私、まだこの季節をわかってない

Shuffle





 「また逃げられた」
 朝6時。自宅に帰ってくるなり、毒を吐いてベッドへ倒れこんだ。
 ここのところずっと雨続きで布団が干せない。嫌な臭いが鼻についた。

 完璧な朝帰りだが、何も色っぽい話ではない。
 「ずっと追いかけている人間にまた逃げられた」という話だけ聞けば、艶っぽく聞こえるかもしれないが。
 別にストーカーでもないので、怪しい話でもない。

 何がしたいんだろう。
 漠然と考えたことがある。
 アイツは何が楽しくて、人のモノを盗むのだろうか。盗んでどうするのか。
 そして何故返すのか。
 これが一番の謎だった。
 何故苦労して(ヤツにとっては苦労でも何でもないかもしれないが)盗んだものをあっさり返す?
 本当は何が目的だ?ただの愉快犯なのか?

 ベッドに潜りこんだところで眠れるはずもなく、仕方なく起き上がってシャワーを浴びることにする。
 着替えを置いて、浴室のドアを開けた途端、電話のベルが鳴った。







 「また逃げられたわね」
 朝6時半。目を覚ましたところで、神のお告げが聞こえた。
 わけはなく、ただ自分の直感がそう示しただけだ。

 朝はそんなに得意な方ではないが、何故か目が覚めてしまった。
 少し逡巡する。二度寝すると絶対に学校に遅れると決断を下して、仕方なく起き上がる。
 身体が重い。昨夜ギリギリまで粘ってみたからだ。

 昨夜は来なかった。
 余裕が無かったからだろうか。
 相手があの工藤新一だったから?逃げるのに精一杯だった?

 自分は一体どちらの味方なのだろうか。
 「味方」という言い方は違うのかもしれない。自分はどちらの味方でもない。
 彼に捕まって欲しくなくて、彼に捕まえて欲しい。
 矛盾する。
 だから昨夜逃げられたことにホっとしつつも、何故だか悔しい。

 顔を洗って、着替える。白いフリルのついたブラウスに、濃紺のスカート。キャラじゃない。
 熱々のトーストを齧ったところで、このもやもやは晴れない。
 アプリコットジャムのビンに手をかけた途端、電話のベルが鳴った。







 「また違った」
 午前2時。一仕事終えて帰って来てベッドへダイブ。
 「夏場にあの衣装はやっぱりキツイな」なんて独り言を言いながら、眠りに落ちた。
 半袖の衣装に着替えた自分の夢を見たが、様にならなかった。やっぱり現状維持の方向で。
 
 「あっ、今起きた?」
 朝6時過ぎ。友人に電話をかけるが、不機嫌な声が返ってきた。

 「今日大学来る?ノート見せて欲しいんだけど」
 「こんな時間にかけてくる内容じゃない」
 「怪盗キッド追いかけてたんだろう?知ってるよ。じゃあ、今から寝るわけ?」
 「解ってるなら聞くな。大学には午後から行く。ノートは見せてやらねーよ」

 何がしたいんだろう。
 漠然と考えたことがある。
 こんな危ない綱渡りをしていたら、いつか綱から落ちるだろう。
 昼間は大学の同級生で、夜は敵同士?

 気づいたときに、アイツはどんな顔をするだろうか。
 自分は捕まりたくないのか、捕まりたいのか。
 彼に捕まって早く楽になりたいとか考えてるんじゃないだろうか。

 シャワーを浴びて、ノートを開く。残酷なくらいに真っ白だ。
 ふと思い出して、電話をかける。三回のコールの後、やはり不機嫌な声が返ってきた。

 「哀ちゃん?起きてた?」







 「起きてたわよ」
 耳の下に受話器を挟んで、アプリコットジャムをトーストに塗りたくる。
 一口齧る。溶けたマーガリンと良い具合にミックスされて、美味い。

 「その様子だと、上手く逃げられたようね」
 「えっ?何のこと?」
 笑い声に憎たらしくて、思いっきり大きな口でトーストを齧った。パン屑がパラパラと落ちる。

 「貴方、捕まりたいの?」
 「捕まりたい泥棒なんてこの世にいると思う?」
 「捕まりたくないなら、昼間の付き合いは止めることね」
 「…姫は何でも知ってるのですね」

