Liszt
(1811-1886)

悲愴協奏曲  (1856)
 ヴァイオリンのパガニーニ、ピアノのリスト・・・この時代の生んだヴィルトゥオーゾたちの華やかな技巧、輝かしい響きとその振舞いは、当時のサロンの人々を魅了した。ハンガリー人としてというよりも、国際人として活躍するリストであったが、1848年ヴァイマルの宮廷楽長に就任。指揮、作曲活動に専念する。
 1849〜50年にかけて「演奏会用大独奏曲」をパリ音楽院のために作曲。当初はアレグロのみのシンプルなものではあったが、超絶技巧のため、演奏不可能といわれた。後に中間部を書き足し、1851年に出版している。この曲を1856年、2台ピアノ用に編曲。「悲愴協奏曲」のタイトルが与えられ、さらにその後にはオーケストラ版にも編曲されている。
 “単一楽章形式による規模の大きなソナタ”形式は、後の「ロ短調ピアノソナタ」に通じ、〈交響詩〉というジャンルを生む。
 
 第一部は、悲壮感あふれた第一主題と、後の「ロ短調ソナタ」に顔を出す第二主題が情熱的に展開される。幻想的なソロを経て、叙情的な第二部は、ショパンを思わせるパッセージをはらみながら展開を続ける。激しい情熱の逆巻く第三部。第四部は葬送行進曲から始まり、勝利のアレグロへと導かれる。(Y.C)
◆ハンガリー狂詩曲 第2番  (1847)
 “ラプソディ”とは、古代ギリシャの吟遊詩人の歌、叙事詩の詩人の歌、の意。
 1840,46年リストはロマ(ジプシー)の音楽をスケッチし、その著作の中で「各民族の歴史であるところの叙事詩はハンガリーにはないが、ロマの音楽の中にその断片がある。ハンガリー固有の民謡はロマの音楽で、その表現の中に民族の理想が歌われている」と主張した。後に「ハンガリー民謡=ロマ」の説は、バルトークによって否定されたことは有名である。

 ラッシャン−穏やかで哀愁に満ちた前半と、フリシュカ−急速で激しい後半部からなる。(Y.C)


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