あんたがたどこさ 肥後さ
肥後どこさ 熊本さ
熊本どこさ せんばさ

せんば山には 狸がおってさ
それを猟師が 鉄砲でうってさ
煮てさ 焼いてさ 食ってさ

それを木の葉で チョイトかくせ






「脱いだものくらいハンガーに掛けたら?」
「…んー」
「工藤君?」
「そのうちやるよ」

本から目を離さない少年に、少女はわざと聞こえるように大きく溜め息を吐いた。
それを横目で睨んだ少年は、辞書のように分厚い本をパタンとわざと音を立てて閉じた。

「だいたい、工藤って呼ぶなよ」
「いいじゃない。ここは博士の家なんだから」
「だからって」
「それとも…もう工藤の名は捨てたいのかしら?」
「冗談!」

ミステリの新刊を机の上に投げ出した少年は、お手上げというように両手の掌を見せた。
それを薄目で見た少女は、口の端に笑みを浮かべてキッチンへと向かった。



「夕飯はどうするの?」
「食べるって言ってある」
「誰によ?」
「蘭」
「それは食べてくるって言ってあるってことでしょう?」
「どう違うんだよ?」
「…もういいわ」





今日はこの家の主は帰らない。
科学者同士の会合だとか噂の美人とデートだとか何だとか。

それを知っていて、少年はわざとここへ来たのだろうか。
食事をしたら、すぐにあのこが待つ家へと帰ってしまうのだろうか。
そうしたら、この夜は独りで過ごさなければいけないのだろうか。

少女はフライパンに油を敷きながら、こっそり溜め息を吐いた。



「どうして家に帰らないの?」
「秋の夜長はやっぱり読書だろ?」
「誰が決めたのよそんなこと」
「昔の偉い人」
「…彼女と喧嘩でもしたの?」
「こんな本、探偵事務所じゃ読めねーよ」

少年はそう苦笑して、分厚い本を細腕でぶんぶん振ってみせた。
読んでいたページを挟んだ指が、少し痛々しい。





「今日の献立は?」
「チキンの和風ソテー」
「うん、好物」
「レーズン以外は何でも好物でしょ?」

何も少女が作るものが好物なのではないのだ。
実際彼は少女が作ったものでも彼女が作ったものでも、何でも食べる。
解っている。解っている。



あらかじめ塩・コショウをかけて揉んでおいた鶏肉に小麦粉をまぶし、
軽くはたいてフライパンに乗せると、ジュウといい音が鳴った。



「何か手伝おうか?」
「お皿を出しておいて」
「OK」

家の勝手を熟知している少年は、慣れた手つきで二人分の皿を
主さえ何が入っているか解らないような食器棚から、器用に取り出した。
少女専用の紅い箸と、何故かある少年専用の蒼い箸も一緒に。



両面を狐色に焼いて、大根おろしを乗せポン酢をかける。
あっという間に和風ソテーの出来上がり。
炊き立ての白米と、大根と豆腐の味噌汁を添えて。
食卓にはほうれんそうの胡麻和えと、ちょっと場違いなマカロニサラダ。
デザートには手作りのみかんゼリー。





全部が食卓に並んだところで、二人して手を合わせる。
二人だけの、二人きりの食事。
恐ろしいくらい、静かな夜だ。

「…最後の晩餐みたいね」
「十三人もいねーよ」

そんなことを言いながらも、美味しそうに完食する少年。



「ねぇ、どうして今日うちに来たの?」
「だから読書をしに」
「嘘」
「秋の夜長は独りでいたくないだろ?」
「それは貴方だけでしょ」

どこかで虫が鳴いている。

ふいに、何故か泣きたくなるようなノスタルジーに襲われる。
そんな晩秋の夜は、誰だって独りではいたくない。



「ご馳走様」
「お粗末さまでした」
「好物をありがとう」
「いいえ、どういたしまして」





「知ってるか?」
「何を?」
使った食器を片付けようと席を立った少女は、ふいに少年に呼び止められる。

「好物は好きなものっていう意味だぜ?」
「…だから?」
「好きなやつが作った物っていう意味もあるんじゃねーの?」





「…だから?」

紅く染まった頬を、木の葉に見立てた大きな手でチョイトかくせ



「独りは怖い?」
「ナイトがいれば怖くはないかもね」

少年の両手に頬を挟まれた少女は、キスを待つ乙女のように微笑って瞳を閉じた。





季節はもうすぐ長い夜が明けて、師走。











この二人の淡い恋が今後どうなったのか。

それは神のみぞ知る。











秋、






独りでいたくない夜も、独りでいたい夜もある。

2004.11.24