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アジアの政治
  •   ノムヒョン前韓国大統領のメッセージ

「政治家にはならないで!」

                  ノムヒョン前韓国大統領

このせりふは、私が近頃、人々に会うとよく言う言葉です。冗談ではなく、真面目にいう言葉です。政治に取り組んで得られるものに比べて、失わなければならないことがあまりにも大きいからです。政治家になる目的が自分の権力や名声といった欲望のためなら、ある程度は、成功を勝ち得ることもできるでしょう。しかし、そうした成功のためにですら、注がなければならない努力と、甘受しなければならない負担や苦痛を思えば、権力と名声なども、実質的な利益がなく、たとえあっても、とても短くうつろいやすい物なのです。

地域のため、組織のため、そして歴史のために、価値のある何かを成そうと政治に跳びこんだ人なら、気の遠くなるような長い時間の経過の末に、自分が成し遂げた結果が思ったより小さいものであったことがわかるようになるでしょう。政治の世界で、死に物狂いで争い、相手を崩したり、勢力を積み上げたりしながら長い年月を駆け抜けて来ましたが、達成されたものは微かで、明確に残っていることは失敗の記録だけです。私たちが追い求めた目標は、元のまま、ずっと遠くにとどまっているだけです。私はいつか、この失敗の話を文書として整理するつもりです。

ところで、政治を志す人は、すべてのものを政治に捧げなければなりません。政治に何を捧げなければならないかを考えるより、自分が持っているものの中で政治に捧げられなかったものが何かを考えてみたらいい。そうするとそんなものは、何もないということが分かるでしょう。

その中でも私生活、特に家族の私生活を保護することができないことは、致命的な苦痛です。しかし、この位までは自らの選択だからと、我慢しなければならないでしょう。

問題は、政治家が行く道には、当初考えてもみなかった、そして自分では手におえない難関と負担が待ち構えていることです。まさに「嘘の泥沼」、「政治資金の泥沼」、「私生活暴露の泥沼」、「田圃のどろんこの中で犬同士が闘うような泥沼」...こんな泥沼を体験することになります。特別に有利な条件に恵まれた政治家以外は、この道を回避しにくいのです。多くの人々が結局はこの泥沼にはまって、政治生命を失います。生き残った人も、多くは深い傷を受けた人です。政治の世界から無事に歩いて出られた人も、他人の非難、法的追訴の危険、良心の呵責..こんな危険と負担を抱いて暮らさなければなりません。そして、ほとんどの人々は結局、貧しく、さびしい老後となります。

ちょっと説明が必要でしょう。まず「嘘の泥沼」です。

本質的に嘘が好きな政治家は多いわけではありません。政治家も、初めは嘘をつかないように努力して、有権者や選挙参謀と争う人もいるでしょう。一方では相手の嘘、根拠ない報道、噂に傷ついてしまい、結局、真実を明らかにすることなど無駄だという事実が分かるようになり、当初の素朴な感覚が鈍くなります。故意に嘘をつかなくても、後で見れば嘘になっている場合も多いです。そして、徐々に、嘘をつかなくては政治ができないという事実を悟るようになって、最後には遂に嘘に慣れてしまいます。人々は、政治家をネタに笑い話を作ったり、政治家をあざ笑って楽しみ、それで金儲けまでします。しかし、それ位なら十分あり得ることです。 問題は、人々がただの冗談を楽しむのではなく、実際そうした誇張された話を信じ、政治家に対して本当に怒り、軽蔑していることです。いまや、政治家の良心も人格も地に堕ちてしまいました。しかし、政治家の方は、それをどうする方法もないのです。

次に「お金の泥沼」です。金権政治は、改善されていると言われています。しかし、それでも政治にお金が不要なわけではないのです。一方、政治家がお金を調逹する方法は限られています。以前に比べれば後援会制度がある程度、整備されていますが、 地域のために働く議員や、熱心に政治活動に取り組む議員には、政治資金はまったく不足しています。まして現職でない、バッチのない政治家の事情は、さんさんたる状況でしょう。たまに、政治家はどうやって暮らしているのか? 税金はいくら納めたか等の質問でも受けるなら、皆さんまことに苦しい立場に追い込まれます。バッチのない政治家は、生活を繰り合わせることもできません。だからと言って、お金儲けをする方法もありません。国会議員には年金制度もないです。結局、老後対策すらないです。バッチのない政治家はもう言うまでもありません。もちろんお金持ちとかが後援者として付いている幸運な政治家には、こんな話は該当しないでしょう。しかし、そんな人が多くいますか? また、そんなお金に余裕がある人だけが政治をするような国政が、果してよい政治になるのかも、よく考えて見なければならない問題です。

 

