水のない水槽は、

もちろん魚なんか泳いじゃいない。

そこにあるのは、

誰にも言えない孤独と、

果てしのない絶望感。








水のない水槽











「何買ってきたんだよ?」

「見れば解るでしょ?金魚よ」

餌をやる手を止めずに、

哀は
呆れたようなコナンの問いにこう答えた。

「急に金魚が飼いたいなんて言い出してな」

後ろで博士の声。

「いいじゃない、別に」

「いや、悪いとは言っとらんが・・・」

口篭もる博士。

「綺麗でしょ?」

そんな博士を無視したような哀の声。

「訳解らねーな・・・・」

一人頭を悩ますコナンの声。









































「お姉ちゃん、何買ってきたのよ?」

「見て解らない?金魚よ」

透明なビニール袋を揺らして、

「だいたい買ったんじゃなくて縁日で釣ったのよ?」

悪戯に笑う生前の姉の姿。

あたしは独り、夢を見ていた。

自分で買って来た金魚に餌をやりながら。

あの日もこんな暑い日だった。

突然姉が金魚なんて買ってきた・・・もとい釣ってきた。

「何でまた?」

「可愛かったからよ」

嬉しそうに笑い、

「ナナちゃん」

とまで名づけてしまった。

「何で『ナナ』なの?」

「秘密!」

訳が解らない。





「大変、ナナちゃん具合が悪いみたい・・・!!」

ナナちゃんが来てから一週間後のこと。

「縁日で売ってるようなものだもの・・・元々そんなに丈夫じゃないわよ」

「お医者様に看せたほうがいいかな?」

「う、うん・・・・」

あまりにも姉が心配してるので、

魚の医者なんているのだろうかということも問うことができなかった。





その翌日、ナナちゃんはあっけなくこの世を去ってしまった。

姉はわぁわぁ泣いていた。

泣きながらナナちゃんの由来について話してくれた。





「志保は小さいとき、私と縁日に行ってダダこねたのよ」

「・・・何で?」

「金魚がどうしても欲しいって」

「・・・あたしが?」

もちろん覚えてない。

「でも志保は一人じゃ飼えないから、志保が大きくなったら買ってあげるってお父さんと約束してたのよ」

「そんなことがあったんだ・・・・」

父親の顔を思い出そうとしても分からない。

覚えていないのだ。

「その約束果たす前に両親とも死んじゃったけどね」

涙を手の甲で拭いながら、姉は哀しそうに笑った。

「お母さん・・・貴女の名前つけるとき、志保とナナとで迷ったんだって」

「だからあの金魚ナナちゃんなの・・・?」

「そうよ」

涙は乾いたみたい。





だからこんなに哀しんでるんだ・・・?

あたしが死んだみたいで・・・





「ありがと、おねーちゃん」

あたしは姉に背中から抱きついた。









































「おいっ!おい、灰原?!」

誰かが呼んでいる。

お姉ちゃん・・・?



「おまえ、大丈夫か?」

目は覚めているがボンヤリしているあたしに、

彼は心配そうな顔を向けた。

「平気」

あたしは短く答えた。

「少し昔のことを思い出していたの」

「昔のこと?」

クーラーの風が冷たい。

ひんやりとあたしの腕を冷やす。

「決めたわ・・・・・ナナちゃんにしよう!!」

「は?!誰だ?それ」

ふいにはじけたあたしの声に彼は少し困惑ぎみだった。





ナナちゃんニ号は元気だった。

紅く美しい尾ひれをゆらゆらさせて、

それはそれは優雅だった。

縁日で買ったんじゃなく、ちゃんとしたペットショップで買ったんだもの。

「魚好きなのか?」

彼はまだしっくりこないらしい。

「好きよ」

鼻でふふんと笑ってやった。

「ふーん・・・」

彼は拍子抜けたようにそう言って、隣の部屋に行ってしまった。

そういえば彼は、夏休み中はずっと博士の家に入りびたりだった。

探偵事務所に帰りたくないらしい。

あの子と喧嘩でもしたのかしら?

彼も同じ。

あたしと同じ。

独りなのね。





ナナちゃんはあたしによく懐いてくれた。

餌をあげようとすると寄ってくるし。

「ナナちゃん」って呼ぶとあの尾ひれを揺らして応えてくれる。

とても可愛い。

あたしはこの子に特別な感情を抱いていた。

ただのペットではなく、

自分の分身として。










それからニ週間して、

ナナちゃんは死んだ。

原因は解らない。

自慢の紅い尾ひれは

水に揺られて、淋しそうだった。





あたしはまた独りになってしまった。


















あたしはニ度も自分の分身を死なせてしまった。

「元気だせよ・・・」

彼の力ない声がゆっくりあたしにしみこむ。

「うん・・・」

彼よりも力ない声であたしは頷いた。





ナナちゃんニ号は

博士の家の庭に静かに埋めてあげた。

日当たりのいいところだから、

きっとナナちゃんも喜んでくれるはず。





「また独りになっちゃった」

ポツリと彼に愚痴ってみた。

「俺がいるよ」

お決まりのキメ台詞。

「俺も独りだし」

「バカ・・・」

あたしは思わず噴出してしまった。

「何笑ってんだよ?」





「あなたは独りじゃない」

「?」

「博士や吉田さんたちや服部君、それに蘭さんだっているじゃない・・・」

「おまえにだって同じこと言えるじゃねーか」

「・・・貴方には解らないわ」

そう、誰にも解らない。



「本当に大切なもの失ったことがないから、そんな偽善者ぶったこと言えるのよ・・・」

そう言って走り出した。










ナナちゃんニ号がいなくなって、

水のない水槽。

もちろん魚なんか泳いじゃいない。

そこにあるのは、

誰にも言えない孤独と、

果てしのない絶望感。

閉じ込めたはずなのに、

想い出と一緒に全部詰め込んだはずなのに、

主がいなくなった途端

またあたしを苦しめる。






「また飼えばいいじゃねーか」

後ろから彼の声。

「いつまで昔の想い出にしがみついてんだよ?」

息を切らしている。

必死にあたしを探してくれたみたい。



「じゃぁ、一緒に探してくれないかなぁ?」

振り向いて叫んだ。

涙がこぼれる。

「独りじゃ見つかりそうもないの」

「・・・何を?」

「想い出」

「・・・・・・・?」

「貴方と一緒にこれから作っていきたいの」














水のない水槽は、

あたしと一緒。

何のかも失くなって、

中身が空っぽなの。





でもね

また水を入れればいいんだよ。



そうしたらもう、

独りじゃない。