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(42)無著菩薩立像(興福寺国宝展にて)(2004年10月 7日) 
 無著菩薩立像…鎌倉時代、運慶作。

 今日大学のK食堂でピアノ科のクラス会があった。毎年夏休み中にやるのが、今年はこの時期ということもあって参加者5名。(ピアノ科は一学年約30名)それでも気軽に集まるのがいい。情報交換して楽しく語り合えた。K食堂のクラス会用?特別メニューで満腹!満足!食堂のおじさんがちょうど今芸大美術館でやっている「興福寺国宝展」の招待券をみんなにくださった。これ、行きたかったのですごくうれしかった。行った。

 運慶作の二体の立像のうち、無著菩薩立像はかつて(20年くらい前?)に興福寺で見たとき、心を奪われた。今日もドキドキしながら対面したが、あの時以上に放出するエネルギーを感じた。自分のお腹から頭に向かって何か対流するかんじ。しばらく前に立ってそのエネルギーをぐるぐる身体の中に回してみた。

 無著菩薩像を見たあと、もっと奥にあった釈迦如来像の頭の前に進んだ。その前に行くと今度はもっとすごいエネルギーの球がいきなり飛んできた。ドラゴンボールZの悟空のかめはめ波みたいに。。。お腹のあたりが押されるようだった。ちょっと驚いたのでそこはすぐに立ち去った。

 たくさんの像の中で私はその二体だけに訴えてくるものを感じた。相性もあるだろうが、それぞれの像に込められた魂が常にエネルギーを出しているのだと思った。演奏も同じかも。魂のこもった演奏は人の心を動かす。魂を感じたとき、人は心を動かされる。

興福寺国宝展 鎌倉復興期のみほとけ☆  2004年 9/18〜11/3 東京藝術大学 大学美術館

(41)夏の思い出 2004(2004年 9月 5日) 
 夏休みも終わりもう9月です。数日前には大型台風16号が九州にも上陸し、ものすごい勢いで各地を過ぎ去っていったようです。昼間はまだ残暑が厳しいですが、朝夕には秋の風が吹くようになりました。さて、昨年に引き続き、9月初頭恒例?となりました、夏のご報告です。いろいろあったので、ちょっと長くなりそうです。。。

 この夏は、7月24日の延岡(宮崎)を皮切りに、8月8日芦屋病院(兵庫)、8月9日城崎西村屋ホテル招月(兵庫)、8月11日横浜美術館(神奈川)で、野田一郎さんと共演させていただくことができました。また昨年とはひと味違った野田さんの演奏は、相変わらずすばらしいもので、演奏会各回において野田さんからおそわった多くのこと、また本番で弾くことによって得たもの、今年もまたたくさん増えたお友達、訪れた町、名所、お店の数々…等々、細かいことをあげれば、きりがないほど多くのことがあった夏でした。

 宮崎では、練習会場として昨年の演奏会場であった宮崎ルーテル教会を使わせていただきました。懐かしいだけではなく、私にとってオルガンにはまってしまったきっかけとなった教会です。練習後に厚かましくもそのオルガンを弾かせていただくことができました。一応バッハ弾いてきました。

 宮崎から延岡に移動中には、S田さんの愛車アルファロメオで西都原古墳、神武天皇お船出の場所、等々に連れて行っていただきました。私は子どもの頃から奈良にはよく訪れています。奈良では地面から古代の猛烈なエネルギーが放出されているようにいつも感じます。同じようなエネルギーを九州にも感じましたが、こちらは大らかな空気に包まれるような偉大さ。そして臼杵への小旅行。こちらでも古き時代にコツコツと作られた石仏たち(燃やして光るものさんに連れて行っていただく)、そしてお寺が建ち並ぶ町並み。今なお静かに時が過ぎていました。

 延岡の町は小さく、思わず「ここは繁華街ですか?」と質問。「まぁ、一応そうですね。」という答え。人が少なくていいです。新宿や渋谷のようなかき回したような街の中で過ごすのと(いつもそんなところにいるわけではなくても)、延岡のような穏やかな街で暮らすのでは(延岡だけには限りませんが!)人生変わるだろうとつくづく思いました。また、おいしいお寿司屋さんがあるんですねぇ。ご主人もおかみさんもいい方で、3晩通いました。毎日おいしい食材を口にしていると、幼い頃からホンモノのおいしい味で育つことは人格形成に大きく影響するだろう、と強く思いました。我が家の子どもたちにもいつもできるだけ新鮮でおいしいものを食べさせてやらなくちゃ、と。

 時と場所は変わり、8月に入って芦屋病院コンサート。−そうそう、その前に、前日野田さんの運転する車で大阪入りしましたが、途中プールをひっくり返したような大雨に遭遇し、休憩に立ち寄ったSAも停電、というハプニングもありましたっけ。−それはされおき、月に一回の芦屋病院院内コンサートには地元のファンもできているようで、院外からも多くの方が来てくださいました。もちろん今回は野田さんのお知り合いもたくさん。病院は芦屋の高台にあり、窓からの景色も心を潤してくれるものでした。副院長先生も大変暖かいお人柄で、我々のやり方を静かに見守りながら、準備や案内をしてくださっていました。

 ところで、芦屋病院のピアノは真っ黄色!(カバーも真っ黄色!)ある方から幸福を運ぶピアノとして寄贈されたものだそうです。そのピアノの贈り主(詩人)が開演直前に野田さんのところを訪れてくださいました。なんと!野田さんのお知り合いだったのです!野田さんもビックリ。そこで急遽、アンコール「夢のあとに」のあとに、詩の朗読をお願いすることになりました。この朗読が生きる事への希望を会場いっぱいに伝えてくださり、うしろで聞いていても感動しました。巡り合わせの不思議を感じました。

 こすぎさんに連れて行っていただいた明石のすばらしいお寿司屋さんで、瀬戸内海の味を堪能悶絶した翌日は、朝から絶品おかき屋のみゅうさんの車で城崎へ移動。芦有道路を通って北上しました。途中、私の父方の祖父の故郷である出石(いずし)という町を通って行きました。私が最後にお墓参りに行ったのは中学生の時。村の名前とその時に見た光景だけは覚えているのですが、時間もないと思っていたので正確な場所を確かめてくることもしなかったので、結局わからずじまい。でも、山、川、田んぼの広がる風景の中で祖父は幼い頃を過ごしたのだなぁと田舎の空気をいっぱい感じてきました。

 さらに感動したのは、その村には祖父の寄付によって作られた小さな石の橋があるのですが、その橋とそのそばにあるお墓を、城崎に連れて行ってくださったみゅうさんが、後日私のお知らせした地図からわざわざ探し出して写真まで撮ってきてくださったことです。写真でではありますが、まさか今回、橋やお墓を見られるとは思ってもいませんでした。近くを通りがかって、私の祖父が喜んでくれた結果なのかな、と感慨ひとしお。ありがとうございました。

 城崎での西村屋ホテルは古くから有名な老舗旅館。「招月庭」は広い自然の中にうまく溶け込んで建っていました。このホテル恒例である食事とコンサートの夕べ(今回のタイトルは「知られざるコントラバスの名曲と和会席の夕べ…このタイトルの名付け親はホテルの若手総支配人…センス抜群!)での演奏会、日本旅館ならではの広くて落ち着いた客室、演奏会後の美味な食事、温泉、等々…を、短い時間でしたが、野田さんやこの演奏会に一緒に出演したコントラバス界の美女E子さんと共に堪能しました。(あ、もちろん温泉は野田さんとは別に堪能、です!)

 一日飛んで横浜美術館での演奏会。野田さんを取り巻く多くの方々にもお目にかかれ、この夏の野田さんツァーを終えることができました。演奏会後の打ち上げでも、それまでにも、昨年にも、何度も言いましたが、野田さんのそばにいると美味しいモノが食べられます!そして、さらに、個性的な方々とお知り合いになれます。個性的、とは変人、ということではありません(念のため)!それぞれいろいろな個性を持った方々と接することで、その方々の人生、生き様を垣間見ることができます。大阪で偶然に入ったお店のお兄さんにさえその人生を見ました。このような「出会い」を大切にし、自分自身の感性をもっと磨き、受けた刺激を消化できるようになりたいものです。

 「出会い」と言えば、同じタイトルの歌(しゅうさえこ作詞作曲)が、10月3日町田女声合唱団の定期演奏会て、作曲者自身の棒で演奏されます。(ピアノは私)…と、さりげなく宣伝したところで、まだまだ書き落としたことがたくさんあるような気がしますが、この夏のご報告はオシマイ!!野田さん、みなさま、ありがとうございました!今後とも末永くよろしくお願いいたします!! 
 


C#のバルコニー(宮崎市内海)にて
うしろに見えているのが巾着島

いつもすばらしいおもてなしをしてくださるC#
「これからもこの青い空からC#に小さな幸せがいっぱい降ってきますように!」(祈)
(40)チェンバロ事始め(2004年 7月15日) 
 このページの更新もなかなかできず、書きたいことがある時にも、つい日常に追われ、書く時期を逸してしまうことの連続です。書こうとパソコンに向かっても、文章がうまく書けないのでそのままボツになることもしばしば。

 さて、昨日はまた新たな出来事があったので時期を逸することなく書いてしまおう、と少々意気込んでいます。楽しい出来事でした。

 また〜?と言われてしまいそうですが、始めることにしました。今度はチェンバロ。このことを周囲の人に話すと必ず「オルガンは?」と聞かれます。やってます、オルガンも!これからもやります、オルガンも!!

 数ヶ月前に、知り合いのガンバ奏者の方にチェンバロをやりたいのだけれど、どなたかお知り合いでよいチェンバリストの方を知りませんか、と聞いたところ紹介していただいた古賀裕子さんというチェンバリストのお宅に昨日伺って参りました。オランダで勉強され、最近までオランダ在住だった方で、日本でも3年前からバッハの全曲演奏会(全10回予定)を続けられています。通されたリビングにスマートに置かれているオランダ製のチェンバロを早速弾かせていただきました。ちょっとしたコツを伺いながら少しタッチに慣れてくると、とても優しくて繊細な綺麗な響きがして、少しチェンバロらしい音が出せました。こうなるとウキウキした気分になってきます。

 学生時代にさわった楽器はこんな感触ではなかった、と話すと、きっとそれはモダンチェンバロでしょう、ということ。強く作られた楽器で楽器の中には金属が使われ、弦も強く張られた楽器が流行った時代もあったそうです。どの楽器も、ある時代にはより大きな音量や音質の強さを求められ、「発達」したようです。

 いつも大きな金属のフレームや金属のピンがたくさん並ぶピアノを見慣れている私にとって、チェンバロをあらためて近くで眺めると、ほんとうに一つ一つの細かい木の部品によって組み立てられた手作りの楽器。新鮮でした。小さな爪で細い弦をピンッとはじく繊細さ。思わず大事に弾いてあげるからね、といたわりたくなるような気持ちになりました。指先で弦をはじく感触を感じながら響かせるとほんとうに心地よい響きがします。久しぶりのチェンバロ体験でした。

 問題はオルガンと同様、家に楽器がないことです。オルガンよりはチェンバロの方が家に置く現実味はありますが、それでも我が家には大きなグランドピアノがあるだけでもうどこにもスペースはありません。どのように練習すればよいかと尋ねると、音の強弱の出ない鍵盤(簡単な電子ピアノ…クラビノーバはタッチによって音の強さが変わるのでだめ)オルガンで練習するのもよい、とのこと。もともと、ピアノよりもチェンバロとオルガンは近い存在なので、奏法など共通の部分を見つけて、一石二鳥で少しでも上達できるといいなぁ、と欲張りになります。

 娘に「オルガンは?」と聞かれたあと、さらに聞かれたこと。「ピアノは??」・・・やります、ピアノも。やらなくちゃ、ピアノも…。
(39)友達の輪−満2歳!(2004年 4月18日) 
 うっかり忘れて過ごすところでした!早いもので、今からちょうど2年前にこのホームページをはじめたのでした。2年もの間、だんだん更新回数が減ってきてはいますが(^^;)、皆様のおかげでここまで止めずに続けてくることができました。