 「あたしが彼に貴方のことを売ったら、どうするの?」
 「哀ちゃんはそんなことしないよ」
 「ごまかさないで」
 「“彼”とはどんな関係?」
 「はぐらかさないで」
 「昨日行けなくてごめんなさい。…それだけ言いたくて」
 ―電話は切れた。

 ふいにトーストの味がしなくなる。ブルーベリーヨーグルトも何も味がしない。コーヒーの苦さも感じない。
 受話器を置かずに、そのままコールする。
 「もしもし、工藤君?今日逢えないかしら…」







 「珍しいな、大学に来たいなんて」
 「えぇ、ちょっと」

 朝早くに「放課後、大学に行っても良いか?」なんて連絡が来たときは何事かと思った。
 灰原は時々行動が突拍子も無いので、そのことに関してはあまり気にはならないが、今日の態度は気になる。
 唇を噛んできょろきょろと辺りを見渡して、とにかく落ち着きが無い。彼女にしては珍しい。

 「誰かを探しているのか?」
 大学は広い。人を探そうと思ってもなかなか探せないだろう。
 「オレの知ってる人?」
 自分が知っている人物だったら、呼び出すことは可能だ。
 「泥棒を探しているの」
 「何だよ、それ」
 ついに言動まで突拍子もなくなったかと、笑いがこみ上げてきた。

 「あれれー?新ちゃん、彼女?」
 前から歩いてきたのは、今朝非常識な電話をかけてきた男だ。
 灰原がびくっとしたように固まった。
 「小学生に手を出すなんてやるー!」
 「バーカ。オープンキャンパスだ」
 「えぇっ?まだ夏休みでもないのに?っていうか早くない?小学生のうちから?」
 「最近の小学生は、もう将来入る大学まで決めてあるんだよ」
 「まあね、もうすぐ全入時代だしね。答案用紙に名前書いただけで入れるよ、きっと」
 「そんなことはないだろうが…灰原?」

 灰原は血の気を失くして、黒羽の顔を凝視したまま突っ立っていた。
 「ここで会ったが百年目…」のような形相のため、慌てて「どうした?」と声をかける。
 「…顔が、似てるわね」 
 何とか出した、振り絞るような声だった。
 「あ、あぁ」
 それで驚いていたのかと納得した。昼間からポルターガイスト現象にでもあったかと思ったのだろうか。

 「似てるでしょう?僕たち、よく間違われるんだよ」
 「それでコイツはオレの振りしてよく悪戯してるんだ」
 コイツが今までにやってきた悪事を思い出しただけで、吐きそうになる。
 コイツが傍にいても、自分が未だに平和な学園生活がおくれているのは何故だろうか。
 大学からの付き合いだが、本当に不思議なヤツだと思う。

 「お嬢さん、お名前は?」
 黒羽が、灰原に目線を合わせようとしゃがみ込んだ。案外ロリコンなのかもしれない。







 「灰原哀よ。初めまして。お兄さんは?」
 目の前の少女の声は、微かに震えている。
 「黒羽快斗です。こちらこそ初めまして」
 演技するなら、これくらい笑わないと。

 本名を名乗ってしまったが仕方ない。ここで偽名を使ったら工藤に怪しまれる。
 そういえば昼間の素顔を見せるのは初めてなのに、彼女は何故解った?
 そして工藤との関係を何故知ってる?

 何が目的だろう。
 自惚れではなく、自分に逢いに来たことは間違いない。
 わざわざ忠告しにきてくれたのだろうか。

 「よろしく」と差し出された白い小さな手は、ぞっとするくらい冷たかった。
 ちくっと指先に痛みが走る。画鋲だ。何と古典的な嫌がらせだろう。思わず笑みが零れた。

 やっぱり彼女は忠告しにきてくれたのだ。
 刺されたら痛い。
 痛みを忘れるな。

 カードをシャッフルするように、混ぜてしまえばジョーカーは解らなくなるというのか。
 君は僕を庇おうとしている?それとも工藤に捕まえさせたいために近づいた?

 そんなことは解らないが、少女の後ろに大鎌を構えた死神がいることは確かだ。
 そう、いつか首を取られるかもしれない。それもいいかもしれない。







2006.07.09