桜を見るのは嫌いじゃなかった。
古くから、桜は日本人の心を捕えて離さないという。
純粋な日本人ではない自分でも、桜は何故か特別だった。
生まれて初めて薄紅色の花びらが雪のように舞っているのをみたとき、
この世の中にこんな美しいものがあるのかと思った度だった。
同時に、こんな儚いものがあったのかとも思った。
夏に鳴く蝉のように儚い命。
「まるでお前みたいだな」
「不吉ね…短命みたいじゃない」 長身の彼を見上げるようにして、少女は唇をほんの少し尖らせた。
「花の命は短くて、だろ?」
「命短し、恋せよ乙女」
「お前の口から乙女なんて単語出てくるとは思わなかった」
絶好の花見日和。
手作りのお弁当を持って、二人は地元でも有名な桜の名所へときていた。
今年の冬は長くて、三月でも雪が降ったりしていた。
そのため桜の開花も遅くなり、蕾が膨らんだころやっと春らしくなった。
昔から、桜は春を告げるという。
今日は風が強いため、あの日のように桜が舞っていた。
黄色い卵焼きに薄紅の花びらが落ちて、優しい春の色だと思った。
パステルカラーは、暖かくて柔らかい春をイメージさせる。
「春の匂いがする」
「春の匂い?」
「そ。日本は季節によって空気の匂いが変わるんだよ」
レジャーシートにごろりと横になりながら、新一は目を閉じた。
「…随分くつろいじゃっているじゃない」
「名探偵にも休養は必要だ」
「自分で自分のことを名探偵って言えちゃうところが、貴方らしいわね」
こんなにも四季の境がはっきりしているのは、日本だけだという。
桜が咲いて春が来て。
雨の季節が終わると夏が来て。
暑さが鈍くなると秋が来て。
木枯らしが吹いたら冬が来る。
そして永い冬が明けるとまた春が来る。
ずっとそれの繰り返し。
でも同じ春は二度と来なくて。
同じ夏も同じ秋も同じ冬も絶対に来ない。
変わらないながらも、変化のある毎日で。
そういうことに幸せを見つけられるようになったのは、きっと隣の彼のおかげだと思うから。
哀は新一と同じように、ごろりと横になった。
見上げた空も優しい色をしていた。
そして今、季節は薄紅から緑へ。
「どうして、こんなに花が咲く期間が短いのかしら」
「オレは葉桜も好きだけどな」
「今はどんな匂いがする?」
「新緑」
「若葉の匂いがするわ」
「そう、それ」
目の前の桜の木は何年生きてきたのだろうか。
何回季節を通り過ぎたのだろうか。
その茶色い太い幹からは、歴史の重みを感じた。
「緑は再生の色だ」
幹に拳を当てて、新一は呟いた。
―再生。
そう、あたしたちは生まれ変わったのだ。
新しい人生を、共に歩もうと決めた。
あの日…全てが壊れた日に。
後悔している?
いいえ。
あの子のことを苦しめていても?
ふいに身体が軽くなり、宙を浮いた。
「肩車なんて…」
「緑がよく見えるだろう?」
「えぇ、空が近く感じるわ」
手で触れた葉桜は、暖かいお日様の匂いがした。
自分はこの人と、何回季節を通り過ぎることが出来るだろうか。
いくつもの季節を一緒に過ごせるのだろうか。
ずっとあの子と一緒に見てきた景色だったのに。
ずっとあの子と一緒に過ごした四季だったのに。
「…あたしでいいの?」
そう訊ねると、左手を強く握られた。
首を振って「君が欲しい」と小さく呟いた。
「…君じゃ解らないわ」って誤魔化そうとしたら、
「灰原哀が欲しいよ?」と彼は笑った。
苦しくなって、新一の頭に後ろから抱きついた。
苦しくて苦しくて。
それでも繋いだ左手は離せなかった。
離したくなかった。
いつまでこんなことが続くのかなんて、そんな先は見えない。
それでも幾度季節が巡ろうとも、ずっとずっと貴方の傍で。
季節はもうすぐ新緑から雨の色へと変わる、水無月。
|