神様、どうか 僕だけを見て欲しい







1/2 〜水色少年〜









指先で髪に触れてみる。水をつけてもいないのに、軽くうねっている。
この時期は生まれつきのこのくせっ毛が何とも憎たらしい。
隣で欠伸を噛み殺している片割れはさらさらストレートなのが、更に苛立たせるのだが。

「…ストパーかけようかな」
「去年もそう言って試したけど、効かなかっただろ」
こっそり呟いた独り言は、ちゃんと届いたらしい。
「今年は思い切って縮毛矯正にチャレンジしてみようかと思うんだけど」
「止めとけ。さらさらストレートのお前なんか想像出来ない」
さっきから欠伸が止まらないのは、昨日夜遅くまで新作ミステリを読んでいたせいだろう。
全く何が楽しいのか、自分にはちょっと理解出来ない。
「…まあね。これ以上オレら区別付かなくなったら困るし」

さらさらストレートが新一クン。
ちょっとくせっ毛なのが快斗クン。
うちの学校ではほとんどの生徒・教員がそうやって覚えて区別している。
ただでさえ顔が有り得ないほど似ているというのに、これで髪型まで同じになってしまったら誰も区別出来ない。

「青子なら区別出来るかね?」
「中森さん?さぁ…どうかな」
「いや、アイツの天然は凄いよ?マジで」
幼馴染みの顔を思い出す。あの天然ぶりで自分たちの区別なんてすぐ付けちゃいそうだが、どうだろうか。
「灰原先輩よりは可能性あるかもな」
「あっ!それ痛い!」


片割れの新一は、中学生になってから青子のことを『中森さん』と呼ぶようになった。
「いつまでも呼び捨てにしていたら可哀想だ」とか訳解らないこと言い出して。
双子はクラスが分けられるので、必然的に自分たちは同じクラスになることはない。
反対に何故か青子とはよく同じクラスになり、確かに新一よりは快斗の方が青子と親しいことになる。

新一と違って、快斗はずっと青子のことは呼び捨てだ。新一の言う理屈はよく解らない。
幼稚園からずっとエスカレーター式なのでクラスメイトの顔ぶれはそう変わらない。
同学年全員が幼馴染み状態なのに、今更何に気を遣うというのか。
ただ青子も中学生になってから「快斗」「新一君」と新一にだけ君付けするようになったのが、妙に腹立たしい。



「噂をすれば、灰原先輩だ」
新一の呟きに、はっと我に返る。目を凝らすと、確かに前の方で紅い髪がゆらゆら揺れている。
紅い髪の持ち主、現生徒会長の灰原哀は中学からの編入生だ。
途中で編入してくる生徒は珍しいので、快斗も彼女が編入してきたときから注目していた。
在校僅か1年で生徒会長になってしまった彼女は、いつも冷静でしかもとびきりの美人なためとても中学生には見えない。

「先輩、おはようございます」
二人揃って早足で追いついて、声をかける。
特に新一は現在生徒会で副会長をやっているので、生徒間では一応“上司”となる。
「…おはよう」
紅い髪が揺れ白い顔がこちらに向けられて、少し不機嫌な声が返ってくる。
低血圧なのは周知のことなので、そんなことではへこたれない。

「会長、今日の生徒会ですが高等部の生徒会室でやることになりそうです」
「えぇ、解ったわ」
毎週月曜日は生徒会の会合が行われる。並んで歩きながら新一がそう言えば、
「会長、ちなみに僕たち明日誕生日なのですがパーティーをやりませんか?」
「予算の無駄ね」
快斗の提言はあっさり無視される。

「…先輩、僕たちの区別って付きます?」
「有能なのが新一クン。サボリ魔でお調子者が快斗クン」
哀に前を向いたままスラスラそう答えられて、がっくり肩を落とす。
「ハハ…流石先輩ですね」
褒められた新一は、頬を少し染めて笑っている。そんなの男がしたって可愛くない。
「笑えねぇっての」

昔からそうだ。
兄の新一は優等生で、小学生のときから学級委員だの何だの積極的にやっている。
だからと言ってガリ勉タイプなわけではなく、部活はサッカーをやっているので女子にもモテモテ。
反対に快斗の方はと言えば、幼稚園の頃からスカートめくりの常習犯。
理系は割と得意だが、勉強はゆる〜く適当に。運動神経が全般的に良いのが取り柄だろうか。
女の子ともそこそこ仲良くやっているが、結局は「快斗クンっていい人ね」と友達の関係で終わるタイプだ。







