ポン、ポポン。
どこからか花火が上がり、文化祭の始まりを告げた。
校門には「第二十六回 帝丹祭」と描かれた大きな看板が飾ってあった。
これは文化祭実行委員の人たちが放課後残って、熱心に作ってくれたのだろう。
校内は緊張が見え隠れする中、一斉に活気付く。
天気は快晴。空が遠く見える。
「灰原さん、これ九番テーブルお願いします」の声に、哀は慌ててふいに返る。
暢気に空なんて眺めている場合じゃなかった。
文化祭はもう始まっていて、我がG組の喫茶店は初日の開店直後なのに既に満員御礼。
店の中ではアリスの格好をした女の子たちがてんてこ舞いだ。
シフトを組んだのは自分だ。この人数で足りるかと思ったが、現実はそうもいかない。
少し“中学生の文化祭”を甘く見すぎていたかもしれない。
帝丹中学在校生はもちろん、その家族・友人・他校生徒・ご近所さん…
どこからこんなに人が集まるのかと、哀は不思議で仕方なかった。
だがそんなぼやいている暇はなく、常にウェイティングがかかっている状態。
休日のファミレスのランチ並。しかも回転の悪さは男性客の多さにある。
「そこのアリスちゃん、オーダーお願いね」
「抜け出してオレらと遊ばない?」
哀は茶髪の長髪男ニ人組にこんな風に声をかけられたが、笑って軽く流しておいた。
こうやって難なくかわせればいいが、こういうのに慣れていない女の子の頬を紅く染めてしどろもどろな態度が、ますます悪循環を引き起こしているように見える。
(誰よ。この格好でやろうと言い出したのは)
「見事に男性ばかりですね」
華麗にパンケーキを裏返した光彦も、客席をちらりと見てため息をこぼす。
「皆灰原さん目当てなんでしょうね」
「そんなことはないわよ」
光彦の言葉に笑って否定する。
自慢じゃないが、G組は他のクラスと比べて可愛い子が多いと思う。
中には、それぞれ狙っている女の子のアリス姿を見に来たヤツもいるはずだ。
光彦に「似合ってますよ」と言われて、少し照れた。
無邪気で愛らしいアリスは、歩美には似合っても自分には似合わないと思っていたから。
「コナン君は見に来ないんでしょうかね」
「…解らないわ。彼だって自分のクラスが忙しいでしょうし」
彼の名に、一瞬びくっと反応してしまった。
自分のアリス姿なんて好き好んで見に来るような人ではない。
相当嫌がってたみたいだし、最近は口を開けば喧嘩ばかりのような気がする。
昼過ぎでも混雑は変わらず、1時間毎のシフトのはずが人手が足りなくて既に3時間稼動。
クラスメイツは揃って「代わろうか?」と申し出てくれたが、せっかくの文化祭なのに自分のクラスにかまけていてばかりで他のクラスを回れないのは可哀想だ。
自分は生徒会のことで準備にあまり参加出来なかったので、本番くらいはちょっとクラスの役に立ちたいと思う。
そこへ自分たちの劇が終わったのか、コナンと歩美が2人きりでやってきた。
「いらっしゃい」と笑顔で応えるが、どうしても疲れが顔に出てしまう。
「ごめんなさいね、劇見にいけなくて」
店がこんな状態だから…と続けたが、上手くコナンの目が見れない。
忙しいのが不満なんじゃない。こうやって動いていた方が気が紛れる。
それでもああいうツーショットを目の前で見せられてしまうと、どうして隣にいるのは自分じゃないんだろうって思ってしまう。何て自意識過剰。
なんでクラスが離れてしまったんだろうと、神までを恨みたくなってしまう。
●
文化祭2日目。
本当は見たくなんかなかった。
それでも光彦と何故か松田に誘われて、哀は古畑コナ三郎の舞台を観に体育館へ。
「やっぱり来るんじゃなかった」と少し後悔した。
舞台で輝く彼が眩しすぎて、遠い人のようだった。その中に自分がいないことをもう一度確認させられて、愕然とした。
舞台が終わったばかりの彼に、後夜祭の打ち合わせの確認をする。
誘われたのを口実にしたが、「随分熱心に見て下さってたみたいですが?」と皮肉たっぷりに言われて何も言い返せなかった。
衣装のことを聞きたかったのに、聞く勇気もなかった。
「打ち合わせまで時間があるし…一緒に文化祭回らないか?」
昨日はあれほど隣の特等席を望んでいたのに、いざとなるとどうしていいか解らなくなる。
松田に抱きしめられたって、彼からキスされたって、どうしたらいいか解らない。
自分の感情を上手くコントロール出来なくて、気持ちも上手く伝えられない。
独りで生きていく術は知っていても、こんなことは誰も教えてくれなかった。
彼の口から決定打が聞きたくて、聞きたくなくて。
そんなことを望んでしまう“中学生の自分”がたまらなく嫌になったり。
「それでもオレはおまえといたいんだよ」
これは決定打?
そんなことすら解らない。
彼に惹かれているのも、他の女の子に嫉妬しているのも本当だけど。
その気持ちがどこからくるものか解らない。どう振舞っていいかも解らない。
恋だとか愛だとか、今はまだ解らない。
自分には関係ない、どこか遠い世界のことのように思える。
曖昧で不思議な感覚。
だけどアリスのようにその不思議さを受け止めたら
誰だっていつだって、森に迷い込めるのだろう。
ゆっくりと、一歩ずつ。
今はまだ中学生でも、いつか本当のことに気づくための準備期間。
そうして自分たちは大人になっていくのだろうか。