「なー、白馬。十二月って何て言うか知ってるか?」
「December」
「バーロ!誰が英語でなんて言ったかよ」
「師走」
「ちげーよ!誰が陰暦でなんて言ったかよ」

「では、何て言うのですか?」



春待月






天気予報のお姉さんが、ファー襟付きのコートを着ながら「今年は暖冬です」なんて言っている。
天気予報をわざわざ外に出て伝えるというのは、何か意味があるのだろうか。スタジオの暖かい中でやればいいのに、といつも思う。
特に台風時のアレには辟易する。飛ばされたらどうするんだと、視聴者に心配させてどうする。

今は師走。普段は走らない僧侶も走る程忙しい月。
うちの学校の教師たちも何がそんなに忙しいのか、忙しいところを見せたいだけなのか、落ち着きがない。
唯一落ち着いているのはうちの学年、特にうちのクラスぐらいか。
期末テストも終わり、あとは成績表をもらって冬休みを迎えるだけという穏やかな日。

天気予報のお姉さんの言っていたことは、本当だった。
東都では珍しく雪が降った昨年とは違い、暖かい日が続いている。
朝晩こそ肌寒いが、日中なんて日差しの下にいるとポカポカと気持ちが良い。
こうなるとトイレ掃除なんてサボって、屋上でのんびり日向ぼっこをしていたい。





「大人しくトイレ掃除しなさいよ」
屋上にある物置の屋根に上ってうたた寝をしていると、冬の朝のようにピンと張り詰めた声が聞こえた。
今時珍しい程の漆黒さらさらストレートが風に舞い、切れ長の目がこちらを睨んでいる。
「オレは視聴覚室が良かったんだよ」
「仕方ないでしょう。くじ引きで貴方の班はトイレ担当になったんだから」

終業式を明日に控えた今日は、学校中で大掃除が繰り広げられる。
うちの班はオレがくじを引いたというのに、何故かトイレ掃除を引き当ててしまった。
視聴覚室は絨毯なので、ただ掃除機をかければ良いのだ。何てこったい。
トイレ掃除は一番の嫌われモノ。何が哀しくて十七にもなって便器をゴシゴシ磨かなくちゃいけないのだ。
だいたい、ゴム手袋くらい美化委員の予算で何とかしてくれよ。

「白馬君たちが待っているわよ」
「あのお坊ちゃん、トイレなんて掃除したことないんじゃねーの?」
どうせ、ばあやがいつもピカピカに磨いてくれているのだろう。
「公共物は、自分たちの手で綺麗にするものよ」
「お前、最近青子に似てきたな」
「あの能天気ちゃんと一緒にしないで」



風に舞い上がる髪を左手で押さえて、紅子は伏し目がちになる。
青子に似てきたなんて言われて、怒っているのだろうか。
全く女ってヤツはよく解らない。有名人の真似をしたがるくせに、「似ている」と言うと「一緒にしないで」と怒る。

「どうして貴方はいつもそうなの?」
「そうって?」
またいつもの説教だろうと、寝そべったまま訊ねる。
「何でもかんでもはぐらかす」
「そんなつもりはないけど」
こうやって寝そべっていると、厚い雲が遠くの空に見える。穏やかな気候も今日までか。

「大事な幼馴染みにも、本当のことは言わないつもり?ずっと騙せるとでも思っているの?」
「説教は聞き飽きた」
紅子と話すと、いつもこうなる。
ずっと騙し通せるなんて思っていないことを、知っているくせに。
「貴方も傷つくのよ?」
解ってるよ。

で、お前も泣くんだろう?



「…とにかく、今は白馬君の敵にならないことね」
何も喋らないオレに、いつものように諦めて踵を返す。
「大人しくトイレ掃除に戻りなさい」
ぱたぱたと上履きの音がする。その音が何とも、耳障りだった。

「そうそう、黒羽君」
屋上のドアを半分開いて、紅子が振り返る。心なしか、少し笑ってみえる。
「こんな気候―十二月を何て言うか知ってる?」
「December」
わざとネイティブっぽく発音してやった。
「違うわよ。春待月って言うのよ」
バタンと重たくドアが閉まった。この音は、あまり耳障りではなかった。


「春を待つ月、か」
明けない夜はないように、冬は必ず春になる。
でもそんな春を待って、何になるというのだ。





「黒羽君、どこへ行っていたんですか?」
仕方なく男子トイレに戻ると、白馬が仁王立ちで迎えた。ちゃっかりゴム手袋をして。
「悪りー悪りー」
「もうほとんど終わってしまいましたから、残りは黒羽君一人でやって下さい」
「…解ったよ」
で、そのゴム手袋はどこにあるの?まさか自前?

「あ、そうだ」
教室に戻ろうとする白馬を引き止める。
「なー、白馬。十二月って何て言うか知ってるか?」
「December」
憎たらしい程、発音が良い。
「バーロ!誰が英語でなんて言ったかよ。っていうかお前とオレって同レベルじゃねーか」
「何のことですか?えっと…では、師走」
「ちげーよ!誰が陰暦でなんて言ったかよ」
「では、何て言うのですか?」

「春待月」

オレはにぃっと笑って、白馬から頂戴したゴム手袋を着ける。
さぁ、楽しい掃除の時間だ。



「“春待月”だって、陰暦の異名なんですけどね」