どこまでも続く長い廊下。
この先には貴方が待っていてくれる。

だからあたしはただ真っ直ぐ進めばいいの。




四時限目
君のための恋愛課外授業



キーンコーンカーンコーン・・・・・・
始業時間五分前―八時二十五分。
鈍い予鈴のベルが鳴る。

「おはようございます」
靴箱を開けた途端、後ろから声をかけられた。
振り返るとそこにいたのは光彦だった。
「・・・・・・・おはよう」
昨日マズイことを聞かれてしまったので、顔を合わせづらい。
「珍しいですね、こんなギリギリにやってくるなんて」
確かに今日は時間ギリギリだ。
この時間になるのは珍しいと自分でも思う。
余計なことを考えすぎて寝坊してしまったのだ。
「えぇ、ちょっと寝坊しちゃって・・・・・・円谷君もそうじゃない?」
生真面目な彼もこんな時間に登校なんて滅多にない。
「僕も寝坊しちゃって」
始業五分前が一番昇降口が混む時間だ。
皆少しでも寝ていたいから、始業ギリギリになって登校してくるのだ。

ざわざわと騒がしくなり、どんどん生徒が駆け込んでくる。
「灰原さんおはよっ!早くしないと遅刻になっちゃうよ?」
同じクラスの女の子が慌てて靴を履き替え、自分のクラスへと急ぐ。
「おはよう、すぐ行くわ」
走り去る彼女に声をかけ、光彦の方に振り返る。
あたし達のクラスは一階ですぐ近くなので特に急ぐわけでもなく、
並んで廊下を歩き出す。



「・・・・・・・・・灰原さんは、黒羽君のことが好きなんですか?」
教室までの廊下を歩みながら、ふいに光彦が話しかけてきた。
目を瞠る。まさか彼からこんな単刀直入に聞かれるとは。
「嫌いじゃない。でも好きでもない」
前を向いたままそう答えておいた。
嘘は言っていない。
快斗に対する、今の正直な気持ちだ。
「・・・・・・本当に好きなのは工藤先生の方なんですね」
騒々しいB組の前で立ち止まり、彼は呟くように言った。

「えっ・・・・・・・・?」
更に目を瞠る。
そんなに態度に出てるのだろうか。
快斗といい、何でそんなに人の気持ちが解るのだろう。
光彦は不思議がってるあたしを振り返り、微笑した。
「僕も黒羽君も、いつも灰原さんのこと見ているからですよ」



「それって・・・・・・・・」
どういう意味なのだろうか。
立ち止まって考えていると、本鈴が鳴った。
「教室・・・・入らないんですか?」
立ち止まったまま動かないあたしを促す。
「え、えぇ・・・・・そうね」
光彦に促されるまま、チャイムが鳴っても一向に静まらない教室に入る。
後ろを振り返ると、光彦はもう自分の席についていた。
さっきの言葉の真意を訊ねたかったが、仕方なく自分も席につく。
隣の席に快斗の姿はなかった。










静かな教室に工藤先生の足音だけが聞こえる。
お昼前の四時限目の古文は抜き打ちの小テストがあった。
「これ解けないと進級させねーぞ」
なんて工藤先生は脅していたけど。
いきなりだったので皆ぶーたれてたが、始まってからは静かである。
昨日たまたま予習をしたところが出てたので、スラスラと問題を解いていく。
先生の靴音をBGMにしてペンを走らせていた。

解き終えると、今度は先生を視線で追いかける。
どうしたってついつい目で追ってしまう。
こんな態度が快斗たちに知られてしまうのだろうか。
多くは望まない。
こうやって、ただ目で追えるだけで声を聞けるだけで幸せ。