 演奏会案内を掲載することを第一の目的として始めたホームページでしたが、私にとってホームページを通して、実にたくさんの方と知り合えたことが大きな収穫でした。よその掲示板を訪ねることや、我が掲示板を訪れてくださる方と交流を持つことで、多くのいろいろな方々と知り合い、共通の関心事で知識をもらったり、盛り上がったり…また、私を中心として知らない人どうしが知り合いになるお役に立ったり…そして、ネット上にとどまらず実際に会うことで、もっと深く、密に(?)おつきあいできるようになった方もいらっしゃいます。私の演奏を遠方から聴きに来てくださったばかりか、お手製の美味しいケーキまでいただいてしまったり(嬉)…等々。

 2年前に思いきってこのホームページを開設したことは、私の人生に様々な大きな影響を与えてくれています。そう思うと、この2年のことも感慨深く思えて涙が出そうです。(←これはちょっと大げさ!!^^)これまでにネット上で交流のあったすべたの方々に感謝するとともに、これからも暖かい目で見守っていただきたいと、あらためてお願い申し上げます。

        満2歳になりました!
(38)桜、お花見…(2004年 4月 2日) 
 桜満開です。4月になって一気に暖かくなり、嬉しそうに花びらは開きました。…「嬉しそうに」と書きましたが、嬉しそうに見える日と、そうでない日があるのが不思議です。満開の桜を見て、昨日は、「何のために美しく咲いているの?」とどこかその美しさをもてあましているように見えていたのに、同じ桜が、「私はきれいなの!」と背筋を伸ばして誇らしげに咲いているように、今日の私の目には映ります。桜に限らず、あらゆる対象物はその時その時の自分の心を映し出すためにあるような気がします。物であっても、人であっても、音楽であっても。

 一昨年、東京はM市の、ある桜の木の下の坂道を歩いていたとき、優しい風と共にハラハラハラハラと桜吹雪が舞ってきました。私の体をとりまくように降ってきた桜の花びらを見て、「神様が手のひらからこぼした幸せを浴びているみたい!!」と乙女チックにひどく感動したものです。それ以来、桜の花は私にとって何か特別のもののような気がしてきて、毎年今の季節を楽しみにするようになりました。

 さて、昨日もその桜のある公園でM合唱団の皆さんとお花見をしました。最高のお花見日和!暖かくて風もなく、桜は満開だし、団員の方々の腕を振るった美味しい美味しいお料理はたくさんあるし、昨日の練習に合わせにきてくださっていた尺八の先生がお花見の席で演奏してくださり、生の尺八の音色を聴きながらの贅沢な風情ある完璧なお花見!!
 
 気持ちが素直でないとき、物事をまっすぐ見つめることができない時には、何も心に美しく映ってはきません。美しいものに出会ったとき、心底その美しさを嬉しく輝かしく感じられるような日々を送れるよう、何事にも馴れ合いにならず、常に新鮮な気持ちで丁寧に接していけるようにしたいと、つくづく感じた今年のお花見でした。

 それにしても、M合唱団のお花見、年々お料理の数も増え、美味しくてすばらしい!!みなさんの人柄もすばらしい!!秋の定期演奏会に向けて心を一つにしてまいりましょう!ごちそうさまでした〜!!

      
尺八の先生の生演奏!             手料理オンパレード!
   カセットデッキからはお琴の音色が…       まだまだ、この倍はありました!!


暖かい陽射しの公園にて
  Hさん   fumiko
  Iくん
 
(37)フォーハンズ -バレエとの共演- (2004年 1月21日) 
 去る1月18日、ゆうぽうと簡易保険ホールにて「松山バレエ団新春特別公演」にピアノ連弾で出演してきました。バレエの世界は私にとってはじめてしたが、本当に楽しく、興味深く、自然に気合いが入って公演にのぞむことができて幸せでした。

 バレエと言えばオペラ同様、指揮者を中心としたピット内のオーケストラの生演奏、を考えますが、今回私が出演した作品はピアノ連弾とバレエ(計4人)でステージに立つという、いわば室内学的バレエでした。最初はすでにあるイメージを持っている純音楽(F.シューベルト:四手のための幻想曲)に振り付けがつく、ということ自体に面食らいました。しかし、練習の回を重ねる毎に、振り付けの清水哲太郎氏が表現したいこと、そして、踊り手さんのやりたいことが自然に感じられるようになり、指揮者を介せず、じかに演奏者と踊り手がお互いの息を感じ取りながら、同じ方向を見て作品を作り上げていくことが、とても楽しい作業となっていきました。4人で一つのステージを作り上げることができたのではないかと思っています。

 松山バレエ団の総代表である清水哲太郎さんは、現在の松山バレエ団の先頭に立ち、皆を引っ張っている人物です。どの作品に対しても納得いくまで妥協せず、周囲に叱咤激励しながら(ワンマンともいう・・・?)、より完成度の高い舞台を作りたいがために、すべての細かいところにまで手を抜かない意気込みには圧倒されました。

 ゲネプロの時に、若い踊り手さんたちに「なんのためにやってるの?!テクニックじゃないんだよ!テクニックは手段!何を伝えたいかなんだよ〜!!」と大きな声で客席からステージに向かって叫んでおられた姿が印象的でした。もちろん、台本・構成・演出・振り付けだけでなく、現役バリバリで森下洋子さんとペアで踊り続けておられます。若い人たちどの人のバレエも素晴らしかったのですが、清水・森下ペアのバレエには、また別格のしなやかさがありました。

 舞台裏では照明、音響、舞台美術などの大勢の人々がところ狭しと、念入りな準備を進めておられ、ほんとうに夢のように美しい舞台ができあがり、その中で演奏できたことも嬉しかったことの一つです。舞台はほんとうに美しかったです。品良く、贅沢に、でも無駄なく、客席から見るとため息が出そうでした。オペラなどでも同様でしょうが、これだけの人手と労力と時間を使って作り上げられた公演なのですから、少々チケット代が高くても仕方ない、と改めて思いました。それに、少々高くとも、それだけに値する内容の公演だったとも思いました。

 また、共演した平元久美さん、鈴木正彦さんは、今や松山バレエ団を背負って舞台に立っていらっしゃる実力派。私にはバレエのことはよくわかりませんが、安定した技術と繊細な表現力、力強さ、そして何よりお二人のお人柄に惚れ込んで、大ファンになってしまいました。

 今後、こういう機会はもうないかもしれません。でも、機会があったらぜひまたやりたいものです。バレリーナさんと、信頼できる相棒である榊原道子さんと手をつないで、5階席を見上げての(実際は2階席までしかない)カーテンコールは気分最高でした!!

松山バレエ団 2004年新春特別公演 (2004年1月18日)より

Four Hands フォーハンズ/ピアノ連弾のための幻想曲
                        作曲/F.シューベルト

構成・演出・振付  清水哲太郎

舞台美術       森田友子
照明デザイン    外崎俊彦 古田毅志
衣装デザイン    森田友子
衣装製作       林なつこ 鈴木恵以子 吉田昭子

ピアニスト      加納文子 榊原道子
キャスト        平元久美 鈴木正彦
 
(36)2004年を迎えて(2004年 1月 4日) 
 また新しい年を迎えました。昨年末から次女がインフルエンザにかかったため、主人と長男長女だけで主人の実家に帰り、私と次女は二人で静かに静かに新年を迎えました。賑やかなお正月も楽しいものですが、二人のペースで好きなことをして、好きな物を食べて、それなりにとても落ち着いたよいお正月でした。(食事の支度も洗い物も洗濯も、二人分だととっても簡単に済むことも判明!)

 その静かな年末年始に、私は日頃できないようなゆっくりした時間を思う存分味わいました。テレビ番組や借りてきた映画のビデオ、そしてちょっと興味を持ってしまった月刊雑誌。それらを順にじっくり見ました!テレビ番組もよく見ればよい番組もやっているものですね。

 世の中にはものすごくたくさんの優れたものがあります。私は「普通」と比べてもモノ知らずなので、なおさら知らないこと、知らないものがたくさんあります。素晴らしいものを知らないまま人生を終えてしまうのも、せっかく生まれてきたからには残念なことです。

 日常に追われ、本番の譜読みに追われ(!)、様々な世の中のことを吸収する時間もないまま日々過ごしています。このように書くと、どんなに真面目に家事をして、どんなにたくさん練習をしている人なんだろう!と思われるかもしれませんが、そうことでもないのです。なんとなく「時間がない」と思いこんで過ぎていく日々。スケジュール表も空白があれば「空いてます〜」とどんどん埋めていってしまう。この辺りを改革して、週一回は「静かな日」を設けられれば、と思いますが・・・せめて一日一回、「静かな時間」がもてるよう努力したいと思います。

 申年です。「猿でもわかる○○」というような表現がよく使われていますが、私もお猿さんに負けないよう精一杯頭を使って、人生の機微を楽しみながら2004年を過ごしていきたいものだと思います。

 皆様にとっても幸多き一年となりますように。本年もどうぞ懲りずによろしくおつきあいのほどお願い申し上げます。
 
(35)ENSEMBLE《BWV2001》第3回定期演奏会(2003年12月 6日) 
 2003年12月5日、2年前に耳に不快さを残した第一生命ホールにて、同じくENSEMBLE《BWV2001》の演奏会を聴いてきました。今回はまず2階レフト席。前回のような不快さはなかったものの、遠くで鳴っているかんじ。広いホールだから仕方ないのかなぁ、と思って聞いていました。後半は1階席が空いていたので移動。中央少し右寄りの席でした。天井を回ってくる響きがあって、2階より断然よかった!

 ホールの響きについてはさておき、演奏の内容は、友人たちがたくさん出演しているからというひいき目ではなく、本当に素晴らしいものでした。プログラム解説も、歴史背景や楽曲の内容にいたるまでとてもわかりやすく書いてあり、かなり参考になりました。合唱は各パート2人ずつの編成ですが音の厚みもあり、いいアンサンブル。楽器群もいい音程で自由に音楽を操っている…というより、音楽に自然に操られている、と言ってしまってもいいくらい。特に田崎氏の通奏低音はいつものことながら冴えていて、全体をしっかりと引き締めるようにゆったりきっちりリズムをきざんでいるかと思えば、激しい動きで燃えてみたり、優雅に柔らかくなったり…と音楽の流れを常に支えていました。弾ききった弓の動きと共に揺れる髪がまたよかったです!

