「ただの気障なコソ泥だろう?今時律儀に予告状なんか出してくるナンセンスな」

別にクラスメイトがキャーキャー騒いでいるのが気に入らなかったわけじゃない。
ましてやそれがちょっと気になる子だったからって、そんなのは関係ない。
罪を憎んで人を憎まずなんて言葉があるけれど、犯罪を起こした人間はあくまで犯罪者だ。

法で裁かれるべきだし、警察が捕まえられないのなら、自分が捕まえてみせる。
新聞で取り上げられるほど話題の高校生探偵として、それくらいの自信はある。
だからあんなコソ泥に警察が手をこまねいているなんて信じられなかったし、懇意にしている目暮警部から懇願されたときは鼻で笑って胸を張ってみせた。
あんなふざけた犯罪者、自分が絶対捕まえてやるって。

そう思っていた。
ヤツに逢うまでは。






「…なるほど」
ヘリコプターの風圧で舞った布切れを横目に、思わず感嘆の声が出た。
時計台を盗むと聞いて「そんなことできるわけがない」と思ったが、まさかこんな大胆な手を使ってくるとは思わなかった。
ふざけた態度とは裏腹に、恐ろしく冷静で頭の切れるヤツだということは初対面で解った。 警察がてこずるのも理解できる。

まさに今自分の目の前で犯罪が起こっているというのに、自然に笑みが零れた。
背筋がぞくぞくし、高揚し、血圧さえ上がったような気がした。 こんな気持ちは初めてだった。
犯罪者を相手にするときは、いつも憎らしくて悔しくて哀しくて負の感情が渦巻いていたというのに。
何だこの気持ちは。



『今夜は少々頭の切れるジョーカーをお持ちのようだから』
無線機越しに白い怪盗の声が聞こえる。若い男の声だったが、地声ではないだろう。

「ジョーカーはお前だろう」
思わず呟いた。

ジョーカー、ふざけ者。
全てを嘲笑うかのように鮮やかに舞う白き怪盗。

ライバルと呼ぶのは陳腐だけど、ずっと逢いたいと思っていた恋人のような。
そうか、自分はこういう相手を待っていたんだ。







「そういえば、新一にそっくりな男の子に逢ったのよ」

きっかけは、昼食時に蘭が始めた些細な世間話だった。
「へぇー…こんなクソ生意気な探偵気取りがこの世の中に他にもいるわけ?」
色とりどりのサンドイッチを口に運びながら、園子はただでさえ無駄に大きな目を更に大きく見せる。
「ウルセーよ」
特大のおにぎりに齧り付き、横目で園子を睨む。探偵気取りじゃなくて、探偵だっつーの。

「空手の試合会場の江古田高校で見かけたのよ。新一がこっそり見に来たのかと思って、思わず私声かけちゃった」
プチトマトを頬張って、その口のまま蘭は笑った。
「お前の試合なんて見に行かねーよ。大体、他校の生徒逆ナンしてんじゃねーよ」
幼馴染みのおっちょこちょいにも呆れる。自分と他の男を間違えるなんて。
「だからそんなんじゃないって!人違いだったのに、すごく良くしてくれて。得意のマジックまで見せてくれたのよ」
「おぉっ!なんちゃって探偵似の彼はマジャシャンか」

探偵気取りの次はなんちゃって。いちいち茶々を入れてくる園子を無視し、蘭に詰め寄る。
「そんなに似ているなら、逢わせてくれよ」

ただの好奇心だった。

あの蘭が自分と間違えるくらいなら、相当似ているのだろう。
世の中には自分と似ている人間が三人はいると言うから、ちょっと見てみたかった。

それだけだったのに。





「初めまして、黒羽快斗です」

名前は黒い羽なのに、真っ先に浮かんだ世界は真白だった。

デ・ジャ・ヴュ

どこかで逢ったことがある気がするのは…あぁ、そうか。自分の顔に似ているからか。
「蘭さんの言った通り、本当にそっくりですね」
自分とは違い、愛想よく笑う彼は、ごく普通のどこにでもいる高校生だった。
「…声まで似ているな」
嫌でも瞼裏に白い影がちらつく。下を向いて追い払おうと首を振る。

「骨格が似ているから当然ですよ」
ふいに響いた鋭い声に驚いて顔を上げると、へらへら笑った顔にぶつかった。
今のは何だったのだろう。



「マジックが見たいんですよね?好きなんですか?」
自分から訊ねておいて答えなど聞いていないような軽い感じで、彼は次々と細かく手を動かしている。
コインが現れて消えて、トランプが宙を舞い、銃となって身体を貫き、最後は一面の真白。
…鳩だ。
彼の身体を守るかのように無数の鳩が覆い被さっている。

