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       「あたし、貴方のこと知ってるわ」 
       目の前の少女がゆっくりそう発音するのを、快斗はただ黙って聞いていた。 
       
       次に盗みに入るための下見を終えた快斗は、公園のベンチで一人涼んでいた。 
       世間一般的には夏休みである今日、公園は大勢のちびっこたちによってジャックされていた。 
       唯一ジャックを免れたペンキの剥げたベンチに快斗が座っていると、視界が紅で遮られた。 
       
       「光栄ですね。僕も貴女のこと知ってますよ」 
       「へぇ…例えば?」 
       「君の家が杯戸町だってこと」 
       「他には?」 
       「養っている人が、とある世界では有名な科学者だってこと」 
       「ふーん」 
       「あとは…クラスメイトに眼鏡の生意気な探偵がいること」 
       
       哀は満足そうに微笑んだ。まるで正しい答えを言った生徒を見守るような教師の顔して。 
       その仕草があまりに大人びていて少女には相応しくないので、快斗は思わず笑ってしまった。 
       
       「お嬢さんは僕の何を知っているんですか?」 
       「そうねぇ…江古田高校の生徒だってこと」 
       「他には?」 
       「ちょっと天然な幼馴染がいること」 
       「…」 
       「あとは…その幼馴染には見せられない、裏の顔があるってことかしら」 
       
       あまりに真っ直ぐすぎる直球の言葉に、快斗は笑う他なかった。 
       この少女がどこまで知っているのかを聞きたかったが、いかんせんこちらの手札が少なすぎる。 
       少女と駆け引きをするためにはまず体制を整えないと、と快斗は話題を変えてみた。 
       
       「今日はお散歩ですか?それとも夏休みの宿題かな?」 
       「今度は現代美術館に入るのね」 
       哀は視線をゆっくりと向こうへやる。その先にはさっきまで快斗がいた現代美術館。 
       『世界最大のピンクダイアモンド展開幕』という幟が、風によくはためいている。 
       「来週から展示されるのよね。ということは、予告も来週かしら」 
       「さぁ、どうでしょうか」 
       哀につられて快斗も視線を現代美術館の方へ。 
       思ったよりセキュリティーはしっかりしていたのを思い出す。後は当日警察がどんな罠を仕掛けてくるかだ。 
       
       
       
       「眼鏡の探偵坊主が気になりますか?」 
       「そうね、貴方を捕まえようと躍起になってる」 
       「ハハ、まだ捕まるわけにはいかないので。逃げられるだけ逃げますよ」 
       「彼だって、追いかけれるだけ追いかけてくるわよ」 
       絶対有り得ると、思わず快斗は苦笑した。次から次へと、どうしてこう厄介な連中に追いかけられる羽目になるのか。 
       
       「その割には、貴女は僕を彼に突き出すつもりはないように見受けられますけど」 
       「今時予告状なんて寄越してくるレトロな怪盗さんに、あたしも興味があるのよ」 
       「だから調べたんですか?」 
       「そうね、流石にまだ十代だとは思わなかったけど」 
       「うーん…どこで足がついたんだろう?」 
       「物的証拠なら、いくらでも部屋から見つかったわよ」 
       
       その言葉に快斗は納得した。 
       一度だけ哀の家に―正確には阿笠邸だが、羽を休めたことがある。 
       あのときに快斗はまた何か失敗したのだろう。つくづくあの日は厄日だった。 
       
       「貴方もあたしのこと、調べたのね」 
       「えぇ、いつかお礼がしたいと思っていたので」 
       「いいって言ったのに」 
       口角だけを上げて哀は微笑んだ。 
       
       あのときの少女が、よりにもよって探偵坊主の知り合いだったとは驚いた。 
       驚いたが、あの探偵坊主の身内だということを知って妙に納得した。二人共、あまりに子供離れしている。 
       「貴女とまた話がしたかった」 
       これは本当のことだ。 
       
       「善意を疑うわけじゃないんですが、手負いの罪人を何故警察に突き出さなかったのか、知りたかったんです」 
       「確かに感謝状くらいなら貰えたはずよね」 
       「そんなものが欲しかったのは意外ですけど。善意以外に何か理由があったのでしょう?」 
       「…知っている人に、凄く似ていたから」 
       「本人だとは思わなかったんですか?」 
       「えぇ、それは絶対に有り得ないことだったから」 
       
       どうやらそれが彼女の切り札らしい。 
       恐らくその人物の存在こそ、こちらが知りたかった情報。 
       そして彼女の人生を変えた、一度死んだ彼女を生かしてくれた人物なのだろう。 
       
       「今の僕は、たぶん人に何かを与えられると思います」 
       「まだ気にしていたのね」 
       「でも夜の僕は、たぶん奪ってばかりだ」 
       
      
      
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