 私は、これまでにもいろいろなグループのカンタータの演奏会に足を運んだことがあります。しかし、今回はじめて、カンタータがごく普通の庶民のために書かれ、敬虔なキリスト教信者たちの日常の中で生きてきた音楽だということを、演奏を通して何故か強烈に感じました。悩みや悲しみを持った信者達が教会に集まり、これらのカンタータによって、生きる望みを求めたり、救いの道を見つけたりしてきたことでしょう。できたてのバッハのカンタータをリアルタイムで聞き、救われていった人々が羨ましくさえ思えてしまいます。現在(特に日本では?)敷居が高く感じられがちな宗教音楽ではありますが、もともとは最も身近にあったものだということをもう一度思い出して、これからも聴いていきたいものだと思いました。

 加えて、開演前に大きなクリスマスツリーを横においてのロビーコンサートは、いつ聴いてもうれしいものです。演奏家たちが、ほんとうに楽しんで演奏会を開いている空気が充満していました。昨年聴きに行かなかったことが残念に思われますが、明らかに第一回目より充実した内容となっていたと思います。また、来年も必ず聴きに行こうと思いながら、すっかり冬になった夜道を、一緒に行った娘と共に気分良く帰ってきました。

●プログラム
J.S.バッハ
Johann Sebastian BACH

Kantate Nr.196《Der Herr denket an uns》BWV196
カンタータ第196番《主はわれらを御心に留められた》BWV196

Kantate Nr.12《Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen》BWV12
カンタータ第12番《泣き、嘆き、憂い、怯え》BWV12

Konzert fuer zwei Violinen, Streicher und Basso Continuo d-Moll BWV1043
二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043

Kantate Nr.80《Ein feste Burg ist unser Gott》BWV80
カンタータ第80番《われらが神は堅き砦》BWV80

(34)Weekend Concert in 田園都市(2003年11月23日) 
 昨日、横浜市青葉区にあるカトリック藤が丘教会にて、バロックコンサートを聴いてきました。このシリーズは今回30回記念を迎えましたが、リコーダーの山岡重治さんとヴィオラ・ダ・ガンバの平尾雅子さん(ご夫婦)が中心になって13年間続けてこられたものです。

 余談ですが、この平尾さんご夫婦の一人息子さんとは、我が家の長男が中学の時に同級生だったこともあり、平尾さんとは母親同士としても親しくさせていただいています。(最近は学校も別々になりなかなかお目にかかることもありませんが)演奏中の平尾さんは凛々しく、溌剌として、知的で大変美しい!といつも感心して憧れていますが、平生の平尾さんもそのままの方です。明るく大らかでさっぱりとしていて、なおかつ繊細、といった素晴らしい方です。

 さて、昨日のコンサートですが、藤が丘教会の素晴らしい音響と大勢の聴衆の中、演奏者一人一人の確かな技術と洗練された音楽性が集まって、どの作品も大変質の高い演奏で、しかも楽しめる演奏会でした。演奏者の皆さんも心から演奏を楽しんでいらっしゃるとお見受けしました。歌は現役芸大生ということでしたが、キャリアある器楽奏者たちに劣らず、すばらしい歌を聴かせてくださいました。特にカウンターテナーがよかった!今、芸大にカウンターテナー専攻ってあるんでしょうか??

 プログラム最後のカンタータ第106番では、始まって間もなく、西澤さん奏するヴィオローネの弦が切れてしまうというハプニングもありましたが、和やかな雰囲気の中再開され、歌4人のアンサンブルも素晴らしく、さらに器楽の音と調和されて本当に充実した演奏でした。その演奏を聴いていて、私のお葬式の時に流してほしい曲のリストにこのカンタータ第106番が追加されました。お葬式の時に、出前演奏を頼むことは無理でしょうから(笑)せめて昨日の録音をいただいておこうかな?

 カトリック藤が丘教会はとても落ち着いた雰囲気で、響きもよく、さらに会場に入ったときから2002年に設置されたというパイプオルガンが気になって仕方ありませんでした。いつかここであのオルガンを使わせていただいてコンサートができるといいなぁ・・・と。

《プログラム》
・シャイト(1587-1654)       舞踏組曲集(1621)より
・シュッツ(1585-1672)       どのような時も私は主をほめたたえます
・ブクステフーデ(1637-1707)   胸について カンタータ「我らがイエスの四肢」より
                     ヴィオラ・ダ・ガンバとヴィオローネのためのソナタより ニ長調
                    主に向かって歓呼せよ

・J.S.バッハ(1685-1750)   トリオソナタ ト長調 BWV1039
・J.S.バッハ           カンタータ第106番「神の時はいと良き時なり」

《演奏者》
・ソプラノ           藤崎美苗
・カウンターテナー     上杉清仁
・テナー            水越啓
・バス             渡辺祐介
・リコーダー          山岡重治、本村睦幸
・ヴィオラ・ダ・ガンバ    平尾雅子、譜久島譲
・オルガン・パーカッション 上尾直毅
・チェンバロ          下山真理子
・ヴィオローネ         西澤誠治
 
(33)オルガン苦戦!(2003年11月12日) 
 「音の小箱vol.4」を無事終えることができました。演奏会に限らず、何事も真剣に取り組んでいることについては、それだけ大変な思いもして、行き詰まったり、パニックに陥ったりもするけれど、その分一つの地点に辿り着いたときに充実感、安心感、幸福感を得られるものだと感じているこの頃です。

 一段落したところで、今度は先月より習い始めたパイプオルガンにちょっと専念してみようかと思っているところです。レッスンは月に2回程度、そのほかに楽器を家に持っていない学生もいるということで、校内のオルガン部屋はオルガン科の学生、副科で専攻している学生、音楽教室の生徒(←私はこれです)で時間割を決めて使えるようになってます。学生が優先ではありますが、私もしっかりレッスン時間の前に1〜2時間と、そのほかに週に2日間それぞれ2時間ほどの枠をおさえました。先生は芸大で2年後輩にあたる荻野由美子さん。現在、活躍中のオルガニストです。

 さて、受けたレッスンはこれまでに2度ですが、かなり苦戦しています・・・!「鍵盤」というピアノと同じような顔を持っているオルガンですが、弾いてみると実は全然違う。考えてみればもっともな話で、ピアノは指を使って弦を響かせる楽器、オルガンは指を使って笛(またはラッパ)を吹く楽器、というまったく違う構造でできているからです。繊細な指先のコントロールは、ピアノのそれとはまったく違っていて、ひとつの表現をしようとしたとき、ついピアノの癖が出てしまいます。「違う、違う」と思って頭で考えてコントロールしようとすると身体は固くなり、音楽はどこへ行ったの?という世界に行ってしまう。語る内容は同じでも「ピアノ語」と「オルガン語」の両方を使い分けられなければならないということのようです。

 現在、フランクの小品とブラームスのコラールで指のレガートの練習。さらに加えて次回からは足鍵盤が入ります。この足鍵盤が大変!先生の足を動きを見ていると、まるで足に目がついているみたい。それを私が挑戦してみると、足で鍵盤を追いかけるだけでも大変なのに(もちろん鍵盤は逃げてまわりませんが)、ピアノ科の習性?なのか、3段譜を見て弾くと、足鍵盤でバスの音を弾く前に、勝手に左手でバスの音を弾いてしまう、という厄介な現象に陥ります。(泣)足と左手の関係にしばらく悩まされそうです。

 でも、まだまだ始めたばかり!先行きは長そうですが、「オルガン語」がマスター出来る日を夢見て、楽しく続けてみたいと思います。



近い将来このホールのオルガンを弾ける日がきます(^^)
(32)オルガン事始め(2003年 9月20日) 
 盛り上がった夏の宮崎、私は演奏会の会場となった「日本福音宮崎ルーテル教会」にてオランダ製の素晴らしいオルガンに出会いました。

 本番前日、リハーサルのあとに少しさわらせていただけたのです。大学時代には副科として、チェンバロかオルガンを選んで取ることができたのですが、その頃の私はチェンバロの方に興味があったので、今までオルガンにさわる機会もありませんでした。鳴らしてみると身体に響いてきて感動!足鍵盤を使わないときは踏んで音を鳴らさないように、と「腹筋のいる楽器だなあ…」と思って足を宙に浮かせていたら、ちゃんと足をのせておくスペースが隠されていたり・・・(隠されていたわけではなくて、気がつかなかっただけなんですけど)ストップを適当に動かしては変化する音を楽しんでみたり…ほんの少しの時間でしたが、貴重なひとときを過ごさせていただきました。

 そのひとときの体験が忘れられず、横浜に戻ってから友人にオルガン科の方を紹介していただき、その方が現在指導していらっしゃるという某音楽大学の付属音楽教室にて習ってしまおう!ということに決めました。

 そして、今日その面接がありました。面接会場に行ってビックリ!!面接官は、作曲科の一年先輩(室長をやっておられる)と、ピアノ科で同門の一年後輩だったのです!部屋に入るなりお互いに「どうして〜?」とそれからしばらくおしゃべりタイムとなり(一応面接なので、入室希望の理由は述べてきました!)「一番優秀な生徒さんになってくださいね〜」とプレッシャーをかけられて帰ってきました。

 おまけに構内で、その大学で今おしえているピアノ科の同級生にもバッタリ出くわして、母校でもないのに、狭い世の中だこと!と痛感して帰ってきました。

 今日はまだそこまでです。レッスンは10月から始まる予定ですが、室長先生のお話ではどうもその大学の大ホールのオルガンを使っていつもレッスンしているようですよ、とのこと。もしほんとうにそうなら、それだけでも儲けた気分です。


宮崎ルーテル教会のパイプオルガン(左奥)
(31)夏の思い出(2003年 9月10日) 
 残暑厳しい頃となりましたが、夜になると虫の声も涼しく、季節が移ってゆくのを感じる頃となりました。昨夜は6万年ぶりという月と火星のランデブーの夜でした。不覚にも私は見なかったのですが、今朝大阪にいる友人(主人の親友の奥さん)から「石器時代以来のシチュエーションに感激しました!」とメールをいただき、昨夜見なかったことを残念に思うと共に、彼女がその気持ちを私に伝えてきてくれたことをとても嬉しく思いました。

 さて、今年の夏は私にとって怒濤の季節となりましたので(笑)、やはりここに書き残さないというわけにはいかないかと思って、書き始めています。

 すべては野田一郎氏というコントラバシストの方と一緒に演奏会をさせていただいたことに始まるのですが、まずは野田氏との出会いについて、8/9横浜青葉台での演奏会プログラム「ごあいさつ文」から・・・

・・・・・野田さんと私は、同じ東京芸大を卒業しております。学生時代は私が野田さんのことを一方的に存じ上げていただけで(有名な先輩だった!)ちゃんとお話したこともありませんでしたし、もちろん共演させていただいたこともありませんでした。しかし昨年、偶然にもお互いが興味を持った、音楽とはまったく関係のない『万華鏡』のホームページをきっかけに私と野田さんはインターネット上で出会うこととなったのです。

 私と野田さんは顔の見えない、声の聞こえないヴァーチャル(仮想)の世界で出会ったわけですが、その後フランクフルトから一時帰国された野田さんとお会いする機会にも恵まれ、事態はヴァーチャルから現実のものへと変わってきました。この夏にも一時帰国されると知った私は、昨年一度だけお目にかかったときに聴いた野田さんのコントラバスの美しい音色と音楽を、ぜひ私の周囲の方々にも聴いていただきたいと思い、横浜での演奏会開催をメールでお願いしたところ、すぐに快くお引き受け下さり、今日の演奏会開催が叶いました。 

 今回の準備のための数回の合わせと、先日(7月末)に演奏会のためにご一緒させていただいた宮崎で私の見た野田さんは、コントラバスの奏法に関して常に向上心を持って自らの道を切り開き、さらに後進の指導にも惜しみなく情熱を注がれているばかりでなく、実に様々なことに対して深く鋭い洞察力と好奇心とこだわりを持ち、そしてまた、少年のような一面のある、大変魅力的な方でした。野田さんとのヴァーチャルの世界に始まった交流が、血の通った生きたものに変わり、この度共演させていただけることになったことを、心から嬉しく思っております。・・・・・

・・・といういきさつで横浜でのコンサートをお願いしたところ、宮崎でも演奏会を依頼されているけれど、まだピアニストが決まっていないのでできませんか?という思ってもいなかったお話!「宮崎に行ける!」と即OKしました。この結果、7/26宮崎、8/9横浜青葉台、8/22新宿3丁目、の3回を同じプログラムで共演させていただくことができ、音楽的にも、精神的にも大きな収穫を得ることができました。

 野田さんを語るにはまず『黒魔術団』と呼ばれる、コントラバスを愛し、野田さんを取り囲む怪しげな(?)集団をご紹介しなければなりません。野田さんご自身については、上記プログラム抜粋にも書いたとおり、すばらしい音楽家であり、また、大変に魅力的な生き方をなさっている方で、私も大きな影響を受けましたが、『黒魔術団』メンバーの方々も、実に多彩な方々で、年齢も職業も様々。名前は怪しげですが、野田メトーデというコントラバス奏法について学び考え続けている真面目な方々の集まりです。ほとんどの方がアマチュアなのですが、この方々のパワーがものすごいもので、音楽や楽器に対する貪欲なほどの探求心はプロと呼ばれる音楽家も見習わなければならないのではないか、と思われるものでした。演奏会後のパーティーにおいても、我先にとばかり楽器を手にして大勢の前で何人もの方々が演奏されていたのには圧倒されました。3回の演奏会にも、そのお仲間の方々が大勢集まって来られ、私も多くのすばらしい方々とお知り合いになれました。

 また、『黒魔術団』以外の方々でも、特に宮崎ではアマチュアのオーケストラの方などとも多く知り合うことができました。練習の合間に連れて行っていただいて見た宮崎の海、空!そして毎夜の宴会で美味しい食べ物と飲み物(焼酎!)にうずもれながら、皆さんと楽しく語り合えたことは、今後の楽しみにつながることとなりました。これからも懲りずによろしくお願いいたします。

 横浜でのコンサートを依頼したときには、こんな盛り上がる夏になるとはまったく予想もしていませんでした。笑われるかも知れませんが、今となっては前回の『ちょっと寄り道』で書いた「銀座の天使」パワーが運んでくれた幸運だった、そう確信しています!生まれてはじめて訪れた宮崎ではいろいろな素敵なものと出会うことができました。中でも、焼酎「百年の孤独」、アブサンは刺激的幸福でしたネ!?

