J.S.Bach
(1685-1750)


トッカータとフーガ ニ短調 BWV565 (1709?)
 あまりにも有名なオルガン曲。

 1708〜18年、バッハはヴァイマルのウィルヘルム・エルンスト公付宮廷楽団の音楽家兼宮廷オルガニストの職に就く。楽師長として権威を持ち、その優秀な才能が注目されつつある作曲家としてだけでなく、オルガニスト、ヴァイオリニスト、ハープシコード奏者としても指導的役割を果たしていた。

 オルガニストとして最初の任地、アルンシュタットで活躍していた頃(1703〜07)、リューベックに旅し、先輩の巨匠ブクステフーデのオルガン演奏に非常に感激しているが、この作品にもブクステフーデをはじめとする当時の北ドイツの巨匠たちの影響が見られる。

 曲は、トッカータとフーガが中断されずに続き、再びはじめのトッカータの様式に戻って閉じる。即興風の性格を持ち、ファンタジア的要素の濃厚な、青年期バッハの情熱みなぎった作品である。(F.K)
2台のチェンバロのための協奏曲 ハ長調 BWV.1061a
カンタータ、受難曲そして平均率クラヴィーア曲集、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタやパルティータなどの偉業をあげればきりがない。アンサンブル音楽の中で、通奏低音・和声として扱われていたクラヴィーアの地位を独奏楽器として高めたのもバッハである。

 ソロ・チェンバロのための協奏曲が7曲、それ以外の2台以上のチェンバロのために書かれた協奏曲が5曲ある。このBWV.1061aの協奏曲は1,3楽章のみオーケストラパートがついているが、もともとは2台のチェンバロのみで演奏するために書かれたのでは、と思われる。どうしても・・・というところのみオーケストラパートより音を補足して演奏する。(Y.C)
◆2台のチェンバロのための協奏曲 ハ短調 BWV.1062  (1736)
 バッハはクラヴィーアの優れたソロ作品を多く残している。(「平均率クラヴィーア曲集全2巻」、多くの組曲、「ゴールドベルク変奏曲」etc.)のみならず、従来アンサンブルにおいては通奏低音もしくは和声を埋めるためにのみ使われていたこの楽器を、ソロ楽器と同等に扱い、クラヴィーアのレパートリーを拡大した。

 協奏曲のジャンルでは、当時ソロの主力はヴァイオリンであった。バッハはケーテンの宮廷の楽長として、レオポルト公に仕えていた時代、オリジナルのヴァイオリン協奏曲を3曲、また、「ブランデンブルグ協奏曲BWV.1046-1051」などを作曲している。

 この2台のチェンバロのための協奏曲は、ケーテン時代に書かれた「2台のヴァイオリンのための協奏曲BWV.1043」(1718頃)をバッハ自身が編曲したものである。その際、調性がニ短調からハ短調に変更されている。第一ピアノの右手に第一ヴァイオリン、第二ピアノの右手に第二ヴァイオリンの音がそのまま移されているが、今回はオーケストラなしで演奏するため、オーケストラ・パート分の加筆などに関して、恩師である小林仁氏の多大なるご協力を賜った。2台ピアノでの演奏効果と、バッハのスタイルを厳守することの両立に悩んだ一過程である。2台ヴァイオリン用のニ短調が“マリア”だとすれば、このピアノ用のハ短調は“イエスと民衆”の感がある。(Y.C)
※小林仁編曲 第1稿
◆2台のピアノのための協奏曲(小林仁編曲) ハ短調 BWV.1062  (1736)
この曲は、バッハ(1685~1750)がケーテンの宮廷の楽長をしていた時代に書かれた「2台のヴァイオリンのための協奏曲BWV.1043」(1718頃)を、バッハ自身が2台のチェンバロのために(オーケストラ付)編曲したものである。その際、調性がニ短調からハ短調に変更され、調性感はより厳しく やや男性的になった。
第一ピアノの右手に第一ヴァイオリン、第二ピアノの右手に第二ヴァイオリンのメロディ−がそのまま移されている。
本日は、私たちの恩師 小林仁先生が、先生の藝大御退官記念演奏会のためにご自身で編曲された版で演奏する。バッハのスタイルを知り尽くした師が、どのようにこの曲を捉えられたか、そして、付け加えられた音たちの バッハ=リストを思わせるピアニスティックな響きを、楽しんでいただければ、と思う。(Y.C)
※小林仁編曲 改訂版


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