「私のジャージがないんだけどー?」
「ちゃんと自分のところに掛けておいたの?」

教室の後ろはいつも物で溢れているよ。




三時限目
放課後のトリックスター



「泣くくらいならやめちゃえばいいのに」

彼は何をやめろと言ってるのだろう。
そんなことは解らないが、彼の声は優しかった。
「・・・・・・まだ泣いてない」
涙を必死で堪えた視線を、強く快斗に向ける。
「何かあった?」
問いた彼の声はいつものように明るかった。
「何でもない」
悟られないようにうつむいて首を振る。

「オレ腹減ってんだけど?」
「・・・・・・・・?」
「っていうか今昼休みなんだけど?」
「それがどうしたの?」
だから彼女は弁当を職員室に届けようとしたのだ。
「解らない?後ろに隠してるその弁当が食べたいんだけど」
何で彼には全部解ってしまうのだろうか。
隠しても仕方ないと思い、両手を前に出す。
走った勢いで緑のナプキンがはだけ、黒の弁当箱が顕になっている。

「解らないわ。これはあたしのお弁当だもの」
「無理しちゃって。いつもと大きさが違うけど?」
彼はいつもそんなところまで見ていたのだろうか。
「母さんが寝坊して今日弁当ないんだよねー」
「購買でパンでも買えばいいじゃない」
「目の前に美味しいお弁当があるのに、誰が作ったか解らない購買のパンを食えって?」
「美味しいかどうか解らないわ・・・・・・それに購買のパンだって美味しいわよ」
「じゃぁ、不味いかどうか確かめよう」
「どうしてそういうまとめになるのよ」





そう言いながらも一度教室に戻って自分の弁当箱を取り、快斗を伴って屋上へと足を運ぶ。
「屋上って入ったことないんだよねー、哀ちゃんよく来るの?」
屋上は開放されているが、今日みたいな風の強い日は誰もいない。
ましてや今は二月。
まだ春の気配がしない無人の屋上で、手すりにもたれかかかるように座り込む。
冷たい北風が肩まで伸ばした髪を上下左右に動かす。
あたしは髪を直すわけでもなく、そのまま赤い弁当箱を広げる。
そういえば今は昼休みなのだ。

あたしのもうひとつの黒の弁当箱を広げた彼は目をまんまるにして、「すげー」を繰り返していた。
色とりどりの弁当を珍しそうに見つめ、次々と口に運ぶ。
どうやら彼の母親は「とりあえず詰めとけ」という感じで毎朝作ってるのだろう。
実際、これぐらいの年の男の子は質より量だ。
「哀ちゃん将来いいお嫁さんになるよ」
ダシ巻き卵をほおばり、うんうん頷きながらそんなことを言った。
「美味い」
「・・・・・・ありがと」
男の子から料理を褒められたのは初めてだったので、相手が快斗だろうが照れてしまう。
弁当箱と同じ赤色の箸をくわえながら少しだけ下を向いた。
「中身一緒だ」
赤と黒の弁当箱を交互に見比べて彼はつぶやいた。
自分が作ったのだから当たり前なんだけど、彼の言葉が水のように沁みた。






「灰原さんっ・・・・・!」
屋上から帰ってくると、あたしを探していたのだろうか、
「やっと見つけた」という感じで同じクラスの光彦が声をかけてきた。
「今日の放課後、緊急で学級委員会だそうです」
光彦はうちのクラスの男子の方の学級委員だ。
小・中も一緒で付き合いは長い。
さっき職員室に行ったら、臨時で学級委員会があると聞かされたのだと言う。
「そう、解ったわ。3−Aの教室でいいのね?」

彼は頷き、同時に五時限目のチャイムがなった。
次の授業は生物だったが、用意をしてなかったので慌てて席についた。
隣を見ると、早くも快斗は眠りについていた。
一体彼は何のために学校に来てるのだろう。
訊ねると「君に会いに来てるんだ」とでも言われそうだ。










「ということで、各クラス注意を呼びかけておくように」
学級委員会は三時半を過ぎた辺りから始まった。
三年生がいない委員会は少しだけ淋しい。
教卓では、学級委員会担当の工藤先生は少し声を荒げている。
どうやら昼休みに三階の男子トイレからタバコの吸殻が見つかったらしいのだ。
「興味があるのは解るけどな」
この言い方だと先生自身も学生時代、少しは覚えがあるのだろう。
でも今は吸っていないはずだ。
吸っているところを見たことないだけで、もしかしたら吸っているかもしれないが。
入学して十ヶ月余り。
いつも見ているのに、貴方はこんなにも遠い。
こんなにも知らない。

「それに身長伸びねーぞ」
長身の工藤先生が言うと説得力があるようなないような。
「誰がそんなことするんでしょうね」
隣の席に座った光彦が小声で話し掛けてきた。
彼は見るからに真面目そうなので、こんなこと信じられないのだろう。
「三階ってことは三年生だろうけど、今は自由登校中よね」
ということは一、二年生の誰かなのだ。
バレないようにわざわざ三階まで行ったのだろうが、トイレに捨てるんじゃ意味がない。
それともわざとだろうか。
学校としては犯人探しをする気はないが、見て見ぬふりも出来ない。
実際こんなことが起きるのは初めてではなかった。
共学の高校では珍しくもない。
「ま、とりあえず学校内では吸うなよ」
またもや工藤先生の教師らしかぬ発言で、今日の臨時学級委員会は終わったのだ。





生徒が全員退出するのを待って鞄のチャックを閉め、光彦と共に教室を後にする。
最後に先生が電気を消して後からついてくるのが、廊下に響く独特の靴音で解る。
委員会があるときはこうするのが日課となっていた。
光彦はそれに気づいているのか知らないが、付き合ってくれる。
いつもなら家も近所の光彦と一緒に帰るのだが、今日は違った。
廊下に快斗が立っていたからだ。
待っていてくれたのかは解らないが、あたし達に気づいていない。

「黒羽君」
少し離れたところからそっと声をかける。
快斗はすぐにこちらを向いたが、隣にいる光彦を見て少し顔を歪ませ、
後ろにいる工藤先生を見て更に顔を歪ませた。
先生も快斗のただならぬ雰囲気に何かを感じたようだ。
「不純異性交遊は程々にな」
脇に抱えていた出席簿で、後ろから軽く頭を小突かれる。
口の端を上げてふっと笑い、「邪魔者は退散」とでも言いたそうにこの場を去っていく。

「せっ・・・・・・」
「先生」と言おうとして言葉にならない。
そんなんじゃないのに。





「オレ、工藤先生って嫌い」

先生が廊下の角を曲がったところでふいに快斗が口に出す。
「・・・・・・何で?」
「オレとそっくりだから」
「何それ・・・・・・・」
確かに似てなくはない。
工藤先生も高校生のころはきっとこんなんだったんだろう。
ここまで軽くはないだろうが。
そう思うと快斗の顔をまじまじと見つめてしまった。
少しクセのある黒髪。
男の子にしては大きな憎めない瞳と、長い睫毛。
同じ顔なのに・・・・・・・
ついついそんなことを考えてしまう。



『中身一緒だ』
昼間の快斗の言葉を思い出す。
一緒なのが、今はこんなにも辛い。
快斗は先生じゃないのに。





あたしの考えていることを察したのか、
「同じ顔なのにどうして哀ちゃんはオレのこと好きになってくれないんだろうね」

隣には光彦もいるのに、そんなことおかまいなしで快斗はこう言ったのだった。




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