  新たに多くの人との暖かいつながりが生まれ、音楽することの楽しさを再確認し、宮崎の広がった空のように、そして新宿3丁目の不思議な自由空間(^^)のように、私の心も開放された夏でした。この夏だけでなく、これまでの私に影響を与えてくださった多くのみなさんに深く深く感謝しながら、大好きな季節、秋に向かいたいと思います!

 
右から
宮崎でずっとボディガード(?)を務めてくださった燃やして光るものさんと野田さん、
そして 私たちのアイドルkonyちゃん、と私(新宿RUINSにて)
(30)銀座の天使(2003年 7月 8日) 
 私が東京銀座の街に出たとき、必ず立ち寄るお店があります。某デパートのアクセサリー売り場。そこには Lucy Too collection というコレクション・ブランドで、ニューヨークの女性デザイナー達が天使やバラ、ハートなどをモチーフとして創ったひとつひとつ違う作品がところ狭しと愛らしく華やかに並んでいます。ひとつひとつ見ていると夢の世界に吸い込まれていくようです。

 もちろん、いつも見るだけです。しばらくながめて幸せな時間を過ごしては、いつもいる優しくて穏やかな店員さん(←この人がまた感じよくて大好き)の「またどうぞ」という声に送られて気分良く店を去ります。

 昨日、友人に会うため銀座に行きました。彼女も昨年私がそこに連れて行って以来、その店のファン。別に予定していたわけではなかったのですが、会うなり私たちはその売り場へ直行。感嘆しながら眺めまわしたあげくに、ついに二人共買ってしまいました!私のは天使とバラとハートと鍵のぶら下がったネックレスとイヤリング!!

 その日の朝までこの梅雨空のような気分でいた数日がウソのように、天使と共に帰る頃には雨もあがり、私は不思議に元気いっぱい、超プラス思考に戻っていました。「明日が楽しみ〜」っていう気分。

 衝動買いしてご機嫌がよくなっただけだろう、なんて思わないでください。私はその天使たちがパワーをくれてずっと見守ってくれる、と信じているのですから・・・!! 

(29)「二人で…Z 宇宙」を終えて(2003年 6月25日) 
 何事も時がたてば終わるものです。当たり前ですが、つい一週間前には未来のことで、どうなるかもわからなかったことが、あっと言う間にすでに過去のこととなってしまいました。

 6/20演奏会当日の「プログラム・ノート」にも書きましたが、今回のプログラムは演奏会を企画した時点でホルストの「惑星」をやってみよう、ということになり、宇宙的なもの、というところから、組み合わせる曲としてラヴェルを選びました。私たちの決めることですから、はじめはそれほど意味があるわけではなく、いつも直感とわがまま(笑)です。

 実を言うと、「惑星」という作品に対して、どちらかというと派手でチャラチャラしたイメージを持っていました。金管がやたらめったらパッパラパ〜と鳴らして楽しんでいる!あ〜〜、金管奏者の方々、ほんとにごめんなさい!じゃあ、どうしてそんな曲を選んだの?って?楽譜、高かったんです…使わなきゃもったいない。まあ、もちろんそれだけではありませんが、決めてからもピアノでどこまで演奏できるのかと少々不安を持ちながら楽譜を読み進めて行きました。

 いろいろなオーケストラのCDを聴いてみました。でも何か違う・・・。私は思います。他人の演奏を聴いて、何か違うな、と思える時は、意識していようがいまいが、すでに自分の中に一つの理想像があるときだ、と…。その時に出会った演奏が(27)でご紹介したハイティンク指揮のCDだったのです!何気なく選んで買ってきたCDをお皿洗いしながら聴いていたのですが、「これだ!!こういうことだったんだ〜!!」と、勝手に自分で作り上げていたイメージがめらめらと崩れ落ち、それまでおぼろげに見えてみたものがはっきりとして確信が持てるようになりました。

 音のひとつひとつ、音楽の筋書きが、すべての人間の持つ様々な要素を立体的に表現していて、みるみる面白くなってきました。全曲を通して演奏してはじめて完成する作品であるとも思います。「木星」だけ「火星」だけ、と取り上げる場合が多いのですが、それだけでは、ホルストの意図した音楽としては成り立たないものだと思います。

 また、「金星」「土星」「海王星」の静かな曲が、オーケストラよりピアノに向いているのではないか、という発見。我が家の長女きなこもちが聴いて「土星ってこんな曲だったんだってはじめてわかったよ」と言ってくれました。ただ、彼女はいつもオケ版では「土星」になると眠くなって寝てしまい、ちゃんと聴いたことがなかっただけなのですが…

 後半プログラムのラヴェルは私の大好きな作曲家の一人です。繊細、精巧、艶っぽく、ユーモアセンスがあって、笑い顔でいながら心で泣いている…このラヴェルがなんとホルストとほとんど同じ時に生まれているということをプログラムを決めたあとで知りました。(まったく不勉強なピアニストですみません)そして、どちらも第一次大戦の中を生きて、戦争や平和に対する鋭い主張を作品の中で訴えていた、という見事な取り合わせ!!

 さて、聴いてくださった方々がどのように受け取ってくださったかは定かでありません。しかし、50分に渡る長大な曲「惑星」もそれほど長く感じなかった、といって下さる方も多く、ホッとしています。

 何にしても、2台ピアノって体力使います。いばるわけじゃありませんが、二人で弾くから楽なんだろう、なんて冗談でも思わないでくださいね!楽なところも確かにありますが、テクニック的にもソロ以上に難関な箇所が頻繁に容赦なく出てきます。もちろん、音量も弦や管の人とのアンサンブルの時に比べたら7倍以上?(←根拠のない数字)必要ですしね。だから、両方できることは、私の中のいろいろな部分を違う神経を使って表現することができて、この上ない幸せ。

 さて、次の大きな本番のお相手は大〜きな弦楽器ですが、この場合もピアニストはかなり繊細でないと務まらないのです…。気分を入れ替え、またまた楽しみたいと思います。
7/26宮崎と8/9横浜青葉台をどうぞお楽しみに!

(28)音と絵と…(2003年 6月17日) 
 昨日、表参道で開かれている日本画家、鈴木龍郎氏の個展を訪れました。

 第一印象、なんてピシッとした絵!じっと見ているとドキドキしてきました。思わず襟を正して「私も一生懸命生きよう!ようし、今度のコンサートもビシッとやるぞ〜!」という気持ちになりました。

 また、この掲示板でもお馴染みのダヴィデヒデ氏が友情出演で画廊にてミニミニコンサート。武満徹の歌曲を3曲披露してくださいました。これまた心にしみるいい演奏でした。もっと聴いていたかったです!(仕事があるので…とさっさと荷物をまとめて「歌い逃げ」して行かれました!)

 音と絵が共存する空間。私と堀あゆみさんで続けているシリーズの《音の小箱》では毎回ひとつのイメージとして一枚の絵画をピックアップし、当日もみなさまにその絵を見ていただけるようにしているのですが、今回のように、たくさんの絵に囲まれ、その中で音楽を聴くということは、大変なパワーが生まれて来るものだと実感しました。もちろん、そのどちらもが洗練された質の高いものだったから、相乗効果も抜群だったのでしょう。

 このところ、コンサートの準備と日常の両方に追われ、心身共に慌ただしく過ごしていましたが、おかげで活力をもらってくることができました。これで明々後日のコンサートはバッチリ!?

【鈴木龍郎展】
2003年6月16日〜22日
※11:00〜19:00(最終日17:00まで)
始弘画廊 03-3400-0875
地下鉄 表参道駅B3出口から徒歩3分
注:残念ながらダヴィデヒデ氏の演奏は16日限りのようです。

(27)火星−Mars,the Bringer of War(2003年 6月 3日) 
 来る6月20日シリーズ音戯奏詩第十二章「二人で…Z 宇宙」で演奏するホルスト作曲「惑星」の第一曲目「火星−戦争をもたらすもの」。弾いていると、戦争に向かう怖ろしい足取りや寂寞とした廃墟が背後に浮かんでくるようで、背筋がヒンヤリとしてきます。

 しかし、この曲を『戦争否定』の音で演奏してくれている団体は少ない…!!みんな勇ましく「戦争ってカッコイイね〜!」って演奏しているように聞こえる。そんな風には弾きたくない…!

 もうご存じの方が多いとは思いますが、一応念のために。
 ホルスト:組曲「惑星」は7つの曲から成っています。それぞれのタイトルを…

 1.火星−戦争をもたらす者  Mars,the Bringer of War   
 2.金星−平和をもたらす者 Venus,the Bringer of Peace
 3.水星−翼のある使者 Mercury,the Winged Messenger
 4.木星−快楽をもたらす者 Jupiter,the Bringer of Jollity
 5.土星−老年をもたらす者 Saturn,the Bringer of Ole Age
 6.天王星−魔術師 Uranus,the Magician
 7.海王星−神秘主義者 Neptune,the Mystic
(注:この曲が作られた時には、まだ冥王星は発見されていませんでした。)

※お薦めCD…ハイティンク指揮/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 〈UCCP-9436〉 


(26)魔のスポット?!(2003年 5月10日) 
 昨日、建築家のN先輩とMくんに会う機会に恵まれました。大学卒業以来の再会でした。久しぶりの会話が弾む中、N先輩が建築に関わったという「第一生命ホール」のことに話が及びました。

 「第一生命ホール」は現在、都営地下鉄大江戸線勝どき駅から少し歩いたところにある、まだできて2年ほどのホールです。近代的な建物の中の楕円型ホール。どの席からもステージが見やすく、広がりのある空間。

 私はそこに一度だけ演奏会を聴きにいったことがあります。2001年のこと、ちょうど私の同級生たちが《ENSEMBLE BWV2001》を結成し、その旗揚げ公演が第一生命ホールで行われたので、楽しみに訪れたのでした。その日は広いロビーにチェンバロが置かれ、当日の出演者たちが開演前から演奏を楽しませてくれる、という贅沢でなんともサービス精神旺盛な気持ちよい始まりでした。

 私の指定席はたしか2階正面席の2列目中央より少し上手寄り。ステージもよく見え、いい席でした。…とはじめは思いました。プログラムがはじまり、バッハのカンタータ、ブランデンブルグ協奏曲などが演奏されたと思うのですが、聴いていると耳の中に何か邪魔者が入っているような感覚になってきて、頭を振ってみる…変な感覚。もう一度しっかり聴いてみようと耳を澄ましてみる…でも、自分の場所まで音が聞こえてこないわけではないし、ホール内に響いてないわけでもないようだ…うまく説明できないけれど、後頭部が異様に疲れてくるのです。どうもおかしな空間にはまってしまったという実感はあるものの、一体これはなんだ??とそんな経験ははじめてで、流れている音楽はいいはずなのに、結局演奏に集中できず、疲れるだけ疲れて会場を後にしたのでした。

 演奏者の何人かの方にはそのことをお話したのですが、ほかのお客様からはそのような話しは聞かない、ということで、私はあの時自分の耳が、頭が、おかしかったのか?とそれ以来第一生命ホールには悪い印象が残り、面白そうな演奏会があっても、第一生命ホールから遠のいてしまっていました。

