傘を失くしたの。

あの日は朝から曇っててあたしは天気予報のお姉さんのアドバイスの通り、
大好きな傘を持って行っただけなのに。



放課後になったら無くなっていた。
誰かに盗られてしまったのだ。





誰かに盗られたなんて思いたくなかった。
あたしの傘をあたし以外の人が差していったなんて

思いたくなかった。



―雨が降っていた。











の下の君に告ぐ


>>I give you the umbrella.














































あたしはこの教室で独り、浮いた存在だった。

いつも綺麗に化粧して上目遣いがお得意の女の子達と仲良くなんかしたくなかったし、
赤い髪を「外人だ」とからかうクラスのバカな男共の相手もしたくなかった。



そんなあたしを気にかけてくれるのは小学校からの友人である江戸川君と吉田さん。
あとは、高校に入ってから何かと世話をやいてくれる(というかぶっちゃけお節介)黒羽君だけだった。

彼と江戸川君はもう随分前からの知り合いらしいけど、
二人が仲良く話しているところなんて見たことない。(というか江戸川君が勝手にライバル視してるだけ)



























傘を失くして一週間目の朝。
梅雨は真っ盛りで、相変わらず天気予報は曇りマークと傘マークのオンパレード。

雨が降ったり、止んだり。
愛したり、愛さなかったり。










「哀ちゃんさぁ、もっとクラスに馴染もうよ?」

肘ついてそんな笑顔で話し掛けてこないで。



「おまえウザイ。哀ちゃんって何だよ」
「君こそ隣のクラスのクセに邪魔しないでくれる?自分のクラス戻れよ」
「ウルセーよ」

このように同じクラスの黒羽君だけじゃなく隣のクラスの江戸川君にまで心配されてるようじゃ、あたしもまだまだね。
あたしを落とそうとしているこの男二人もまだまだだけど。
















「紫陽花が綺麗だね」
二階の窓から中庭を覗いて、彼は唇の右端だけ上げて笑った。
中庭はこの時期、蒼い紫陽花で溢れている。
「・・・・・・・そうね」

「今は蒼しかないけど紫陽花って色を変えちゃうんだよね、何でだろう?」
「ムツゴロウさんに聞いてみれば」

「だからかな、紫陽花の花言葉が移り気なのは」
「貴方にピッタリじゃない」



八方人の貴方によくお似合い、よ?

















「じゃぁ、賭けでもしようか?」
「・・・・・・・・・・・?」



「明日の放課後まで中庭の紫陽花が蒼のままなら、哀ちゃんの勝ち」
「勝ちって何よ?」

「ただし他の色に変わっていたら・・・・・」
「・・・・変わっていたら?」





「君を奪いに行くから覚悟して」





―嘘つき。














「黒羽君、明日誕生日なんだって」
「えっ・・・・・・・?」
「だからさっきあんな賭けしたんじゃない?」



歩美のちょっと意地悪く笑った顔を見て、
胸の鼓動が高鳴った。

でもきっとそれは彼女の笑顔が可愛かったから。
そうとしか考えられない。











翌日。
やはり朝から曇っていた。

今朝見たらまだ蒼のままで、ちょっとがっかりしたなんて
口が裂けても言えない。





『君を奪いに行くから覚悟して』

―覚悟なんかしてやんない。



ほら、こんなにも胸がドキドキする。







黒羽快斗はとにかくモテる。



顔もいいし愛想もいい。
彼を嫌う者はあたしの知る限りいなかった。
むしろ彼を好いている人の方が多いってことも分かっていた。

だから、彼がふった女の子から泣きつかれているのを見ても気にしない。
女の子に抱きつかれて、その華奢そうな背中に彼が腕を回すのも見たって



気になんかしない。







紫陽花の花言葉を急に思い出した。
―移り気。





彼の気持ちは離れてしまったんだ。

ううん、最初から此処にはなかったのかもしれない。









慌てて中庭に急ぐ。



お願い、どうかあのままでいて。
そうしたら諦めがつくから。

花の色が今朝と違っていたら、泣き出しそうな気がした。







「・・・・・・・どうしてっ・・・・」





花の色は

それはそれは美しく、見事な紫色に変わっていた。



蒼のままでもこんなにも綺麗なのに。
どうして色を変えてしまう必要があるのか。










雨が降っていた。
しとしとと降る雨は涙のようだった。

雫が葉っぱに落ちて薄い菫色の花にかかる。
雨はあたしの髪をも濡らして、雫は睫毛を縁取る。

「・・・・・・・・冷たい・・」



泣いて、いたのかもしれない。





冷たいのは貴方の気持ちとあたしの心。

期待なんかさせないで。
賭けるものがない賭けをしないで。





後ろから誰かの靴音がした。





「オレの勝ちだね?」





大好きだったあの傘。
広げると、大きな紫陽花の下にいるような錯覚を覚えたあの傘を持って

彼はそこに居た。





「何でその傘・・・・貴方が持ってるのよ」

紫陽花の傘の下で君に尋ねる。



あたしの傘なのに。
あたし以外の人が持ってるなんて。









「一週間前に・・・・・哀ちゃんの傘だったから借りちゃった」
『大根が安かったから大量に買っちゃった』みたいな軽い感じで言わないで。


「知ってたの?その傘の持ち主」
知ってて、わざと一週間もすっとぼけてたの?


「あの日、哀ちゃんの傘を差して君を待っていたのに」



彼は、待ってたんだ。



「雨に打たれた君があまりにも綺麗だったから・・・・・・・・声、かけられなかった」






泣き笑いの顔になった彼を見て、呼吸が止まるのを感じた。











彼が傘を差してくれているから、あたしは濡れずにすむ。

彼が此処に居てくれるから、あたしの心は変わらない。





「色を変えても本質は同じだよ?」



どんなに姿を化けても、この気持ちは変わらないから。





紫陽花の傘の下の君に告ぐ。

「君が好きだ」










勝負に勝ったご褒美、ね?



そう言って笑った君に、傘をあげる。

「ハッピーバースデー、快斗」





雨はいつの間にか止み、天気は快晴。
お日様の光が、露に濡れた紫陽花を優しく包んでいた。