風が夏服を通り抜けて、空へ舞い上がる。
昼時、喧騒を離れて静かな屋上。
盗まれた鍵。壊されたドア。誰も近寄らない秘密の場所。

階下から聞こえる賑やかな笑い声。
購買部の行列。色とりどりの弁当箱。グランドに残された一個のサッカーボール。
そのどれもが作り物めいている。

フェンスに寄りかかって腰を落とす。
早弁してしまったため、購買部のパンを齧る。
イチゴジャムが甘すぎて、他の味がしない。クリームパンも甘すぎだ。
やっぱり一番人気のカレーパンにするべきだった。

ズボンのポケットからタバコを取り出して、口に咥える。
ライターを探したが、見つからない。いつもタバコと一緒にポケットに入れているはずだ。
四時限目の体育の着替えのときに、落としたのかもしれない。
誰かに見つかったとしたらヤバイ。教師なら尚更。

まあ、何とかなるか。
ライターが見つかったくらいで騒ぐ学校でもない。
タバコを口に咥えたまま立ち上がる。フェンスに肘を付いて空を見上げる。
いつもと変わらない空。いつもと変わらない日常。
自分の家が見える。幼馴染の家も見える。
肝心なものが見えない。



「落としましたよ」と差し出された炎は紅色。
クローバーのシールが張られたライターは蒼色。

「こんなもの張ってあるから、すぐ解りましたよ」
「いいセンスだろ?」
炎の先に、咥えたままタバコを合わせて紅色をもらう。
何時間ぶりに味わう苦味と高揚感に、そっと目を閉じた。

「成長期には悪いですよ」
「オレ、もう身長止まったから」
「止められなくなる。麻薬ですからね」
「相変わらずお堅いこと。一服どう?」
「遠慮しておきます。僕の成長期はまだ続いているので」

溜め息と共に吐き出したこの煙は、どこまで行くのだろうか。
あの空は、この雲は、どこまで続くのだろうか。
自分たちは、一体どこまで―。



「今日、予告状の日ですね」
「そうだっけ?」
雲の切れ間から零れる光に、思わず目を細める。
まるで自分の悪事を暴くかのような灼熱の太陽の視線に、笑みが漏れる。
何もかも曝け出しそうになってしまう。隣にはこの男がいるというのに。

「一体、いつまで続ける気ですか?」
「お前もいつまで追いかけるんだよ?」
「この手で捕まえるまでに決まっているじゃないですか」

同じようにフェンスに肘を付いて、並んで空を見上げる。
同じものを見ているはずなのに、きっと瞳に映る世界は違うのだろう。
お互い、違うものしか見えない。自分たちはこんな関係。

空が夏色に染まる。誰かが揚げた白いカイトが揺れている。
糸が切れたのだろうか、風に乗ってカイトがどんどん空へ吸い込まれていく。
雲と同化して、それから―。
あのカイトは、一体どこまで行くのだろうか。



「もし捕まるなら、君に捕まりたいね」
「今日は随分弱気なのですね」
「夏は苦手なんだよ」

太陽が照らすうちは、どうしても「黒羽快斗」になってしまうから。
自分たちはきっと、本音で語り合うよりも「自分たちがこうなりたい」と願う姿を演じている方がいいのではないか。
だとしたら密会場所は、昼間の屋上よりも夜の公園とかの方が似合う。
夜空をステージにして。純白のステージ衣装に着替えて。星とか月とかオプションなんか付けちゃって。
素顔は暗闇が隠してくれるから。自分たちはただ理想を演じればいい。
この方が、ずっと自分たちらしい。

チャイムが鳴る。試合終了。
「またお逢いしましょう、今夜にでも」
「出来れば夜までも逢いたくないね。昼間の密会で十分」

風が夏服を通り抜けて、空へ舞い上がる。
あの白いカイトは、風に乗って空へ還っていったのだろうか。
自分たちは、どこへ還れるというのだろうか。

「ライター、もう落とさないように。それからタバコ臭いので口ゆすいで下さい」
「はいはい」




世界は私だけおいて回り続ける

白いカイト






2006.10.14