 その話を早速N先輩にしてみたところ、興味深そうに私の話を聞いてくださったあとに「実はアンケートで同じような意見があった」ということ。どのホールにもそういう場所があってもおかしくないということ。ちゃんと調べれば直ることだから、と私の座った座席を手帳にメモしてくださいました。Mくん曰く「壁のどこかを蹴っ飛ばして穴でもひとつあければ解決するんだよ」。もちろん、これは冗談ですが、でも、そういうことなのですね。

 演奏会中約2時間を、音の波と波の交差する魔のスポットに入り込んでいた私。考えてみれば空いている別の席を見つけて、ちょっと移動すればよかったことなのですが、N先輩の話を聞いた今は、ずっと心のどこかに気になってひっかかっていた思いも晴れ、おもしろい体験だったと思えるようになりました。また、同じ大学で学んだ美術学部の人たちと、こういう場で共同作業をしているのだという事実(いいホールがあって演奏が成り立つ=いい演奏があってホールが活かされる)をあらためて感じることが出来、ちょっと嬉しい気持ちになりました。

 これからは、あちこちのホールに行ったら「魔のスポット」がないか、とさがしてみたくなりそうです!?もちろん、もう恐れずに第一生命ホールにも行ってみたいと思います。

 
(25)満1才(2003年 4月17日) 
 演奏会案内を載せたい、と始めたこのHP。気がついてみれば、皆様のおかげで明日で満1才を迎えます。

 いつも掲示板に投稿してくださる皆様、ありがとうございます。また、私の知らないところで見てくださっている方々も、ありがとうございます。(どうぞこっそり見てばかりいないで掲示板に足跡を残してくださいね)

 更新も気ままですし、内容も乏しいHPではありますが、だけはいっぱい!もうしばらく続けてみたいと思っております。今後ともよろしくお願い申し上げます。

(24)だいふくの涙(2003年 3月19日) 
 だいふくは我が家の次女。明日、小学校の卒業式を迎えます。マンガを描くことが好きな12才。このだいふく、今年になって涙を二回流しました。

 一回目の涙…
 6年生になってから受験を考えはじめただいふくは、塾のみんなに遅れを取っている分も取り戻そうと、ひたすらまじめにコツコツと(どこの子?と思えるほど)がんばって勉強しました。それはとても気に入った中学を見つけたからでした。どうしても入りたい、という意志に対して塾のある先生が「ちょっと難しいかな?」と言った言葉にも耳をかさず、「だったらやればいいんでしょ?」という、ある意味とても自分勝手な思いこみで勉強を続けていました。

 2月のはじめ、いよいよ受験が始まりました。初日に一校押さえたものの、翌日からの第一志望校には受かるまで受けようというチャレンジでしたが、1回目も2回目も振り落とされ、2回目に不合格を知った時には1時間半以上、ワーワー泣き続けていました。こんなにがんばってきたのに「なんで?なんで?」…と。

 一生懸命だった姿を知っているだけに、12才の子どもをこのような状態に陥らせる状況を作った親の責任?を深く痛く感じて自分を責めながらも、私はふと「この子がお年頃になって好きな人が出来たとき、いくら誠意を持って対しても振り向いてくれなかったりしたら、こうやってワーワー泣くのかなあ…そりゃ、大変だぞ〜」と心配になったものです。

 しかし、2回の失敗にもへこたれず、気力を持ち続けてチャレンジした3回目では無事合格でき、私の方が早々と諦めてしまっていたことをちょっと恥ずかしく思ったりしました。

 さて、二回目の涙…
 それは3月はじめ、だいふくがかわいがっていたハムスターのチビくりちゃんが死んだ時。そもそも、『だいふく』というハンドルネームは、くりちゃん(スノーホワイトという白い種類)の丸っこい座り姿が大福餅そっくりだったところからつけられた名前なのです。自分にくりちゃんの姿の名前をつけるくらい、だいふくはくりちゃんを愛して!いました。

 2歳半という高齢のくりちゃんは、お医者さんにも連れて行ってもらい、薬を飲み、注射もしてもらい、できるだけのことはしてもらいました。苦しそうにしていたくりちゃんが、朝起きたときに冷たくなっているのを見ただいふくは、シクシクと長い時間泣いていました。

 だいふくが執念で第一志望校に合格できたことによって、『自分を信じてやればなんでも成し遂げられる』という自信を持てたことに加えて、『どんなに手を尽くしても自分の力ではどうすることもできないことがある』という現実を、小さなくりちゃんが教えてくれたようで、この春はだいふくのちょっぴり成長できる時だったと思います。

 大好きだったくりちゃんは、今我が家のリビングから見渡せる池のある公園の高台のところに眠っています。くりちゃん!だいふくがお年頃になったとき、たとえ好きになった人に相手にされないことがあっても、泣いてダダをこねることのないように見守っていてね!!

(23)2003年を迎えて(2003年 1月 3日) 
 新年あけましておめでとうございます。昨年4月に公開したこのHPが初めて迎えるお正月です。このHPを通じて、「おめでとう」の言葉を交わせるお仲間も増えました。嬉しいことです。今年もまた懲りずによろしくおつき合いのほど、お願い申し上げます。

 さて、年頭、というと「今年の抱負」ですね!私は決められたことを決められた通りにやらねばならぬということが苦手な性格なので、あまり大それた抱負などは掲げたくありません。今までも「明るく生き生きと」とか「素直に情熱を持って」など、楽語の訳みたいなモットーしか決めたことがありません。今年もそれに漏れず、気楽にスタートしたいと思っています。

 今年の春には末娘が中学生になります。6年前、末娘が小学校に上がった年に、私はそれまで約10年間休止していた演奏活動を再開しました。子育てに明け暮れた生活から演奏する世界のギャップはあまりに大きく、あの一年は今思い返しても私の人生の中でもめずらしく落ち込んだ時期でした。今でも迷いや不安は山のようにありますが、末娘が中学生になるこの時期をきっかけに、また更に「一歩前進」を考えなくてはならないのかもしれません。じわじわと進めたら、と思います。

 そこで考えた2003年のMYモットー=《自分に厳しく、他人にも厳しく!》・・・???いいえ、他人さまには優しくさせていただきたいと思います!!自分に厳しく、というのも、自信ないからまずはほんの少しから・・・。と言うことで、正確な2003年MYモットーは《自分に厳しくなれますように!》としておきたいと思います。?

 それでは、本年も皆々様にとって実り多き一年となりますように!2003年最後の最後まで健康で、楽しい日々となりますように!!
  
(22)ある別れのとき(2002年12月16日) 
 暖かく穏やかな一日でした。3日前に私の母の女学校時代の友人のご主人が突然亡くなられ、今日は母に付いてその告別式に行って来ました。直接にはそれほど懇意ではなかったのですが、いつもご夫婦で私のコンサートに、そう、この間の〈音の小箱〉のコンサートにも来てくださっていました。

 喪服の母の友人は、参列した私と母を見つけてこちらまで来られ、涙を流しながら「主人はね、いつも貴女の音楽会を楽しみにしていたのよ。この間も、ぼくの知っている曲がいっぱいあったよ、と喜んで聴いたばかりの曲をずっと口ずさみながら帰ったのよ。」とおっしゃいました。私はそれを聞いて胸が熱くなりました。

 私の意識していないところでも、私の演奏を通してつながっている方がここにおられたのかと思うと、「私でも生きていてよかったのかな」と・・・。自分の生きている意味を改めて考えさせられ、新たに元気と勇気をいただくことができました。最後のお別れの時には、今日はじめて親しくなれた故人に、心の底から「ありがとう」という気持ちでいっぱいでした。

 時代を越え、国境を越え、現実の生活からも離れて、人の心と心を一体にしてくれる音楽。作曲家たちの残したメッセージを通して、私の心の叫びや安らぎの声を、ピアノの音色に託すことができれば・・・そして、それを誰かが暖かい心で拾ってくれれば・・・そうやって、少しでもつながっていられるなら・・・。そんなことを思ったひとつのお別れでした。
(21)雪の日のパン(2002年12月 9日) 
 今日は関東地方、めずらしく未明からの雪で一面真っ白です。来客の予定も雪のためにキャンセルとなり、ポンと空いた午前中・・・ほかにもやることあるのに、急にパンを焼きたくなりました。

 こんな私でも、子どもたちが幼い頃には、彼らのブラウスやスカート、ズボンはもちろん、帽子に至るまで作ったし、食生活の方面でも、ケーキやパンなど、ほぼ常時手作りしていました。台所用品を安く売っている『池商』(横浜線成瀬駅近く)という店があり、よく友人と足を運びました。パンもはじめの頃は手ごねで作っていたものの、「これだけしょっちゅう作るのなら」と、自分で自分の考えに納得し、ニーダー(パンの生地こね機)もそこで買いました。その他いろいろな大きさのボールやざる、お玉やフライ返し、お鍋、食器・・・なんということはないものばかりですが、おままごとしているように楽しい買い物でした!今でもダイレクト・メールが届きますが、最近はまったく行っていません。

 パン作りは簡単ではあるけれど、20分したら次の行程・・・また15分したら・・・と常に家にいて手をかけられる状態でいなければならないので、出かけることの多い私は最近遠のいていました。それが、今日は都合良く「パン作り」に気分もピッタシの雪!外に出るのも億劫な日は、家の中でじっくり楽しめることをしたいものです。(掃除もあるだろう〜ッ!って?・・・知らん顔・・・)

 我が家(マンション5階)のリビングには、幅二間の腰高窓があり、そこから池のある公園がすぐ目の前に見えます。白くなったその公園を背景に、降り続く雪が舞っています。その雪を見ながら久々に焼いたパンを食べていると、子どもたちの小さかった頃、まる10年間ピアノも捨てて?子育てを楽しませてもらった数々の情景が思い出されてきました。何を置いてもまず朝は公園通いから始まり、3度の食事とお昼寝をきちんとさせていた泣き虫長男の子育ての頃・・・女の子が生まれ、「この子はず〜っと大事な大事な〈女の子〉として手をかけて育てよう」と思った長女・・・と思ったら、予定外に3人目ができてそれどころじゃなくなったり・・・そして、その末娘はこれまた主張の強い甘えん坊でしたが、今ではすっかり大きくなって、私よりしっかり者に育ってくれました。

 自分で作ったふっくらとした焼きたてのパンは、形は少々悪くても、最高に美味しい!我が家特製の子どもたちも、少々出来が悪くたって最高なんだ!!・・・と思えたところで、これから長女の進路を決める三者面談に行ってまいりま〜す!!

(20)クリスマス・イルミネーション(2002年12月 7日) 
 街のあちこちで色とりどりのイルミネーションが輝き始めました。気の早いデパートなどではもう11月中からサンタさんが壁にぶら下がっていて、あれじゃ筋肉痛になってしまいそう・・・!!最近ではデパートやレストランだけでなく、個人のお宅でもかなり派手なイルミネーションが名物となって、わざわざ車で見物人が訪れるほど有名になっているところもあるようです。

 我が家にも、宗教大ッ嫌いなのに、クリスマスになるとツリーや窓辺のイルミネーションに勢力を注ぎ込み、飾り立てる同居人が一人います。カナダ出張の度に「安く買えるから」とこれまでに買い溜めてきた電光ネットや飾り物、背丈ほどのツリー(これは日本で購入)etc.etc...。それらの電飾はタイマーにより夕方4:30になると自動的に点滅を始め、夜中じゅう働き、明け方自動的に消えます。私もキラキラ光る物が大好きな人間ですので、決してイヤなわけではないのですが、チカチカと光っているツリーの点滅に、どこかむなしさを感じていました。

 昨年の年末、誰もいない夕方、私はクリスマス・オラトリオが聴きたくなってCDをかけていました。すると、出だしのトランペットが華やかに鳴り始めた時、バッハの音楽は、なんと点滅を始めたツリーの光に作用したのです。白けていた点滅は、私の中で突然「歓喜の光」と変わり、私は急にうれしくなってきました。「そうか!神を祝福する歓びのピカピカだったんだ!!」神を信じる人々の「万歳!万歳!!」という心の躍動感とツリーのイルミネーション・・・それが正しいかどうかは知りませんが、私はそう思ったのです。そして私はそれ以来、白けた気持ちでイルミネーションを見なくてすむようになりました。・・・偉大なるバッハ!!

