ごちゃごちゃした感情も、全て綺麗に片付けられたら良いのに。



act-2…Aoko
「ロマンチックください」





幼馴染みって何だろうと、時々考える。
「青子は大事な幼馴染みだから」とよく言う彼の言葉の意味を、自分は知らなかった。



「快斗ー」
昼休みの中庭で、暢気に昼寝している幼馴染みに声をかける。
「…何だよ」と寝起きの不機嫌な声がして、ボサボサの頭が持ち上げられた。
黒羽快斗。生まれる前からの幼馴染み。幼稚園から高校までずっと一緒。
高校三年生にして、初めてクラスが離れた。進路の関係なので、それは仕方ない。

「五時限目、始まるよ?」
腕時計に目をやると、本鈴三分前。三年生の教室は三階なので、今から駆け上がらないと間に合わない。
「青子はどうなんだよ?」
「この服装見て解らない?青子は次、体育なの」
濃紺のジャージ姿が目に入らぬかと、腰に手を当てて反り返ってみせる。

「相変わらず、三年にもなって色気ねーな」
「どーせ、哀ちゃんとは違いますよー」
快斗が憧れているという同級生の名前を口に出す。
彼女は紅い髪がよく目立つ学園一の秀才で、校内では知らない人間はいないという程の有名人だった。
彼女に憧れている男子はとても多く、その中でも快斗の『熱烈アタック失恋劇』は全校生徒の楽しみでもあった。

「…お前、あんまり校内で話かけるなよ。もうクラスだって違うんだから」
「何でよ?」
クラスが違ったって、幼馴染みだ。帰る方向も一緒だというのに、今更何を言い出すのだろう。
「オレ、今ラストスパートかけてるから」
「はぁ?」



最近の快斗は少しおかしい。卒業を間近に控えているというのに。
サボってばかりみたいだけど、成績はそこそこ優秀。
秀才だらけの国立理系クラス内でも、頑張っているみたいだ。
だから受験に関しては心配していないのだけど、どうも様子がおかしいのだ。
何がおかしいのかと聞かれれば、答えに困るのだけど。
伊達に何年も幼馴染みをやっていない。様子がおかしいことくらい、すぐに解る。

「青子はさ、黒羽君のことが好きなんじゃないの?」
「うん、好きだよ」
「青子は大事な幼馴染みだから」と快斗がよく言うように、自分だって快斗のことは大事に思っている。
だからクラスメイトのこんな問いにも、いつもこう答える。
「でも黒羽君はA組の灰原さんが好きなんでしょ?」
「うん、そうみたい」
「…辛くないの?」
「どうして?」
「だって…」
「あのね、青子たちはそんなロマンチックな関係じゃないの」
こんなやり取りは、しょっちゅうだ。

辛いなんて考えたことなかった。
快斗が他の子を好きでも、自分には関係ないと。自分と快斗の関係が変わるわけでもない。
そう思っていたのに。

『…お前、あんまり校内で話かけるなよ。もうクラスだって違うんだから』
そんなことを言われたのは、初めてだった。
快斗に好きな人がいるのは快斗の問題であって、自分と快斗の関係が変わるわけではないと思っていたのに。
変わろうとしているのだ。快斗は。
何だか自分だけが取り残されたような気がして、少し胸が痛んだ。










「ラストスパートって何のことだと思う?」
「知らないわよ、そんなこと」
昼休みに国立理系クラスのA組に行ったとき、目に付いた元クラスメイトに声をかけてみた。
「突然何よ?久しぶりに声をかけてきたと思ったら、何その謎かけ」
「快斗がそう言ってたの」
快斗とクラスメイトである彼女なら、何か知っているかと思ったのだ。

「本人に聞けば良いじゃない。まあ、黒羽君なら今はいないけど」
「でも紅子ちゃん、快斗は何も答えてくれないと思う」
「…じゃあ、灰原さんとのことなんじゃないの?」
そう言って紅子は身体を少し傾けて、自分の教室内を見渡した。
立ち話をしていた教室の前扉から少し中を覗くと、自分の席で読書中の哀にピントが合った。
彼女はこちらに気づかずに、誰かと喋ることなく黙々と本を読んでいる。もしかしたら参考書かもしれないが。

「紅子ちゃんは、本当に何も知らないの?」
「しつこいわね。何も知らないわ」
少し苛立ったように、紅子は長い漆黒の髪をかきあげて背を向けてしまった。
「貴女と違って、私はそんなに黒羽君とは親しくないの」
そう言った彼女の後姿は、少し淋しそうだった。



A組からの帰り道、快斗に逢った。
どうやらまた昼寝をしていたらしく、寝癖が酷くなっている。
「快斗」と、いつものように声をかけようとしたけれど、昨日の言葉を思い出して何も言えなかった。
向こうは気づいていたみたいだけど、何も言ってこなかった。
中途半端に挙げた右手だけが、何かを求めるように空を彷徨っていた。

ねぇ、快斗。私たちって幼馴染みなんだよね。
普通の幼馴染みなら、逢ったら少し立ち話をしたりしても良いんじゃないの?
それとも、もう挨拶すら交わせないの?





