなダンボールに今にも潰れそうだ。
「だ、大丈夫ですか?!」
自分もそんなに力持ちなわけじゃないが、
今にも倒れそうな白馬先生をほっておくわけにもいかない。
「助かったよ、ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
白馬先生のミステリアスな瞳に、クラスメートの言葉を思い出す。
『でも白馬先生って絶対、灰原さんのこと狙ってるよね?』
実は前から薄々感じていた視線。
自惚れにしてはあまりにもリアル。
「では、私はこれで」
まさかとは思うけど、さっさと教室に戻ろうとじりじり後ずさる。
「好きな人とか、いるのかい?」
「・・・・・・・・・・・・・えっ?」
気がついたときには、抱きすくめられていた。
コロンの香りがふわりと舞う。
「は、離して下さい・・・・・・」
腕に力がこめられる。
教師だって、男の人なんだということを改めて感じさせられた。
「・・・・・・・・・・・・・ずっと好きだったんだ」
熱い吐息が漏れる。
膝の力が抜けて崩れ落ちそうだ。
逃れようとしても離してくれない。
暴れれば暴れるほど、押さえる力が強められる。
ぎゅっと目を閉じて堪える。
怖い。
誰か助けて。
どれくらい時が経ったのだろう。
ふいに押さえられていた腕が離されたと思ったら、バンとすごい音が聞こえて気がついた。
「こんなところで生徒襲っちゃいけませんよ?白馬先生」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ!!」
そこにいたのは、軽い台詞とはかけ離れた工藤先生の真剣な顔。
工藤先生が白馬先生を殴ったのだ。
そのまま工藤先生は、何が起こっているか分からないまま呆けているあたしの手を引いて、外に連れ出す。
「先生・・・・・・・・怖かった」
手を握ったまま、廊下で立ち止まる。
ただ抱きしめられただけなのに、涙が出てくる。
「もう大丈夫」
大きなごつい手で頭をなでてくれる。
この手に守られたいと、どれだけ想ったか。
「大丈夫だから」
温かくて優しい。
「・・・・・・・うん」
『大丈夫』
ただ一言、貴方が言ってくれるだけで
それだけでもう大丈夫。
「黒羽といい、灰原はモテるんだな」
あたしが少し落ち着いたところで、先生は意地悪く笑った。
「・・・・・・・・・・・・・先生」
「ん?」
名前を呼んだら振り向いてくれる人。
温かいぬくもりと、優しい眼差しをくれる人。
大きな掌で、全てを包み込んで浄化してしまう人。
生徒じゃ嫌なの。
お願い、こっちを向いて。
「先生・・・・・・あたしが好きだって言ったら、どうしますか?」
後のことはよく覚えていない。
ただ、あたしの唇だけはしっかりと記憶していた。
ほんの一瞬、唇が重なるだけのキス。
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