 今年もそろそろ、我が家もピカピカ光り始めると思いますが、バッハを聴きながら、その光の中に身をうずめてみたい?と思います。でもねぇ、せっせと景気良く飾ってくれるのはいいのですが、12月26日という年末の慌ただしい時に、絡まった電飾の線をほぐしながら片づけるのは、毎年私の仕事なのです・・・!
(19)級友たち(2002年11月30日) 
 今日、たった今、高校時代の友人たちとかなり早い忘年会?を終えて帰ってきたところです。同期がたったの40人という中、1/8の5人が新横浜に集合しました!クラス会ではなく、ちょっと声をかけ合った、という忘年会です。ピアノ科2人、弦楽器3人(男2人、女3人の組み合わせ)という科を越えた話題にもっともっと時間がほしいくらいでした。

 私の通っていた高校は各学年40人という極めて少人数の、それも各人かなり個性のある集団。しかし、音楽に対する思いはそれぞれに熱く、それは卒業してン十年経っても・・・否、今だからこそ同じ思いや、今自分の相対している音楽界への疑問など、そして日常の生活に渡るまでを素直に語り合えて、それはそれは楽しい時間を過ごすことができました。自作の万華鏡も見せたらすごく感動してくれたし!!!(わかってくれたかな?真の素晴らしさを!)

 ・・・それ以上は語れない・・・!大切にしたい仲間たち。新横浜で集まった、という便利さが何より嬉しかったな〜〜〜!?また、新年会やりたいという結論で解散しました!!!遠い地から新幹線で駆けつけてくれた級友よ!また、新横浜まで来てくださいますか??


(18)以心伝心?(2002年11月 8日) 
 夢を見た。「あ、○○さんからメールが来てる」・・・・翌朝、何気なくメールチェックしたら、なんと夢で見たその人から深夜にメールが届いていた。・・・・

 そういうことが最近何度かありました。お相手はみんな違う人。PCへのメールであったり、携帯へのメールであったり・・・前夜にメールのやりとりをしていた場合もあるので、それについては夢に見ることもありそうな気がするけど、何日も前にメールを送っていた人から忘れた頃に返事が来たりしたとき・・・それまでは全然夢になんて見なかったのに、どうしてその日に限って?と思ってしまいます。単なる偶然?心の奥底で「返事来ないのかなぁ?」と気にしていたからなのかもしれませんが。なんだか、不思議でおもしろい・・・!

 でも、その夢はすべてその方たちからのテレパシー・・・以心伝心・・・って思いたいです。大切な人たちと離れていてもつながっているなんてワクワク(ゾクゾク?)します!私の思っていることも、いっぱい伝わっているでしょうか??

(17)見つめる目(2002年10月28日)
 昨日の午前中、ある合唱団の練習のお手伝いに臨時ピアニストをしてきました。自分たちの歌いたい歌を自分たちの手で作り上げていこう、というとても意欲的で楽しい合唱団です。そこで、一人の青年(大学生)に出会いました。その青年といろいろ話をしたのですが、彼は話す時、語尾までハッキリときっちりと話し、そして常にじっと私の目をまっすぐに見て視線をそらしません。ちょっと照れくさくなるくらい・・・!

 最近の若い人は・・・なんていうと自分が年取ったのかなぁ、と思わざるを得ませんが・・・高校生の長男を見ていても携帯電話を片手にピコピコとメールでやりとりをする時間が増え、人とまともに目を合わせてしっかりと自分の考えを話す機会がどんどん減って、苦手になってくるのではないかと心配になっていた矢先です。(そういう私もメールのたったひとつの絵文字ですごく嬉しくなったり、なんて経験もあるのでdocomoも捨てたモンではない、と思ってはいますが)

 その青年には、若さ故に悩みだってたくさんあるでしょうし、迷いも持っていることでしょう。でもやりたいこと、やるべきこと、を一生懸命しながら確実に一歩一歩前進しながら毎日を生きておられる自信(ご本人は意識していらっしゃらないでしょうが)がその目の輝きに溢れていました。

 そして午後、このHPのコンサート情報でもお知らせしておりました「しゅうさえこ20周年コンサート」で、しゅうさんのステージ姿をたっぷりと見せていただきました。彼女のステージはこれまでにも何度か見せて(聴かせて)いただいていますが、こだわりのあるまっすぐな生き方そのものがステージに出し切られていることにいつも感動を覚えます。今までにも何度も書いてきましたが「ひたむき」という言葉がぴったりで、それは「仕事上の顔」ではなく、一人の人間としての彼女自身をまっすぐに全力投球しているから伝わってくるメッセージなのだと思います。これまでの20年間の蓄積をステップに、さらに飛躍していただきたい、と心から応援したい気持ちでいっぱいです。

 昨日一日のうちに出会った二人の、物事をまっすぐに見つめる目。昨日の秋空のように爽やかな気持ちになると同時に、私も常に「見つめる目」を忘れずに残された人生を生きていきたい、と改めて強く思いました。

 でも、青年にじっと目を見つめられて(?)「ああ、こういう人が娘のお婿さんになってくれたらなぁ・・・」って思うようになった私は、やっぱり年を取ったということでしょうか・・・???

(16)太極拳と私(2002年10月13日)
 1999年秋のピアノデュオ・コンサートの後、私が信頼するある音楽家の友人から、私の演奏に対して「横方向の身体の動きが硬い。太極拳なんていかが?」という指摘をいただきました。それまで太極拳になんて全く縁の無かった私ですが、それ以後なんとなく常に気になっており、半年後の春に、近くの地区センター主催の初心者対象太極拳教室を見つけて参加しました。その教室は10回で終わりましたが、その後有志で続け2年半・・・90歳を越す女性もいる団体です。私の年の倍以上・・・!私がそこで「今時の若い人」と言われるのも当然でしょうか??

 はじめの1年半くらいは見よう見まねで、どうしてこんな覚えられないんだろう??っていうくらい、体の固さどころか頭の固さに我ながらあきれたものです!不自然な体勢で無理に身体を動かすから、練習の後、膝が痛くなったり腰が痛くなったりしていましたが、最近になってようやく練習後に気持ちのよい疲労を味わえるようになりました。

 私の「横方向の動きの硬さ」は股関節の固さからきていたようです。女性は皆そういう傾向にあるそうですが、もともと子どもの頃から何か運動を続けてきたわけでもなく、その上ふだん車でばかり移動していて運動らしい運動もしていないので、固まってしまうのも当然の事ともいえます。2年半かけて、自分の固さを実感できるようになり、今はそれが簡単にはほぐれないことを痛感しているところです。 

 しかし、ピアノを弾くときに、股関節を緩め自由に横方向に動くことを意識するだけでも、レガートが自然にうまくいくこと、息が長くなることに、アドバイスをくださったその方のおかげで再認識できました。もっと身体が柔らかくなれば、きっと音楽ももっと柔軟になるだろう、と期待して今しばらく太極拳教室通いは続けたいと思います!

 −「意を用いて力を用いず」と言われているように、太極拳は意念の働きで動きが導かれていく運動である。無駄な力みや緊張は、どの競技やスポーツにおいても避けるべき事であるが、太極拳の要領の柱となっているのは「放松(ファンソン)」(リラックスのこと)である。−

 −「リラックス」の維持と「集中力」の持続−。この一見矛盾した二つのものは、まさに相反する陰陽の二気ともいえるが、この二気が理想的に統合された世界が「太極」、すなわち太極拳の世界である。−

 ・・・・・「太極拳」(増田勝著)より
(15)「音の小箱」ロゴ公開!(2002年 8月21日)
 夏休み中に、以前からお願いしていた「音のこばこ」シリーズのロゴができあがりました。「こばこ」の文字を「小箱」に改め、今日から公開!!です。

 すっきりと、崩れすぎず、軽やかで、上品で、堅苦しくなく・・・まだまだ数限りないわがままな要求をイヤな顔ひとつせず(・・と思っているのはこちらだけ?)取り入れながらも、きちんとご自分の考えをもって、誠実に案を練って作ってくださった若手グラフィックデザイナー秋元智子さん。今後のご活躍を期待すると共に、この場を借りてあらためてお礼申し上げます。

 10月26日(土)には、このロゴを掲げて、第2回目の「音の小箱」コンサートを行います。第1回目は予想以上のお客様においでいただき、窮屈な思いをされた方も多く、申し訳なく思っております。今度はゆったりとお楽しみいただけるようにと、思い切って2回公演とさせていただきました。前回、チケット完売となり、お断りしてしまった方々にもぜひいらしていただけたら、と思っております。

 新しくロゴもできあがったところで、爽やかに気を引き締めて、10月のコンサートに向けて心を込めたおもてなしができるよう、準備を進めてまいりたいと思います。ヴィオラの音楽を中心とした内容ではありますが、ピアノとの掛け合い、絡み合いが十分にお楽しみいただけるプログラムです。皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。秋元智子さんの姿も見られるかも・・・?!

《秋元智子さんプロフィール》

CI制作会社にて企業のロゴ、広告等を制作。
約5年勤務した後、 オペラギャラリーや国際交流基金アジアセンター、水戸芸術館等の美術展のポスター、チラシ、カタログなどを制作するデザイン事務所 (株)カズヤコンドウ勤務。
以降フリーで活動。

以下はフリーで制作した主なもの
・ロシア映画「光にむかう三つの夢想曲」(BOX東中野で上映)のチラシ、パンフレット、HPを制
・ビデオ「ADHDのこどもの上手な指導法」(中央法規)のパッケージデザイン
・草風館出版「趙根在写真集」の装丁(ハンセン病療養所を撮り続けた趙根在の写真集)
・演劇RH+-のチラシ制作

使用アプリケーション: Illustrator、 Photoshop 、 Pagemakerなど

グラフィックデザイン全般(ポスター・チラシ・カタログデザイン、ロゴ制作、装丁)

趣味:踊り(タンゴ・サルサなど)、映画鑑賞(ヨーロッパ・アジア系)
                             音楽鑑賞(ジャズ・タンゴ・クラシック・民族音楽などなど)

(14)ピアノ万歳!(真夏の銀座にて)(2002年 7月22日)
 焼け付くような暑さの中、銀座王子ホールにて連弾コンサートを聴いてきました。心のこもった暖かい音楽づくりで、連弾の楽しさ、奥の深さをわからせてくれる演奏でした。

 連弾、というと何気なく二人が並んで弾いているように見えますが、追求し出すととんでもなく繊細で難しい域に入り込んでしまいます。絡み合う旋律や統一された和声感をいかに立体的にしあげていくか、おまけにそれを二人並んだ窮屈な体勢で弾かなければならないんだから・・・!音質の違う二人の、4本の手から出される様々な音色によって生まれてくる交響的な響き。ひとつの楽器でそれだけの幅広いことができるものはほかにはない!!なんてすばらしい楽器!!と再確認できて、聴きながら嬉しくなっていました。

 一人でも多旋律を歌わせられる幸せ。わがままと言われようと、独りよがりと言われようと、ピアノをやっていてヨカッタ!ピアノ万歳!!
(13)お台場観覧車ツァー(2002年 6月25日)
 2002年6月24日お台場観覧車ツァーのご報告!

 曇り空の中、8:40に家を出発、横浜市営地下鉄中川駅にて3名と合流。新橋駅に着く頃には太陽がニコニコと顔を出し、参加者の日頃の行いの良さを痛感?しながら「ゆりかもめ」に乗り込みました。青海駅下車。残り1名と合流。平日のお台場は閑散として、ゆったり気分でした。

 写真左からふわふわウサギさん、あっちゃん、小気味さん、私とへちこさんの5名で早速観覧車へ!あっという間の16分。携帯テレイドスコープ(万華鏡)での景色も楽しみました。やっぱり都筑阪急の小さな観覧車とは規模が違い、広がる海と空、都市の高層ビル群など壮観。すぐそこに天使の声が聞こえる空に昇り、再び日常の待つ現実へと静かに降りてきました。
                
                         
観覧車を楽しんだ後はヴィーナスフォートへ。束の間のウィンドウショッピングを楽しんだ後、地中海料理バイキングでランチ。用事のある人から順に自由解散。そして最後に残ったのはふわふわウサギさんと私。

さて、残った二人のその後の行動は??

