スローな多読とは?

 そもそも「スロー」と「多読」は相反する言葉に感じると思います。スローを貫けば、多読までの時間は、おおいにかかります。もし、多読の目的がTOEICのスコアアップならば「スローな」は余分な形容詞です。TOEICだけではありません。英検でも同じです。ですから「スローな多読」とはTOEICや英検を目的としない洋書の多読を意味します。

 わたしは子どもの頃、当たり前のように児童書を読みました。初めて読んだのは松谷みよ子のむかしむかし」という本です。小学校2年生のときでした。年齢は8歳です。それから幾つもの児童書を読みました。中には外国の作品もありましたが、全て日本語で書かれたものでした。児童書を読んで育ったわたしは、やがて大人の文芸作品を読むようになりました。勿論、全て日本語で書かれたものです。わたしは日本語で書かれた作品を読み続けることで、日本人としての特性が備わるようになったと思っています。

 でも、何かにつけ「グローバル」といわれる今日において、日本人だけの特性だけでいいのでしょうか!?そんな疑問を持ったわたしは、もう一度子どもに戻って、今度は英語で書かれた児童書を読んでみようと思いました。今のわたしは45歳(今が2010年として)ですが、頭の中は8歳に戻ったつもりでいます。そして12年後――即ち20歳の頭になった頃には、英語で書かれたどんな本も楽しめる様になりたいと思ったのです。そのときのわたしの実年齢は57歳。企業によっては定年が近い年齢です。

 そして、老年になったとき、グローバル(といっても言葉は日本語と英語だけですが)な特性が身についた人間になっていれば、それはとても理想的だなぁ〜と思います。

 ところでESDという言葉があります。これは「持続可能な開発のための教育」の略称です。グローバルな視点にたって、人間の未来を良くしていこうとする教育を意味します。このサイトでは「地球温暖化」など、国の枠を超えた問題について若干のコメントをしていますが、そのような問題意識を人類全体で高め、解決していこうとする啓蒙活動がESDと言えます。

 日本でも「国際理解教育」「環境教育」といった名目で、ESDを推進しようとしています。しかし、主な教育現場である学校は、教師の確保や、カリキュラムの組み方が難しく、思ったような結果を残せていません。その結果、英語の授業を増やすことで、ESDを代替していると聞きます。

 そもそも国際への理解は、授業の中の数コマで得られるものではなく、持続的な学習によって身につくと思います。勿論、なかには幼い頃に海外で生活し、帰国子女として日本で生活している人もいるでしょう。或いは仕事の都合で、海外駐在を長く経験している人もいるでしょう。そうした人は自然に国際理解が得られているかもしれません。しかし、日本でずっと生活していても英語学習を超えた、国際理解は可能だと思います。

 幸い、アマゾンを使えば自宅にいながら世界中にあるモノが買えます。洋書(ペーパーバック)はそのなかで、もっとも安価に気軽に国際理解が身につく素材だと思います。だから、洋書を多読したいと思いました。ただ、一冊の本は安いのですが、多読すれば、それなりにコストは高くつきます。でも、購入した沢山の洋書を書棚にならべるのは楽しいことです。ちょっとお洒落なロハス空間になると考えれば、許容範囲だと思います。

 「スローな多読」とは、熟年になったいま、じっくりと時間をかけて、英語の勉強を超えたグローバルな視野を持ちたいという思いからつけた洋書の多読です。

 なお、洋書の多読については以下のガイドブックがあれば、とても参考になると思います。


英語多読完全ブックガイド[改訂第3版]/
古川 昭夫

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