「ってことなんですけど、先生はどう思いますか?」
「いや、オレに聞かれても」
クラスメイトがダメなら、担任教師に。
A組担任の工藤先生に逢いに職員室へ行っても、先生は困った顔を見せるだけだった。

「快斗、成績は良いんですよね?」
「うん?そうだね。遅刻は多いけど、志望校は問題ないと思うよ」
教師用のマル秘ノートをこちらに見えないよう隠しながら、工藤先生は屈託なく笑う。
きっと成績や品行が書かれているのだろう。笑ったのは、遅刻が余りに多かったからかもしれない。
一、二年のとき担任だったこの先生は、校内でも人気があってたくさんの人に好かれている。

そういえば快斗の志望校すら知らない。自分は快斗にどこに行くか、言った覚えはあるのに。
「灰原さんと一緒のところですか?」
「灰原?あぁ、そう。灰原と…あと小泉も一緒のT大だ。学部はそれぞれ違うが」
何でここに哀の名前が出てきたんだと訝しむような目で見られて、少し緊張する。
「自分のクラスからT大生が三人も出たら、先生も誇らしいですね」とだけ言っておいた。

「快斗、灰原さんとは仲良いんですか?」
「ハハ…そんなこと、本人たちに聞いてみれば良いじゃないか」
直接聞けないから、こんな回りくどいことをしているのだ。
「受験のことでもないなら、何であんなに態度がおかしいんだろう?」
「流石の黒羽も、ナーバスになってるんじゃないか?」
左眉だけを器用に上げて笑う、受け持ちの生徒に対するその態度は、やはり工藤先生らしいと思った。

ラストスパートというのは、もしかしたら本当に受験のことなのかもしれない。
哀と同じ大学に行くための。
自分はそんなに頭の良いところへなんか行けない。
快斗の傍にはもういられないのだ。










「ラストスパートっていうのは、受験のことだったんだね?」
校内で話しかけても、快斗は嫌な顔をしなかった。
いつもの昼休みの中庭。屋上が封鎖されてからは、快斗はよほどこの場所がお気に入りらしい。

「まあ、そう取っておいても良いよ」
「何、それ。違うの?」
数人の聞き込みにより正解に辿り着いたと確信した自分は、快斗のその言葉に多少面食らってしまった。
「青子はずっと数日、そんなことを考えていたわけ?」
「暇人だな」とでも言いたそうに笑った快斗は、いつもの快斗だった。いつもの大事な幼馴染み。
「そうよ…悪い?」
指定校推薦で既に短大入学をほぼ決めている自分には、そんなことを考える時間ならいくらでもあるのだ。
「いいや、青子らしいよ」
頭を下にしたまま、快斗は目を細めて笑った。

「で、結局何なわけ?ラストスパートって」
「紅子にも担任にも聞き込みしたんだろう?」
右の口端だけ上げてにやりと意地悪く笑う快斗も、いつもと変わらない。
この間はただ偶然にも、機嫌が悪かっただけなんじゃないかとさえ思えてきた。

「それで確信したから、うざがられるの解ってて逢いに来たのよ」
「うざがられる?」
寝転がっていた快斗は、冬眠から覚めた熊のようにのろのろと起き上がった。
「だって快斗、この間は校内で話しかけるなって。廊下で逢っても無視されたし」
「…そんなこと言ったっけ?」
―本気でこの男を殴りたいと思った。

全く、人がどんな思いをしてこの数日を過ごしたと思っているのか。
それを問い詰めると、「悪りー悪りー」とちっとも悪びれることなく笑った。
「もう無視したりしないで」と言うと、笑って「了解」とだけ言っていた。
「流石のオレもナーバスになっていたかもしれない」なんてらしくないことを言ったりもして。



「オレ、哀ちゃんと賭けをしたんだよね」
マジックの種明かしをするかのように、悪戯っぽく語り始めた。
「卒業式に、全ての答えが出るんだ」
「全ての答え?」
十一月の風はもう冷たい。こんな中で昼寝をしていて、快斗は大丈夫なのだろうか。
「哀ちゃんが、オレに正式に返事をくれる」
また本格的に振られるのか、それとも受け入れられるのか。
校内の無責任なギャラリーたちは、また振られることを望んでいるだろうけど。
だけど快斗は。

「だから青子にも校内で話しかけんなとか、変な態度をとったのかも」と、遠くを見ながら快斗は言った。
自分のことなんて目に入らないくらい、ナーバスになっていたから。
大事な幼馴染みである自分ではない、他の誰かに向けられた感情。





「あ、哀ちゃん」
快斗の視線の先には、どこかに運ぶためなのか大きなダンボールを抱えた哀の姿が。
快斗はそれに気づくが早く、ぴんと立ち上がって彼女の元に馳せ参じる。
自分には何の声もかけず目もくれず、今まで話していたことさえなかったかのような。

「持ってあげるよ」とでも言ったのだろうか、彼女の手から快斗の手へダンボールが移る。
あまり笑わない無口な彼女の頬が、少しだけ緩んだ。
彼女にそんな顔をさせられるのは、きっと快斗だけ。



そっか、私は快斗のことが好きだったんだ。
気づくのが遅すぎた、高校三年生の十八の秋。




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