  1)ヴィーナスフォートで買い込んだ大荷物を抱え、帰宅した。

  2)今度は二人だけで観覧車を楽しんだ。

  3)帰路、二子玉川で下車しショッピングを楽しんだ。

  4)一杯飲みながら、終電まで某合唱団の行く末について語り合った。

間違いがひとつだけあります。どれでしょう???

※日常を離れた小旅行気分にひたることができました。参加してくださった皆様、そして、残念ながら予定が合わず参加できなかった方々からも現地ふわふわウサギさん宛にメール多数いただき、ありがとうございました。次回は葛西臨海公園へ行きたいと思っております。いつになるかは未定ですが、またよろしくお願い申し上げます!!

まぶしい太陽を浴びる観覧車を見上げて・・・
(12)思い出の臨海学校(2002年 6月17日)
 今の時期、修学旅行や体験学習・・・子どもたちが楽しい宿泊旅行に行く姿を見かけます。でも、最近は臨海学校ってあまりききませんが、もうはやらないのでしょうか?私には臨海学校の経験が2回あります。小学6年生の時と高校1年生の時。 

 私は大阪の千里ニュータウンという、1970年の万国博覧会で有名な当時新しい町に住んでいました。小学校は新しかったけれど、私が卒業するまでは学校にプールはありませんでした。今のようにスイミングスクールが当たり前のようにある時代ではありませんし、学校の水泳授業も少なく、たまにある授業も、近くの小学校や電車に乗って市営プールまで行かなければなりませんでした。当然泳ぐ機会は少なく、両親も泳ぎに連れて行ってやろうという意識のない人たちだったので、私が泳げるようになったのは、小学校4年生の夏休みに参加した市の水泳教室でのこと。

 その後、6年生の夏までにそれほど泳ぐ機会があったわけではなく、平泳ぎをマスターしていなかったので、臨海学校は不安でした。もちろん行く気ではいましたが、前の日から高熱が出て、当日の朝、母が電話で担任の先生に「ちょっとこの熱では無理なのでお休みさせていただきます。」と言っている声を聞いて、妙にホッとしたことを覚えています。・・・ということで、一回目の臨海学校は欠席!

 もうひとつの臨海学校は高校生の時です。私は日本の中で一番といっても過言でない、小さくて狭くて偏った高校に通っていましたが、当時の教頭が「音楽バカになるな!」という方針の方で、春は菅平へテニス合宿、夏は岩井海岸へ臨海学校、冬はやはり菅平へスキー教室(私の時代は希望者のみ)に行きました。(結果的には何をしてもバカは皆バカのままでしたが・・・!)その臨海学校は私にとって、ほんとうに忘れたい、でも忘れられない思い出、となっています。

 初日、二日目あたりは、平泳ぎの得意でない私は、ABCと3段階に分けられたグレードのうち、Bクラスに入れられて泳いでいました。そこで問題なく過ごしていたのですが、最終日、さあこれから本格的な遠泳をして臨海学校の幕を閉じよう、という朝、突然ワンマン教頭が「おまえ、Aクラスに入って泳げ!」と私を指してきました。仕方なくAクラスに混じり遠泳を始めさせられましたが、それから約3時間(でしたっけ?誰か覚えている人いませんか?)溺れるわけにもいかず、ひたすらひたすら泳ぎました・・・!!

 私は顔を上げて平泳ぎができませんでした。緊張仕切っているので、途中休憩で氷砂糖が支給されるときも仰向けになることができず、結局最後まで手足を動かしながら、力の抜けきっていない効率悪い泳ぎをしていたわけです。思い出しただけでも息苦しくなってくる〜!ようやく海岸に戻ってきたときにはフ〜ラフラ。スイスイ泳げる人には、その大変さはわかってもらえないでしょう!

 その夜、夕食時に教頭から「おまえがいなかったら、あと1時間泳ごうと思ってたんだけどな!!」と言われ、ぶっきらぼうに「敢闘賞!」と発表されました。姉御肌のクラスメイトに「大変なことをやりきったんだから、これからは何でもできるって自信ができるわヨッ!」っと肩を叩かれたけど、その時私は心の中で強く思いました。「も〜〜〜う二度とこんなしんどいのはゴメン!一生海でなんか泳ぐものか!人生楽な方がいい!!」

 苦手意識の残る平泳ぎ。子どもたちにはスイミングスクールに通わせ一通りの泳ぎができるようになってもらいました。これで、海で遭難しても3人の子どもたちは助かってくれることでしょう!
(11)ワールドカップ(2002年 6月 3日)
 星野パワーにより、めずらしく奮闘し、今シーズン関東でも、抜かされることなくテレビ放映されていた阪神タイガースの活躍ぶりもほったらかしとなり、世の中はワールドカップにフィーバーしています。たしかに常に動きのあるサッカーは、詳しくわからない私でも面白い!ちょっと見始めると、いつの間にかテレビに釘付けになってしまいます。広いグラウンドをボール追っかけて走り回る、というのは、まさしく狩猟民族のゲームですね。動物をみんなでうまく追いつめて、協力して仕留める、という絵が見えてきます。

 あのゴールを一途にねらっている選手たちを見ていると、ピアノを弾くのと同じだなあ、とふと思ってしまいます。流れをイメージし、この音をこういう音で・・・などと、常に狙っているのだけれど、なかなか思うようには決まらない!!イライラ・・・することも。決まると快感!ピアノの場合は敵が邪魔をしにくることもないし、楽譜も鍵盤も動いたり逃げたりしないのだから、もっとうまくいっていいはずなんだけど・・・

 ちなみに、横浜市営地下鉄の駅数とワールドカップ出場チーム数が同じということで、各駅に出場国32国が割り当てられ、それぞれの国旗が掲げられています。我が家の最寄り駅は、日本が最初に対戦する相手、ベルギーの駅となっています。

 ワールドカップの陰にかくれても、気ィゆるめんとなんとかやってや、阪神タイガース!!たまには優勝してな〜。
(10)二人でピアノ(2002年 5月26日)
 ピアノ、というと、人の声のつぶやきからオーケストラの響きまでを、一人の手によって奏でられる楽器の王様。ひとりで音楽を作り上げられる楽器であるために、ピアニストはひとりで部屋にこもりシコシコと練習し、本番では孤高のステージに立ち、演奏中は観客を無視するかのごとく(本当は無視なんかしていませんよ!)ピアノに向かってひたすら演奏をするわけです。そのため、「人付き合いの悪い、わがままで、プライドの高い人種」とされてしまいます。たしかに否定はできないけれど・・・!

 私はここ数年、2台のピアノの作品を演奏してきておりますが、まったく一人で作り上げていくソロの場合と違って、当然のことですが、もう一台のピアノ(つまり相方の音楽)とぶつかったり、歩み寄ったり、共に進んだり、正反対の返答をしてみたり・・・と、これはかなり面白いものです。もちろん、歌や他の楽器とのアンサンブルにも、そのかけあいに無上の楽しみを感じますが、ピアノ同士−本来持っている音色が同じもの同士−でやると、ある時はすっかり2台が混ざり合うこともできるし、音色を変えることでまったく違った響きで語り合うこともできる・・・

 ここのところ「シリーズ音戯奏詩」にてずっと千葉ゆかりさん(ピアニスト)と2台ピアノのコンサートをやってきましたが、昨年榊原道子さん(ピアニスト)とも2台ピアノの作品をやる機会に恵まれました。榊原さんとは、その昔、芸大の定期演奏会でプーランク作曲の2台のピアノのための協奏曲を共演したのをきっかけに、卒業後都内にてデュオのコンサートを開いた仲。気心知れた仲で、昨年○×年ぶりに2台ピアノをやらせていただきました。

 相手が違うと感じること、それは相方を変えると自分も変わってくる・・・ということ。相手に合わせて自分を変えようなどという意識は一切ないのにも関わらず、出てくる音楽が微妙に違ってくるのです。自分でもおかしいくらい・・・実は、違う自分が生まれるのではなくて、隠れていた部分が違った相手によって引き出される、ということだと思うのですが、相手の声に反応することの楽しさと、それによって自分の持ついろいろな面を自分自身が発見できる・・・!これがアンサンブルの面白いところなのでしょう。癖になってやめられない!ソロを弾くときにも、この自分発見が大いに役立ちます。

 2台ピアノが、相手パートと愛も語れれば、大喧嘩もできる、という比較的自由奔放に自分を出せる形だとすると、もう少し繊細で二人が一体に近づく形が「連弾」。肌ふれあう隣り合わせで、違う個性が醸し出す音楽には、もう少し二人の関係の密着度(もちろん、音楽上の!)が増えてきます。1台のピアノなのですから、ペダルも一組しかありません。踏む方(普通、低音を受け持つSecondがペダル担当)もPrimoの音楽をのみこんだ上で、打鍵のタイミングを考えなければならないので大変神経を使わなければならないのですが、踏めない方(Primo)も、ペダリングについては全面的に相方にお任せしなければならないわけですから、しっかりと信頼関係が成り立っていなければ、非常に恐いものです。

 今のところ、私は、多少きめ細やかな連弾より、どちらかというと発散型の2台ピアノに興味があるので、連弾のコンサートは数えるほどしかやっていないのですが、この度、私の友人たちが連弾のコンサートを7/21(日)に銀座で開催することになりました。連弾の名曲も実にたくさんあるので、彼女たちがこれまであたためてきた作品を披露してくださることは、私にとっても大変興味深く、楽しみなコンサートです。そもそも、「連弾」とは、テレビもステレオもなかった時代に、家庭内で音楽を楽しむために発達していった分野。1台のピアノを囲んで、音楽好きな仲間が集まって、ワイワイと流行の音楽を楽しんだというわけ。今回の「ピアノ・デュオ フェリーチェ」のコンサートも肩の凝らない、アットホームな雰囲気で、音楽の本質に触れられるのではないかと期待しています!
(9)「2台ピアノの作品」ご案内(2002年 5月19日)
 昨日、「2台ピアノの作品」のページを新しく増やしました。これまで、2台ピアノのコンサートは6回行い、演奏した曲目だけでもいつのまにか20曲を越え、折々に買い込んでいた楽譜は、どんどんたまる一方!ずっと山積みになっていた楽譜をようやく整理することができました。数日間、この作業のためPCの前に張り付いており、目が疲れて頭もボーッとしていますが、これで私もことある毎に「何の楽譜を持っていたっけ?」と、いちいち楽譜の山をさがさなくてすみそうです。・・・という、きわめて私的な覚え書き、という内容でどなたにでも見ていただけるようなページではないのですが・・・

 2台ピアノの作品は、まだまだ、まだまだ・・・たくさんあります。曲があることはわかっていても、その楽譜を手に入れることがむずかしい場合もありますし、高価な楽譜の場合は、どんな曲か知らないと、取り寄せるのにもかなり覚悟がいります。実際、1万円近い楽譜を使えそうかと思って取り寄せては見たものの、???という感じで眠らせているものも数少なくありません。・・・という経験からも、私の持っている楽譜が、万が一でも、これから2台ピアノの演奏をされる方々の何かしらお役に立てることがあれば、と思い、公開させていただきました。

 曲目解説については、過去のシリーズ音戯奏詩のコンサートでのプログラムノートからの抜粋です。
   
(8)母の日雑感(2002年 5月13日)
「記念日」や「あらたまった行事」ということにあまり動揺?しない家庭に育った私は、自分の中では心をかけているつもりなのに、うっかり忘れていて、相手に気持ちを伝えるタイミングをはずしてしまうことがよくあります。(家庭のせいにしてはいけないけれど・・・!)