「取替えっこしよう」
昼休みの2年A組前。新一を呼び出した快斗はこっそり囁いた。
取替えっこは子供の頃たまにしていた悪戯だが、最近はやっていない。
久しぶりに試してみたくなって、早目に弁当を食べて新一のクラスにやってきたのだ。
「…授業態度ですぐ解るだろう?」
突然の誘いに、案の定新一は渋い顔をしている。
「そっちは午後、体育と化学だろう?こっちは現国と世界史だから、適当に手抜いてくれたら大丈夫だって」
自分の得意科目なら上手く誤魔化せる自信があると、必死に説得する。

「…何企んでいる?」
じとーっとした嫌な視線に、やはりこの相方には敵わないと改めて思う。
「いやぁー…今日の生徒会、ちょっと出てみたいなぁって」
「却下。今日は高等部との合同の大事な会議だからお前じゃ無理」
にべもなく、あっさり断られる。
「大丈夫!何も発言しないから」
「余計問題だ。体育祭に関しての取り決めがあるんだから、会長のサポートをしないと」

『会長』の言葉にピンと反応する。あのポーカーフェイスを崩す方法。
「その会長が気づくかどうか試したいんだよねー」
「お前今朝言っていたこと、まだ気にしてんのか」
自分の発言が元で面倒なことになったのかと、新一は更に眉間の皺を深くする。

「新一だって確かめてみたいだろう?」
誰とも付き合う気がない新一が、哀に少し惹かれているのは態度を見れば一目瞭然。
ただ新一のことだから、自分の方に気を遣って言い出せないのだろうが。
「お、お前…」
「何?気づいてないとでも思ってた?」
形勢逆転とばかりに意地悪く笑ってみせる。
新一が怯んだ隙に、トイレに連れ込んで隠していたワックスを取り出した。





「…絶対バレるぞ」
「普段のオレみたいに適当に愛想良くニコニコ笑っていれば大丈夫だって」
ワックスでさらさらストレートから無造作ヘアになった新一は、鏡を見たような気分になるほど我ながら似ている。
「じゃあ、また放課後にでも」と、未だ不服そうな新一とA組の前で別れる。
そしてそのまま何事もなかったように、新一のロッカーからジャージを出して更衣室へと向かう。
新一と同じクラスの白馬がチラリとこちらを見たが、たぶん気づいていないだろう。



一方新一は快斗のクラスであるC組に入ろうとした瞬間、後ろから青子に声をかけられて死ぬほど驚いた。
「新一君?何やってるの?」
「えっ?!いや、別に何でも…」
「しまった」と気づいたときには既に遅し。「快斗ではない」と暗に認めてしまっていた。
「快斗ならいないけど、何か用だった?良かったら伝えておくけど」
「じゃあ…新一をよろしくって」
「はっ?」
『いや、アイツの天然は凄いよ?マジで』と快斗が言っていた意味が良く解った。

「そういうのって野生の勘で解るの?」
「はっ?」
本人も気づかないうちに快斗のことが好きなんだろうと思った。
敏感なんだか鈍感なんだかよく解らないヤツは、果たしてそれに気づいているのか。
気づいていて気づかない振りをしているのなら、最悪だ。
小首を傾げて訝しむ青子に向かって、

「黙っていてくれる見返りに何が欲しい?」







午後の授業を何とか乗り切り、生徒会が始まる前に軽く打ち合わせをしておく。
「会長のサポートはもう一人の副会長である白馬に任せて、とりあえずお前は黙っとけ」
「何か突っ込まれたら?」
「昼に何か悪いものでも食ったって誤魔化しとけ」
「ラ、ラジャ…」
それでは新一の評判が悪くなるのだが、それに気づかないほど新一も気が立っているらしい。
「いいからとにかく余計なことは喋るな。それから後で中森さんにアイス奢れ」






今日の生徒会は高等部と合同で、体育祭についての話し合いである。
高等部の会長が仕切っていて、中等部の面々は聞いていることがメインであり、快斗はこっそり安堵の息を吐いた。
その中でも哀は積極的に中等部としての意見を出していき、その発言は高等部の連中も舌を巻くほど光っていた。

