
万年青と書いて、”おもと”と読みます。
日本原産の植物で、古典的な(最近では伝統園芸とも
言われています)園芸の一つです。
今から400年前に、徳川家康が駿河から江戸に入る時に、
3本の万年青を大切に持って来た故事があって、一年中かわらぬ
緑の葉を愛でて瑞草として庶民にも広く流行し、昔から転居の際に
は、引越しおもとと言って、おもとを持って、家内安全を祈った風習が
あります。
明治に入ってからも、おもと人気が何度かあり、昭和の始め頃、
そして、戦後になってからも、大流行の時代が来る。
株式や土地のような投機のシステムが完備されなかったころは、
一部の人達の投機の対象にされたのでしょう。
万年青には、現在約500ほどの命名された種類があって、
小葉、中葉、大葉に分類されていて、それぞれの固体の特徴を
もっています。

万年青のどこがよいのか・・・・・とよく聞かれますが、
小葉は約10cm、中葉は15cmの鉢で栽培するので、
場所をあまり取らない。
多年草で一年目から親木になる4~5年の成長するに
従って面白いほど変化する。
本来、半日陰の植物だから、それほど日当たりの少ない
場所でもつくることが出来る。
実生と言って、万年青の種を蒔いて、新種のおもとを作り
出す方法があって、万年青は遺伝的に大変変化しやすい
植物であって、この新種で高級な品種ができれば、高価な
値打ちになることがある。
同好の趣味者との交友が殖え、おもとが取り持つ縁で
おもとを楽しむことが出来る。
万年青には、葉の厚いもの、薄いもの、葉がクルクルと
パーマのように巻くものなど色々な形があります。
また、緑の葉のなかに、曙といって黄色く色の変化する
ものや、白や黄色の斑柄のきれいなものもあります。
まず、一鉢の万年青を入手して、水をやってみて下さい。
そして、万年青趣味の世界に入ってみませんか。
西洋の花と違った世界
日本おもと協会顧問 塚本 洋太郎
京大名誉教授 (中日新聞より)
◆赤い実
正月に赤い実をつけたオモトを用いることは、華道の
一部で習慣になっている。赤い実をつけたオモトの
鑑賞は、古くからのことであろう。
延徳二年(1490年)ごろに描かれた雪舟の
「四季花鳥図」の中に、実をつけたオモトが出ているし、
雪舟の弟子が描いたという「花鳥図」の中にもオモトが
見られる。それ以後、オモトの図は日本の絵画の中にいくつも出て
くる。
このように、オモトの絵は多いので、オモト鑑賞は日本の室町時代に
始まったと考えられるかもしれないが、そうだと決めることはできない。
中国の絵画を見ると、岩についたオモトの図がいくつも出てくる。
古いものでは宋時代のものがあり明、清時代も出てくる。中国に絵の修行
に行っていた雪舟は、当然オモトの絵を見ていたであろうし、中国での
オモト鑑賞を知ったことであろう。宋時代の画家の描いたものの一つには、
はち植えの図があるから、栽培していたことは間違いない。
したがって、オモトの園芸は中国から始まったと考えた方がよいが、
オモトそのものは日本の西部林間に広く自生が見られるから、
あるいは中国と平行して、独自の発展をしたのかも知れない。
江戸末期以後、今日の状況を見ると、非常に高いレベルに
なっていて、中国のオモトとは比較にならない日本独自の園芸植物
になっている。中国のオモトは薬草として用いられてきたが、
園芸植物としては、未発達に終わったといってよいだろう。

◆大流行
日本でオモトが園芸植物として認められるようになったのは、
元禄時代からのことであるが、はっきりした品種名が出てくるのは、
文化文政年間になってからである。文政十年(1827年)に出た
金太「草木奇品家雅見」の中に図とともに七十品種近くが加わって
いる。
その後、天保年間にオモトは全国的に流行するようになり、
法外な金銭で取引されるようになった。幕府も嘉永五年(1852年)
にオモトを高価に売買することを禁止するようになった。
この大流行と平行して、三河国の長島長兵衛が家康の
江戸城本丸完成の記念にオモトを献上したという伝説も
つくられている。
その後、安政六年(1859年)にオモトの書物に百四十四品種が
あげられているし、慶応、明治までも流行は続いた。そして、
銘鑑や図譜が続いて出された。明治時代にも大きな流行の
ピークが現れ、その後下火のなることなく今日まできている。
以上に見たように、おそらく中国のオモトになって、実のついたものを
主に鑑賞した室町時代から、江戸初期までと、江戸後期以後の
品種分化の時代とを区別することができるが、オモトは日本独自の
園芸植物といえるだろう。日本の文化がなかなか西洋世界に
理解されないのに似て、西洋へのオモトの紹介は皆無である。

◆特異性
オモトの園芸は、まったく日本独自のもので、西洋にはない特異性を
もっている。第一は、葉の芸である。こんなに葉が変化して珍しい
形を示すものは、西洋で発達した園芸植物では見られない。
第二は、そのさびのある葉色である。西洋でもパステルカラーは
好まれるが、オモトの葉の変化はパステルカラーといったものではなく、
日本独自のさびの色というべきであろう。
バラやチューリップなどの西洋の花とは全く異なった世界といわなければ
ならない。もっとも、鹿児島地方に多いサツマオモトは雄大で、観葉
植物として見ても立派である。この系統あたりから、もっと世界に
紹介し、売り出したいものである。
豊明園発行 万年青の歴史 より

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