「ハイ、終わりー」
工藤先生が回答を言い、それぞれ自己採点する。
予習のヤマが当たり、全問正解で顔が緩む。
と、そこへ前から小さく折りたたんだ白い紙切れがやってきた。
歩美からいつもの手紙だろうか。
先生に気づかれないように開いてみると、歩美の独特の丸文字ではなく綺麗な文字で
「話があるので昼休み屋上に来て―紅子」
とだけ書かれていた。
紅子の席に目をやると一瞬だけ目が合った。
ちょっとつり上がり気味の二重の瞳。
彼女はふっと目をそらし、あたしも紙切れをペンケースにしまって何もなかったような顔をする。
話の内容はだいたい見当がついた。










「話って何かしら」
今日も屋上では風が吹き荒れている。
天気もいいので花粉が舞っていて、少し目に沁みる。
擦ると更に悪化しそうなので、そのまま彼女にそっと声をかける。
「もう気づいてるでしょう?とぼけたって無駄よ。・・・・・・・・黒羽君のこと」
手すりに手をかけて外の風景を眺めたままの彼女の声が凛と響く。

そらきた。
「貴女の態度、中途半端すぎよ」
キツイ口調だったが、図星なので何も言い返せない。
「彼のためにも・・・・・・・私のためにもはっきりさせて」
彼女の長い髪が風で乱れている。
直そうともせずに震える声で言った。

「あたし・・・・・あたしは・・・・・・・・・・・・・」
自分からは言いたくなかった。
気づかれてしまうのは仕方ない。
でもこの恋だけは誰にも知られたくなかった。
言いたいけど言えない秘密。
この気持ちを思い切りぶつけられたら、どんなにいいだろうか。










放課後、図書室に寄っていたら時間が経つのを忘れてしまった。
腕時計に目をやると時刻は五時。
一般の生徒の最終下校時刻だ。
慌てて鞄を取りに教室に戻る。
だいぶ暗くなった夕日が差し込む教室で歩美ひとりが席についている。
何をしてる風でもなく、ただ黒板に向かい呆然と座っているのだ。
あたしが教室に入った気配は解っただろうに、こちらに振り向きもしない。

「どうしたの?」
ただならぬ気配に思わずこちらから声をかける。
「・・・・・・・・・・哀ちゃん」
振り返った彼女の目には涙が溜まっていた。
ふと気を緩めるとそのまま雫となって溢れ出すだろう。
「・・・・・・・・・・何かあったのね」
いつも朗らかな彼女の涙なんか滅多に見られるものではない。

「何があったの?」という疑問ではないあたしの言葉に、彼女はついに涙を流した。
大きな丸い瞳から透明な雫が頬に伝わる。
「工藤先生が・・・・・・・・・」
喉がカラカラなのだろう。渇いた声が響く。
「先生が・・・・・?」
工藤先生がどうかしたのだろうか。
「好きな人は、いない・・・・って・・・・・・・だから・・・私とも・・・・・・・付き合えないって」
嗚咽を漏らしながら途切れ途切れに言葉を繋いでいく。
それって・・・・・・・
「・・・・・・工藤先生に告白したのね?」



何ということだろう。
小柄な彼女のどこにそんな勇気があったのか。
見てるだけで幸せと思えた自分が情けない。

「多くは望まない」 そう思ったけれど。
心の中ではそれを望んでいた。
受け入れて欲しいと。
自分は傷つくのが怖くて行動に移せなかったのに、彼女はやり遂げたのだ。



彼女は言葉にならなかったのか、黙ってこくりと頷いた。
「真面目に受け取ってくれたけど・・・・・・・生徒はそういう対象じゃないって・・・・・・・・」
震えながらそう続けた。
受け入れてもらえなかったのだ。
冷静に彼女の言葉を聞いていたが、あたしの方が震えそうだった。
座ったまま泣きじゃくる彼女の頭を抱きながら、
そうしないと自分が倒れそうなんだと言い聞かせていた。





好きな人はいない。
そういう対象には見れない。

まさに昼休みに紅子に応えた言葉と同じだったのだ。
それがどんなに残酷な言葉か知ってる。
震えを堪えながら、冷静に自分を保とうとしていた。




next lesson