世の中には何事にも準備よく、心のこもった贈り物をタイミングよく、それも必ず忘れずに下さる方がいるものです。毎年、私の結婚記念日か誕生日(10/1と10/6と日が近いのでどちらかに)には大阪から「ハロ〜!元気?」と電話をかけてくれる大学時代からの親友。両親の誕生日や父の日、母の日にはいつもかかさず両親宅に訪れる兄嫁。・・・皆、常に周りの人のことを心にかけているから忘れることがないのでしょう。いつも自分中心に生きている私・・・深く深く深く反省!!

先日、このHPの掲示板で「母の日」のプレゼントの準備について書いてくださった方がいてくださったおかげで、私も今年の母の日は遅れずにプレゼントができました。何にしようか迷ったけれど、オーソドックスにカーネーションの花束。花は本当にいいですね。お花屋さんにいるだけでうきうきしてきます。花束を受け取ったうれしそうな母の顔を想像しながら選びました。

さて、母の日当日、娘たちが動き始めました。午前中、学校の動物当番に行った次女(だいふく)の帰りが遅く、帰ってくるなり「遅いじゃない!」と小言を言ったのですが、「はい、お母さん」と、私の好物のチョコレートを買ってきてくれていたのです。「なんていい子なの〜!」と、叱ったことを即撤回。

長女(きなこもち)は朝からごそごそと台所で作業開始。黙々と一人でデコレーションケーキを作ってくれました。ケーキには「THANKS」という文字。もうすっかり私が作るのと、味も見栄えも変わりなく作れるようになった腕前を見て、これからケーキ作りは長女の仕事、と決まりました。

私を喜ばせようとしてくれた娘たち。その気持ちはもちろん最高にうれしいけれど、もっとうれしいのは、無条件に私を喜ばせたいと思ってくれる相手がいてくれること。そして、私がそれを無条件で喜べること!当たり前のことのようだけど、これまた感謝、感謝!!

(7)前世と海(2002年 5月 7日)
連休中に家族と城ヶ島に行きました。朝6時に家を出て、7時に到着。11時頃まで海辺を歩き回り、マグロを買い込んで、1時半には帰宅してあとはノンビリ、という午前中有効使用型のお出かけでした。

いつも不思議に思うのですが、私の夫は何かというとすぐに海に行きたがります。子供たちが小さい頃に連れて行ったのも、動物園ではなく、いつも水族館。趣味と言えば熱帯魚と水草を育てること。夕飯の買い物に一緒に行くと必ず買うのがアサリか蛤といった貝類・・・。私には、どうしても夫は前世がオットセイかトド(これは単に体型から・・・)だったのではないかと思えるのです!?   うちのオットセイ・・・・・・失礼!!!

中学生の娘も、水が好きです。ふだんはゴロゴロとゆったり型なのに、なぜかプールや海で泳ぎ始めると、水を得た魚、とはまさしくこれか、と思えるほど生き生きと快活にスルスルピチピチと泳ぎ回ります。こちらはさしずめ前世はイルカか。

でも、前世って本当にあるのでしょうか?臨死体験だとか、幼い子が自分の前世に見た光景を話すとか、そんな話も聞きますが、本当なのでしょうか?もし前世があるとしたら、自分がかつてどんな人だったのかと気になりますね。先ほどインターネットの検索で出てきた前世占い(もちろん無料版)でちょっと遊んでみたら、「あなたの前世は浅草観音の金魚すくいの金魚」と出ましたが・・・!当たっているような・・・?!?!?

さて、そして来世にはどのように生まれ変わるのか?今度生まれ変わったらどんな風になりたいかなぁ?・・・もっとできる人に生まれたい、とか、この人には絶対にもう一度出会いたい、とか・・・勝手気ままな我が儘ばかりが湧き出てきます。でも、考えてみると、生まれ変わったその人の人格に、今の自分が反映されるということなのですから、今自分がやっていることによって、生まれ変わった自分がどうなれるか、が左右されてくるってこと?! うぅ〜ん、ややこしいけど、こう考えると、今自分が生きていることの責任を感じます。今をしっかり生きていてあげないと、生まれ変わった私が困るかもしれない。

自分も知らない遠い過去に支配される今の自分。前世の前世の前世の・・・と辿れば、そもそも生物は海の中から生まれてきたのですから、わが夫が海に惹かれるのも自然なことなのかもしれませんね。
(6)初心忘るべからず(2002年 5月 3日)
先日、国立能楽堂で能・狂言を見てきました。恥ずかしながらまだまだ何もわからない初心者で、日本語なのに何を言っているのかわからないところもいっぱい!イギリス人がドイツ語を聞くとこんなかんじなのかなあ?などと考えながら見ていました。・・・!?

美しく華やかであり、無駄な動きを省いた静の中に激しさをも表現しようとする日本の美意識。姿勢を保ち、なるべく少ない動きで演技をするための、脱力とスムーズな重心移動。無駄なく、漏れなく、最大限を表現できるって、能に限らず、万国共通の理想形でしょう。また、それなりに決まり事を知ってくると、面白みが増えてきます。構えや動作の意味をちょっと知っているだけでも見方は変わってくるし、舞、音楽、面、文学、衣装、小物にいたるまでの日本の伝統文化に、きりのない奥深さを感じ、ますます興味がわいてきます。

能楽堂での出し物をパンフレットで見ていたら、最近、能や歌舞伎、などの日本の伝統文化の分野でも、鑑賞教室はもちろん、解説付き公演も数が増えているようでした。スーパー狂言、などという現代版の作品もやっていますが、知らないからなじめない、なじめないから近寄らない、近寄らないから知らない・・・の悪循環をはらい、今の時代における伝統文化というものを再確認しつつ、多くの人々にその良さを伝えていきたいという強い願いがあるに違いありません。

クラシック音楽の世界でも、最近の傾向は同じだなあ、と思いました。プレ・コンサートとしてわかりやすく作曲家や作品のことを解説したり、お話付きコンサートだったり、そういうコンサートがずいぶん増え、喜ばれているようです。言葉がコンサートの流れを分断してしまうこともあるので、どんな場合でもベストとは思いませんが、ちょっとした情報をお伝えすることで、身近に親しんでいただけるのでしたら、大いに取り入れたい形体だと考えております。(今年春に始めた「音のこばこ」シリーズもそのひとつ:次回は今年秋を予定しております。詳しくは「加納文子コンサート情報」にて近日お知らせいたします。)

私もコンサートのプログラムを決めるときに、テーマが決まってからもあれこれと悩みます。自分の演奏したいものと、聴衆に受け容れられるものとのギャップ・・・そこをどのように埋めるか。先に書いたようなトークでフォローするか、有名な曲や聴きやすい曲を交えたり・・・ええい!今回は聴衆の立場なんて忘れてとにかく自分のやりたいものだけやらせてもらうんだ〜、ゴメン!という場合だってないわけではありません。

しかし、どんなに迷っても、やっぱり「初心忘るべからず(世阿弥)」!!ですね。
作品の持つメッセージ(形式、様式も含めて)を読みとり、できる限り消化し、また昇華し、今に生きる自分というフィルターを通させていただいて、聴衆のみなさまに何らかのパワーを伝えたい、という心持ちを原点に、常に新鮮な気持ちで、これからの活動を続けていけたら、と思うばかりです。多くの巨匠たちの作品から得る人生の深みと喜びと楽しみ!・・・ああ、険しき道、終わりなき旅!!
(5)ハートフル・しゅうさえこ(2002年 4月29日)
もうどなたもご存じとは思いますが、しゅうさえこさんは「NHKおかあさんといっしょ」14代目うたのおねえさんであった人で、現在は全国各地でライブや放送、と忙しく歌手活動を行っておられます。

私と彼女とは芸大時代からのおつきあい。それも、毎週一回彼女の声楽のレッスンに専属伴奏者としてついていったという間柄だったのですが、その二人が卒業後?年ぶりに子連れで地元のコンビニ前で驚きの再会!その後、同じ年頃の子を持つ母として、また、ハッピーたいむという合唱団を通して、学生時代以上に仲良くさせていただいています。

そのしゅうさえこさんと、今年に入って仕事でもおつきあいをすることがありました。彼女のオリジナル曲が女声合唱曲に編曲されたものを、彼女自身が棒を振って初演する、というもので、練習段階から本番まで、彼女の音楽作りに対する意気込みを、伴奏者の立場で間近に見ることができました。自分の生み出した曲への想いをなんとか伝えたいという強い情熱は、合唱団のメンバーにも燃え移り、とても盛り上がった良い雰囲気で本番を迎えることができました。

その折に合唱曲としてデビューした2曲「出会い」「明日もいいことあるように」の詩の内容も、しゅうさえこさんの人柄そのままのもので、あたたかく、親しみやすく、彼女の生んだヒットソング「きっとしあわせ」と共に、今後いろいろな合唱団で歌われていくことでしょう。

「ひたむき」という言葉がぴったりのしゅうさえこさん。ひとつひとつのステージの内容に、こだわって、夢中になって。そこから生まれてくる音楽はその人の人生そのもの。5/11の「しゅうさえこのハートフルライブ」は、ほかではなかなか聴けない彼女の弾き語りが楽しめるアットホームな雰囲気のコンサート。自然でありながら、こだわりのあるしゅうさえこの素顔に近づけることは間違いなし!

・・・最後はコンサートの宣伝になってしまいましたが、私のまわりにはこのようなハートフルな友人がたくさんいて、いつも良い刺激をいっぱいもらえることに感謝、感謝・・・!!

(4)観覧車(2002年 4月27日)
我が家のリビングから都筑阪急の屋上にある観覧車がよく見えます。夜になると今の季節はグリーンにライトアップされ、毎日眺めています。実は私は観覧車が大好き!・・・でも、いくら近くに観覧車があると言っても、そうそうおばさんが一人で乗りに行っていたら変な目で見られるのでは、と気後れし、控えています・・・。
昨年、私が観覧車が好きだと言ったら、気の利く友人が即座に観覧車ツァーを私のために企画してくださり、横浜みなとみらいの大観覧車に乗ってきました。今年もそろそろ観覧車の季節ですね!お台場の観覧車、まだ乗ってないので行ってみたいな。
観覧車の魅力??・・・それについては、「お台場観覧車ツァー」が終わってから!

我が家から見える夜の観覧車
               ↓(ちょっとわかりにくいかな?)
(3)流行もの(2002年 4月24日)
万華鏡が今ちまたで流行っているのだとか・・・あまのじゃくの私は流行っていると聞くと、「みんなと同じはイヤだ」とすごく抵抗があるのですが、一年ほど前にビーズに凝り始めたときも同じ状況でした。世の中の流行と同じテンポですすんでいるっていうことは、私はごくありふれた人間なんだと思います。
でも、いいと思うものはイイ!好きなものは好き!!周りがどうであれ、自分がどう大切につきあっていくか、が問題ですよね。
・・・昨日も友人と万華鏡のギャラリーに立ち寄りましたが、やっぱり自在に変化する世界は魅惑的!
(2)万華鏡(2002年 4月21日)
つい数日前ですが、私は「万華鏡」の世界に取り憑かれました。「キラキラ光るもの」が大好きな私が出会ってしまった新しい世界です。
花火のように次々と表情の変わる世界、宇宙を思わせる果てしなく広がる世界、胎内でもしかしたらこんな情景を見ていたのでは?とふと思ってしまうようなホッとする世界、小さな小窓を覗いていると時間の経つのも忘れてしまう・・・万華鏡。
素敵な万華鏡はたくさんあるけれど、高価なものばかりで・・・今は2500円の筒を覗いています。

(1)ホームページ開設のごあいさつ(2002年 4月18日)
お薦めコンサートのご案内を中心とした"Fumiko Kanoh's Home Page"《加納文子のホームページ》です。聴いて得するコンサート満載!みなさまもぜひ足を運んでみてください!!

この「ちょっと寄り道」コーナーでは、音楽に関係あることないこと・・・気まぐれに書き連ねて行こうかと考えておりますので、気楽に目を通していただければ幸いです。

未熟なホームページではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。




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