障害で悟った命への感謝
脊髄損傷。あの日以来、首から下の手足の運動機能を失いました。
幼い頃から、病気ひとつしないほど健康には自身がありました。
中学時代は棒高跳びで県で優勝。高校、大学は体操部で体を鍛えてきました。
その自分がただ口から食べ物を入れてもらい、尻から出すだけの、それも、自分の力でだすことすらできない詰まった土管みたいな人間になってしまったのです。
入院生活は9年にも及びました。生きていても仕方がない。母に首を絞めてもらおうと思ったこともありました。
でも、母を殺人犯にするわけにはいきません。自殺も考えました。しかし手足が不自由は状態では死ぬことすらできないのです。
事故から数年後、知り合いの薦めで作家三浦綾子さんの本に出会いました。
三浦さんは十三年間も病床で生活を送った方で、著書「道ありき」などを通じこんなメッセージを寄せていました。
「人は生きているのではなく、生かされているのです」「生きるというのは権利ではなく、義務です」
はっとさせられました。必死に私を生かそうとしる自分の命と、周囲の存在に気づいたのです。
命は私の意志とは逆に、生きようとしていたのです。
例えば絶食を試みても、皮肉なことに数日で、死ぬほどおなかがすきました。そんな命を医師、家族が懸命に応援してくれていました。
生きることは義務なんだ。自分の命や周囲の存在に感謝するようになりました。
死ぬことばかり考えていた自分が恥ずかしくなり、生きる希望が湧いてきました。
励ましてくれた人にお礼の返事を書きたくなり、筆を口にくわえて字を練習し始めました。
口からよだれは出るし、辛い作業ですが次第に短い文章も書けるようになりました。
絵を描くのが好きで、手紙に添える挿絵のつもりで、病室にあった花を描くようになりました。
筆につける絵の具や水の量を、私が細かく母に説明し、母がそれを何度も別の紙に塗って、
私に見せながら色を作るという、気の長いやり方ですがやりがいもありました。
茎が折れてもそこから芽を出す花の生きる力には、励まされることばかり。
絵や文章は私の生きがいとなりました。
事故の時には全てを失った重いでした。でも、今は得をしたと思っています。
けがを通し自分が弱く、心の貧しい人間であることもよくわかりました。
そんな自分でも周囲が支えてくれ、絵や文を描く喜びまで味わうことができたのです。
生きることに感謝できるようになりました。
倒産、失業、自殺と暗い世の中です。でも、様々なモノを失いがちなこんな時こそ、
本当の幸せを考え直す良いチャンスだと思います。
2003.2.12.読売新聞朝刊 こころの四季より
星野 富弘さん・・・・詩画作家。詩画集「風の旅」など国内外で個展を開催。
群馬県勢多郡東村に富弘美術館がある。56歳