こうやって、ここにいて、新一は哀のことをずっと見ていたのだろう。
もう一人の副会長の白馬も、書記であるB組の紅子も一緒に。
そう思うと羨ましいような、悔しいような複雑な気分になった。


「最近中等部のマナーの悪さが目立ちますが、会長はどう思われますか?」
高等部の副会長である女生徒の急な提案に、和やかに進んでいた会議は一変して温度が下がった。
「そうだな…合同で体育祭をやるとなると、保護者各位に高等部までマナーが悪いと思われるのだが…」
話を振られた高等部の会長までもこんなことを言い出すから、中等部の会長である哀の顔色も曇る。
肝心の白馬は言葉を失ってしまっているし、紅子の視線は哀の発言を待つように注がれたままだ。

「でしたら、体育祭期間中は我々がパトロールします」
気づいたら、そんな言葉が出ていた。
周りからの訝しんだ視線で、それが自分から発せられた言葉であることを認識する。

「体育祭期間中だけではなく、風紀委員とも協力して明日から実行したいと思います」
固まっていた氷が解けたようにさらりと哀が自分の言葉を繋げば、
「確かにゴミ問題等、最近私たちの生活態度は緩んでいます。先輩方に迷惑がかからないよう善処致します」
言葉を失っていた白馬がやっと立ち直り、いつもの調子で丸め込みに入る。
「ですから、先輩方もしっかり中等部や初等部の見本となるようにして下さいね」
最後は滅多にお目にかかれない哀の微笑で、この問題は一気に解決した。





会議がお開きとなり、高等部の面々が退出した後、中等部の連中も片づけを始める。
資料を重ねてトントンと机に軽く叩いてまとめ、哀がこちらを振り返る。
「さっきはありがとう、快斗クン」
小声で耳元で囁かれるように発せられたので、快斗は一瞬何を言われたのか解らなかった。

「貴方たち、顔は似ているけど性格は全然違うのね。すぐ解るわ」
「…すみませんね、有能な相棒の方じゃなくて」
「いいえ、助かったわ。貴方も生徒会入れば良かったのに」
その言葉は禁句だ。何が哀しくて優等生の兄と同じ土俵に上がらなくてはいけない。

「あの…ちなみにどうして解ったんですか?」
「貴方の片割れなら、あの場面で高等部に正面切って食って掛かるから」
「すみません…有能すぎる兄で」
大いに想像出来て、少し頭が痛くなった。あいつは昔からちょっと頭が固すぎるところがある。
「有能すぎる新一クンにはない貴方のとんでもない発想力って、案外力になると思うわよ」

そのたった一言で自分が舞い上がってしまうなんてことを、この人は知らないのだろう。
紅くなりそうな顔を必死で抑えようとする。
ポーカーフェイスの先輩の顔を崩すのが目的ではなかったのか。自分が崩されてどうする。
「いかなるときでもポーカーフェイスを忘れるな」
敬愛するマジシャンである伯父の言葉を思い出すが、このときばかりはその魔法が効かない。
色素の薄い瞳に見られると、自分が自分じゃなくなりそうな気がする。

「…来週はちゃんと新一が来ますから」
白馬と紅子に聞こえないようにそう返すのが精一杯だった。







「お前、よく解ったな」
翌日の放課後。新一に「高等部相手に勝手にそんなこと確約するな!」とこってり絞られて、約束通り青子にアイスを奢ることに。
「解るよ。ずっと一緒だったもの」
垂れそうになったチョコミントアイスを舌でペロリと舐めて、満足そうに青子は笑った。

「ずっと一緒か…」
ずっと一緒にいたわけでもないのに、解ってくれた人はいた。
それでも目の前のまだあどけなさの残る少女は、きっとどんなことがあっても必ず見分けてくれるのだろう。
誰かと間違うことなく、自分だけを見てくれるのだろう。
青子といると、着飾ることなくありのままの自分でいられるような気がする。
背伸びもポーカーーフェイスも必要ない。

「…今日、何の日だか知ってる?」
あの笑顔を見たいが為に意地悪くわざと訊ねるなんて、虫が良すぎるだろうか。
青子はちょっと考える振りをして、やはりさっきと同じように笑ってみせた。

「誕生日おめでとう、快斗」






青にもまだ染まらない、水色な僕たち