再びのデ・ジャ・ヴュ
今度ははっきりと脳裏に白い影が舞った。



―違う。
そうじゃない。

「あぁ…君は黒羽盗一氏の息子か」
搾り出すかのように記憶の糸を辿る。

「父をご存知で?」
彼が驚いたように手を止める。仕舞おうとしていたトランプが一枚、足元に落ちた。
「子供の頃に一度、ここにいる蘭と一緒にショーを。確か事故で亡くなったと…」

「いえ、生きています」
静かに、そしてはっきりと彼は言った。トランプを取ろうとしゃがんだので、表情は解らない。
「僕の中に、そして貴方たちの中にも」
トランプの絵柄を見せながら口を閉じて笑う彼は、感情というものをどこかに落としてしまった道化師のようだった。

落ちたのは、ジョーカーだった。







「またお逢いしましたね。ジョーカーは切り札だと思っていましたよ」

相変わらず逆光で顔はよく見えない。
月の光に照らされてぼんやりと浮かぶそのシルエットは、声さえ聞こえなければ幻に思える。
「だから今日こそ捕まえて、その面拝見させてもらうよ」
逢うのは二回目だというのに、もう何回も逢っているような気がする。

「今日、僕、誕生日なんですよ」
「中のヤツのか」
「中のヤツって…着ぐるみじゃないんですけど」
軽く笑った声が弾んだ。そんなに面白いことを言ったつもりはないけれど。

「一九××年六月二十一日。怪盗キッドが初めてこの世界に現れた日です」
そう二十年近く前のことを話す男の声は、前にも聞いた通り若い。
どことなく自分の声に似ているような気がするのは、ヤツがわざと真似をしているからだろうか。



「じゃあ、二〇〇八年六月二十一日は怪盗キッドが監獄に入れられた日にしてやるよ」
エアガンを構えてヤツに照準を合わす。
ヤツが慌ててお目当ての宝石に手をかけた瞬間、ケースに仕掛けていた手錠がヤツの手首にしっかりと掛かった。

―勝ったと思った。



その場からシューシューと煙が出てくるまでは。



「な、何だ…」
現れたのは複数の怪盗キッド。
これも得意のマジックだというのか。
しかし、ヤツの手首にはしっかりと手錠が掛かっているのを見た。仲間がいるのか。
ゆらゆら揺れているということはニセモノは光の異常屈折による蜃気楼の幻だろうが、いかんせん量が多すぎる。
近づこうとも、本物は完全にニセモノに紛れてしまっている。

「貴方と私は似ていますね」
蜃気楼の一つから声が聞こえる。
「似ている?どこかだっ…」
「私は犯罪の芸術家。貴方は究明の芸術家」
近くにいるはずなのに、自分に似た声はどこか遠くで聞こえる。

「犯罪は芸術なんかじゃねーよ…」
全ては蜃気楼が見せる幻だというのか。
「ただ探偵は、難癖をつける批評家に過ぎない。私たちはどこまでも対称でどこまでも平行線だ」
一度大きく蜃気楼が揺らめく。ヤツの姿が消えた。

「交わることは無いけれど、私は貴方で、貴方は私なんです」
この声だけは、何故かすぐ耳元で聞こえた。

背中をねっとりと舐められたような感覚がして、思わず構えていた銃を放った。
当たったかなんて解らない。
これが現実なのかも解らなかった。



「今夜は私に好カードが回ってきたようだ。貴方との決着はまた次回に」
ニセモノを切り裂くように、鮮やかに舞ったトランプ銃。
放たれた閃光弾の煌きが静まった頃には、全てがまるで夢だったかのように消えていた。
後に残ったのは、ダイヤのクイーンのみ。

「ジョーカーはクイーンを味方につけているのか…?」





愉快犯ではないことは解るが、盗むのにどんな理由があるのかは解らない。
でも確かに存在するのに理由があるのだろう。
しかも並大抵なものじゃない確固とした存在理由が。

法を犯すのも、その謎を究明するのも『芸術』だと言った白き魔術師。
それでいて探偵は難癖をつける批評家に過ぎないと言い切る矛盾さ。
ヤツがオレで、オレがヤツ?
ただの言葉遊びに、何の意味があるというのだ。

そんな彼は

「―やっぱりただの気障なコソ泥だろう」











私が語りはじめた彼は