「私生活の暴露」も深刻です。政治家には私生活がないのです。一般の人々にはプライバシーである事も政治家にはそれが保障されないのです。それは家族に対しても同じです。行動の自由がないのです。演劇を見に行く、ゴルフをする事すら、世の中の雰囲気とマスコミの機嫌を伺わなければなりません。食事する席で冗談をむやみに言えば、かならず大きな問題が起こります。言っていることが間違いではなくても、世間では間違いということになります。政治家を狙い撃つ方法はいつも用意されているのです。公人として社会の検証を受けることは、当然ですが、当事者としては、不幸な事に違いないです。なおかつ、我が国では、公共の利益と私生活保護の限界がとても曖昧で、非常に苦しいです。

 

「泥田闘狗」(田圃のドロンコの中で犬同士が闘う)という言葉をご存知でしょうか。政治家たちはどうしてそれほどまでに争うか?こんな質問をよく受けます。しかし、「デモクラシーの政治構造」が、そもそも政治家同士が争うようになっているから争うのです。政治をする人々が党をつくり、お互いに争わなかったらデモクラシー政治は崩れます。程度の問題であるだけです。独裁時代には与・野党の闘争はまるで戦争でした。生活は監視され、裏で調査され、罪を着せられて監獄に行かされ、さらには、子どもたちが働く職場にすら影響がありました。野党は政治活動どころか、食っていくことさえも大変でした。だから政治は、生き残りをかけた戦争であるということですね。たしかに、デモクラシーの時代になっては、戦争はゲームに変わりました。敗者でも政界に残り、また挑戦することができるようになったのです。しかし、闘争は闘争です。デモクラシーと闘争がいつもルールに基づくものとはかぎりません。

さらに、政争を戦争にしたような、かつての敵対的政治文化の伝統が残っていて、社会的対立と葛藤が大きい国では、自然と闘争が荒れて、敗者に対する攻撃も苛酷になるものと決まっています。悪口、暴力闘争、嘘、デマ、裏調査などの悪習が残っている理由です。結局こんな政治闘争を争う政治家たちは、自分たちも追い詰められ、国民からはいつも悪口を言われる不幸な境遇になるしかないです。

 

「孤独と貧乏」の行く末。ちょっと漠然とした予想です。そんな悲惨な境遇ではない政治家も沢山いることは分かっています。しかし、これからは、ずっと多くの人々がそのような境遇になるでしょう。昔は政治でお金を多少集めた人々もいたようです。しかし、これからは。普通の政治家にはそんな芸当はできないだろうと思います。私の経験では、政治をするうちに、昔の友達とはますます疎遠になったようです。会う時間もなかったり、考え方や情緒も変わったりし、ひたすら金策を頼み、まことに友人としては厄介な存在になってしまったからです。

他の政治家たちは、ひょっとしたら私のようではないかもしれません。それでも、大きくは違わないと考えます。結局、お金も友達もいない老後を送る可能性が、どの職業より高いだろうと予想しています。

この文を書きながら、本当に私の言葉に落胆して、政治をめざす人が消えたらどうしようと心配する気持ちもあります。しかし、現実にはそんな事は生じないでしょう。ただ私が心配することは、政治への信頼がこんなに早いスピードで落ちてゆけば、政治そのものが、私たちの社会の問題を解決する機能を、徐々に喪失するようになるのではと思うのです.

私は地獄みたいなトンネルをやっとすり抜けてここまでたどり着きましたが、政治の世界に残った人々の境遇を切なく思っています。最近、ドイツのある政治家が書いた「政治家のための弁明」という本を読みました。これも言い訳としては別に效果を生みそうにはありません。同じように、私のこの文も政治家のための言い訳としては、別に效果はないでしょう。私は政治家の弁明としてこの文を書きますが、政治家のためにこの文を書くのではありません。韓国政治が少しでも変わるように願う心からこの文を書くのです。

これは、政治の解答ではなく、問題提起なのです。みなさんと一緒に、政治について考えて見ようという提案です。私のこの話はすべての政治家にあてはまる話ではないかもしれません。しかし、特別に恵まれた条件もない、普通の政治家は。みなさん、このような悩みを抱えていると思います。 <了>

 

 

(注)ノムヒョン前韓国大統領のホームページ掲載文を車寿正と

首藤信彦が翻訳・文章化した。原文は以下参照。

 

16代大統領(前)?武鉉(ノムヒョン)公式ホムペジより www.knowhow.or.kr
2008年3月4日
 直接アクセスの場合、
http://member.knowhow.or.kr/board_best/view.php?data_id=160562

また、ノムヒョンさんですが、退任後、ずっと田舎の実家に住み、
農業をしたり、たまには、その村を訪れた市民らに挨拶したりしているようです。
http://pic.knowhow.or.kr/main/view.php?start=0&pri_no=1228200147&mode=

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